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界遊記  作者: かえで
ラマでの出来事
9/252

ジョーの計画

いよいよファルガが聖剣を手にします。

 ジョーとレナという青年と少女。不可思議な二人組が、ラマ村を無事に通過できるはずはなかった。彼らの逃避行は直ぐに破綻を来す。だが、それは彼らの進行を阻止するものではなかった。あくまで無血通過。本当はそれをジョーもレナも望んでいたに違いなかった。

 神。恐れを知らぬ荒ぶる神。

 真の神の姿を知らぬ者は、考えられる最も美しい者をそう評した。

 その神が連れているのは天使。翼を持たぬ愛らしい天使。

 方向性が真逆の美の双璧が、主従を明確に誇示しながら歩みを進める。直視は困難。だが、一度それを視界に入れてしまうと、もうそこから視線を外すことはできない。不思議な光景だった。神が天使を隷属させる。元々天使は神の僕。それをまた敢えてなぜここで明確化しなければならないのか。それは、天使に対する神の凌辱にすぎない。

 人々を背徳感と性的な興奮とで覆い尽くす。勿論、眼前に広がる光景は、主の僕に対する辱めなどと考えている人間などいるはずもない。しかし、霊峰が崇高な存在であるように。海が全ての生きとし生ける者の帰する場所であるように。人が知識や感性で知りえぬことでも、神の造りし本能が、人間たちに明らかに語りかけ、人間たちはその影響を受ける。

 綿密に見えて、実は杜撰なジョーの計画。普通に考えて不可能な、日没前の村の中央を、人質のレナと共に闊歩し、そのまま通り過ぎていく、という計画。

 だが、それは本当に杜撰だったのか? 実は村人に発見される事すら想定内ではなかったのか。いや、村人に見つかり、取り囲まれ、その中で発生する事象すらジョーはコントロールしていたのではないか? 杜撰だと思い込ませることすら計画的なのではないか。そう思わせるほどに、ジョーの様子は毅然としていた。

「ジョー、ジョーが……うわああ!」

 一人の若者が、神々しさと淫靡さを併せ持った目の前の存在を目の当たりにし、不思議な感覚に耐え切れず、絶叫した。

 それと同時に、家々から男たちが武器の代わりとなるものを手に持ち、飛び出してくる。

 昨晩から今朝方にかけての逃亡劇はまだ終わっていない。不眠不休の村の男たちは、厳戒態勢で臨んでいた。戦闘に耐えうる男たちを何人かの班に分け、ある班は休息をとり、ある班は見回り、村長コウガを初めとする主戦力は、どのようにジョーを攻略するかを検討していた。彼らは寝ても起きても、戦いに備えていたのだ。誰も勝機のない戦いであるはずなのに。

 村に武器は殆どない。ただ、武器になりそうな農具や工具を持ち、不慮のジョーの襲撃に備えつつ、『鬼の巣』の広場で捕えられたレナを救出するための策を練っていた。徐々に村人たちの包囲網を狭め、『鬼の巣』の広場内でジョーを取り囲む。その中で腕利きの何人かの男がジョーからレナを奪い返す。ジョーは逃がしても構わない。まともに戦って勝てる相手ではないのは明らかで、レナさえ無事に取り戻せばよい。村人達はそう結論していた。

 ジョーは、何故レナの誕生パーティーの間に逃亡を図らなかったのか。『鬼の巣』の広場の男たちを倒したその足で、レナなど攫わずに逃げればよかったのではないか? また、何故レナを攫った後、再度『鬼の巣』の広場に逃げたのか。昨日ジョーが逃げた方角とは逆に逃げてさえいれば、首都デイエンに出る事になる。そうなればもう、ラマ村の人間に追跡は不可能だ。

 村人は、ジョーの逃亡計画を杜撰な物だと結論した。只闇雲に、追手から逃れるために、より森の深い方に逃げた。そう考えたのだ。そして、『鬼の巣』の奥は陽床の丘ハタナハの背面。ファルガたちが仕事終わりに夕日を眺めたあの断崖絶壁のその先に当たる。人間ならばそこを降りることは不可能。

