11‐7 嘘なんてどうせバレるものなんだ
煤のような暗がりの中に、ランプの光がふわっと辺りを照らしだす。外の静けさが、まるで音を忘れているかのような世界で心地いい。
土魔法で作られたドームの中で、俺は寝袋を広げながら一日の出来事を振り返っていた。セレナの風邪が治った朝から始まって、村が魔物に襲われた昼。そして、ラフィットに誘われて行った、夕暮れまでのダンジョン制圧。とても長い一日だった。だが、セレナの調子がいつもと違う理由がやはり分からない。
横を見てみると、セレナは気迫が乗っていない顔をしている。夕食を食べている時から何も変わっていない。森を出て以来、声すら聞いていない気がする。朝はあれだけ元気を見せていたのに、今のセレナはまるで別人だ。
セレナが俺たちとの間に壁を張ろうと魔法を発動させる。聞いてあげるべきか、それとも向こうから来るのを待つか。
「……なあ、セレナ」
俺は前者を選択する。はっきりしないのは俺の中でも腹が立つ。セレナは黙って魔法の手を止め、不満そうな目で返事をする。
「いや……その、なんか、さっきっからお前の様子が変な気がしててさ。何か考えてるのかなーって」
「別に。何にもないですよ」
「そうか。それならまあ……」
気まずい。明らかに何かあるのは分かっているのに、踏み込むなという圧が強くて押し切れない。思えばセレナと一緒にいて、気まずいと思ったことは初めてだ。
「私に、気を遣わなくていいですよ」
「え?」
不意な一言に驚いて、そう声をこぼしてしまう。
「私のことは放っておいてくれても、別に大丈夫ですから」
「……どういうことだ?」
「そのまんまの意味です。私を気にかけるだけ無駄ってことです」
セレナはそうはっきり言い切って、また壁づくりを再開していく。人に気にかけないで、と言われても、逆にこっちは気になってしょうがない。土の壁がセレナの顔を隠すようにせり上がっていくと、俺はその隙間に手を挟んで壁を掴み、まだ完成しきってないそれを力づくで削り取った。そうしてセレナの目をちゃんと見る。
「理由を話してくれ。どうしてお前を気にかけたら無駄なんだ?」
「……私はハヤマさんたちと違って、力や才能がありませんから」
俺と目を合わせないまま、セレナはボソッとそう言った。まさかの理由に俺は首をひねる。
「なんだそれ? まるで俺が強い人間みたいに言うじゃねえか」
「そう言ってるんですよ、私は」
「はあ? 面白い冗談でも言ってるつもりか? お前に比べたら、俺なんてただの――」
「適当なこと言わないでください!!」
突然の大声が狭いドームの中に響く。その一声で火照った彼女の顔に、必死そうな表情が浮かぶ。こんな感情的な声を聞いたのは初めてで、俺は全身から頭の中まで固まってしまっていた。
「比べたら分かるじゃないですか! 私の魔法がいつまでも成長しないのに対して、ハヤマさんはどんどん力をつけていて、コロシアムの時だって結果を残して」
「成長なんて。それこそセレナだって、目指してる転世魔法には近づいてるじゃないか」
急いで言葉を捻り出す。が、セレナにはまるで届いてない。
「人から頼りにされるのだってそうです。ミリエルさんやラフィットさん。皆さんが頼りにしたのは全部ハヤマさんでした。私はただ、その横をついていくだけ。いてもいなくても変わらない……」
「いや、別にそんなことは……」
喉奥に言葉がつっかかってしまう。彼女の俯いた顔から、涙が零れ落ちるのが見えてしまったからだ。
「でも当然ですよね。当然なんですよ。薬を買うのだって、私がいなくても一人で帰ってきましたし、人混みが苦手だったのも自力で克服したんですもん。そんなハヤマさんに比べて、私は……全く、何もない……」
震えた声でセレナはそう吐き捨てていく。彼女の感じていた負い目と、俺に対する嫉妬。人に改めて評価されると、いつの間にか俺はそこまで成長できていたらしい。けれど、素直に喜ぶ気にはなれそうにない。
「知ってますか、ハヤマさん……。私たち、旅立ってから十ヶ月も経つんですよ。それなのに、私はこのブレスレットの分。お母さんの残したものを形にしたくてここまで来たのに、未だにお母さんから貰えた分しか力を手に入れてないんですよ……」
――十ヶ月で、そんなに自分を酷く言うもんか? この言葉が口の中でスッと消えていく。これを言ってしまえば、なんだか彼女を傷つけてしまう気がした。感情は人一倍豊ではあるが、彼女が今までこんなに落ち込む姿は一度もなかった。
