2.新たなる人生の始まり
目を開けると、見知らぬ土地の上に立っていた。
───どういうことだろう?
確かあの時、自動車に跳ねられて確実に命を落としたはずだった。
それなのに今はこうしてちゃんと生きて地面の上に立っている。
呼吸もしている。胸に手を当ててみると、心臓の脈打つ鼓動が聞こえてくる。
俺は確かに生きていた。
もう一度生きている喜びを噛み締めるように大きく息を吸い込む。
───空気が美味しい
日本ではこんなに空気が淀みなく澄みきっていただろうか?
───あっ・・・そうか。ここは日本じゃなかったな。
今目の前にいる存在を前に、俺はひっそりと呟いた。
そう、ここは日本ではない。
現在の俺がいる場所がどこなのかは皆目見当もつかないが、今いるこの場所が日本ではないということだけは確かだった。
───理由・・・?そんなの簡単だ。
俺を取り囲むようにして立っている異形の化け物たちを見れば、ここが地球ではない他のどこかだということぐらい容易に想像できる。
しかし、今はそんな悠長な事を言っている場合ではなかった。
折角新しい人生を歩み始めることができたというのに、またもや俺は絶体絶命の危機に瀕していたのだ。
目の前にいる化け物の外見はというと、豚と同じ顔面を持ち、顔から下にはちゃんと両手両足が揃っている。
いわゆるオークというモンスターだろう。
オークたちは各々が何やら武器のようなモノを携行しており、それを持って鼻息荒く俺を警戒している。すると全く動く気配のない俺に痺れを切らしたのか、オークたちはジリジリと距離を詰めてきた。
───これはヤバい
と、俺が感じたその時だった。
頭の中に何者かの声が聞こえてきたのだ。
〈警告。主人には現在強烈な殺意が向けられております。このままでは命の保証は出来かねません。すぐにその場から避難することをお勧めします〉
女性のような声音でそう語りかけてくる謎の声。
一体何者だ?とも思ったが、今は考えている暇などない。すぐに行動に移さなければならないのだが、避難しろと言われてもな・・・。
周囲をオークたちで囲まれているこの状況で、一体どこに逃げ道があるというのだろう?
すでにオークたちとの距離がもうすぐそこまで迫ったその時だった。
〈〖絶対障壁〗を展開することを推奨します〉
謎の声が再び頭の中に響いてくる。
〖絶対障壁〗だと!?
全く何を言っているのか意味不明だったので、それが何なのかを尋ねようすると、その前に謎の声が説明をし始めた。
〈〖絶対障壁〗とは、すべての害意からあなたを守ってくれる最上級の防御魔法です。声に出して唱えると障壁が展開されるので、ぜひやってみて下さい〉
もう目と鼻の先までオークたちが近づいていたので、俺は言われた通りに即それを実行に移した。
「〖絶対障壁〗」
無我夢中でそう叫んだ。
すると、俺のいる位置を中心にして不可視のバリアが展開されたのだ。
それと同時にオークの一体が俺めがけて拳を振るってくる。
「───っ!?」
その瞬間、オークに殴られると思った俺は、思わず反射的に目を瞑ってしまったが、その拳が俺へと届くことは永遠になかった。
目を開けると、俺に殴りかかってきたはずのオークが、痛めた拳を手で押さえながら地面をのたうち回っていたのだ。
一体何が起きたのか?
───まさかこれが・・・?
不可視のバリアを凝視しながら俺は不思議そうにそう呟いた。
その後、しばらくしてからバリアは消滅した。
どうやらバリアには時間制限があるらしく、その持続時間が経過したがためにその効果が切れたみたいだ。
───永久的というわけではないんだな
目の前からバリアが消滅したことは少し残念だったが、幸いなことに、この後オークたちが俺を襲ってくることはなかった。
彼らの目の前で同胞が返り討ちにあったことでオークたちは非常に動揺しており、大半のオークたちの腰が引けていたのだ。
だが、それは一時的な気休めでしかない。
もう〖絶対障壁〗が使えないということがバレれば、今一度オークたちは俺へと攻撃を仕掛けてくるだろう。
そうなれば俺にはもう勝ち目はない。
その前に、もう一度バリアを展開しなければ・・・。
再度俺は〖絶対障壁〗と声に出して唱えるが、先程とは違いバリアが展開されることはなかった。
───何故だ?
