移動中の鍛錬
天空を滑るように進む、伏せた丼。
しかし、その姿を滑稽だと笑う者はいない。むしろ、恐怖の対象ですらある。
かつて、世界を制した古代帝国の戦闘機。
地表すれすれを飛び、搭乗者達が長い槍を振るえば、何百騎もの騎馬に相当する戦力となり、弓や鉄砲すら届かない上空を飛べば、爆撃による一方的な殺戮も可能。編隊を組むことで大量輸送も可能とし、地表という狭い範囲での戦闘域に対し、高度を駆使することで自分たちだけの無限の戦闘域を実現する。
上下前後左右、空間を自在に飛び回り、雌伏する地上の全ての者を睥睨した。
その記憶は失われ、記録だけがその恐怖を伝えるが、確実にその力は存在する。
その飛翔体のキャビン部に、少年たちはいた。
壮年の師は、少年と少女に鍛錬を強いる。
ゆっくりと学ばせてやりたい。しかし、時間に限りはある。もし、ガガロの言う通り、巨悪が聖剣をフル活用して倒さねばいけない相手の場合は、形振り構っている時間はない。今すぐにでも聖剣による全ての戦術を伝授しなければいけなかった。しかし、次の希望の者達は、まだ幼い。聖剣の勇者としてもそうだが、人間として成長していかねばならない。その葛藤の狭間で、師は効率よく、しかし丁寧に少年と少女に技を伝えるにはどうすればよいのか、試行錯誤していた。
力は反復鍛錬。それでしか高めることはできない。多少の差はあれ、地道な鍛錬が結果となる。
しかし、技は違う。無論反復は大事だが、技を伝える者の技術が大きくものを言う。
だからこそ、師に恵まれる人間は習熟も飛びぬけて早い。
レベセスは、何人もの師を持ち、何人もの弟子を持つ。だからこそ、伝え方にこだわりを持つ。速度のみを追求した伝え方も弟子に応じた伝え方も知る。
習熟の速さと深さはまた別の話。今、レベセスは、習熟の深さに速さを加えた技の伝承を、高速移動中の古代兵器のまさにその上で行おうとしていた。
レベセスの指導の下、少年と少女は暗闇の中、互いに剣を打ち合っていた。
少年の持つ剣は、聖剣『勇者の剣』。そして、少女の持つ剣も、聖剣『勇者の剣』。
少年にとって、初めて手にした剣が勇者の剣だった。様々な激闘を潜り抜け、自分の手足のように使えることを望み、そして、それが実現されつつある。今回、その高みを目指して鍛錬に臨む。
少女にとっては、生まれて初めて未知の領域へと自分を導いた剣。剣術の鍛錬は、父であるレベセスに教わり、幼少期に出入りをしていた衛兵の詰め所で、剣の代わりに木の棒を振った。だが、聖剣を手にした際の、体の奥から力が溢れてくる感覚は生まれて初めてのもの。レーテの見据える高みを知る上で、非常に印象深い経験となった。
ファルガにとっても、レーテにとっても、今までの人生の中で最も印象深い剣こそが『勇者の剣』だった。
そして、二人の氣が互いの氣を認識し、それを自身に知覚させた脳内の瞑想戦闘領域に、ファルガはレーテを、レーテはファルガを視認したような感覚に陥る。その漆黒の闇の中、あるはずのない二振りの剣が、双方の手に握られていた。互いに印象深い剣が、二人にとって同じものだったといえるだろう。
ファルガは、聖剣を握る手に意識を集中させ、丹田から力が流れ込むようにイメージする。肩幅程に両足を開き、半身になった少年の身体中を小さな稲妻が迸り、やがて光の膜となる。その光の膜からは徐々に湯気が立ち上り始めた。
レーテは、ファルガに正対する。少女は振りかぶった状態で、氣のコントロールから解放までをファルガよりも速いタイミングで行なって見せた。
何の挫折もなく、苦しみもなく聖剣の第二段階を操るレーテを目の当たりにし、ファルガは驚嘆半分、嫉妬半分の思いでレーテを見やる。
才能がある奴っていうのは、こうやって何の苦労もしないで高みに到達するのだろうな。
ファルガの口角が上がる。流石に歯を見せて笑えるような余裕などない。
「行くぞっ!」
ファルガは、髪を靡かせながら半身のまま跳躍、レーテに斬りかかった。
ファルガの右の切り下げを一歩後方に下がって躱したレーテは、切っ先をファルガに向け、突進する。その突進を、剣を振り下ろした勢いを回転に繋げたまま、右ひざを柔らかく曲げ、左足の足払いで牽制するファルガ。
