15 : ケモノの呟きと道化師の雄叫び
静けさの戻った校舎の裏。
闇夜に薄暗い灯で、全員が浮かび上がる。
「『ケモノ』、そして柊護さん。現在の状況を知ってください」
荒い息で、白根はオレたちに告げた。
「国家組織は既に珪素生命体の事を嗅ぎつけました。このままではこの個体は近日中に捕縛されるでしょう」
オレは答えなかった。
「収拾が非常に難しい事態に陥っています。私たちで収められるかは、予測不能です」
私たち――白根の背後にある組織。
「ですから、私がすべての責任で以て片付けます」
「どういう事だ?」
「その珪素生命体を捕獲し、すべての元凶は私であったという事実に書き換えを」
「なっ……」
それは、白根があの殺人事件の犯人として投降するという意味だ。
「そうしたら、どうなるの?」
シリウスの純粋な興味。
白根は、腕の傷を押さえながら淡々と答えた。
「人間の社会には、規則が存在します。そして、罪を犯したモノはその規則に沿って裁かれます。犯した罪と同じだけのモノを返されるでしょう」
「同じだけ……?」
首を傾げるシリウス。
「じゃあ、ボクも消えたらいいって事?」
「……!」
純粋が故、率直。実直。
そして、ケモノに近い素質を持ちながら人間の思考を与えられてしまったアンバランスなこのネコに、消滅への恐怖はなかった。
そんな結論は誰も望んでいないのに。
「違います。私は爪で切断されてしまった彼女を即死と判断し、すぐにその場を離れました。そして、男子生徒が発見し、あの騒ぎとなりました」
白根の声が静かに響く。
「彼女を殺したのは私です」
「でも、ボクが『犯した罪』は、そういうモノなんでしょう?」
罪。
そうだ、シリウスが萩原の命を奪った事は事実。
言葉を失ってしまったオレを見て、聡いネコの子は理解する。
「それに、ボクの存在で、ボクの仲間は同じ目に遭う」
そんな事はない、と言えない。
何しろ、シリウスの言葉は真実だから。
もし彼が国家組織の方に捕まれば、確実に珪素生命体全体に危害が及ぶ事は否めない。
「だから」
でも、駄目だ。
その言葉は、朽ちない筈のオマエに引導を渡す最後の刃。
「ボクが消えればいい」
「やめろ、シリウス!」
それ以上の事を口にしたら。
それ以上の事を望んでしまえば。
真実に消えてしまうから。
朽ちない珪素生命体を唯一無に帰すマイクロヴァースが、シリウスの思いに反応して発動してしまう。
「やめろっ……だってオマエ、まだ名前もらって少ししか経ってないだろうがっ」
ついさっき。
ほんのついさっき、あのヤマザクラの下で先輩がつけた名前。
「名前ってのはヒトに呼ばれるために在るんだよ! オレはせっかくのオマエの名前をもっと呼んでやりたいんだよ!」
一年前の懺悔。
アイツにも、もっと笑わせてやりたかった。
「オレはオマエといて楽しいよ。だから、もっと一緒にいたいと思う。それはシリウス、オマエも同じじゃないのか? こんな時間に学校まで来たのは、そのせいじゃないのか?」
「ボクもマモルさんといて楽しかったよ。だから、マモルさんが悲しむのは嫌なんだ」
「だからっ」
何故伝わらない。
オマエが消えるとオレはまた悲しむのだという事がどうして分からないんだ。
「でも、ボクは名前を持つ『ニンゲン』を消した。マモルは悲しかったんでしょう? それにこのままだと、ボクと同じ珪素生命体が大変な目に遭うんでしょう?」
「誰かを消したから自分も消えるなんて、そんなめちゃくちゃな論理があるか! 罪滅ぼしってんなら生きて償え!」
「償うって、ナニ? 生きるって、ナニ?」
蒼い硝子玉。
そこに感情はない。
いつもぴんと立っていた尻尾は、地面にぐったりと横たわっていた。
「ボクはマモルを悲しませた。仲間にも、酷い事をした。でも、ボクさえ消えれば問題ないんでしょ?だからボクは消えるよ」
ダメだ、もう。間に合わない。
言葉が出ない。
「さよなら、マモル」
「シリウス――! 消えるな。オマエまで消えたら、オレはまた悲しむだろうが! またオレにあんな……」
血。切断面。顔。
銀色。消滅。ヤマザクラ。笑顔――
「またあんな辛い思いなんて」
我儘な言葉だ。
こんな我儘じゃ、きっとシリウスには届かない。
「行くなっ、シリウス!」
まだ名前を呼び足りない。
これからもっと、何度も何度も呼んでいくはずの名前だったのに。
「シリウス!」
ああ、シリウスのこの笑顔は、とてもよく覚えている。
きっとそれは、笑わない珪素生命体が唯一赦された笑顔なんだろう。
ねえ、先輩。
『コトバは魔法だ』なんて、本当はウソなんだろ?
口先でイキモノの生死を変えられるのなら、この世に死なんてモノは存在しねえ。
たった一言、『レイズ』というだけで蘇る、そんな御伽話は、創りモノの中にしか存在しないんだ。『光あれ』って出来る眩い世界なんて、空想の産物なんだ。
王子様のキスで生き返るってのなら、オレは何度だってそのヤマザクラの幹に口付けてやるよ。
バカ野郎。
オレには、いつだって何も出来はしない。
どんな言葉を使ったって、どんなに考えを巡らせたって結局、梨鈴もシリウスも救えないから。
本当にコトバが魔法だというのなら、オレにシリウスを救う魔法を教えてくれ。
今なら薄っぺらいオレのプライドなんか全部捨てて、本当のバカ野郎はオレだと認めたうえで、それを知るヤツの前に跪いてもいいから――
でも、オレの祈りは届かなかった。もしくは、届いても間に合わなかった。
オレたちの見ている目の前で、シリウスはやっぱりサクラより星空より美しい最後の笑顔を残し、美しい銀色の光を放ちながら。
風の中に、まぎれて、何もかもを、無に帰した。
静かな校舎に、オレの絶叫が響き渡った。
そして静かな、悲しげな夙夜の懺悔が夜風に響いた。
「ごめん、マモルさん」
オマエが謝ることじゃない。
そう言いたかったのに、オレの喉からは呻き声しかでなかった。
まるで悲哀を助長するかのように、サクラの花が散る。
真夜中の学校で、消えていった二つを導くように。
悲哀を呼び込んだ完全なる美の罪を問うかのように
また何も救えなかった道化師をあざ笑うかのように。
そして、無関心に災厄を導いた本人を責めるかのように。
これですべてが終わった事だと告げるかのように。