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界遊記  作者: かえで
カタラットでの出来事
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空飛ぶ船

 遊覧船カタリティの慰労祭のオープニングセレモニーから参加をするつもりのなかったファルガとレーテは、ゆっくりと宿で朝を迎えた。

 素泊まりの宿なので食事はなかったが、昨日の屋台で幾つか食料を買い込み、保存していた物を朝食とした二人。

 夢見心地のままで食べた朝食。半分以上、眠っていたのかもしれない。

 だが、それではまるで足りない。睡眠も、食事も。

 思い返してみれば、薔薇城の鐘楼堂から脱出して以降、ゆっくりと休んだことがなかったような気がする。文字通り行く先々で命の危険に晒された。そして、ファルガに至ってはラマ村を出てからというもの、常に戦い通しだった。

 勝っていない。だが、それでも生き残る。戦闘での敗北は死だ。だが、何故か生き残る。

 この矛盾。

 何となく、勝てなくても負けなければ生き残れるのは察した。勝つためではなく、負けない為の力をつければよい事は何となく納得した。

 思い返せば、無意識ではあったものの、負けないような行動をとっていた気はする。

 とはいえ、動き詰めだったのは間違いない。

 最初に訪れたルイテウでは、レベセスの所に行く為の算段に奔走し、ドレーノでは到着して早々の大混乱。そして、一段落したらそこで休息を取る間もなくルイテウを経由してのカタラット入り。

 だが、今のところ、訪れたカタラット国には敵はいなかった。少なくとも、睡眠時間を削り、休憩時間を割いて警戒する必要はない状況だった。

 久しぶりに時間や敵を気にせずにゆっくりと休めた感じがした。

 若さゆえ、疲れには強く、体の無理も利く。場所も考えずに休息をとる事も出来る。だが、心の癒しはまた別だ。

 敵に囲まれる可能性のない生活が、如何に重要か。そして、その生活が如何にして得難い物であるのか。ファルガもレーテも、それを痛切に感じていた。デイエンを逃げるように去った二人が、今また昔の生活に戻る事は不可能だろう、と。

 夜中も何度か目が覚めたが、それが夢なのか現実なのかも曖昧なまま、すぐに寝入ってしまい、翌朝目が覚めてもすぐに動き出すことが出来ず、ベッドの中でうつらうつらしていた。夢と現実の境界線上を行ったり来たり。

 夢の中で、うまく行かなかったあの事件のあの場面を、何度もやり直そうとしている自分がいる。しかし、失敗したその場面をクリアしても、結局うまく行かずに、現実と同じになってしまう。そんな夢を何度も見た。

 ラン=サイディールでは何人もの人間を助けられず、ドレーノでは何人もの人間を殺した。

 だが、その夢も徐々に薄まっていく。

 決して起きた問題を回避できたわけではないし、問題をクリアしたわけでもない。その現実は過去の物として常に存在し続ける。それを痛切に感じながらも、どうしようもない無力感を覚える訳ではなく、現実として受け入れ、次に進む力を得る為の心の整理の時間としての睡眠だったのだろう。

 敵に襲われる危険のない瞬間だったからこそ、過去の失敗に思いを馳せることが出来た。やり直そうとしてもうまく行かずに、それでもその失敗を受け入れ、糧として昇華していかなければならない。

 その時間を半ば強制的に与えられたのだろうか。

 様々な事件や出来事、人の死と生の気配に当てられた状態が続きすぎていて、ファルガもレーテも感情がオーバーヒート気味だった。

 今、彼等は夢と現実の狭間でその感情を整理しつつあった。

 ファルガもレーテも、完全にリラックスした状態だったのだろう。

 だからこそ、彼等は整理することが出来た。

 やがて、彼等にも目覚めの時が来る。

 体の目覚めではなく、回復による心の目覚め。

 

