タレイル大戦
第二章 以火救火
1 タレイル大戦
丞和三年、綜真となったクスル・青は、他国を侵略するという己の野望を顕にした。幾度の小競り合いを経て、ついに本腰を上げて、瑗環国への進攻を開始した。
クスル・青は、三人の攻団長に統国を命じ、攻団(防衛側は守団という)を率いて南下させた。攻団一つにつき、三千名の統士からなる幹隊を三つ束ねている。その三攻団同時進行で、総勢二万七千の統士が動員されたのであるが、それだけでもクスルの本気が窺える。その上、綜の北方を治める統士も動かして、総力戦に持ち込もうとしていた。今度の綜真は形振り構わず統国を目指しているのだと、諸国は警戒した。
綜南東の街・イマラに集結した綜の攻団は、そこから二方向に分かれた。
一団は東進してエンスク河を渡り、南下して、瑗の北の要塞・エンゴウ攻略に向かった。もう一方は、そのままタレイル河に沿って南下した。北上してくる敵を撃退するためである。
瑗環国は、西にある妓氏の国・河津と不戦の協定を結んでいる。一方が侵略されたならば、他方がその救援に向かうという約定もある。
綜が南下して瑗環国を脅かすならば、河津が北上して綜を脅かす。逆に河津側に進攻してきたならば、瑗から西進して綜を側面から突く。こうして綜の脅威に備えてきたのだ。
イマラから瑗に向かって軍が動けば、河津が北上してくると分かっているので、その押さえを事前に割り振ってきた。しかも、一攻団に加えて、二幹隊、総勢一万五千を差し向けてきている。河津からは一攻団しか出てきていないが、かの国は他国より屈強な統士が多く、同じ数では心もとない。確実に押さえて後顧の憂いを無くす策戦である。イマラには攻団長一人が一幹隊で残ったと思われる。
対する瑗環国は、シシン、シエンの幹国から其々一守団がエンゴウに入った。さらに、オル、ゾフという枝国の中でも別格の二国からは其々一幹隊が西進した。他の枝国にも援兵が求められ、一幹隊分が形成された。総勢二万七千で迎え撃つ構えである。
オル・ゾフと同格の枝国エンスクは、主都エントの防衛のため出陣せず、瑗真の守護に当たった。
*
エンレイ河を渡り、南東へと向かって来た綜攻団は、バシ・蕨が率いている。
彼はクドゥ・淡という政仕の派閥に属しており、ここで功績を挙げることを求められている。綜真の前で手柄を立てれば、派閥内での威信は絶大なものとなる。そのため、必ず北の要エンゴウを落すのだと気を吐いている。
その右腕とされるゴウトク・元は慎重な性格で、突出しがちなバシを上手く押さえ、致命的な場所に飛び込ませないようにしてきた。
エンレイ河を渡り、エンゴウへ向かって直進しようとするバシだが、その周辺をゴウトクが警戒している。バンサ低山帯の南部にはキョウの郷が多く、よく瑗環国を侵犯していると知られている。綜に対しても同じように襲撃をかけてくるかもしれないが、おそらくそれはないとゴウトクは見ていた。
「それよりも、キョウと見せかけて、そこに瑗の兵が伏せられているかもしれません。背後から襲われないよう、注意が必要です」
警戒しつつ動けば進軍は遅くなる。それで先にテイスグに功を立てられては、と焦るバシは、ゴウトクの警告を半ば聞き流していた。
「こちらに対しては、枝国の幹隊を寄せ集めた守団が出てきています。シシン守団ではないと言えども、油断はなりません。ルーカラのカク・源。彼は危険です。何をしてくるか分かりません」
耳を傾けつつも、バシの目は遠くエンゴウに向けられている。難攻不落の砦を、そしてその城壁に立つ己を想像しているのかもしれない。生返事で、「瑗真の近くにいるときく。ならば、それほど力はあるまい」 とバシは言う。
真といっても、環国においては絶大な権力があるわけではなく、その側にいても大した権勢を持てないと、バシは知っていた。
「まず寄せ集め共を蹴散らせば、それで良いのだろう」 と、面倒そうに言う。