どうしてそこまで自分を追い詰めてしまうのか。直近の出来事を思い返していく。ピトラでミリエルに納得のいく結果を残せず、村を襲われた時だって失敗が多かった。それに、アマラユという格上の魔法使いとの差。もしかしたら、俺が薬を買った時のことも、自分の存在意義の薄さを感じてしまったのかもしれない。
自分の理想と現実とのギャップが、自分自身を理解できず自己嫌悪に陥っている。届きたい夢があって、そこまでずっと歩いているつもりだったのに、まだ一歩も動けていないと感じてしまっている。そのせいで俺と一緒にここまで来たのに、俺との距離を測ってしまって、変われていない自分が嫌になったんだ。
「……すみません。勝手なこと言って」
セレナがまたボソッと呟き、慌てるように涙を拭う。
「もう寝ます。色々、疲れました」
壁を築かないまま寝袋に入っていくと、セレナはランプの明かりをふっと消し、その顔が暗闇の中へ隠れていく。
同じ空間にいるのに、そこに取り残されてしまう。困った俺はガサガサと雑に頭をかく。このまま寝られる空気じゃない。とても寝れそうにない。
じゃあなんて声をかける? ――全部話してみないか? いいや効果が見込めない。
――その辛さは俺にも分かる。今になって気づいた奴のセリフじゃない。
――一人で悩むな。二人で悩むだけで終わりそうだ。
全く思い浮かばない。人を元気づけることなんて、俺の大の苦手分野だ。今まで一度だってそうしたことがない。人と関わることを嫌ってきたのだから当たり前だ。コイツもコイツで、勝手に自爆するようなことしないでほしいと苦情を言ってやりたいくらいだ。
頭をかいていた手を首の後ろで止める。それに引っ張られるように顔が上がって、土の天井が目に映る。コンクリートのように塗り固められた茶色には、何にも光が見えてこない。だが、俺にはその先の風景が、目に浮かびそうだった。
この世で初めて目にした絶景。感動したのを今でも覚えているのに、隣にそれがあることをいつしか忘れていた。少しの間立ち尽くしていれば気づけることを、俺は忘れていた。それはきっと、セレナも同じことだ。
「……セレナ」
声をかけても返答はない。さすがにまだ寝てないだろうと、話しを続ける。
「嘘がバレない方法って、何か知ってるか?」
セレナの頭が少しだけ動く。
「急に、なんですか?」
顔がこちらに振り向いたのが見えると、俺は土魔法で作った壁に近づき、ドアをノックするように、トントンと叩く。
「開けてくれ」
セレナが顔を上げて俺を見る。何も言うことなく寝袋のファスナーを下ろし、そのまま腕を伸ばして魔法陣を光らせると、目の前の壁を取り払ってくれた。
「サンキュー」
お礼を口にし、俺は魔法を発動し終えた彼女を手をさっと掴む。「え?」と動揺するのを気にせず引っ張り出すと、ちょっと力づくに彼女を外へと連れ出した。
ささやかな風が流れて、涼しい空気を感じさせていく。人の声や虫の音なんかは一切聞こえない、まさに宇宙のような無音世界。
「あの、ハヤマさん?」
セレナの手を離して、顔をゆっくり上へ上げていく。元いた世界では見られないような満天の星空。夜は光もなく真っ暗なはずなのに、そこに輝く星々が青白い空を作り上げている。俺が異世界に来たのを、今一度知らしめるような圧巻の景色。セレナも俺につられるように顔を上げていき、その景色に思わず「うわ……」と声をこぼしていた。
「いつ見ても綺麗だよなぁ、この星空は」
「……はい」
少しだけ、いつも通りの彼女の声が聞こえたような気がする。
「本当に綺麗だ。もしこの星が俺たちを見ているのなら、嘘なんかついたってすぐバレそうなくらい」
「え? さっきの話しってそういう……」
気になるような表情が尻目に見えて、俺は星空からセレナへと目を移す。
「まさか。嘘がバレない方法ってのは確かにある。面と向かって話していても、まるでバレない方法だ。なんだか分かるか?」
「どうして、急にそんな話しを?」
「いつもの与太話だ。当ててみろって」
セレナは俺から目をそらして少し考え込む。
「……表情が動かない人、とか?」
「そうだな。顔に出なければ嘘は簡単にはバレない。でも、それは不完全なやり方だ。嘘が出るのは顔だけじゃない。表情だけが平然を装ってても、目や手足の動きが怪しかったらアウトだ」
