姿を見せた脅威
「陛下。
予定通り、第二次古代帝国遺跡探索事業の第三クールが終了致しました。
今回の調査では、いくつかの古代帝国の遺品が出土しております。後程書面にて報告書を提出致しますが、特筆すべきは、伝承の域を出なかった物が幾つか出土した点にございます」
和室と洋室の中間の風情のある、四畳半程度の執務室にて書類に目を通しながら耳だけを傾けていた老王ビリンノ=カタラットは、手元の書類から視線を上げ、宰相ゴウ=ツクリーバを見つめた。王が明かりとしていた机の元にある燭台と、部屋全体を照らす大型の行灯の明かりでは、王の表情を窺い知る事はできない。
「……怪我人は出なかったのですか」
余り言葉を紡がぬ王が、ゴウの報告に対して言葉を発する。
その反応を、報告に対しての好感触と受け取ったゴウは、言葉を続ける。
「先ほど、現場責任者より拝謁の申し出がございました。直接お目に掛けたい物とのことで、私も事前に見ておりますが、陛下もお気に召す物かと存じます。整い次第、再度伺います」
ゴウはそこまで一息に述べ切ると、老王ビリンノ=カタラットの返事を待たずに、その巨躯を翻し、執務室より退室する。
カタラット国の王城は、攻め込むことも攻め込まれることも想定されていない、巨大な平屋の屋敷だった。
入り江にほぼ沿う形で建築された平城。
海からの攻撃に何か備えているかといえば、海側には窓が少ない程度。そもそも、侵攻を受ければ、城に直接ダメージを与えずとも、周囲を取り囲めば落城を促すのは容易。それ以上に、この国自体が軍事的な意義を何も持たないため、侵略を想定した造りにすることそのものが無意味な印象。
攻めた者が、自動的に国際的に責められるシステムを構築したコジンマ=カタラットの国際関係構築の手腕は、今以てなお外交の担当者にとって神技とされ、外交の最終形態の一つとして、教科書として用いられる文献には必ず載り続けている。そして、それを体現した建造物として、カタラット国の王城は歴史に刻まれている。
柱も壁も、屋根さえ木材を組むことで建てられたその屋敷は、趣のある老舗の温泉旅館の本館であると言われても誰も疑わないだろう。
ディカイドウ大河川で採れた細かい礫。それを、やはりディカイドウ大河川の沿岸に生え揃う葦の繊維と共に練り込み、そこに大樹海で採取される『化石木』と呼ばれる樹木の樹液を混ぜ込むことでセメントのようなものが出来上がる。
化石木は、見た目は普通の柑橘類と変わらないのだが、その幹を薄く傷つけたときに流れ出す樹液を混ぜると、何故か強度の他に軟性が加わる。施工部を指で押すと少し凹むが、すぐに元の形に戻る。そして、引きちぎろうとすると、ある一定までは伸びるがそれ以上引っ張る事も千切る事もできなくなる。この軟性のおかげで建物が何十年もの間、風化せずに形を留め続けている。樹液にカルシウム成分が多く含まれるとされるが、それが原因ともいわれている。
所謂『化石木セメント』を、木材を組み上げて作った建造物の壁に、何重にも塗り込むことで、雨風にも強く長持ちする建造物となる。
無国家時代終盤に建造された王城は、数十年に一回、左官職人が壁にその資材を塗り込むことで、常に補強されていく。
立ち並ぶ街並みも、同じ原材料で作られた住居で構成され、王城が他の建造物に比べ取り立てて豪奢であるという印象もない。唯一、屋根の両端に鳥が舞い上がる姿を象った像が設置されている。その像だけは、カタラット内の他のどの住居にも見る事はできない。
その鳥が、大鷲などの猛禽なのか、はたまた鳳凰のような空想の神獣なのか、それすらわかっていない。ただ、何か超常の力を感じる造形ではある。
だが、城と銘打つにはあまりに地味だ。
そんな平城の謁見の間。