 二人は、朝食をゆっくりと取ったあと、少し待った。待っていたといえば聞こえはいいかもしれない。実際は、食事をとりながらうつらうつらしていただけなのだが。

 だが、その時もヒータックが起きて来る気配がない。

 少年と少女の二人が起き出した時には、レベセスは既にベッドにはいなかった。だが、半分呆けている二人には、それが不安としては感じられなかった。ただ、ヒータックが起き出してこない事には若干の違和を覚えていたが。

 恐らく、レベセスは先に出発し、遊覧船カタリティの慰労祭の会場に向かっているはずだ。遊覧船カタリティについては興味があったということだろうか。

 そういえば、レベセスは昨日からしきりにカタリティの魅力についての説明をしたがっていたようだった。だが、ファルガもレーテもあまり興味を示さなかったせいか、彼等をここに案内してくれたカタラット国のSMG特派員の人間に、しきりに自分の知識が正しい事を確認しては、悦に入っているようだった。そして、知らなかった知識については、まるで少年のように目を輝かせて話に聞き入っていた。

 気怠そうに歩いていたヒータックは、子供のような一人の大人に目を白黒させながらも無言を貫く。少年と少女はそんなレベセスに目もくれず、街道の両側に沿うように延々と並ぶ屋台群に目を奪われ、道の左右を行ったり来たりしては、おもちゃを買ったり食べ物を買って頬張ったりしていた。

 そんな状態だったので、もし仮にレベセスが起きた時に彼等が目を覚ましていたとしても、カタリティの慰労祭に朝早くから出掛けようとレベセスが声をかけてくることはないだろうという事は容易に想像できた。

 ファルガとレーテは、外出する支度をし、宿を出発。カタラット城の向こうに聳える遊覧船カタリティに向かって歩き出した。そこに行けばレベセスがいるはずだ、という妙な確信を持って。

 ファルガもレーテも、元々は好奇心旺盛な子供たちだ。

 興味を持ってしまえば、恐らくレベセス=アーグと同じかそれ以上に興味をもって、見たこともない大きさの巨大帆船に近寄っていっただろう。

 たまたま、カタラットに到着した当初は、帆船よりは街道筋に無数に並ぶ屋台に惹かれただけだ。ラン=サイディール国最大の都市デイエンの祭りの屋台よりも数多くの屋台の並ぶカタラット国の慰労祭に、ファルガやレーテが興味を持たない筈がなかった。

 今まで見たこともないほどの無数に並ぶ屋台とはいえ、それぞれの屋台がすべて独自の物を売っているのかというと、そうでもない。やはり、数が多ければ多いほど、屋台の売り物や配置などの規則性のようなものが見えてしまい、子供たちが徐々に興味が失われていくのも致し方ないことなのかもしれない。そして、同じ物を売る屋台を見つけると、どうしても屋台ごとの商品の優劣が目についてしまう。

 同じものがさっきの屋台でも売っていたな、と思う事も増えてきた。

 祭りの中でも一つ一つ屋台の売り物が違えばいいのかもしれないが、売り物にもそうたくさんの種類はないだろう。値段が、とか、味が、といった具体的な比較項目こそはっきりしないものの、少年と少女の屋台への興味は、到着当初に比べてかなり薄れていた。飽きが来たということなのだろう。

 

 宿を出発した二人は、早々にレベセスと合流した上で、少しお金を貰い、前日に食べられなかったものを朝食の続きとして屋台で購入し、食べながら巨大な帆船のセレモニーを見るつもりでいた。

 だが、早々に予定が変わってしまった。彼等が歩いている最中に、遊覧船カタリティが出向したからだった。

 海を見やると、海面に乗るその巨体が、徐々に遠ざかっていく。と同時に、岸壁周辺で人々のざわつきが起きているのがわかった。

 なるほど、人々の騒めきの理由は、巨大な船舶から火が出たからのようだ。

 普通に考えると、船舶から火が出るという事は大事件だ。

 中にいる乗員たちは、船内には逃げ場などない。消火が間に合わなければ、海に飛び込むか据え付けてある救命ボートで一刻も早く海上に逃れるしか助かる道はないだろう。海に飛び込んだら飛び込んだで、巨大な船が沈没する際に発生する渦に巻き込まれて海中に引き込まれれば、それこそ命などない。実際、過去の船舶の沈没事故で、死者の大多数の死因が沈没時の渦に巻き込まれた上での溺死であるようだ。

