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燎原の景星  作者: 更紗 悟
第二章 以火救火
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胸裏


     2 胸裏


 大戦が終わり、一時の平和が戻ってきた。だが、それは僅かな間しか持たないものでしかないとカクは知っていた。眼を離せない危険な兆候があり、それがカクを悩ましていた。

 その一つは、綜の急成長である。その躍進を牽引しているのは、オウ・青という新たな綜真だ。

 以前、瑗から脱出を図り、追い詰められた時、オウ・青はそれでも毅然として、太真―この国全てを統べる者―となると宣言した。それが苦し(まぎ)れの虚言ではなかったと示すかのように、亡き父クスルの後を継ぎ、オウ・青は弱冠十八歳にして綜真となった。

 その後、自身の意を押し通すための直属部隊を作り、真穿(しんせん)と名付けた。常設の戦闘部隊である真閃は数々の戦地を転戦し、周辺のキョウを次々と併呑し、領土を広げた。その大隊長が、あの時オウ・青を奪還に来た部隊の唯一の生き残り、サイト・(せい)である。

「―――片方だけは、潰しておくべきであったな」と、カクは低い声で呟いた。

 オウがいくら綜真として気を吐いても、実績を伴わなければ聞く耳を持ってもらえない。その無謀な要望をかなえて成果を供えるサイト・成がいなければ、ここまで速やかにオウの意望が通る事はなかったはずだ。

 逆に、並々ならぬ武の資質を感じたサイト・成を見逃したとしても、その刃をうまく使える者がなければ、宝の持ちぐさ腐れとなっていたはずだ。

 オウには綜を掌握してもらい、リェンを通じてその指向性を密かに誘導したい。そう思って見逃したが、生かしておくには危険すぎる代物であったか。

 躍進を続ける真穿に刺激され、他の綜の統士たちも発奮している。新参の部隊に功を独り占めされまいとして、丞和十三年には、河津を咎めるという名目で攻団が形成された。

 このまま河津がやすやすと撃破されるとは思えない。数は四国の中で最も少ないが、かの国の統士は勇猛果敢で知られている。知将ハイル・淑の指揮も侮れないものがあり、綜は攻めあぐねるだろう。膠着が続き、攻団の持続が困難になれば、綜は引き上げるはずだ。

 だがもし―――、とカクは想像する。これまで通り愚直に、東の要所を抜く事を目指して南下を続けていれば、綜は勝てないだろう。だが、西の険しい山道を踏破し、アヌンという街を攻略し、南下を支援するという発想があれば、そして、それを身軽に実行できる部隊があれば、戦況は変わりうる。

 そうした策戦を取り、速やかに完遂できたならば、河津の守りも万全とは思えない。そう進言しうる危険な頭脳を持つ者が、一人頭角を現してきている。それがまた、サイト・成と親しい女だというから、不安が募る。

「やはり、消しておくか」

 カクは呟き、一人の男を選び出した。

 早すぎる拡張は中途半端に失速し、悲劇を周囲に巻き起こし、返って自国の消耗を招く。そう彼は危惧して、拡大を押し進めるオウ・青を危険視している。また彼は攻団主将のテイスグ・(でん)に近い位置にいる。暗殺の為の手筈を整えてやれば、やり遂げる武の才と知力もある。

 なお都合の良いことに、その男はサイト・成にも縁がある。

「そういう宿命であったか……」

 どこまでも絡み合う宿縁の糸のようである。それらを放置すれば、容易には断ち切れない縄となろう。だが、そこに一指を差し込み、乱せば、逆に身動きを取れなくして、首を絞めうる。

 頑丈な縄となるのを、放置しておく訳には行かない。ならば、手を汚し、掻き乱すしかない。カクは綜にいるリェンに繋ぎを求め、指示を出した。


 この後、真穿はテマ低山帯を抜け、アヌンを攻略した。カクの危惧どおりに事は進み、河津は苦境に立たされた。

 もし、カクの指示がなく、攻団の要テイスグが健全であれば、そして、サイト・成の動きを封じなければ、もっと一方的な闘いとなっていただろう。


     *


 丞和十年、先代瑗真であったセドウ(千藤)・源が亡くなった。

 彼の側仕えしていた者以外は、急な報せに驚いた。実は彼の病は(あつ)く、瑗真の座を譲った頃から患っていたという。ならば、そのころから人前に立つことすら負担であるはずなのに、それを人に悟らせなかったことになる。