 これで彼の者は袋の鼠。背面は絶壁。正面は村人の壁。越えられる筈もない。浅慮のジョー、ここで討たれるべし。

 聖剣を入手するだけではなく、自分が聖剣の勇者となる為の恐るべき計画を知らぬ者達は、そう考えたとしても無理もなかった。そして、そう考えることで、浅慮のジョー御しやすしと自身を奮い立たせ、戦いに臨もうとする仲間たちを鼓舞した。

 攻める為の手順の検討は無駄になった。だが、結果ジョーは背後に陽床の丘ハタナハを背負う。手順の中でジョーを包囲し、逃走経路を塞ぐまでの工程が省略できたのは、むしろ好都合だ。

 戦力となる男たちは、均等にジョーを囲み、そこから少し距離を取って、女子供もレナを連れたジョーの行く手を塞ぐ。

 ちょうどドーナツ状の人垣が出来上がった。それはラマ村という小さい村に於いての戦力分布図と同じものだ。

 同心円状の戦力分布の中でも、特に潤沢な戦力は、デイエンへと続くラマ村の門の方角に存在した。デイエンへのルートに、村長コウガはラマの村でも最も戦闘能力の高いと言われるアマゾとナイル、そしてズエブを置いたからだ。

 ラマという村において、これ以上の布陣はないだろう。コウガはそう自負する。

 だが、ズエブの表情は終始さえなかった。

 このメンバーでさえジョーを止められるとは思えなかったからだ。だが、ジョーの実力を軽視し、戦闘の内容を楽観視するコウガやアマゾの意見に、強硬に反対するわけにもいかない。ともすれば巧者のジョーに勝つ事すら念頭に置いている事に違和感を覚えざるを得なかった。

 目的はジョーを倒すことではなく、レナを救い出すこと。

 だが、ナイルとアマゾにとっては、目的が変わってしまっていた。いや、格闘家という職業柄か、それとも戦士の血か、会合ではレナの救出を最優先と言いながらも、ジョーと戦い勝利する事を裏の目標に置いていたに違いなかった。

「道を開けてもらえませんか? 私はこの少女と旅に出ます」

 突然の告白に、周囲は騒然とする。ジョーとレナを取り囲む村人たちは、お互いに顔を見合わせる。

 共に旅に出るも何も、レナがそれに従うものか。

 だが、次第に村人たちの騒めきは沈静化していく。だが、それは落ち着いたというよりは、呆気に取られたという感じだ。

 レナの表情が、完全にジョーを肯定していたからだ。ともすれば恍惚とした表情でジョーの返しの眼差しをねだった。

 異様だった。

 長身の男が少女の首に縄を括りつけ、ゆっくりと歩みを進める。

 遠巻きに見ている人々から見れば、この状況はどう見ても奴隷商人と奴隷の移動。あるいは、処刑人による罪人の連行だ。

 だが、それにしては余りにその歩みは快活で、未来の展望ない者とは到底思えなかった。前を歩く少女は可憐でありながら、凛とした表情で歩みを進める。また、後を歩く長身の男は神々しくさえ見える。徐々に傾きかけた陽が男の髪に絡み、後光が射したように全身が光り輝いていた。

 神と天使の二人の歩む先の村人達の壁は、まるで裂ける海のように道を開けた。

 ジョーとレナの歩みの先には、ラマ村の最大戦力であるアマゾとコウガもいた。だが、ジョーとレナは並んで立つ二人の間を何事もないかのように抜けていく。二人の戦士は、道こそ開けなかったが、一歩も動くことができず、ジョーを目で追う事すらできなかった。

 比較的自我を保ち続けることのできたズエブだったが、やはり身動き一つとる事は出来なかった。ただただ、強者である筈のコウガとアマゾが視線すら合わせられず茫然自失で立ち尽くし、二人の間を悠然と歩み抜けていくジョーの姿を目で追うしかできなかった。