 だが、人々の騒めきからは、焦りよりは悲しみが滲み出している。まるで予期された悲しみを受け入れているような反応だった。

 遠巻きに聞く人々の慟哭は、ただの唸り声にしか聞こえない。しかし、その轟音が酷く色濃い悲しみを纏っているような気がしてならなかった。

 岸壁まではまだだいぶ距離があったが、ファルガもレーテも不思議とそんな人々の感情を何となく感じ取ることが出来るようになっていた。実はそれが、レベセスが飛天龍上で行なった『氣』のコントロールの鍛錬によって、他の人間や生物が発する『氣』の質の変化を敏感に察知することが出来るようになった結果なのだが、それを彼等が実感するのはもう少し後になる。

 城の向こう側に見えていた巨大な船体が、徐々に陸から離れていくにつれて、カタラット城に視界を遮られることなく、遊覧船カタリティの姿を目にすることが出来た二人。大きく広げられた帆を朝日が透かし、その巨体も相まって神々しさが増す。

「この国に来たのは初めてだけど、お父さんがあの船に魅かれるのもわかる気がするわね……」

 少女レーテは、遊覧船カタリティを通じて、父レベセスを初めて一人の人間として何となく受け入れ始めていた。

 レーテの中のレベセスのイメージは、常に『怒っている人間』だった。

 記憶を辿ると、父は常に姉カナールを叱っていた。

 勿論、憎いが故の叱責ではないのだが、レベセスの怒りの発現の仕方は、カナールという一人の少女が受け止められるほど緩やかな物ではなかった。

 彼は彼なりに、カナールが受け入れやすいように、怒りの種類を選択し、加工して伝えているつもりではあった。だが、今は亡き母が少女に与えていた癒しをレベセスが与えることは到底不可能だった。真相はどうあれ、彼女にとってレーテは母を奪った存在でしかなく、レーテを庇う父は、敵以外の何者でもなかった。

 とはいえ、カナールも愚かではない。

 頭ではわかっていた。

 カナールにとって、レーテは唯一無二の妹であり、母と同じように、いやそれ以上に愛し、慈しみ、共に同じ時代を生きていかなければならなかった。親は先に逝き、子は後から来る。同じ時代を生きるのは、姉妹なのだ。

 だが、理屈ではわかっていても、感情が許さなかった。

 カナールは荒んだ。理想と現実のギャップに苦しみ、その苦しみを内面に溜め込みすぎたが故に。

 そして、いつしかデイエンに住むレーテの前から姿を消した。

 誰にも何も告げず。

 レベセスは落胆し、妹として姉を助けられなかったレーテは、自分を悔いた。

 そしてそれ以後、レーテはどこかでレベセスと距離を置いていた。今回のドレーノの事件があるまで。

 だが、ドレーノでの一件で、少女の中に存在した父親に対する見えない冷たい壁は、その父親の様々な所作を見て、徐々に瓦解してきていた。

 父はただ厳格なだけの男ではなかった。怒りでしか物事を伝えられない人間ではなかった。人間味溢れる男だった。タイミングと、年齢と、関係が、不幸に影響してしまった。ただそれだけのこと。誰が悪い、というものではない……。

 その事実を、遊覧船カタリティはレーテに認識させた。

 レーテが母やカナールを愛していたのと同様に、父であるレベセスもカナールを愛していたのだと。そして、その愛ゆえの強い厳しさだった。

 レーテももう少し小さいうちからレベセスとともに過ごしていたなら、恐らく厳格に躾けられていたはずだ。実際は、カナールがレベセスに躾けられていた年頃は、ツテーダ夫妻に世話をされていたため、カナールがレベセスから受けた厳格な躾を受けてはいなかったが、今の年齢で当時を振り返ると、カナールに対するレベセスの言葉の真意は理解できる。