すでにバシのこうした性質を見極めているゴウトクは、それ以上とやかく言うことを諦めた。彼は、前を見て走る分には強い。その反面、側面や背後を脅かされると脆いのだが、それは自分が担えばいい。
人の性質や得意は違っているので、それぞれその力を活かせる場所で発揮するのが良い。そう割り切って、ゴウトクは周囲に気を配る事を己の役割としていた。
枝国連合の守団九千は、エンゴウから出て、バシ攻団の迎撃に当たった。戦を常に念頭に置いた司統の軍ではないので、その錬度は低い。特に枝国から強制的に集められた幹隊は、数だけの烏合の衆と言っても良い程度だった。
それで戦慣れした綜の攻団と当たれば、蹴散らされるのは眼に見えていた。案の定、オル、ゾフの各幹隊は長く戦線を持ち堪えられず、退いてしまった。
ただ、寄せ集めとはいえ、守団の指揮をカク・源が取っていれば、この闘いはどうなっていたか分からない。カクが指揮していた幹隊だけは、崩れずにいたからだ。むしろ、オルの幹隊を追撃に出たバシ率いる幹隊を強襲し、損害を与えている。
自らカクの幹隊と対峙し、眼を離さずにいようとしたゴウトクだが、枝国幹隊が撤退を始めたかに見えたので、それで気を抜いてしまった。カクはあえて逃げると見せかけて、突出していたバシ幹隊へと向かい、横から強襲した。士気の低そうな連隊に見えたが、それは見せかけであった。枝国の間でカクへの信頼は高く、幹隊のまとまりは保たれていた。
バシが討たれてしまえば、せっかくの勝利が無駄になる。肝を冷やしたゴウトクだが、バシはなんとか無事だった。さすがに枝国の統士は戦慣れしていないようで、決めるべき時に勢いに欠けた事が幸いした。
もし、カクがシエン、シシンと言った団規模の指揮を取っていたら、あるいは、オルやゾフの幹隊を指示できる立場にいたら、きっと勝敗は違っていただろう。カク・源という男が埴氏源家側に付いて、それほどの威勢を持っていなくて助かった。逆に无氏陣営に与して統士の指揮を任されていたら、恐ろしい思いをしただろう。ゴウトクは胸を撫で下ろした。
オル、ゾフの幹隊は、蹴散らされた後、自国へと逃げ帰っている。カクの幹隊だけはいまだ踏みとどまり、時にバシ攻団に攻めかかってくるが、さすがに少数でできることには限界がある。その間、綜攻団は南へと歩を進め、そしてエンゴウを囲い込んだ。中にはシエン守団が無傷で温存されていたが、内に篭って仕掛けて来る様子はない。門を閉じ、守りに徹していた。
シエン守団が頑なに外に出てこようとせず、篭城の構えを取ったのは、シシン守団を待っていたからだと思われた。枝国の連幹隊とは違い、幹国の軍、それも瑗環国最強のシシンの軍勢は侮れない。その襲来に備えて、バシ攻団はエンゴウ攻略に全力を出せずにいた。
その頃、両軍がその動向を気にしていたシシン守団はどこにいたかというと、エンゴウから離れて、南下していた。
*
ゴカ・煉は、守団を率いてエンゴウを離れ、一旦自国に戻っていた。そして、エンレイ河を渡り、迅速に西進して、ナンセという北の砦に向かった。
ナンセはタレイル河に面している。綜の渡航と南下に備えて監視所が設けられていたが、このあたりは流れが速い。その上、尖った岩が頭を覗かせ、渡航に適さないと思われ、監視程度の人員しか置いていない。反対側でも同じ条件で、この流域を越えての侵攻はなかった。
「―――だからこそ、やる価値がある」
誰もしようとはしなかった。そこに価値を見出したゴカは、いつか飛び込んでやると思っていた。
そこで彼は密かに舟を量産していた。表向きは南の海路で用いると見せかけ、少しづつ上流へ運んでいた。人目に付きにくい場所に船着場を用意し、いざという時のために備えていたのだ。
「飛び込んでみないと、分からない事はある。今が、その時だ」
