ゴウの剥離
更新時間の割に内容はちょっと短めです。
大陸砲が手元に戻ってきてからというもの、ゴウは常に大陸砲の前にいた。
祖母に貰ったぬいぐるみに執心し、常時枕元に置いているか幼子のように、彼は大陸砲に心を奪われてしまい、一時も大陸砲から離れない。子育ての間は食事も睡眠もとらない、とある種類の渡り鳥のオスの子育て行動に見えない事もないが、この新王はピクリとも動かない。
遺跡調査隊の隊長、遺跡調査部長ラシベル=ココが遺跡から初めて大陸砲を持ち帰った時には、先王ビリンノが健在だったこともあり、ゴウもそれほど表立って大陸砲に固執する様を見せる事はなかった。だが、ビリンノに対しては、大陸砲の扱いを何度も進言していたようだ。
国家カーストの中でそれほど上位にいるわけではないカタラットという国家が、大陸砲を入手したことによって起きうる国家間の軍事パワーバランスの変化、とりわけ自国カタラットの軍事力の急激な向上と、カタラット国を取り巻く国家間の力関係の均衡の崩壊を、ゴウは誰よりも敏感に感じており、他の軍事国家の後塵を拝している現状を是としていなかったゴウからすれば、渡りに船だったと言えるかもしれない。
ビリンノさえ納得してくれれば、ゴウは世界に対し様々な事を発信する事も政策として視野に入れていた。その背景が、次世代のカタリティとなる新造巨大戦艦であり、それを補強するための大陸砲だった。
強いカタラット。彼が幼少期からずっと思い描いていた、最高の国家。
国民の心の拠り所であったカタリティ。そのカタリティは老朽化のために引退せざるを得ない。だが、カタリティを勇退させた後、カタラットの……とりわけ国民たちが誇る『カタラットの力の象徴』はなくなってしまう。
歴史上、所謂『カタリティ後』と呼ばれる自国の象徴のない現在、名実ともに圧倒的な大陸砲を入手しさえすれば、カタリティを継ぐ巨大戦艦を新造するより早く、対外国に対する発信力が大幅にあがる。虎の威を借る狐ではないが、大陸砲の戦略兵器としての側面を利用し、カタラット国の世界における国家順位を上げていく事が出来るだろうと、ゴウは思っていたのだ。
ゴウが望んでいたのは、戦争ではない。
侵略でもない。
愛すべきカタラット国の国家的な地位を上げ、強いカタラット国が中心になり、平和な世界を作り出すことだった。そして、その平和を維持し続けることだった。
歴史上は敗北こそしていないものの、国力という観点であれば、主要国のラン=サイディール国やジョウノ=ソウ国という列強と比較しても明らかにカタラット国は劣っている。
ラン=サイディールは表立っては経済大国へとシフトした。だが、かつての軍事国家時代の影響力は有したままだ。
ジョウノ=ソウ国も、その安定した国家運営で経済的にも潤っている。その二国と肩を並べ、更に卓越を目指すなら、早急に強い軍事力が必要だ。
ゴウはそう信じて疑っていなかった。
ところが、ビリンノが『大陸砲惨』により崩御し、カタラット国の指導者を無くしたことで、ゴウはかなり動揺したという。以前と同様、大陸砲に対し異常なまでの執着を見せるが、今回は誰の言葉も耳に届かなくなっているように感じられた。
これを機に国家の方針を一気に軍事国家へと転換しよう、とはゴウは微塵も思わなかった。ただ、自国が強くありたいと願う歪んだ愛国心は、どこかで金属疲労を起こし、崩れ去る。
その精神の行先はいったいどこになるのか。
ゴウ自身、その変化に気づいていないかもしれない。ただ、尋常ならざる不安感と喪失感を抱きつつ、現在為政者と国民の心の拠り所であった巨大木造戦艦を失った国家を、否応なしに牽引せざるをえなくなった状況は同情するに余りある。
だが、良くも悪くも、ゴウ=ツクリーバという少年の心を持つ男のたがを外してしまったことは間違いない。
ゴウは、常に心のどこかで、欠損感を拭えずにおり、またその欠損感を補う方法もわからなかった。
戦闘に巻き込まれることをまるで加味しておらず、当然攻め込まれる選択肢など持ちえない造りの平城『ワーヘ城』は、周囲の建造物よりは多少高さがあるものの、ラン=サイディール国の薔薇城は無論の事、ドレーノ国の総督府の建物よりもずっと背が低い。
建造物自体が背の高さのあるというだけの巨大な木造平屋建ての建物には、平らな屋上が造られている。土地に余裕があるせいか、高さではなく広さを重点に置いた造りになっており、建物の形状も、万年初夏のこの地域では積雪等の所謂『天の恵み』に関しては、雨だけを凌げればよかった。従って、ワーヘ城の屋上は、遥か上空から見下ろしたならば、一階の間取りそのままに、平たい屋根が建造されているように見えるに違いなかった。
その奥上部に、ゴウは砲座を作った。
