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界遊記  作者: かえで
ドレーノ擾乱
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ドレーノ擾乱 その後

 遠く闇の中に、ドレーノ国の首都ロニーコの生活の明かりが灯る。

 ドレーノ国の根本を覆しかねない事件が立て続いた直後でさえ、人々は生の歩みをすすめなければならない。人々が生きていくことを諦める権利は、人々自身ですら認められていない。

 当たり前のことだ。

 ドレーノ国で誰が生まれ落ちようが、誰が朽ち果てようが、仮に国が滅んだとしても、人々の生活は続いていく。迎える者と迎えられる者。送る者と送られる者。それぞれが互いを慮って、人々の営みを続けていく。

 今、少年と少女の眼下に広がる光景は、少なくとも滅びの光ではない。人々の生の証だ。少年と少女の知る、あの時あの場所の忌まわしき輝きとは違う。

 ……違うと思いたかった。


(俺は、今回は護ることが出来たんだろうか……)

 誰に向けられるでもなく、口から漏れそうになった言葉を、少年は飲み込む。口にすることすらも許されない気がしたからだ。

 護る? 誰が? 誰を?

 レナを守れなかった自分が、誰かを守れるのか? 誰か護ってくれとファルガに頼んだのか? それ以前に、自分は人を護れるほど力があるのか?

 彼の中で続く自問自答。

 仮に誰かを守れたとしても、レナを守れなかったことの罪滅ぼしには決してならない。レナは相変わらず、闇の中、誰からの助けも得られずにもがき苦しんでいるはずなのだ。

 レナをそうさせたジョーが許せなくて。

 そのジョーを止めることができなかった自分が許せなくて。

 ファルガは村を飛び出した。ドロッとした黒く禍々しい憎悪を傍らに。

 その彼を、まるで責め立てるように矢継ぎ早に様々な事件が起きる。

 ラマでの出来事。

 ハタナハでの出来事。

 デイエンでの出来事。

 そして、ロニーコでの出来事。

 どれもこれもがファルガにとって短時間で一気に起こった出来事。

 その渦中に、常に彼はいた。

 彼はもがき苦しみつつ、必死になって戦った。彼が今この瞬間、護るべきだと思った者を護るために。

 今まで戦う術のなかった彼は、戦うために僅かな時間とはいえ剣を習った。

 確実ではないが、手にした聖剣の力は、ほんの少しだけ引き出せるようになった。

 だが、その結果は一体どうだろうか。

 一度として勝っていない。

 少なくとも、戦いの結果、敵を退けたことは一度もなかった。

 その戦いで、誰かを助けることができたことはなかった。

 戦局を変える事はなかった。

 ジョーは逃げ延び、ガガロは立ち去り、ツーシッヂは勝手に自滅した。

 その時、少年ファルガは少しでも何かが出来たのだろうか?

 『聖剣』という何かの象徴に魅入られた少年。

 彼に与える『力』が、何なのかは、未だわからない。何のために存在するのかもわからない。

 抽象的な『正義』とやらの象徴なのか。それとも、人としての『欲望』の象徴なのか。それとも、また別の何かの象徴なのか。それは、彼に何をさせようとしているのか。

 その象徴にここ数十日の間踊らされ続けている。しかし、その正体は結局明確にならない。

 正義のヒーローになりたかったわけでもなければ、最強の戦士になりたかったわけでもない、ただの少年。そんな少年が突然力を手に入れた。しかし、その力だけでは何も成すことはできなかった。

 目標の為でも夢の為でもない。ましてや、誰の為でもない。ただ抗わなければ、生き残ることができなかった。

 彼は必死にもがき苦しんだ。その足掻きが、どう実を結んだのかわからないが、多くの犠牲を払い、生き延びた。

 彼の元に残ったのは、一つの命と何も達成していないだろうという失望感。達成の条件すらわからず、何となくうまくいかなかったという濁った気持ち。

 何者かに押された未達成の烙印。

 もし、自分が聖剣を手にしたという事実に意味があるというなら。

 もし、その力を自分が何かのために使わねばならないというなら。

 それは何なのか。

 半端に与えられた力。その力を自分はどうすればいいのか。どうすればよかったのか。


 そして、少女レーテは今、ファルガよりも無力だ。

 何もできない。

 自分の命すら自分の力で守れない。

 だが、それでも生き残った。

 それは幸運であるとともに、これ以上ないほどに彼女に自身の無力さを突き付けた。

 小等学校での成績がどうだとか、クラスの人気者であったとか、そんな事は今の少女にとって何の意味もない。

 生き残った。少女の能力や努力など関係なく、たまたま生き残った。

 (私は、……何もできない……)

 少女は、力を欲した。技を欲した。少なくとも、父レベセスの、仲間であるファルガの足手纏いにならないようにするために。

 少年と少女は、何度も失敗し、後悔し、辛酸を舐めることで、少しずつゆっくりと成長していく。


 眼下の大陸は、南国特有の原色の多い花の咲き乱れる砂浜を境界として、漆黒の海へと変わっていく。大気中に漂う、むせ返るような甘ったるい匂いは、大陸を覆うジャングル内に無数に存在する、熟した果実たちの香りなのだろうか。

