大陸砲惨
宝物庫に収められていた棒状の結晶が、『カタラットの英雄』のすぐ傍に運ばれたのは、陽が落ちて、人通りもだいぶ減ってからだった。
特に隠す事案でもない筈ではあったのだが、他の段取りも合わせて検討した結果、大陸砲は翌朝では間に合わないと踏んだのだろうか。それとも、後の世の研究家の言う通り、すでにSMGに大陸砲の存在を悟られたことを知っており、その襲撃を恐れたためなのだろうか。
全身黒づくめの男たちが、周囲の目を避けるように、港に停泊するカタリティの船内に結晶を運び込んだ頃には、既に日付が変わっていた。
外から見た限りでは、カタリティは前日と変わった様子はない。
黒づくめの男たちが大陸砲を持ち込んだ前後では、搬入の形跡はまるで残らず、また、大陸砲の結晶そのものも大きいものではないので、持ち込まれた後、船内のどこかに大きな荷物が置かれているなどの変化もない。恐らく、ゴウが計画している、カタラット王ビリンノによるカタラット国史上最強化計画についても、実施に移されたとしても、スピリットトップセイルの先端部分に設置された大陸砲の結晶では、港で最後の雄姿を見ようとする人々の目にも恐らく映りはしないだろう。
それでも、ビリンノが……、ゴウが……、そしてカタラットの国民たちが、カタリティの最強伝説を望んでいた。何かを装備することでもいい。歴史的なイベントを催すことでもいい。何か、彼らの象徴が最強である証明が欲しかった。それこそが、彼らがこの世界に生きた証だと言えるからだ。
深夜から早朝にかけて、若干の人の動きがあったカタラット国ではあったが、セレモニー当日の早朝には、全ての作業が終了し、無事に巨大木造戦艦カタリティの引退を迎える準備が整っていた。
日の出と共に始まった慰労祭。
特にカタラット政府で呼称は定めなかったが、誰しもがこの祭典の意義を知る。
そして、誰が呼んだか、国宝カタリティの勇退イベントを収穫祭に絡め、『慰労祭』と呼んだ。その呼称は、人々の心に不思議なくらいに馴染んでいく。国の英雄カタリティへの感謝の気持ちを、皆持っていたという事なのだろうか。
いや、感謝などという表現では言い表せない。
カタリティの勇姿を見ることが出来る喜び。そして、その勇姿が最後になるであろうという事実。カタリティを失う事に対する喪失感。カタリティがいなくなったことで発生する国防の問題点と不安。
カタリティは彼らの……カタラットの民の人生そのものだった。ある者にとっては子であり、ある者にとっては親であり、ある者にとっては、信奉する神ですらあった。
様々な感情が入り混じる。
人々は、その感情に打ち勝つために、カタラット国王城のすぐ傍に停泊しているカタリティの姿を見に来ていた。
皆その巨体を見上げる。
満面の笑みで船に手を振る子供たち。
慟哭しながら別れを惜しむ老人。
屋台を開いている商人たちも、屋台の開店作業に取り掛かる前に、ほんの僅かな時間だけだが、カタリティの最後の勇姿を瞼に焼き付けた。
カタリティは様々な側面を持つ。当然英雄的ではない事実も多々あるだろう。かつて戦艦だったカタリティは、何隻もの敵軍艦を沈めてきた。何百人、何千人もの敵国の兵を屠ってきた。
カタリティが数多くの人の命を奪ってきたことは、客観的な事実だ。だが、人々はその闇の部分も英雄の一つのエピソードとして受け入れ、語り継いでいくだろう。功を成すということは、誰かが害を受けている。万物が全て功だけで成り立っているとすれば、そんな幸せな事はない。
カタリティの甲板には、老王ビリンノが大陸砲をカタリティに設置する為の台座と、カタリティへの手向けとしての献花台が設営されていた。
乗船を許された人々は、次々とカタリティの甲板を訪れ、一本の花を献花台に掲げ、一礼して去っていく。
さながら、この国家の真の王は、巨大木造船カタリティであるとでも言わんばかりの最敬礼だった。そういった人たちの心の中の慟哭を適切に表現する事は難しい。
何十人、何百人の人間が献花台に花を積んでいく。
軍艦だったころは搭乗が許されなかった甲板も、遊覧船になってから誰でも立ち入り可能になった。そのため、カタラットの国民の半数以上の人間が献花台に花を手向けたという。
カタリティは大陸砲の搭載式が終わった後、湾の中心に移動し、そこで炎と共に彼女のいるべき場所に還っていく予定だった。数百年という長い年月の間、カタラットの大森林から借り受けた何万本の木材。その歴戦の巨躯は、その色と形で、その長い年月を国防に尽力したことを物語る。それらの木材が、人々の中で伝説になろうという働きを終えた上で、数百年の時を越えて大森林へと帰っていく。木材としてではなく、灰として、大森林の巨木たちの新たなる栄養になり、大森林へと恩返しをする事になるだろう。
人々は、巨大木造船が森へ還る為の手伝いをする。英雄カタリティの唯一の弱点である、『体が存在すること』を克服し、体を失うことにより文字通り神格化されることで、心に折り合いをつけていた。
献花台へと花を手向ける最後の人間が台の前から辞すると、王は初めて、献花台の横に設置された台座から一本の美しい結晶体を取り上げる。
宝石とは違う怪しげな光。かといって、武器のような冷たい輝きも持たない。
王は、ゆっくりと歩みを進め、カタラットの英雄カタリティのスピリットトップセイルの前に立つ。