 その歩みを止めたのは、ジョーとレナの前に立ち塞がった、二人の少年だった。

 コウガとアマゾの二人は、長身の少年の叫び声で我に返り、思わず振り返る。

「どこに行くつもりだよ……!」

 ナイルは、誰しもが凝視できなかったジョーの双眸を睨みつける。その斜め後ろに控えるファルガも、一言も発しないが、ナイルと同じように強い視線をジョーに叩き付けた。

 ジョーの口角が上がる。

「……待っていましたよ、ファルガ。貴方がここに来なければ、私がこのような茶番を演じる意味はなかった」

 ナイルの眉間に血管が浮かぶ。激しく怒っているのだ。

 『鬼の巣』の戦闘で、ナイルは何度か攻撃を仕掛けたが、掠りもしなかった。それはナイルとジョーとの実力差を考慮すれば、順当な結果と言えた。

 だが、それ以上に彼のプライドを傷つけたのは、ジョーがナイルの存在をまるで意識していなかった事だ。あえて無視したのではない。ましてやナイルと事を構えるのを躊躇ったわけでもない。ただ、ナイルの背後に控えるファルガにのみ、彼の注意は注がれていたからだ。

 ジョーにとって、ナイルは居ても居なくてもよい存在だった。もっと言ってしまうと、存在を忘却された者だった。

「……またかよ。ジョー、お前は何故この俺を認めない……! 何故またファルガなんだよ……!」

 呟くように言葉を発するナイル。それと同時に、まるで空気が抜けた風船のように、体が沈み込んだ。だが、それは突進の予兆だった。

 大地を滑るように低い突進を開始したナイルは、ジョーの顔に拳を打ち込むように体を捻るが、そこでふと動きを止めた。

 ジョーは、なんと先を歩くレナの首を掴み、それをナイルの攻撃の前に晒したのだ。レナは突然のジョーの行動に双眸を剥く。だが、その口からは何の呻き声も漏れなかった。

 レナの驚愕の表情に一瞬躊躇したナイルは、ジョーの無造作に突き出された右足を慌てて避ける。ジョーの蹴りはナイルの頬を掠めるが、直撃は避ける事が出来た……筈だった。

 だが、立て膝をつくナイルの右頬には赤い筋が一本入り、そこから鮮血が滲み出す。

 共に行こうと告げた者を、数瞬後には盾として敵の前に翳す。その盾はどんなに硬度のある盾よりよほど防御力がある。何しろ、相手の攻撃を防ぐのではなく、攻撃を辞めさせてしまうのだから。そして、その隙を縫って攻撃を仕掛ける盾の使用者。

 邪道!

 人の心がある者であれば、そう言うかも知れない。

 だが、このジョーという男は、人の皮を被った悪魔……いや、神の姿をした魔王といってもよかった。彼の行動は全て彼の肯定のためのみ行われていた。

 ジョーは賞賛を送る。この絶対的不利な状況下、よくぞ自分の攻撃を紙一重でかわせたものだ、と。

 ナイルの怒りは頂点に達した。

 自分の愛するレナを盾に使おうとするのは愚か、完全に自分のためにレナを犠牲にする気満々だったからだ。

「貴様、レナを犠牲にして自分だけ逃げ延びる気か!」

 ナイルは思わず叫ぶ。この男、許さでおくべきか。

「彼女は美しい。彼女は私と共に生きていくにたる十分な資格がある。そうは思いませんか?」

 噛み合っているようで全く噛み合っていない会話。結局、ジョーは自分の思いを正当化し、その正当化の為にはどのような犠牲も厭わないと感じているだけだということ。その為には自分が必要と認めた相手も躊躇なく犠牲にしていく。そうとしか思えなかった。

「レナを離せ!」

 ジョーは背筋が凍るほどにぞっとする美しい笑みを浮かべると、己の口をレナの右頬に押し付けた。

 接吻。美しい男による美少女への愛のメッセージ。

 レナは一瞬驚きの表情を浮かべたが、やがてその表情は安らかなものへと変わっていく。盾にされてなお、絶対的なジョーへの安堵感があった。

 だが、次の瞬間恍惚の表情を浮かべたレナの口から漏れたのは、自身も聞いたことのないような悲痛な叫び声だった。


 営火の明かりが真下に見えた時、初めて覚えた感情は恐怖だった。足元が浮き上がり、今までない程の高さまで舞い上がる。ここから落ちれば死んでしまう。いや、死なずとも全身の骨が砕けたに違いない。

 レナは竦んだ。完全に動きを止める。ただ息を呑み、自分の体が営火から離れていくのを実感していた。昼間のように明るかった彼女の視界が、徐々に暗くなっていき、人影の波に営火が飲まれた時、レナは自分が大地に降り立ったと同時に、何者かに抱え上げられているのがわかった。