 そして、今でこそ感じられる。

 レベセスはレーテからカナールと母を奪い、カナールからは父すらも奪ってしまった自分の言動に対し、尋常ならざる自責の念を持っていたのだと。

 少女レーテ=アーグこそ、この世を去りゆくカタラット国の英雄、帆船カタリティに魂を救われた最後の人間の一人なのかもしれない。

 

 遠ざかる船を臨み、いつの間にかレーテの頬に涙が伝う。

 その涙の意味に彼女は気づかない。

 ファルガは、何となく見ないふりをした。

 朝日を透かす帆船の美しさと、それに心を揺さぶられ涙を流す少女の美しさ。

 二つの美しい物を同時に見たファルガが、適切な対応を取るには、彼はまだ若すぎたのだろう。

 だが、次の瞬間、巨大な帆船は、更に巨大な光の玉に包まれた。

 少年と少女は、白い光に全身を叩かれる。風圧があるわけではない。純粋に余りに眩い光が突然眼前に現れた為、まるでぶん殴られたかのような衝撃を受けたのだった。

 ファルガは踏み止まり、レーテの腕を包んで転倒を避けると、右手に広がる海の上の帆船を探した。だが、光の玉は大きく弾け、彼等の前に光の壁として立ち上がった。その強い光の壁は、奥を見せる事は決してない。

「なんだ、何が起きた!?」

 ファルガは腕で顔を隠し、光の爆風の直撃を避けながら、光の中に目を凝らした。

「ファルガ、上!」

 レーテの絶叫を聞き、少年は空を仰ぎ見た。

 そこには、信じられない光景が。

 先程まで海上を進んでいた巨大帆船が、城の遥か上空を後退しながら飛行しているのだ。

 一体どれくらい長い間の一瞬だったのだろう。

 船首に留まっていた光の玉が、徐々に船体を崩しながら飲み込んでいく。先端の光の玉が、船体に入り込んでいけばいくほど、入り込んだ船体の先の部分が光り輝き、光芒がカタリティを光に溶かしていく。本当にゆっくり壊れていっているのか、それともそう見えているだけなのかはわからない。

 だが、大陸砲はその途轍もない威力で、見まごうことなくカタリティの船体を徐々に溶かしていく。

 少年たちにはそのように見えた。

 スピリットトップセイルに固定されていた大陸砲。その暴発は船そのものを疾走させ、その巨体を宙にさえ浮かせた。それでは収まらず、大陸砲の威力はスピリットトップセイルを破壊し、枷を解かれた大陸砲は、船内を疾走。最終的にはカタリティの巨体を貫通した。

 もはや爆音も轟音も聞こえなかった。光の奔流こそが、音の代わりに彼等の耳に音ならぬ衝撃を伝えた。

 彼等ははっきりと見た。何故か、凄まじい光の奔流から目を逸らさなければ目が眩んでしまうはずなのに。

 貫通した大陸砲の結晶は、貫通した直後、自らの吐き出す光の奔流にカタリティの船体を飲み込み、爆発すらさせずに粉砕、消滅させてしまった。

 微かに残ったのは、船体であった物の粉末だ。だが、それが地上に降り注いだとしても、これが『カタラットの英雄』カタリティの一部だとは誰も気づかなかっただろう。

 

 光の帯は、上空から彼等の左手に向かって、まるで流星の様に流れていく。そして、その流星の尾は、上空でカタラットの英雄の身体を文字通り完全に粉砕、その後その光はシュト大瀑布の流れ落ちる岩柵に突き刺さり、光の大爆発を起こして消えた。

「お父さん!」

 我に返ったレーテは、岸壁に向かって走り出す。

 何となく父はまだそこにいる気がしたからだ。

 あの父親の事だ。無事だろうとは思うが、やはり心配ではいられない。それに、あの規模の大爆発だ。けが人が出ているに違いなかった。

 自分に何ができるかはわからない。だが、少女レーテはいてもたってもいられなかった。

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