砲座は、簡易的な物だった。
屋根に直接台座が設置され、そこから伸びる砲身に、大陸砲の結晶が固定されている。ともすれば、観光名所の展望台に設置された望遠鏡のようにも見える。望遠鏡部分が砲身になり、その先に大陸砲の結晶が設置されているイメージだ。そして、その砲身を上下左右に向ける為の両手持ちの取っ手を作り、その先端に両手の親指で押す発射スイッチを設置させた。
勿論、取っ手にある発射スイッチについては、機構的には何の意味もない。何しろ、大陸砲は自らエネルギーを溜め、発射するのだ。貯まれば自動的に打つ。
ただそれだけだ。
簡易的なその砲座が、果たして巨大帆船カタリティすら暴走させた大陸砲の反動に耐えられるのか。常識的に考えたら、答えは『否』だ。
だが、仮王ゴウ=ツクリーバは敢えて、それほどに簡易的な砲台を作った。
……いや、これを砲台と呼ぶのさえ憚られるような、余りに稚拙な造りだ。幼稚園児の段ボール工作と同じレベルだ。
紙の棒を神剣とイメージし、カーテンを体に巻き付け羽衣をイメージし、紙の兜を被って伝説の冠とイメージする。イメージだけが全ての造形。
この大陸砲を巡る騒動で、ゴウはそのレベルの妄想をしているに過ぎないのか。
その砲座を設置し、その砲座を見守るように座り込んだゴウ。屋根に直に腰を下ろし、膝を抱え込むと見上げるように砲座を見ながら、ピクリとも動かなくなった。
よう、どうしたよ。ずっと見惚れちまって。お前が欲しかったものじゃないのか? 全てを破壊し、焼き尽くす圧倒的な力。それが今、お前の手の中にある。思いのままに打ちまくればいいだろうが。人々が苦しみのたうち回り、その断末魔に興奮し酔いしれればいいだろうが。
「何を言っている。私は、大陸砲で世界の破壊をしたいわけではない。大陸砲を抑止力として用い、カタラット国を強い国家にしたいだけなんだ」
強い国家って何だよ。事を構えても絶対負けない軍事力があるっていうなら、正にそれじゃねえか。カタラット国……お前に逆らう相手がいれば、大陸砲をぶち込んでやれば、みんな口を噤むぜ。
「大陸砲での脅迫が狙いではない。結果的に大陸砲の威を借りてはいるが、発射をするつもりはないんだ」
お前が発射するつもりがなくても、世界の人間は、お前が何時発射するかびくびくしながらお前の話を聞くことになるんだよ。世界はお前の『有難い御高話』を拝聴したいんじゃねえ。お前の気まぐれの大陸砲発射の標的から逃れる為に、適当に相槌を打っているだけなんだぜ。世界はお前の言葉や思想ではなく、お前の『親指』の動きを気にしてるのさ。
「……最初はそうかもしれない。だが、何度も繰り返すことで、人々は必ず傾聴してくれるようになる。真の平和とは何なのか。人々の幸せとは何なのか。争いのない世の中にするために、大きな声で主張するのには、大きな力がいる。その力をカタリティから大陸砲に移行させただけだ。カタリティの次の巨大戦艦が出来れば、大陸砲など力を借りずとも、人々に真の平和を伝えることが出来る!」
大陸砲だろうが、二代目カタリティだろうが、言うこと聞かなきゃぶっ飛ばすぞ、って脅しているスタンスは全く変わってねえじゃねえか。
そんなに大きな力が欲しけりゃくれてやる。おまえはそのままおとなしく待っていろ。
百日にも千日にも感じられる短い時が過ぎ、空腹を覚えた仮王ゴウ=ツクリーバは立ち上がろうとしてうまく体が動かない自分に気づいた。
うまく動かないどころの騒ぎではない。体が自分の意思に反してピクリとも動かないのだ。
(どうしたのだ、体が全く動かない)
そう口にしようとして、言葉は愚か声も出ず、口も動かない。
そういえば、双眸が痛い。絞めつけられるようにチクチクする。
瞬きをしようとして、瞼も動かないことに気づく。
激痛が走る。だが、悲鳴を上げる事もできなければ、目を閉じることもできない。
視野がべろりと剥がれた気がした。
視野が狭くなる。視野の周りに黒い縁取りが描かれ、徐々に景色が霞んできた。
「後は任せて、大人しく永遠に夢でも見てな」
彼の意思に反して彼の口が動き、彼の喉からは、全く聞き慣れぬ男の声がした。そして、彼の心が失恋時のように酷く捩じ切られるような激痛を覚え、同時に、何かがべりべりと音を立てて剥がれたような気がした。激痛の後はしびれが体を貫き、その後ゴウは自分の身体に全く干渉できなくなった。
ただ彼の心はまだ彼の体内に残っていたが、彼自身の身体を全く制御できず、ゴウ=ツクリーバは悔しがるしかなかった。
「ゴウよ。いや、もう一人の俺よ。これから大陸砲を使った面白いショーを見せてやるぜ」
かつてゴウであった者はゆっくりと立ち上がり、砲座に移動すると、そのまま方針を支えるレバーを持ち、その場に腰かけた。




