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界遊記  作者: かえで
カタラットでの出来事
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ゴウの変化

 一日の執務を終え、自身のベッドに体を潜らせたゴウ。

 だが、深い眠りにつく事の出来た日は、あの日以降一日たりともなかった。

 執務は終わっていない。それほどに膨大な量の仕事が残っていた。だが、無理にでも休みを取らない限りは、半永久に続きそうな作業量だ。

 膨大な量の決済の書類、上申の書簡、各地のトラブルを予測した報告書。それらに目を通し、自分の中で理解した上で最善の判断を下す。

 たったそれだけの事を、ゴウはこなしきれていない。不慣れな事はあるだろう。だが、その言葉と共にゴウの成長を待つその時間は、カタラット国にはない。

 ビリンノを失ってたった数日のカタラット国。しかし、その喪失は国家に多大な負の影響を与えつつある。

 何年もの間、先代王ビリンノの作業は目に焼き付けてきたつもりだった。だが、実際にそれを実施に移そうとすると、思った以上にうまくいかない。

 今は亡き先代王ビリンノ=カタラットから託された、国営という作業を滞らせることは許されなかった。

 王を亡くして不安なのは、自身ではなく、国民たちの筈。

 そう自らに言い聞かせ、押し寄せる疲労と戦いながら、書類に目を通し、決済の判を押す。ただ判を押している訳ではない。

 決済ならば、その書類の内容が実現されるまでの途中報告を上げさせねばならないし、未決済の場合には、問題点を伝え、代替案を上げさせねばならない。

 国家運営に関わるありとあらゆる書類の中身を把握した上で精査し、その進捗を見守っていかねばらないのだ。

 ゴウは書類に綴られた様々な国家の問題点と打開策、運営方法を思案しては天を仰ぎ、暫くすると地に視線を落とし、まるで空腹の肉食獣の様に唸り声を上げ続けていた。

 だが、この決定で国家の趨勢が決まると考えると、決して諦観で振る舞うことはできないし、尽力を辞める事も出来なかった。それでも、思考体力をなくした脳に連続で作業を命じたところで、効率が落ちるどころか間違った判断を下す恐れがあるため、無理な継続はできなかった。だが、完全に休むわけにもいかない。

 少し仮眠を取ったらまた作業に戻らねばなるまい。思考が出来る程度に回復できたならばすぐに。

 そう心に決め、ほんのわずかな時間だけ、瞼を閉じた。

 だが、それも仮王となったゴウには許されなかった。

 疲れ切った頭脳に反し、どんどん鋭敏化する感覚。目を閉じても脳裏には報告書の内容が渦巻く。書類に襲われるのではなく、書類の中身が映像化し彼の前に現れている。

 無能な政治家であれば、イメージの中でも書類の山に襲われるだろうから、内容を把握したうえで悩んでいるという意味では、ゴウも優秀な為政者になることはできそうだ。

 だが、如何せん時間がなさ過ぎた。

 目を閉じて、一瞬でもいいから眠りに落ちる事を望む仮王。

 そんな彼の頭上で、気配を感じた。

「スサッケイか」

「はい」

 疲労の隠せないゴウの表情だが、自身の私兵『影飛び』の頭領が現れたとなれば、何かしらの報告がある事は間違いない。

 ゴウは疲れ切った体に鞭を打ち、ベッドからその身を起こした。

 眼前には、上背こそないが、筋肉で膨れ上がった体を持つ男が恭しく頭を垂れ、片膝をついていた。

「見つかったのか?」

「旅の少年が入手しておりました。事情を説明し、譲り受け、今は我が影飛び一族の里にて保管してございます。ご指示賜れば、この場にお持ちすることも可能でございます」

 ゴウは目を見開いた。

「そうか。よくやった。貴様の私に対する忠心は確かに受け取った。今はまだ大陸砲を研究する余裕はないが、いずれはカタラット国が世界の頂点に立つためには必要な兵器だ。その時には私の元に届けてほしい」

「御意」

 そういうと、スサッケイは天井裏に吸い込まれていった。

 今は副宰相のスサッケイではなく、『影飛び』のスサッケイとしてゴウの前に姿を見せた為、天井裏からの出現になるが、もし副宰相として彼の前に訪れるなら、天井裏ではなく、きちっと部屋の入り口から入ってくる事になっている。

