#3
僕は、多分馬鹿だ。
両親はたったさっき、殺された。目の前の男に射殺された。
訳の判らないまま大男から銃を奪って撃ったら、肩が外れて泣き喚き、結果大男に助けられ、気づけば違法病院に連れて行かれ朝食を食べさせられている。
でも、眼前のパンケーキを口の中に入れれば水分と共に生気を吸われてしまう気がして、フォークに刺したハムソーセージは肉片が死の象徴に思えてきて食べれそうにない。食べたら、母親を裏切ってしまうようで、考え続けると自分が疲れているのが良く判った。
曜日感覚も無かった。
今居るこのモーニングカフェで流れているラジオプログラムを聞いて、初めて今日が日曜日だって知った。
時事ネタを踏まえて軽快にトークを展開するDJは父が好きだったタレントで、目の前の殺人鬼も耳を傾けていた。
まるでこのタレントを好んでいるような男の態度が、父を侮辱しているようで腹が立った。
やっとの思いでホットミルクを飲みきると、男が不意に微笑んでいた気がした。それが特にイライラして、悲しくなった。
僕は馬鹿だ。
なぜあの時首を縦に振ってしまったのか、この男に着いていくことになったのか、両親を裏切るようで罪悪感と後悔がいつまでも頭に残って、辛くなる。
僕は馬鹿で、ひ弱だ。
それが悲しい。
それが憎い。
悔しくて。
ただ絶対に泣きたくなかった。
日曜日の朝はこのカフェに来ることがセオドアの日課だった。良く焙煎された珈琲豆はセオドアを覚醒させるためのプログラムコードとなっており、卵と玉ねぎは土曜日の贅沢だった。
「腹は、膨れたか?」目の前でホットミルクを飲み切った少年の顔はくすんでいて不愉快そうだった。もちろん少年は何も答えない。
ふふっと笑ってからまだ熱い珈琲を音を立てずに啜った。
セオドアからすれば、既に朝食は済んだので、クリス次第でもう病院の方に向かってもよかった。
「そろそろ行くが、いいか?」
クリスは僅かに首を縦に振った。それを確認したセオドアは、クリスの皿の上に置かれているベーコンを一枚手に取り、口に放り込むと、店の奥のカウンターにいるマスターに一瞥し、ベルを鳴らしながらドアの外に出た。クリスもまた、その後ろに着いて行った。
出来るだけ人ごみの無い所を見つけながら、二人は都市を北東に住んだ。
右に一ブロック、上に二ブロック、そんな具合に歩いていき、着いた場所は小さな新聞社の社屋だった。「ファスト・ビルディング・デイリー紙」小規模の地方新聞社で、生まれてこの方住み続けた街だが聞いた事が無い名前だった。
遠くからくるとそうではなかったが、近付いてみると外壁はずいぶん曇り全面に茶色く染みがついていて、良い外観ではないが歴史は感じた。
ドアは新しそうで、真鍮製の取っ手や曇りガラスの表面などは、まだ二人の姿を写している。
セオドアはその扉を開けた。空いた空間から左に少しそれてクリスを中へと誘う。そのままクリスは、FBD社へ入っていった。
中は外観と比べ遥かに近代的で、都会と聞いて思い描くような素敵なオフィスだった。入って数メートル先の左に在るカウンターは受付で、その脇には尖った見た目をした常緑の観葉植物がそれぞれ並んでいる。クリーム色調の雰囲気のこの空間は居心地がよかった。
セオドアはカウンターに向かった。右肘を置いて、やたら小さな声で受付嬢と話している。ふいに嬢とセオドアがくすくすと笑うと、嬢は台の下から鍵を取り出してセオドアに渡した。
セオドアは先程の笑いの余韻をひいた顔でクリスの方を向くと、左手で鍵に付属した緑色に透けた長いストラップを握り、右手の人差し指をくいっと曲げた。こちらに来いという意味である。目に見えるもの全てに恐れた様な顔をして、クリスはセオドアに近づいた。ただし一歩は短いものだった。
この建物は四階建てのここいらではとても小さな建物だった。しかし、地下には三階まで伸びていて、二人が向かいたかったのはそこである。地上に見えているのは、あまりにも売れない新聞社である。ただそのリサーチ能力は確かなもので、何度か都市や州の記事の賞を獲ったこともある。もちろん努力賞ではない。そしてその地下にあるのは、二人が、正確にはクリスのためにセオドアが足を運んだ、『病院』である。