ラン=サイディール国の薔薇城と比較するならば、ワーヘ城の謁見の間は、薔薇城の王の寝室程度の広さしかない。それがいかにワーヘ城が小さな城であるか、雄弁に物語っている。
その謁見の間で、宰相ゴウ=ツクリーバの野太い声が響く。
「遺跡調査部長ラシベル=ココ。前へ。献上品の解説を!」
ラシベルと呼ばれた、初老の男性は立膝のまま頭を垂れていたが、一度更に頭を下げると、ゆっくりと立ち上がり、彼の横に置いてあった献上台を両手で持ち、一歩前に出た。
数メートル前には、王ビリンノ=カタラットがいる。
ラシベルは、ビリンノが古代帝国の遺跡に対して、ゴウとは違う価値観を持っていることに気づいていた。
宰相ゴウ=ツクリーバは、発掘されたものの対外的な影響力についてひどく注目し、更にその軍事的威力こそが全てであるという揺ぎ無い単一の価値観を見出していた。
対するビリンノは、出土したものの意義とかつての用途、そして、そこから類推される古代帝国の生活や文明レベル、人々の考え方や思想に対して造詣を深める事に価値を見出していた。ビリンノは、奇跡の国カタラット国の王であると同時に、世界的な古代帝国の研究者の一人でもあったのだ。
献上台の上にはいくつかの指輪と、人の背丈の半分程の何かの結晶が鎮座する。ひどく細長い結晶は、水晶のようにも見えたが、よりきめ細やかに、見た目を重視するようには見えぬ研磨をされていた。天然の水晶とは違う、表面上の研磨のほか、どのような技術を用いたのか皆目見当もつかないが、結晶内にも人為的に刻まれた文字とも模様ともつかぬ何かがあった。
「これは……」
ビリンノは言葉を切る。
彼には、眼前に出されたものが一体何なのか、すぐに分かったようだ。
「どちらも伝説にすぎんと思っていたが……。いや、実在していたのだろうが、すでに失われた技術だと思っていたが……」
ラシベルは、ビリンノの瞳に宿る光が一瞬憂いの色を帯びたのを見逃さなかった。
上司ゴウは、これらの出土を喜んでくれた。しかし、ビリンノは困惑している。
これこそが、遺跡の出土品に対するスタンスの違いだ。
「陛下、いかがでしょうか。
これから出土品についての調査を行いますが、これは伝説にある『大陸砲』ではありますまいか! そして、この指輪群。これは、古代帝国軍の兵士が身に着けていたとされる指輪。聖剣をモチーフにして作られ、身体能力を向上させる機能があるといわれるものでは……」
ゴウは興奮を抑えきれずに、呻くように報告する。
だが、ゴウの興奮とは対照的に、国王ビリンノの表情はますます険しくなっていく。
「……この出土品について、他に知る者はいますか?」
ビリンノの表情を見て、深刻な事態に陥っているのだと察したラシベルは、正直に話す。
彼が知る限りでは、遺跡内にあった兵器庫と思われるところに、何本もの大陸砲が存在した。だが、これら大陸砲群はほぼ破損しており、現在献上台に存在する大陸砲だけが完全な形でラシベルの前に持ってこられたのだと。
この人造結晶体は、かつて古代帝国がはるか上空から世界を睥睨し、謀反の兆しあれば巨大なエネルギーをこの結晶体先端部より叩きつけ、粛清したといわれる。
今回の発掘従事者の中には、古代帝国の殺戮兵器『大陸砲』であるとの認識で、この結晶体を発掘した人間はいないだろう。ただ、非常に価値のある者であろうということは想像した者もいただろうが。
「何人かの人手を介して地上に運び出されておりますが、これが大陸砲であるという認識を持っているものは恐らくいないと思います。どちらかというと、発掘した人間たちは、指輪のほうに興味を持っているようでした。
『兵士の指輪』のほうが、古代帝国の伝説を知るにあたって、容易に知りえる情報でしたので、古代帝国の兵士たちが用いたという、身体能力を高める指輪に興味が集中していたと思われます」