頭の中で必死に謎の声に呼びかけてみるが、応答がない。
そんな俺の慌てた様子をオークたちは不思議そうに見つめていた。
これはもう一か八か賭けてみるしかないか。
オークたちとの会話が成立することを願い、俺は口を開いた。
「恐れるな、オーク共よ!俺はお前たちに害を与えるつもりはない。俺はお前たちに文明の知恵を授けに来た者だ。お前たちの中におけるリーダーはどいつだ?俺と一対一で話をしようじゃないか」
そう言って、オークたちへと手を差し伸べるが、誰も俺の問いかけに反応する気配がない。
───やはりダメか・・・
と思ったその時だった。
オークの群れの中から一際図体のでかいオークが俺の前へと歩み出てきたのだ。
そのオークは他のオークたちとは少し風貌が違っていた。おそらくコイツがオークたちの親玉だろうと、俺は一瞬でそう感じた。
それと同時に、オークたちとの会話が可能なこともわかったのだ。その証拠に、こうしてオークの親玉がノコノコと俺の前に出てきたことがその証明だった。
まず始めに、オークの親玉を手招きすると、俺はオークの群れから少し距離をとる。
これも万が一を兼ねてのことだ。
あのオークたちを全員相手にすれば、到底俺に勝ち目はない。だが、このオークの親玉一体だけならば、まだ何とかなるかもしれない。
そう思っての行動だった。
俺たちはオークの群れから少し離れた場所まで移動する。
───そろそろ頃合いだろう
そう思って後ろを振り返った。
どうやらオークの親玉はちゃんと俺の指示に従い、後ろから付いてきてくれていたようだ。途中で背後から襲われるかもとも思ったが、その心配も杞憂に終わった。
「それじゃあ、先程の俺の要望に対するお前の見解を聞かせて貰おうか」
オークの親玉と正面切って対峙する。
「わかった。俺はアンタに付いていくよ。その代わり他の連中がどうするかはアイツら次第で構わないか?」
オークの親玉は素直に俺に従属することを決意したらしい。
おそらくここにたどり着くまでには多くの葛藤があったのだろう。オークの親玉はすでに退路を絶ち、俺と心中する覚悟を決めたようだった。
「ああ、それでいいよ。それじゃあ、自己紹介でもしておこうか。俺の名前はコユキ。アンタは?」
「名前はゲザル。種族はハイオークだ」
オークの親玉は自らをゲザルと名乗った。
聞けば、種族はオークではなくその上位種に当たるハイオークという種族らしい。
しかし、ハイオークとオークにそれほどの違いはなく、多少オークよりも能力面で勝っているぐらいとのことだ。
外見もオークとほとんど変わらないしな。
こうして俺に付き従うことを決意したゲザルと共に俺たちは他のオークたちが待つ場所へと戻っていく。
するとその途中で、突然ゲザルが血相を変えて走り出した。
最初は気でも狂ったのか?と心配したが、それが間違いだということに俺もすぐに気付くことになる。
ゲザルが走り出して数分も経たないうちに、大量の血の匂いが漂ってきたのだ。
俺もゲザルの意図に気付き、すぐにその後を追いかけた。
久しぶりに全速力で走ったので、オークたちのもとへとたどり着く頃にはすでに息切れが激しく、呼吸するのも一苦労だった。
乱れた息を整えながら辺りを見回してみると、そこは凄惨な血の海と化していた。
たくさんのオークたちの死体が地面に転がっており、その中にゲザルは立っていた。
どうやら全員が殺されたわけではないようだ。
何人かは無事に生き残っていたらしく、ゲザルから詳しい事情を聞かれていた。
俺もすぐにゲザルたちのもとへと駆け寄っていく。
生き残っていたオークの話を総合するに、この周辺一帯を支配する魔王の幹部の一人と偶然遭遇し、一方的に殺られたみたいだ。
しかも一瞬でこの数のオーク共が屍になったというのだから、その強さは計り知れないものがある。
ここまでの一連の経緯を聞いたゲザルは、今すぐにでもその魔王の配下の首を討ち取りにいくと言って聞かなかった。
俺と生き残った数体のオークとで必死に説得を試みるが、ゲザルは聞く耳を持たない。
ゲザルは同胞を殺されてひどく興奮していたのだ。
まぁ、無理もない話である。家族が無慈悲に殺されたのだ。
自分にとって大切な存在が奪われれば、奪った相手に復讐したい気持ちは痛いほどわかる。
それが生物にとっての本能だからだ。
そしてそれは人間にも言えることだった。