ここまでは打ち合わせ通りだった。
その時点で、異常に気付く者は誰もいなかった。
ビリンノが、スピリットトップセイルに、大陸砲の結晶を固定した瞬間、その異常は誰しもが気づくほどに圧倒的な物になる。
「……一体どうしたのだ。大陸砲の結晶がこれほど輝くとは」
大陸砲の輝きは、老王ビリンノの献花及び奉納の手を止める程に強い物になる。
だが、周囲の警護の人間は、ビリンノの行動を見咎め、王に催促するだけだった。
スピリットトップセイルに固定された大陸砲は、その光をその場にしばらく留め続けた。その光は輝きを徐々に強めていく。それはあたかも空気中に漂うエネルギーを収束しているかのように。
英雄には、寄港の予定はなかった。帰航の予定もなかった。
カタラットの湾内で、火が放たれたカタリティは、浄化の炎の衣に包まれる。かつて海上の死神として、周囲の国を震え上がらせた戦艦カタリティが、カタラット国を守るために犯してきたすべての罪を許され、カタラット国の守護神となる。
その筋書きだった。
だが、火が放たれた後、カタリティから離れる何艘もの小舟がカタリティから離れているその最中、その出来事は起きた。
炎に包まれたカタリティの先端から、直径がカタリティの船体を上回るほどの光の玉が瞬間的に出来上がる。
最初、港でカタリティの最期を看取ろうとする人間たちは、それも演出だと思ったようだった。
直後、光の玉は激しくはじけ飛び、慰労祭参加者の視界を完全に奪い去った。
弾け飛んだ光は、一本の光芒となりカタリティの船首から伸びていき、その先にある半島を光の柱の直径の通りに抉り取ると、そのまま水平線の彼方に消えていった。
それだけ威力のある破壊光だ。
放ったカタリティ側に何も起きないはずがない。
カタリティの巨体は、大陸砲が発射した凄まじい光の奔流に弄ばれた。文字通り、濁流の中に落ちた一枚の落ち葉だった。激しい光に突き飛ばされ、カタリティは海を疾走しはじめる。
目も眩むような光の爆発の後、視界を巨大な閃光の壁に奪われた、カタリティを見守る人々。そして、彼らの目には恐るべき光景が映る。
燃え盛るカタリティの巨体が、轟音とともに光の渦から疾駆してくる様は、人々の心に未来永劫忘れられぬ恐怖を刻み付けたことだろう。
巨大戦艦の暴走。
その先には、突然の出来事に竦んで動けないカタラット国民たち。
カタリティの進行方向にいる人たちは、皆瞬時に死を覚悟した。眼前で繰り広げられる凄惨な光景は、数瞬後に訪れる阿鼻叫喚の世界を想像するのに何の苦労もいらなかった。人々は地獄絵図を予測し、思わず耳を塞ぎ、目を伏せ蹲った。
だが、ここで奇跡が起こる。
いや、奇跡と呼ぶには余りに偶然すぎた。それとも、カタラット国戦艦カタリティには国民を守りたいという強い意志を持ち、身を以てカタラット国民たちを守ったとでもいうのだろうか。
人々が竦んで動けない港の直前で、カタリティは大きく跳躍した。
高速で疾走する船は、海上の波の抵抗を受けて、ジャンプしながら進行することがある。今回、カタリティ自身がその巨体故に発生させた波が、港の岩壁で跳ね返り、通常の船舶ではありえない速度で進むカタリティの船底に入り込むことで、その巨体を大きく掬い上げ、結果的に大きく飛び上がる格好になった。
今回、カタリティの疾走速度は通常の船舶のおよそ十倍。
この世界にはまだ存在しないが、重油を生成して作られたガソリンを燃料とし、疾走する小型艇のスピードのおよそ三倍以上の速度で疾走してきたカタリティが、港の直前で波によって大きく跳躍、カタラットの国民の九割五分が集まっていたその港の岸壁を大きく飛び越え、空中を駆けながら爆発し崩壊した。
大戦艦カタリティの暴走と空中崩壊は、カタラット国始まって以来の大惨事だった。
にも拘らず、軽症者数名のみ、重傷者と死人がほぼ出なかった事故は、古今例がない。
カタラット国民の幸運か、あるいはカタリティの最期の奉公か。
奇跡はもう一度起こる。
カタリティの巨体が、港に当たって跳ね返った波で跳躍したその瞬間、スピリットトップセイルを折った大陸砲の結晶は、光を放った状態で船体内を疾駆、貫通したことにより、カタリティの船体そのものが大陸砲の放つ閃光に飲み込まれ、粉砕。人々の頭上にカタリティの破片が大量に降り注いだ時も、その一つ一つの破片は異常なほどに小さく、ともすると灰でしかなかった。そして、カタリティを貫通した大陸砲の結晶はそのまま飛び続け、断層に激突する。
カタリティが最後の奉公で、国民に死者が出ないようにと忖度したとしか思えない現象だった。だが、カタリティから最後に離れた老王ビリンノの乗る小舟だけは、海を驀進するカタリティと運命を共にすることになった。
この悲劇での死者は老王ビリンノほか数名だけだったといわれている。
大陸砲と戦艦カタリティの最期は、後世にもセンセーショナルに語られている。だが、真の問題はそこではなかった。
偏った愛国主義者のゴウ=ツクリーバの抑止力となっていた老王ビリンノ=カタラットの死去に伴い、ゴウが夢にまで見ていたカタラット国卓越化計画が次々と着手されていく。それは一種、今までにカタラット国の王たちが忌み嫌った独裁の様相を呈し始めた。
後ほど、もう少し演出を追加するかもしれません。