「ふむ……『兵士の指輪』についても、あまり漏洩されたくはない情報ではあるが、今回は、その指輪が複数発見されたことにより、大陸砲の発見が目立たないものとなっているのは不幸中の幸いか……」
ビリンノは少し考えるようなしぐさを見せたが、ややあって宰相ゴウ=ツクリーバに指示を出す。
「ゴウよ、この大陸砲は破壊し、破棄してください。
大陸砲そのものはラシベル隊長の話では、いくつか発見されているそうです。大陸砲の調査そのものはそちらでもできます。その大陸砲が作動するかどうかはわかりませんが、自国民を含む第三者に、大陸砲が原型を残して発掘されたことを知られてはなりません。知られる前に、破壊し破棄しなければいけません」
驚いたのはゴウだ。
国王ビリンノ=カタラットは、原形を留めた古代帝国の超兵器『大陸砲』が出土したことで、諸手を上げて喜ぶと思っていた。
大陸砲が実際に動作するとなれば、カタラット国はとてつもない軍事力を手に入れたことになる。
現在のカタラット国も、その気になれば世界最強と呼ばれたラン=サイディール国の軍隊に匹敵する規模の軍事力を、傭兵で賄うことができるだけの財力はある。正規軍は衛兵が少々存在するだけではあるのが現状だが、ビリンノがその気になれば、世界最強の軍隊を即座に準備することが可能なのだ。
だが、ビリンノは今までそれをしてこなかった。
何か理由はあるのだろうが、ゴウにはそれを理解することができない。
傭兵など、金で雇われた兵士だ。金を積まれれば容易に反旗を翻す。忠誠心は彼等にとって最も縁遠い存在。金こそが全て。
そう思っていた。
ゴウは、ビリンノには……カタラット国には、観光で得たその莫大な財産を使い、ラン=サイディールと互角以上の軍隊を揃え、世界を睥睨してほしかった。傭兵部隊ではなく、カタラットに忠誠を尽くす、圧倒的な力を持つ軍隊を揃えて。
だが、この大陸砲の出土により、そのバランスも大いに狂う。
軍隊を揃えた国家が強い、という構図が崩れ去り、大陸砲を自在に操れたものが最強となるのだ。
大陸砲を取り扱えるのが王一人だということになれば、それだけでカタラット国は列強の仲間入りだ。それこそ、嘲りの代名詞としての『奇跡の国』などと呼ばれることは二度となくなるだろう。
圧倒的な軍事力を持って侵攻してきた敵がいたとしても、大陸砲の一撃で薙ぎ払えるに違いなかった。
大陸砲を持ったカタラット国は世界最強なのだ。
ゴウが生まれ育ったこの国が最強になる。それこそが、彼が宰相にまで上り詰め、ビリンノの隣に控える事の出来る地位を手に入れる事への原動力だった。
世界第一位になる力があるはずの国家で、何故頂点を目指さないのか。
自身が王になることはできないが、王に進言する立場になることはできる。その立場になれば、王も自分の言葉に耳を貸すだろう。世界を制すれば、全てが自分の国のものになる。すべての者が自分の国を崇めるだろう。
自分のためではない。祖国のため……。
だが、王ビリンノは、この期に及んでゴウの言葉に耳を貸さぬどころか、むしろ反駁すらする。
なぜだ。我が王は世界を掌中に収める気はないのか?
「な……、なぜですか、陛下! カタラットが打って出れば、どのような国家もひれ伏すでしょう。ついに、カタラット統一国家が誕生するのです。
それを何故……、その千載一遇のチャンスを、陛下は何故自ら進んで逸する選択をなさろうとするのですか……!」
激昂するゴウ。
だが、ゴウが荒ぶれば荒ぶるほど、猛れば猛るほど、対するビリンノの表情からは感情が消える。
「ゴウよ。
そなたは大陸砲を手に入れて、世界を制して、その後に何をするつもりですか? その後に何を求めるつもりですか?」
抑揚のない言葉で紡がれたビリンノの問いに、ゴウは固まり、言葉を失った。
世界制覇の後?