 生前、父の意中を読めず、距離を置いていたショウであるが、駆けつけたときには素の抜け落ちた人形のようになった。

「―――どうして、このようなことをなさるのか」 と、ショウは力ない声で囁いた。

 事情を知らぬ者が聞けば、親子の仲の悪さを疑うかもしれない。だがこの言葉は、逆に二人のつながりの深さが言わせたものである。

 セドウはショウに不意討ちの驚きをもたらした。ただしこれは、意地悪をしたいのではなく、病に体を蝕まれた結果である。体がいつかは病み衰える、それは人には避けられない定めである。受け入れなければならないとショウも承知している。

 それでもショウは、そう思いたくなかった。いつものように、不出来な我が子に無言の戒めを与えているのだと、思いたかった。そうであれば良いと、考えずにはいられなかった。

 亡き父の棺に(すが)り、ショウは人目を(はばか)らずに()いた。

「―――叱ってください、愚かな私を。もう一度。こんな事も分からないのかと、怒鳴り散らし、諭してください」

 父は厳しかった。当時は嫌悪し、反発した仕打ちも沢山あるが、その行為には、確かに父の意思があった。どんな形であれ、セドウという人間がいる証拠に現す行為であった。

 それが今や、失われてしまった。セドウと呼ばれたものは、もはや何も現さず、ただ崩れ、消え去るのを待つのみである。

 ショウの震える両手は、セドウの痩せこけた頬に触れようとして、触れられずにいた。この世で最も大切な物がそこにあるように、(うやうや)しく、手をかざすだけであった。

「おお、父よ―――。どうか、もう一度。貴方のお言葉を―――」

 その願いを叶えてくれるものは、いない。

 やがて、対話が叶わないと受け入れて、ショウは身を激しく震わせた。



 少し離れた所で、この様子を見ていた男がいる。エンスクの主、ユヒト・(はく)である。

 セドウの側近や、ショウの配下は、涙に暮れているか物憂い顔をしているが、セドウの盟友である彼だけは違った。

 ユヒトの背筋はぴっしりと伸び、深く刻まれた皺の奥では細い瞳が鋭さを保ったいる。天地の重み圧し掛かっているかのように、唇は硬く締められている。

 ユヒトは、友であったセドウと、その周囲にいる人々をただ見ていた。悲しみはおろか、怒りや憎しみも現さず、友の死に何の思いもないかのように見えた。

 はたまた、暗い(よろこ)びすら見せない。セドウがいなくなればエンスクの実権が転がり込んで来る。ユヒトにとってそれは密かに望んでいたことで、嬉しくはないのか。

 隠しているのではなく、ユヒトは何の痛痒も感じていないように見える。人一人失っても、何の感傷もないのか。冷徹なユヒトの様子を見た者達はみな、厳しい眼を向けた。



 その後、セドウの葬儀が執り行われた。喪主となり、采配を振るうのは子の役目である。長男セスか、瑗真の座を受け継いだショウが行なうと思われていた。

 ところが、実際にこの国葬を取り仕切ったのは、セドウの兄ビゼンであった。

 セスは基本的に我を通さず、人との調和を望むが、さすがにこの件は譲れず、ビゼンに文句をつけ、相当やりあったようである。だが結局、ビゼンと彼の与党の数に屈したようである。

 敗れたセスは、死人のように蒼白な顔をして、見る者に凶事をもたらしそうなほど険相となっていた。

 ショウも反対していたが、正常な精神状態にないとビゼンに見抜かれ、喪に服し、静養しているように勧められた。それ以前に父の死が堪え、素の抜けたように気落ちしていたので、ろくに反論していない。

ビゼンは、我が物顔で国葬を取り仕切った。だがこれは、明らかにやりすぎであった。

 誰の目にもビゼンの腹のうちは明らかだ。ビゼンはセドウにより国の中心から追い出されている。公式に仲直りした記録はなく、彼の息子達とも仲が悪い。そんな悪感情を抱く弟を、手厚く葬ろうと言い出すのは不自然なのである。

 この機において、己の権威を示して、この国で誰がいちばん物を言えるのかと強調したかったのであろう。

 時を置かずして、この影響は出て来ることになる。




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