ゴカはこの機を逃すまいと決断した。これまでになかった場所から渡航し、予想外の動きに慌てるイマラを強襲しようとした。
主力の攻団は二団とも出払っている。守護の団三千はいるが、居残りの将に大した人材はいないと思われた。一気に片をつけてやると、ゴカは意気込んでいた。
この策戦は、ビゼンの知るところとなり、当然、反対されていた。上手く渡れるかどうかも怪しい上に、その先に何か不測の事態が待っていれば、逃げ場が無く、窮地に追い込まれる。大人しくエンゴウに留まり、綜を撃退することに集中すべき、と説かれた。
「見たこともない世界を、見たいと思わないのか」
危険を承知でも、手を伸ばし、そして成功を摑みたい。そうゴカに言い返されたビゼンは、押し黙った。彼もまた、同じ思いを抱いていたからであろう。
上手くイマラを落とせば、進攻の拠点を失った綜軍は泡を食うだろう。背を向けたところを追撃すれば、相当の損害を与えられる。この勝利の立役者は間違いなくゴカ・煉となる。
ゴカは河の向こう側を睨み据えている。その眼には、栄光に満ちた未来が映っていた。
*
一方、南下してきた綜のテイスグ攻団一万五千を迎え撃ったのは、河津守団九千である。ククカ平原で対峙した両軍は、真っ向からぶつかりあった。
単純な数の勝負では負けている河津だが、まるで怯んでいなかった。勇猛果敢で知られる河津の統士たちは個々の実力も高く、愛国心も高い。どっしりと構えて、綜の波状攻撃をじっと耐えた。そして、ここぞという時には怒涛の突進を見せた。
その総指揮を採ったのが、ハイル・淑である。後に、『爪』という戦術を編み出し、幾度も綜の進攻を跳ね返した名将が、ここで頭角を現した。
三つの幹隊を一つの生き物であるかのように連携させ、狙った相手を包み潰していく戦術『爪』は、まだこの時は完成の域にない。だが、すでにその完成度は高く、狙った箇所を集中的に攻撃し、ハイルはテイスグを苦しませた。
後にテイスグの後を継ぎ綜攻団の主力となるレクト・殊も、まだこの時はただの副官でしかなく、華々しい働きを見せない。テイスグ攻団は決め手を欠いていた。
よって、このままこの戦線は膠着し、痛み分けで終わるかと思われたが、ここにとんでもない横槍が飛んで来ることになるのである。
*
ナンセの渡航は、これまで誰もが避けてきただけあって難しいものだった。動きを悟られる前に急いで北上したいゴカだが、思うようにはいかなかった。無理をした所為で、幾艘もの舟が岩にぶつかり、転覆した。
水の素真エンナの唾から生まれたと言われるトヅというマガリの所為だ、というおびえの声が上がっていた。素を見抜き操ることができるという異能の者・伝視であるかのように河を睨んでいた。
多くの犠牲が出たが、それでも強引にやりきったゴカは、すでに疲労した様子をみせる統士達を鼓舞して、北上させた。
北へと駆けるゴカの眼には、炎上するイマラの情景しか見えていなかった。その思い込みの激しさは、事を強引にやりとおす強さにもなるが、せっかく失敗の兆しを捉えていても、見て見ぬふりをさせてしまう。
とにかくイマラを落すのだと、強行したゴカを待っていたのは、予想外の軍勢だった。
「なんだ、あの大軍は」
今回南下してきた綜の攻団は三団。二方向へ分かれ、残り一団も拠点守護と南下に振り分けられた。だとすると、イマラにはあと三千ほどしか残っていない。そう思い込んでいたゴカだが、目の前には明らかに一攻団九千がいる。
「増援が来たのか。しかし、どこから」
綜において南方を領分とするカント階級の者はテイスグとバシの二人である。北を担当するカントはいるが、それらをも動員してきたというのか。
「だが、ろくに闘う力など残っていまい」
誰が来たかは知らないが、北から急遽駆けつけたのならば、疲れ果てているはず。そう判断したゴカは、怯まずに闘いに挑んだ。