 ゴウが望んだからではあるが、その二枚の仮面を使い分ける事が主の意志であるとの認識から、スサッケイは何一つこぼさずその意に従っていた。

 だが、スサッケイは確かに聞いた。

 彼が天井裏に引き上げてから、口から漏れ出た独り言を。

「大陸砲が我が手に戻った。後は、カタラットに従わぬ国家を全て、世界ごと焼き払うだけだ」




 自身がゴウに大陸砲を再献上したその日から、徐々に主の表情が曇っていく。目からどんどん光が失われていくのだ。

 それは、間近で常にゴウの素振りと人となりとを見ていたからわかるのかもしれない。

 仮王としての業務効率は日に日に向上していく。処理できる書類の数も増え、副宰相に下す指示も、より的確なものにブラッシュアップされている。

 何より、王として研ぎ澄まされた何かが確立したように見えた。

 威厳。覇気。

 対外的に見る限りでは、王としての自覚が芽生え、元々あった才覚が花開き、亡きビリンノ王の仕事を円滑にこなす敏腕王。名君か大王か。即位後わずかな期間とはいえ、そのような印象を人々に与えた。

 だが。

 何かが違う。

 スサッケイの見てきたゴウとは、また別の人格がゴウの中に宿り、その人格がゴウを名乗り、発言し、行動しているような感覚だ。

 違和感。

 一言でいえばこれだ。

 声のトーンも、喋り方も、様々な所作も、ゴウ=ツクリーバその人の物だった。

 だが、何かが違う。

 ゴウの皮を被った何か別の存在が、彼の振りをして何か別の事を成そうとしていた。

 そんな印象だ。

 ゴウの魅力でもあり、欠点でもあったのは、彼の危うさだ。実現不可能なものを実現可能だとして暴走し、途中で投げ出そうとするも何とか持ち直す。そんなことが何度もあった。

 だが、今回彼にその様子は全く見られない。老成したといえば聞こえはいいが、どちらかというと、別人となったという方がしっくりくる。

 元々ゴウには、目新しい事や所謂おいしい事があると、そこに執心する余り暴走しようとする一つの自我が活動を開始するという気質がある。だが、それによって彼や彼を取り巻く環境が悪化し、その自我を抑え込もうとする別の自我が目を覚ます。そして、自我同士の衝突を目の当たりにして、それを嘆く自我がある。

 それぞれが互いの存在を知り、反目し、干渉しあっている。

 問題は、ゴウがそれを一人で抱えてしまっていることだった。そして、その危うさこそがゴウの魅力であり、ゴウを取り巻く人間がゴウに振り回されながらもゴウという人間を助け、事を納めていくというのが通常だった。

 一説には、あの老王ビリンノ=カタラットですらゴウに魅了されてしまっていたとも言われている。能力は決して低くないが、その危うさを別の所に向けてしまうと、どのタイミングでそれが牙を剥くか想像もつかない。

 毒を食らわば皿まで、か。

 他に宰相の適任者はいたというが、ビリンノが重用したのは、ゴウだった。




「小麦農家の収穫高が微減の傾向にある。古代帝国の遺跡に近い畑程その減少幅が激しい。その原因を調べねばならない。

 そして、愚鈍なる農民どもを焼き尽くしてくれよう!

 ……違う! その原因を明確化させ、対策を講じなければ」

「森林に群生するカタラット竹から作られる工芸品の品質が一部の工芸家の物だけ低下している。その工芸家に聞き取り調査を行い、何が品質低下を招いているのか確認し、対策を打たねば。

 どうしようもない工芸家であれば八つ裂きにしてくれよう!

 ……違う! 対策が功を成さないようであれば、抜本的に対策を見直さねばなるまい」

「新造のカタリティの設計は、やはりカタラットの王家に仕えていた船大工に依頼すべきだろう。ただ、同じ規模の木造帆船戦艦が可能であるかは微妙だ。他の国家の様に船のサイズを落とし、何隻かの戦艦を造成すべきか。

 前サイズのカタリティすら造れない船大工など、船首に磔にして禿鷹共の餌にしてくれよう!

 ……違う! カタリティは国民の心の拠り所だった。同サイズとは言わずとも、一サイズでも大きい戦艦を作り出し、国家の象徴としてメンテナンスをしていくべきだ」

「カタラット国は出生率が落ちてきている。原因は婚姻の成立年齢が高齢化の傾向にあり、また男女共に作業に従事するため、女性が一時期職を離れ育児に手間を割くことが出来なくなってきている。これを改善するために、休職中の女性にも満額とは言わずとも労働の対価を補償してやるべきではないか。

 その額に文句を言う女性は、この世から抹殺し、反乱勢力を駆逐してやる!