 不思議と、自分を抱き上げている存在には恐怖感は覚えなかった。ただ、なぜ自分なのかが理解できず、只々不安だけを覚えていた。

「怖がらないでください。私は、貴女と共に世界を救いたい。その為に力を貸してもらいたいのです」

 男だ。営火を背後に置き、男の顔は見えなかったが、不思議と肩までの長い髪の美しい男であると感じた。そして、レナにはその男に見覚えがあった。

 七日ほど前の『鬼の巣』での擬似探検会の時に、ナイルとファルガが相対した男だ。

 ならば、男は恐るべき相手。もっと恐怖を感じなければならないはずだった。

 しかしながら、レナは恐怖を感じなかった。インジギルカとともにナイルの後ろに居て、子供を抱き抱えて逃げようとした彼女は、むしろ親近感すら覚えた。

 この親近感こそ、実は彼女にとって圧倒的な癒しだったのかもしれない。その癒しにもう一度出会えたことが、彼女には何故か嬉しかった。

 いつの間にか微笑んでいたのかもしれない。その笑みを了解と受け取ったのか、男は軽く頷くと、疾風のように走った。

 レナが攫われたその瞬間、営火の周りにいた人たちは騒然となったが、レナの耳には殆ど届いていなかった。

 彼は何故か、自分の捕らわれていた『鬼の巣』の牢獄を目指した。そして、その傍で陣を構える。そこで、彼はもう一度レナに告白する。

 私が世界を救うための手助けをしてほしい。その為にはあの少年の持つ聖剣が必要だ。その為に、私は彼と一体化しなければならない。その為に力を貸してほしい。

 その言葉の後、ジョーはレナと共に歩み出す。常人からはとても理解しえない方法で彼女と共に。


「ひ……ひぁああああ……」

 レナの頬に押し付けられたジョーの唇。それは不自然に沈んでいく。と同時に、レナの頬から鮮血があふれ出す。少女の見開かれた目は、焦点の合わぬ虚ろな眼差しに変わっていく。

「あぁぁぁぁ……」

 滴った紅の液体が、鈍い音と共に改めて飛び散った。凡そ想像しえない音とともに、レナの右頬が形を変えた。ジョーの歯型の通りにえぐり取られたのだ。

 一度ぶるりと大きく体を震わせたジョーは、己の股間をまさぐり、指についた白濁した液体を、己のつけた歯型に擦り付け、もみ込むような仕草を見せた。そして、咀嚼をしながら、その合間に舐め上げる。

 レナの悲鳴を聞いた村人たちは、眼前の惨劇と相まって卒倒する。気を失わずともその場面を見た者は目を逸らし、嘔吐した。

 レナの心は、今この時完全に砕け散った。

 彼女が聞いた悲鳴は、もはや自分の物ではなかった。

(誰、そんなに悲しそうな声で泣くのは?)

 そう考えたのが彼女の最後の思考だった。

 ジョーの喉が大きく上下する。それと同時に、彼の咀嚼は終わったようだった。そして、愛おしい者を見つめる眼差しのまま、レナに向かって言葉を贈る。

「素晴らしい歌声をありがとう。貴女も私に力をくれました。この力は有意義に使わせて頂きます」

 首を持ち、顔の形状が変わってしまったレナを高々と掲げるジョー。そして、掲げた少女の首筋に向かって、その口を近づけていく。

 レナは、釣り上げられた魚が抵抗するように、足先をたまに大きく波打たせた。だが、その行動にも彼女の意思があるようには思えなかった。

「や、やめろーっ!」

 ナイルは、吐瀉物で汚れた口を拭う事もせず、絶叫する。

 この男は、美しい少女の首筋に歯を立て、今度こそ命ごと食らうつもりだ。

 だが、先程の禍々しくも神々しい情景を目の当たりにしてしまったナイルの腰は砕け、まともに立っていることが出来なかった。頭では危機感を煽りなんとか動こうとしているのにも拘らず、体は史上の快楽を得ているようで、全く言うことを聞かなかった。彼の股間が粘液と排泄物とで汚れていることに気付いたのは、全て終わった後だった。