……制覇の後には何をする?
確かに、世界を制すれば、古代帝国のような巨大な国家が出来上がるだろう。
しかし、そのあとどうする?
世界中の金銀財宝が自分のものに。
いや、自分のものになったからと言って、その宝をどうする? 誰かが買うわけでもなければ、保有していたとしても、それだけだ。誰かに称賛してもらったとしても、それが目的ではない。
世界中の美しい物が自分のものに。
いや、自分のものになったからといって、それを愛でることも、保持することもするだろうことは、変わらない。所有権がなくとも、その維持には手を貸すだろう。
世界中の人間が傅くだろう。
それは勿論傅くだろう。だが、それだけだ。世界中の人間が傅くのは、今も変わらない。カタラット国の宰相というだけで、世界中のほとんどの人間は、この城に来れば傅く。
では、世界制覇に何を望む?
そこまで考えて、ゴウは考えることをやめた。
カタラットを一位の国家にする。それこそが宰相になった理由なのだ。一位にしてどうする、ではなく、一位にすることが目的なのだ。
二位では駄目なのだ。
そして、国家が最強であることの何がいけない。
それを拒絶する王は、少なくとも、カタラット国にとっては不要だ。
ゴウの中に、僅かな闇が生まれた瞬間だった。
王ビリンノは、そんなゴウの心中を知ってか知らずか、言葉を続ける。
「……もし、大陸砲が我が国一国だけが所有してごらんなさい。他国は恐れるか反発するかのどちらかです。
人々の心の安寧とは、攻める必要も攻められる事もない、心のストレスのない状態です。大陸砲や兵士の指輪は、戦争以外の用途があれば、それはよいことです。
その技術を世界の他の国家と共有することで、お互いの国家の文化水準が上がる事でしょう。
兵士の指輪は、身体能力を高めるという意味では、さまざまな使い道があるでしょう。農業でも生産量は向上するでしょう。工業でも生産量だけではなく、更に良いものが出来上がるかもしれません。
ですが、大陸砲については、軍事目的以外の使い道がない。もちろん、古代帝国は大陸砲が扱う強大なエネルギーを他の技術にも転用していたのでしょうが、我々にその技術はない。そんな兵器が一国のみの所有となれば、世界のバランスは崩れます。人々から安寧は奪われるでしょう。
その状態をわざわざカタラットで作り出すことはありません」
ビリンノの主張はいちいちもっともだった。
反論の余地はない。
だが、その安定は、少なくともゴウが求める、カタラットが世界一位となるという目的とは絶対的に相反していた。
ビリンノの言う、世界の平等も覇権の確立と同じように、限りなく困難なのだろう。だが、ビリンノはそれを目指したいのだろう。そして、彼が得た結論が、『一国が突出しすぎる力を持つことは、世界のバランスを崩し、崩壊させる』ということなのだろう。
それ故の、大陸砲の破棄命令。
納得はできないが、理解はできた。
だが、やはり自分の目指すものとは相反する。
ゴウの胸中に生じた漆黒の闇が、一瞬黒く輝く。
輝くというより、周囲の光を吸い込み、その闇を大きくしたのか。
「……王よ、その御心のままに。
ただ、一つだけ私の我儘を聞いていただけますでしょうか。
戦艦カタリティの引退式で、大陸砲の搭載を許可して戴きたいのです」
カタラット国の平和と安寧を愛する王の表情が一瞬変わった。
間違いなく研究者の表情が垣間見えた。
彼もまた、伝説の大陸砲の出力には興味がないわけではないのだ……。
ビリンノは引退式典の開催の期間だけの搭載を許可した。
そして、その判断は、この国に大いなる災いを引き起こす。