レーテはその足払いを低い跳躍で躱すと、突進から突きを繰り出す。ファルガは足払いの回転を更に上半身に伝え、レーテの突きを上に払うと、上半身のガードが開いたボディめがけて柄の一撃を見舞おうとした。
だが、そこでレーテは脅威の身体能力を見せた。上半身のガードを上に弾き飛ばされたレーテは、そのまま跳ね上げられた勢いを利用し、利き足である右足でファルガの顎を狙ったのだ。
顎への一撃は、ファルガの柄の攻撃の動きを防御へと変更させた。ちょうど、レーテの膝の一撃をファルガの柄の一撃が抑え込んだようにも見えたが、角度を変えてみると、更にそのレーテの膝の一撃が軌道を変え、ファルガの柄の一撃を踏み台にして後方宙返りを行ない、お互い距離を取る形になった。
距離を取った二人の剣士は、改めて構え直した。
だが、勝敗は次の一瞬に決した。
ファルガの顔の真正面に突然レーテの顔が現れたのだ。レーテの額はファルガの額を激しく打ち、ファルガは大きく仰け反った。
「な……、何っ!?」
一瞬何が起きたのかわからなかったファルガ。改めて距離を取ったが、距離を取っても何が起きたかわからなかった。というより、今この瞬間起きている事そのものが理解できなかった。
ファルガの知覚できぬ速度で、レーテが突進を仕掛けて、頭突きを仕掛けてきたのだろうか。だが、氣の動きは感じられない。術を使った形跡もない。
ファルガの勘違いか?
いや。
なんと、突然レーテの首が伸び、ファルガとの距離を一気に詰めると、ファルガに頭突きを仕掛けてきていたのだ。
「ぶはっ!」
ファルガは爆発的に息を吐き出し、そのまま飛天龍のキャビンの上にひっくり返った。
その隣りには、やはり先程までのファルガと同様に胡坐を掻き、瞑想をしていたレーテがいる。
「今回は私の勝ちね!」
満面の笑みを浮かべながら、ゆっくりと双眸を開く。
二人は全く動いていないにも拘らず、額に汗の玉をいくつも作り、全身で息をしていた。
「そんなおかしな戦い方があるかよ! 幾らイメージの戦闘とはいえ、突然首を伸ばすなんて……」
ファルガの批判も尤もだった。
通常の戦闘で、突然首が伸びて相手を攻撃する人間などいる筈も無い。
ファルガとレーテが行なっていたのは、同じくキャビンに鎮座するレベセスによって指示されたイメージトレーニングだった。
イメージトレーニングといっても、体を動かさないだけで、実際には、実戦同様氣のコントロールを行ない、体を動かすイメージを描く。相手の氣も感じているので、相手の動きもイメージでき、そのイメージ同士を共有、感じ合う事で疑似的に戦闘を行なうというトレーニングだった。逆に、目に見えぬ敵の姿格好、動きを脳内で可視化し、それと対する為のトレーニングでもある。そして、その氣の瞑想戦闘空間は、レベセスによってイメージされ、彼の氣で包み込まれた物だった。彼も二人の感覚を共有している。ちょうど、二人の戦闘を傍観している感覚だ。
「あら、そういう敵もいるかもしれないでしょ?」
「普通の人間じゃそんな攻撃してくる奴いないよ!」
「でも、今のは私の勝ちよね?」
「あんなの反則だよ!」
今の模擬戦の判定を仰ごうとして、二人は言葉を失った。
なんと、当の審判であるレベセス=アーグは痙攣して倒れ込み、腹を抱えて苦しそうに笑い転げていた……。
「さっきの戦闘の、レーテの攻撃が反則か否かは評価の分かれるところだな」
レベセスはまだ笑い収まらぬと言った様子で、目尻に涙を溜めながら言葉を紡いだ。言葉の端々で息の抜ける所がある所を見ると、何かの拍子で、感情の堤防が決壊すると、再度笑い転げかねない。一度刺激された笑いのツボは、沈静しかけても容易に再発するようだ。
「これが、剣術大会ならレーテの攻撃は反則だ。投げナイフも禁止だからな。だが、今回の鍛錬の場合、どうだろうか。
あくまで聖勇者候補同士の対戦という事になると、当然術などを使った攻撃もありうる。となれば、間合はそれに応じた物になると考えるべきだな」