「はあ……」
興味なさそうにセレナは俺を見る。その顔が初めて見るようで、俺は少しおかしくなって「ッフ」と笑ってしまう。
「けど逆に言えば、嘘をついても全身が全く動じなければ、その嘘はバレないってことだ」
「そんなこと、できるんですか?」
「意識すればするほど、体がこわばってしまってそれは難しくなる。でも、誰でもできる方法が実はあるんだ。意識一つ、変えることさえできればな」
「意識を、変える?」
次第に興味を持ち始めるセレナ。その目を見ながら、俺ははっきりとこう言った。
「嘘はバレたって問題ない。そう思うだけだ」
「どういうことですか? バレてしまったら大変じゃないですか」
「嘘を隠し通すことはそう簡単なことじゃない。バレてしまうんじゃないか。実はもう既に知っているんじゃないのかって、体のどこかで勝手に反応してしまう。そしてそれが、嘘をついていることのサインになってしまう」
「自然体じゃなくなるってことですか?」
「そう。いつも通りに話していれば、少なくともその会話でバレることはなくなる。それを可能にする方法ってのが、バレたって問題ないって思いこむことなんだ。意外にこれがバレないもんだ」
そう言い切ると、セレナは怪訝そうな目をしていた。
「本当ですか?」
「本当だとも。バレてもいいバレてもいい、バレたって問題ないって頭の中で唱えてみる。すると、自然と湧いて出てくるんだ。心の中に“余裕”が」
「余裕……ですか」
そう呟いて、セレナは自分の心臓に触れるように胸に手を当てた。反対に俺はその場にしゃがみこみ、もう一度空を見上げた。
「嘘なんてどうせバレるものなんだ。知られたくない事実を隠したくて。相手を騙して利用したくて。自分の本心を見せたくなくて……。理由は色々あれど、嘘なんてみんなつくんだ。たかだ一人のたった一つの嘘がバレたくらいで、動揺する必要なんてないんだよ」
横目にセレナの顔が映る夜空の風景。彼女は俺が喋っているのをぼんやりと眺めていたが、やがて俺の目線につられるように再び空を見上げた。満天の星々が、俺と彼女を見下ろしてくる。
「……私、焦ってたんですかね?」
そう言ったセレナは、わずかに笑おうとしていた。
「そうだったかもな。それこそ、こんな綺麗な星空を見上げることを、忘れるくらいに」
「なんだかちょっと、恥ずかしいですね」
顔を俯けてそう呟く。今まで顔に乗っていた緊張感は、まるで空に吸い取られたかのように消えてなくなろうとしている。
「そんなに気負わなくてもいいと思うぞ。誰にだって失敗することなんてあるし、恥をかくことだってある。人と比べたって変わらないものは変わらないし、どうせ俺たちには、時間の制限なんてない。余裕もって、ゆっくり進んでいければ、それでいいだろ?」
そう言って、消えることなくそこにあり続ける景色を眺め続ける。セレナもまた見上げて、俺たちは十ヶ月ぶりにこの景色を一緒に見る。いくら焦ろうがゆっくりしようが、早歩きしようが後戻りしようが、この星空の景色は変わらない。ただこの輝きたちは、変わろうとする俺たちを見守ってくれるのだ。
月が沈み、新たな太陽が昇ってこようとも――
「おはようございまーす!」
「っぬあ!? 眩しいって!」
「朝ですよ! 早く起きて出発しますよ!」
いきなり土の天井をどかされて朝日をこの身に受ける。うっすら目を開けると、上機嫌すぎるセレナがもう土のドームを取り払っていて、俺はさっさと寝袋から体を起こした。
荷物をバックパックに詰めこみ、サーベルも装着完了。もう何百と繰り返した出発準備を済ませると、俺は一歩踏み出す前に笑みを浮かべているセレナに聞いた。
「もう大丈夫なのか?」
「はい! もう大丈夫です! ……なんか、あれだけ悩んでいたのに、いざ口に出してしまえばそうでもなかった感じです。昨日はありがとうございました」
丁寧にお辞儀をし、改まってお礼をされる。
「おいおい、頭を下げるほどか? 俺は何も気にしてないから、お前も気楽にいけよな」
「分かってますよ。さあ、行きましょう!」
跳ねるように歩き出していくセレナ。後を追って俺はその隣をついていく。たとえ立ち止まろうとも、なんだかんだ俺たちはこうして歩いていける。お互いに見失わない限り、この歩みが止まることはない。俺とセレナの二人という、限りなくゆっくりで寄り道だらけであったとしてもだ。
十一章 嘘がバレない方法
―完―