「ジョーッ!!」

 腰の砕けたナイルの後ろで、余りに場違いなほどにはっきりと自身の名を呼ぶ少年。彼の目は怒りに満ちていた。

 とある皇国の皇子は、生まれて初めて純粋な悪意を受けた。その感覚は新鮮で、思わず美しき獲物に襲い掛かる口吻を止めたほどだ。

 これほどの悪意を彼にぶつけた人間は、彼の父以外では初めてだった。彼の行いは、なぜか今まで他の全ての人間には許されていたような気がする。受け入れて貰えていた気がする。妊婦の腹を裂き、胎児を頭からかぶりつこうが、誰も彼を非難することはなかったのではないか。だが、何故この少年は、自分をこうも受け入れないのか。

 跪いた少年の背後で絶叫する少年を、一筋の光が打つ。

 今まで見たことのない光。青白いその光は、太陽光とも月光とも、町明かりとも全く異なる、凄まじい生命の力を放っていた。

 突然、ジョーの左側面に少年が出現する。瞬きする間もなく、というのはまさにこういう事をいうのか。

「な、何っ!」

 ジョーの目ですら捉えきれない速度で彼の左側に出現した少年。

 その手には、一本の剣が握られていた。

 祖国を追われ、世界を救うために人としての倫理を捨ててまで手に入れようとしては、拒絶され続けた剣。彼にその体を預けることのなかった宝剣。伝説の至宝。この世の聖剣をすべて集めれば、世界を手に入れられる。そんな子供だましの言い伝えが、今眼前にある。その剣は、まるで当てつけとでも言わんばかりに、剣術を身に付けたこともなければ、世界を救うための心構えもできていないような、取るに足らない少年の手に収まり、まさにその力を発現させようとしていた。

 少年ファルガの身体は、青白い光の膜に包まれている。それに気づいた次の瞬間、ジョーは左腕に激痛を覚えた。

 ジョーは痛みを覚えた瞬間、顔を歪める。だが、それは痛みで顔を歪めたというよりは、何か取り返しのつかないことをしてしまった事に気づいた、年端も行かぬ少年の懺悔の表情にも見て取れた。

 ジョーは突然、痙攣するレナを、まるで手についた汚物を払うかのように遠ざけようと、投げ捨てた。投げ捨てたレナに付いて、彼の手首も彼の元から離れていく。

 ファルガは、レナの首から繋がるロープを斬る為、一瞬で間合いを詰め、ジョーの左手首を斬り飛ばしたのだ。そして、もう一撃を加えようと、再度振りかぶったところで、初めて動揺と恐怖の表情を貼り付けたジョーのチャージを受け、バランスを崩しながら大地に片膝をつくファルガ。その目の前をゆっくりと、視線の虚ろなレナが落ちていく。

「レナーッ!」

 思わず絶叫するファルガ。

 だが、レナが大地に倒れ込むことはなかった。何の防御もなく地面に激突するレナを既のところで抱きとめたのは、ファルガを除く村人の中で、最も平常心に近かったズエブだった。

 悪戯が過ぎて手に負えなくなった現状から遁走する幼子のように、脇目も振らず走り出すジョー。だが、その進行方向はデイエンへと続く街道。駆け出したジョーのスピードは人知のそれを超えていた。神の輝きはあっという間に森の影に消えてしまった。

「……レナは!?」

 ファルガは、ズエブに抱き起こされたレナを見ようとするが、突如押しかけた女性陣によってはじき出された。

 自分の抉られた顔を、男の誰にも見せたくない。心の壊れたレナもそう感じるはず。女性たちは、各々がそう思ったようだ。弾かれたように駆け寄る女たちは、抱き起こしたズエブすら突き飛ばし、少女に処置を施そうとした。

 女たちに弾き出されたズエブの元に行き、レナの様子を尋ねるファルガ。だが、ズエブの表情は浮かない。

「命には別条はない……」

 絞り出すように呟くズエブ。

 ファルガは親方の言葉の真意を汲み取り、怒りを爆発させた。未だに立ち上がれぬナイルを殴りつけると、そのまま追跡を始める。少年ファルガが、生まれて初めて殺意を持った瞬間だった。

 後には、レナの処置に追われる女たちと、そんな女たちを見つめるだけで何もできない男達だけが残された。

表現には少しこだわってみましたが、単語を使わずに雰囲気だけで表現できているかどうか。

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