「それはそうだと思います。俺も、ガガロの手下が火の玉を飛ばしてきたのは見ています。ああいう攻撃の仕方もあるんだろうな、とは思っていました。
でも、まさかレーテが首を伸ばして……」
レベセスは深呼吸しながら言葉を続ける。
「レーテの術攻撃も選択肢に入れていたファルガ君の対応は決して間違っていない。レーテの剣の攻撃にも対応できていたし、そういう意味ではいい勝負だったと思う。
今回、レーテが取った方策が、氣をお互いに探り合う模擬戦闘に特化した作戦だったという事で、ファルガ君も対応できなかったという意味では、致し方ない事だと思うし、逆にいうと、この条件での互いの特性を良く掴み、所謂ゲームとしてのルールを最大限利用したレーテは、この条件での模擬戦という意味では最高の選択肢を選んで実行に移したわけだ」
「氣の探り合いを使った模擬戦闘に特化した作戦か……」
そこまで言ったところで、先程のシーンを思い出すファルガ。
あの時、ファルガは距離感を考え、剣の刃ではなく、柄を使って打とうとした。
後方宙返りで距離を取るレーテ。大きく跳躍したレーテは、ファルガから大分離れた場所に着地する。ファルガは、そこで一度剣を持ち直し、次の攻撃に移るための準備をした。その間、レーテの位置が変わっていないのは確認していた。氣を発するポイントも先程レーテが着地した所から動いていない。術を使う為の氣のコントロールによるマナの収束もない。レーテも攻撃をするための準備に入ったに違いない。次の氣の動きを捉え、それに対する攻撃をどうするか、考えよう。そう思っていた。
ところが、レーテは突然首を伸ばして来て、激しい頭突きを繰り出してきた。氣の発生源である下腹部の丹田の位置は変わっていない。それ故、ファルガが瞬時にレーテのろくろ首のように首を伸ばして頭突き攻撃をしてくることは、完全に想定外だった。
氣の瞑想戦闘空間では、実際の物理的攻撃速度はほぼ度外視される。イメージを氣のコントロールに繋げるだけ。もし、光速がイメージできるなら、その動きは限りなく速くなり、宇宙の破壊がイメージできれば、その威力を武器に乗せる事も出来る。その一方で、その途轍もない破壊力を、イメージであると強い意志で抑え込めば、宇宙を破壊する威力さえ、肩腕一本で抑え込むことも、理屈では可能なのだ。
普通の人間では当然それは不可能だから、トレーニングになるわけだが、もし、それらの様々なイメージが出来るならば、氣の瞑想戦闘空間の中では何でもありになる。
その特性に気付いたレーテの何と強い精神力か。
恐るべき攻撃。あらゆる想定を超えた攻撃。
……の筈なのだが、レーテの首が突然伸びて、頭だけファルガに近づき、攻撃してくる様が、妙にシュールに思い描かれ、不思議と笑いが込み上げてきた。
勇者の剣を持った腕を伸ばしてもよかった。空間の裂け目から、聖剣の刃を突き出してもよかった。周囲を、氣のとげで囲い、攻撃を仕掛けてもよかった。
だが、何故かレーテはそれらの選択ではない、『この』選択をした。
「……しかし、何でよりによって首を伸ばすかな……」
その笑いがファルガの口から零れた瞬間、レベセスにも笑いのスイッチが入ってしまったらしい。
ファルガに一瞬遅れて、レベセスも再び大笑いが始まった。
二人が腹を抱えてのたうつ様に笑い狂う様を見て、むすっとするレーテ。
確かにファルガの隙をついた素晴らしい攻撃だ。
レベセスが珍しく絶賛した。
だが、それ以上に珍妙な攻撃だ。
瞑想内の模擬戦闘のトレーニングでは、致命的な一撃を与えた方が勝ちというルール。レーテの頭突きは完全にクリーンヒットしているという意味では、完全にファルガに致命傷を与えている。現に、ファルガの瞑想は強制終了させられているからだ。
だが。
それでも。
瞑想模擬戦闘の勝利と引き換えに、レーテは何か大事な物を失った気がして、妙に腹が立ったのだった。
操縦桿を握るヒータックは、背後で起こる笑いを完全に無視し、欠伸をしながら耳の後ろを人差指で軽く引っ掻いた。
ほんの少しだけ、更新速度が上がりそうです。少し描くのが早くなってきた気がする。
 