 ……違う! 出来るだけ満額に近い額を支給できるように税収からある程度回せるように法整備を進めなければ」


 『影飛び』頭領スサッケイも、仮王ゴウ=ツクリーバに表裏共に仕え、補助役に回る事が増えてくると、四六時中ゴウの傍で控えて様子を窺う事も出来なくなってきていた。スサッケイが副宰相として独自に行動しなければならない事も増えてきたからだ。そこで、若いながらも才気煥発と思われる少年を、ゴウの寝室の屋根裏部屋に常時待機させた。

 ゴウが床に入り、完全に寝静まってから、少年はスサッケイの元に行き、ゴウの様子を報告する。

 しかし、少年の報告は最初こそ真面目だったが、徐々にその報告そのものが、悪戯に満ちた虚偽の物であるように思える内容になってきた。

「それは誠の内容か?」

「スサッケイ様、私は嘘偽り申しておりません。

 やはり、主の言動には瞬間的に垣間見える狂気が感じられます」

 少年の報告に、あからさまに疑いの目を向けるスサッケイ。

 だが、実はその少年の報告を認めなくないという彼自身の心の願いが、少年に対する疑いの目となっている事を、彼自身気づいていた。

「……わかった。お主の言葉を疑うわけではないが、内容が内容なのでな。わかっているとは思うが、口外はするな」

 少年は同意し、その場を辞する。

 ゴウの計らいで提供された副宰相の執務室。そこで自身の仕事をこなす傍ら、スサッケイは配下の『影飛び』に対する指示も行なっていた。

 『影飛び』はゴウが私財を投じて編成された私兵集団。その内情は、いわゆる密偵行動を得意とする傭兵集団だ。余り実施にはうつさないが、国家外の要人の暗殺を執り行う事もある。逆に、カタラット国内の暗殺は禁忌になっていた。

 カタラット国は元々軍隊があまり発展しなかった。

 無国家時代後、カタラット国成立初期にラン=サイディールの侵攻を阻止してから、それ以上の軍拡が行なわれなかったため、各貴族がそれぞれ財を成し、その金で独自の軍隊を持った。元々は各貴族の政争の道具の一つとして成立した。それが私兵文化の始まりだ。その中で、最も強力な私兵集団を作ったのがツクリーバ家であり、特に飛躍的にその数と質を高めたのがゴウだと言われている。

 単なる傭兵集団であった『影飛び』の長となったスサッケイは、ゴウを幼少期から知っていた。無論、影飛びとツクリーバ家との主従関係にあったが、その関係を超え、二人は強い信頼関係で結ばれていた。

 私兵集団は基本実力主義だ。暗殺での長交代は殆どなかったが、長の交代は定期的な入れ替え戦で行われていた。敗者となった元長は、追放されるか死を選ぶかの二択。追放された元長が別の傭兵集団に入団し、そこで長となることもままあったというから、傭兵集団間の移動は意外に多かったと思われる。そして、その移動が情報の移動も意味し、私兵そのものが一つの文化となっていく。歴史学者をして、政権を動かすのは、貴族でなく貴族に仕える私兵だとまで言わしめた。

 そんな中、影飛びも例外ではなく、長の交代は頻繁に行われていたようだ。その中で、スサッケイは長期政権を樹立させた。その機会もあり、ゴウとスサッケイの関係は幼少期よりも密になった。

 『影飛び』の運営の財政基盤はゴウの貴族としての収入による。そのゴウの存在が揺らげば、『影飛び』の存続基盤が揺らぐことになるのだが、スサッケイはゴウの変化にそれ以上の、友としての危惧も覚えていた。

 彼は、友の望みとして、ゴウの欲する大陸砲を取り戻してきた。

 だが、それは実はゴウの真の望みではなかったのではないか。

 ゴウの姿をした、ゴウの中で芽生えたまた何か別の存在の暴走の結果なのではないか。

 ゴウに、大陸砲奪還の報告をした際の、ゴウの瞳に一瞬宿った狂気の光。

 見て見ぬふりしかできなかったが、今ここにきて、ゴウのその所作がスサッケイの心の中に暗雲となり垂れ込める。

 カタラットは回り始めた。

 ビリンノを失い、失速したと思われたカタラットの活動も再開し、国家運営の様々な項目が、以前と同じかそれ以上に推移しはじめている。僅か数日の間に、外貨の取り込みも再開し、数日の停滞などなかったかの如く経済活動も復活した。

 杞憂に終わることを望むスサッケイ。

 だが、そうはならなかった。

 大陸砲を手中に収めたゴウが、突然執務の場から姿を消したのは、スサッケイから大陸砲奪還の報告を受けた五日後。

 スサッケイが、大陸砲を平城の屋上部に設置するように指示を受けた翌日だった。

また修正を入れるかもしれません……。

たまに誤字や内容の歪みがあったりして、それが目についてしまうと直したくなってしまいます。

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