社の奥にある階段の、反対側にあるドアを開けた。電球がいくつかぶら下がっているだけの、薄暗い金属の階段がそこにある。クリスの履くゴム底のスニーカーでさえ、その上を歩くとゴンゴンとなるような、深い空洞と空虚感がある。だいたい十五段降りたところで、小さな踊り場に出て百八十度向きを変え、さらに十五段ほど降りると、少し大きく分厚い、丈夫な扉が置かれていた。その鍵穴にセオドアが先程の鍵を差し込み、回す。金具が噛み合う音がすると、セオドアはノブを捻り身体全体に力を込めて、それを真っ直ぐドアに押し当てた。グギギギギと重い音をたてて少しずつ扉が開いていく。隙間から白い人工光が射し込んだ。セオドアが完全に扉を開けきり、先に光の中に入ると、彼は左肘と左膝でドアを押さえ、空いた手を使い、紳士のような手つきでクリスを中に誘導した。クリスもまた、光の中に入っていった。
その部屋の中が、『病院』である。
クリスがそこを見た時、自分が知っている病院よりも綺麗である、と感じた。真に白い壁、淡いクリームのカウンター台、近付いても垢すら見えないドアノブ。昔通っていた、老人が経営していた歯科医院は薬の匂いではまず無い、何かの臭いがしていて、それしか知らなかったクリスはそれこそが病院であると思い、以来病院を嫌っていた───他の子供もそういうものだとはおもうが───。しかし、ここはそんな場所ではない。薬品の匂いが、微かにしかしないのだ。
扉を開けるとすぐにロビーが広がっていて、上と同じように左隅に受付カウンターがあり、カウンターの隅にそれぞれ、今度は丸い観葉植物が置かれている。カウンターの位置から見ると、四台の直径一メートル程の丸テーブルが置かれていて、一台につき二脚、低い背もたれの着いた赤茶色のソファーが計八台置かれている。
ドアから見て左側の壁に廊下が、そしていくつかの部屋へと繋がるドアが三つあり、しかし大抵はリネン室か倉庫だった。ドアから正面にも二つ部屋があり、左側には正しく「診察室」と書かれている。
クリスは受付を見た。新聞社の方には女性がいた。ここにいるのは、最もわかりやすく言うならウィル・スミスのような男デある。しかし、目付きは遥かに鋭く、筋骨隆々している。どちらかと言うとワイルドスピードに出ている時のドウェイン・ジョンソンのような───格好も含めて───見た目で、それよりは紳士的な出で立ちの男。クリスからすれば恐怖である。
セオドアはさっきと同じように、カウンターに肘を置いてその男に話しかけた。薄黒い肌の中で、眼がセオドアの方を見つめている。
「トーマス、今日はいつも通りじゃないんだが。」
「構いませんよ。ミスター・セオドア。昨日の騒ぎの事ですか?」トーマス、と呼ばれた男は、声音からして三十後半のようだ。クリスの思っていたよりもずっと歳を取っているように見える。よく見ると、確かに皺が刻まれている。髪のない頭頂部には何か大きな傷の後も見える。
「さすが、あんだけ静かだったのにみんな早いねえ。」
「FBDのお陰ですよ。」と言いながら、トーマスは少し不格好な笑顔を見せた。
「となるとそこにいる少年は。」トーマスが続ける。
「その時の、子どもさ。」
「なるほど。で、その子の治療に来た、と。」
「設定じゃ、殺人事件に巻き込まれ行方不明ってことになってるからな。」
自分でやっておいてなんだそれ、と、クリスが怒りを覚えたのは満更でもない。そう思ったとき、相対的に両親を失った事実とまた面を合わせることとなる。それがクリスの眼を潤すきっかけとなる。俯いたまま微動だになくなった少年を見ながら、トーマスはさらに進める。
「わかりました。ドクター・クレア今仮眠とってるので、ちょっと起こしてきます。」
「結局寝たのか、あいつ。次はなんのおかげでだ?」
「ずっとアベンジャーズ観てましたよ。」
「なるほど。」
トーマスはスツールから立ち上がると「診察室」の方へ向かった。表面が加工された木製のドアを四回ノックする。
「クレアさん。入りますよ。患者さんです。」
鍵は付いているが掛かっておらず、トーマスがノブを回すとキキキと軋んでドアが開いた。ゴム生スニーカーで静かに中へ入ってドアを閉める。その後、だいたい二分後。
「ぶおぉおおお!」と、やたら野太い声が聞こえるとすぐにトーマスが診察室から出てきた。
「起きました。もう少しお待ちください。」
実際、五分くらい待たされた。その間診察室からは水道を捻る音だの大量の器具が床にばら撒かれた音だの「ぬぉおうお!」とまた野太いが聞こえてきた。
そしてようやく、診察室のノブが回った。中から出てきたのは、長身で白衣を着た、ボサボサな赤い巻き毛の若い色男だった。トーマスが呆れた様子で男に声をかける。
「やっと用意が出来ましたか、クレアさん。」