心明裁判
カンカンと、木槌を鳴らす音のようなものがその空間に響き渡った。
「では、被告リビドー氏の持つ快感原則についての審理を開始します」
空間を見渡せる席に座った灰色の髪を持つ男。カラフルな服に身を包み、右手には木槌を持っている。
そのすぐ前、少し低い位置にあるテーブルに座るのは赤髪の女。赤と青の線が絡み合うような模様の服を着て、手元にはノートが置かれている。
「あなたはリビドーさん本人で間違いないですね?」
「間違いな、……ありません」
灰色の男の問いかけに対して答えたのは、向かいに立つ金髪の男。髪は重力に逆らうように色々な方向へと鋭く伸びている。赤紫色をした禍々しい衣装を身に纏い、瞳は黒と黄色のオッドアイ。
リビドーと呼ばれるその男は、手を後ろに縛られていても、周りに襲いかかりそうな雰囲気が全身から漂っていた。
「原告側。起訴状の朗読を行ってください」
灰色の男は、手元の資料と金髪の男を交互に見た後、左側に座る白い男に声をかけた。
「はい。被告人は、生誕十八年二か月六日一時十分一八五六五六ころ、無意識領域より快楽原則を持った状態で前意識領域に入ろうとしました。その快楽原則が危険だと判断したため、逮捕されました」
白い服、白い髪、白い肌、全身が白いその男は、淡々と手元にある資料を読み上げた。
「ありがとうございます。超自我検察官」
灰色の髪の男は白い男の台詞を聞き終えると、金髪の男に向き直った。
「被告人。何か異論はありますか?」
「ね……っ、あ、ありません」
唸り声をあげそうな顔で、男は言う。
「では、次。弁護側から何かありますか?」
「はい。では、リビドー氏の持つ快楽原則について、資料を提示させていただきます」
灰色の髪の男の右側に座る黒い男が立ち上がって、手元にある資料を指差す。
「彼が持つ快楽原則は暴力や殺人には直接繋がらないものです。なので、彼の快楽原則は前意識に持ち込んでも問題のないものだと私は考えます」
しばしの沈黙。
灰色の髪の男は、事前に黒い男から渡されていた資料に目を通してから、顔を上げた。
「ありがとうございます。エス弁護士」
「よろしいでしょうか」
白い男が手を上げた。
「原告側の発言を許可します」
「ありがとうございます」
白い男が資料を手に立ち上がる。
「確かに暴力行為にはつながらないでしょう。ですが、犯罪行為につながる可能性は十分にある内容だと考えます。以上です」
言い終えると、白い男は座った。
「被告人、何か異論はありますか?」
灰色の髪の男は改めて資料を見てから、右側を向いた。
「ありません」
「弁護人は何かありますか?」
「ありません」
「原告側」
「ありません」
全員に確認を取ったのち、灰色の髪の男は部屋全体を見渡した。
「他に意見がないようなら、判決に移らせていただきます」
「リビドー氏には無意識へ強制返還とする。生誕十八年二か月六日一時十分一九三九九二三をもって閉廷」
木槌を鳴らして、高らかに閉廷を宣言する。
それを合図にして、その空間にいた者たちが散っていく。
「お疲れ様です。自我裁判長」
灰色の髪の男ーー自我裁判長の手前に座る女は振り返って、頭を下げた。
「ハート書記官、君も疲れただろう」
「いえ、私は大丈夫です。交代制ですから」
その台詞を待っていたかのように、ハート書記官と同じ服を着た女が駆け込んできた。
「次の案件です! 至急準備をしてください、自我裁判長!」
姿だけでなく、声まで全く同じな二人が入れ替わるように交差した。
新たに来た女が席につき、さっきまでいた女は出て行った。
「原告人、被告人、弁護人は入って、席におつきください」
自我裁判長がそういうと、黒い男、白い男、禍々しい姿の男が入ってきて、真っ直ぐ決まっていた位置についた。
「俺は悪くねぇ!」
禍々しい格好の男は、位置につくなり噛みつきそうな勢いで叫んだ。
「被告人は静粛に」
木槌を鳴らして、裁判官は注意する。
「くそっ」
渋々ながらも被告人が静かになると、改めて自我裁判長はその空間を見渡した。
「よろしい。では、被告リビドー氏の持つ快感原則についての審理を開始します」
カンカンと、木槌を鳴らす音のようなものがその空間に響き渡る。
ネタ元は、フロイトのパーソナリティ理論。