ゴカの良いところは、とにかく挑む果敢さにある。しかし、同時に悪い所は、相手をよく知らずに全力で飛び込んでしまう、ということにあった。
この相手はエンイ・彗という攻団長であり、本来は北東を領分とする。その彼を強引に働かせたのは、綜真クスル・青であった。いくらゴカ・煉が率いるシシン守団が屈強と言っても、綜真を守護する精鋭を相手にしては分が悪い。
果敢に攻めかかるが、すぐに相手が悪いと悟った。信じられない、という思いのゴカは、なかなか撤退の合図を出せなかった。南下して追撃を振り切ろうとする間も、ゴカは頭の切り替えができず、調子を取り戻せなかった。
ナンセ対岸に向かえば水際に追い込まれる。しかし、追撃は厳しく、余裕を持って渡れる渡航点までは辿り付けそうにない。どうすれば良いのか。
指揮官が意思をはっきりさせないまま、シシン守団は南下し続けた。辿り着いたのがククカ平原であったのは、そこに味方がいると思ったからか、それとも正常な判断ができないまま流れ着いた偶然であったのか。なんにせよ、思わぬ横槍を受けた河津守団は、災難であった。
少数でありながら戦線を持ち堪えていた河津勢だが、シシン守団が雪崩れ込んで来て、しかも、その背後に綜攻団を引連れてきていると知って、さすがに騒然となった。
「敵を引っ張って来た、だと。何を考えている」 と、ハイルは怒号を発した。このままシシン守団が合流しても、まともに戦える状態にない。そこへ綜の新手を引き受けるのは、あまりにもまずい。
後に我真モウ・牙を激怒させたことに、シシン守団はさらなる醜態を晒した。振り返って戦線を立て直すべき所を、なんと、何もせずに戦場から逃げたのだ。わざわざ追加の敵軍を案内してきたようなものである。
さすがのハイルでも、どうにもできないほどの数の差が付き、河津守団は敗走することになった。
一応の共闘関係にあった河津だが、これを機に瑗とも敵対することになる。また、この時の遺恨は、後に煉家に還ることになるのである。
*
南への心配がなくなった綜は、二攻団を瑗国内へと送り込んだ。タレイルを渡り、東進したテイスグは、シシン守団を撃破し続け、ついにはヤムを包囲した。
シシンの危機を知り、さらには、自国の危機を感じたシエンは、勝手な行動に出た。強引にエンゴウから出て、自国へと走ったのだ。主力が抜けては支えきれず、北の要エンゴウは綜の手に落ちた。
北方ではカクが少ない手勢で何度も奇襲を試み、何とか綜攻団の足止めを行なっていた。だが、エンゴウで準備を整え、それから南下されれば、もはやエントは風前の灯である。北からも西からもエントは狙われ、瑗環国は存亡の危機にあった。
そこまでの危機に陥っていた瑗環国民は、ある日、信じられないものを見た。
綜攻団が動き出した。ついに滅亡への進撃が始まるのかと思われたが、なぜか、綜攻団は北上して行った。同時に、ヤムを占領していたテイスグも、元来た道を辿り、綜へ戻って行った。
どうしたことであるのか? 綜の意図が図れず、当惑していた。
講和や外交が為されたのではない。綜は本気で瑗を潰すつもりでいた。それなのに、急遽、優勢にあった綜が一方的に撤退を開始した。生き長らえたことを喜ぶより先に、事態の急変に皆戸惑っていた。
ほどなく、衝撃の報せがもたらされた。
イマラまで親征して来ていたクスル・青が、崩御したというのである。どの国をも驚かせたこの報せにより、綜は急遽撤退することになった。
親征といっても、綜真は直接戦場には立っていない。傷を負うはずもなく、また病でもないという。勝利まであと少しという所で、暗殺された、というのが真相だった。
誰がクスルを殺害したのか。その指示を出したのは何処の者なのか。その真偽を巡って、六年の後、新たな闘いが起こされるのだが、それは物語とは異なる流れにある。
こうして、タイレル大戦と呼ばれる、三国入り混じっての戦いは、唐突に終結した。