しかし興奮するゲザルとは違い、俺は常に冷静だった。
犠牲になったのが自分の身内ではないということを抜きにしてもだ。
これからオークたちと共にこの世界を生き延びようと考えていた矢先の出来事だったので、俺も内心はその魔王の配下に対するやるせない怒りで一杯だった。
だが一度冷静に考えてみると、今すぐに行動に移すべきではないことは一目瞭然だ。彼我の戦力差も鑑みずにその時の感情だけに任せて動けば、必ず後で後悔する結果となることは目に見えていたからである。
だからここは敢えて我慢して完璧な作戦を練ってから行動に移そう。
そして万全の準備を施して絶対に勝てるという算段がついてから憎き相手に復讐しよう。
と、俺はゲザルにそう諭したのだ。
しかし、それでも頑なに復讐に行こうとするゲザルだったが、俺と他のオークたちの必死の説得もあり、ゲザルはようやく冷静に会話が出来るまでには落ち着いてくれた。
「それで・・・これからどうする?」
俺を中心にゲザルとその配下のオークたちが地べたへと腰を下ろして俺の話に耳を傾けている。
その光景が面白おかしくて俺は思わず吹き出しそうになったが、寸での所で何とか止めることに成功した。
気を取り直して、俺はゲザルとオークたちにまずは自分たちの拠点作りから始めることを提案する。
「拠点?何でそんなものが必要なんだ?その辺で寝泊まりすればいいだろう」
俺の言っている意味が本気でわからないといった具合にゲザルは首を横に傾げた。他のオークたちも同様で、皆一様にゲザルに同調している。
───やはりコイツらは本質的に人間とは違う生き物なんだな?
頭でわかってはいたものの、余りにも自然にオークたちと接していたがために忘れかけていたのだ。
コイツらは最初に俺を殺そうとしてきたのだということを。
やはり人間とオークはやはりお互いに共存できない生き物なのかもしれない。しかし、コイツらには必要のないものでも俺にとって拠点は必要不可欠なものだ。
何としてもコイツらを拠点作りに協力させなければと思ったとき、ふと俺はある事に気がついた。
───協力させるも何も今は俺がコイツらの主人じゃないか
何も悩む必要などなかった。
オークたちに命令一つすれば済む話だったのだ。
「おい。今からお前たちに命令する。俺はこれから自分の王国を作るつもりだ。そのためには否が応でも拠点が必要となる。だからお前らにとって必要であるか否かを議論する余地などない。お前らの主人であるこの俺が必要だと言ってるんだから、お前らは黙って俺に従え!」
俺を除け者にして自分たちだけで内々に盛り上がっているオークたちに向かって俺は強気な行動に出た。
すると、一瞬にしてこの場が静まりかえる。
「───っ!?」
目の前の光景には目を疑った。
なんとオークたちが急に俺の目前で片膝をつくと、平伏のポーズを取ったではないか。
オークたちの親玉であるゲザルを先頭にしてオークたちが綺麗に頭を下げている様はまさに圧巻の一言だった。
〈通達。主人は新たに〖固有スキル:統率者〗を獲得しました〉
再び脳裏に響く謎の声。
あの時にもう俺の中から消えたのかと思ったが、どうやらそうではなかったみたいだ。
───お前は誰だ?
〈私は主人のコンシェルジュです。〉
───コンシェルジュ・・・?
〈Yes〉
───名前は?
〈ぜひプロフェッサーとお呼びください─主人〉
───プロフェッサーって・・・。お前はどこの大学教授だよ。
〈・・・・・・〉
俺にそうツッコミを入れられ、心なしかプロフェッサーは怒っているような気がしなくもない。
別にバカにしたつもりなど全くなかったと言えば嘘になるが、この程度で気分を悪くするとはどれだけ心が狭いのか?
───悪かったよ。これからよろしくな、プロフェッサー
〈了解です。主人っ!〉
素直に謝罪したことでどうやらプロフェッサーの気分が良くなったみたいだ。
心なしか語尾の最後が上がっていたような気もするが、まぁ俺の気のせいだろう。
こうして新たな〖固有スキル:統率者〗を取得した俺だったが、この時はまだ気が付いてはいなかった。
このスキルがこの世界でどれほど異端であるのかということに。
そして俺という存在をきっかけにして、近い将来に大規模な戦争が勃発するということを俺はまだ知らない。
しかし、それはもう少し先のお話である。