 突き上げる様に吹く南国特有の湿り気のある風は、少年と少女の髪を無造作に何度も何度もかき上げる。

 彼等は、ロニーコの町明かりが完全に闇に紛れて消えるまで、目を逸らせずにいた。飛天龍の手摺を掴んだまま、一言の言葉を発することもできず。

 少年の、涙を流さずに泣いているような表情を見て、レベセスは彼の思いを察したようだった。

 数年間会っていなかった自分の娘も、少年ファルガと同じような表情を浮かべていることに気づいたレベセスは、少女も例外なく成長しているのだということを知る。

 人は、自分の可能性を信じるからこそ憂う。

 ……もっとできるのではないか。

 ……もっとできたのではないか。

 とんだ自信家だと嗤う者がいるかもしれない。

 だが。

 可能性を諦めた者は憂う事すらしないだろう。ただそこで与えられた物を受け取るのみ。与えられたものにケチをつけ、不満を垂れ流すのみ。与えられたものを如何にして有効に活用しようか、と考える事すらしないだろう。

 少年も少女も、まだ可能性を追い求めている。

 ならば、自分はその道しるべにならなければならない。


「余り深く思い悩む必要はない。

 君らは、ドレーノ国総督の救出には成功した。そして、その事実は、それ以上でもそれ以下でもない。

 君たちは、そのためにこの地を訪れたのだからな。

 この地に住まう住民すべてを幸せにすることは、少なくとも君たちの仕事ではない。

 彼らは、彼らが自分で幸せになる権利と義務がある。それをしないことは、人として大罪をなしているということだ。

 そして、人は、自分を気にかけてくれている人間に対し、自分が幸せであることを証明しなければならない。

 為政者という存在は、その手伝いができる立場にたまたまいるだけに過ぎない。人を踏み台にする資格を持つ存在などありはしない。それがあるというならそれは詭弁だ。

 君らは目的を達したのだ」

 レベセスは、慰めるでも叱責するでもなく、甲板にいる少年たちに言葉を掛けた。

 結果はどうあれ、目的だけは達した。

 その言葉は、少年と少女のささくれだった気持ちをほんの少しだけ癒したのだった。




 史上初の弾劾裁判が行われて後、数日間は無政府状態となった。

 指導者、あるいは為政者が不在の状態であったが、それは新しい勢力が生まれるまでの沈黙の状態だった。

 その数日の間、ドレーノ国首都ロニーコでは犯罪が頻発したという記録はない。

 その理由は幾つか挙げられる。

 弾劾裁判の後始末、巨人が暴れた際の後始末、そして、残念ながら弾劾裁判とその一連の出来事で死を迎えてしまった人々の埋葬。

 街の破壊規模は、人々が生活を営めないほどではなかった。だが、彼らの生活の根底が変わってしまい、人々の欲望の噴出が起きる前に、無政府状態が終了したからだろうか。

 良くも悪くも、山積みの課題が、今までの身分やそれに伴うわだかまりを越えて、人々を結束、協力させたのだろう。

 数日後、ドレーノン代表としてニセモが立った。

 だが、その決定は選挙という公式の選抜結果ではなかった。選挙を公示し、その方法を喧伝もしたのだが、ドレーノンは誰も選挙に訪れなかった。

 選挙という手法の効果を、ドレーノンたちが知らなかったのもあるかもしれない。あるいは、その考え方を理解できなかったのか。それとも、理解するつもりがなかったのか。

 ドレーノンの代表としてニセモが立つことを認可する意思表示すら出なかったため、サイディーランが、サイディーランとしての特権を最後に行使することになった。

 その特権行使は三点において行われた。


 サイディーラン代表をハギーマ、総督派の代表をカンジュイーム、ドレーノン代表をニセモと決め、それぞれの代表が決めた内容により、当面ドレーノを治世していくこと。

 三代表が決めた内容に対し、異議のある者や案のある者は所定の方法で申し出、決して武力などの非人道的な方法で申し出ないこと。もし、非人道的な方法を用いての主張が行われた場合は、その方法は仮に妙案であったとしても、その案を出した人間には発言権を与えないこと。

 そして、この宣言を最後にサイディーランという階級、ドレーノンという階級は廃止し、平等となったロニーコの住民たちは、ドレーノの為に切磋琢磨すること。


 玉虫色の宣言ではある。

 実際にうまくいくかどうかは、この当時誰にもわからなかった。人々の心の奥底にある性根は、数日、あるいは数ヶ月では変わらないだろう。

 支配する事、命じる事に慣れた人間が、命じるなという事を言われても、どこかで癖で行なってしまうだろう。命令を聞くな、無条件に支配されるなという事を指示されたとしても、され慣れた者は、無意識に聞いてしまうだろう。

 だが、それを罰していては、根本は変わらない。長い年月をかけて、人々の性根を変えていくしかないのだ。

 その為に、ハギーマとカンジュイーム、そしてニセモは宣言する必要があった。

 時間をかけて、凝り固まった人々の心を解し柔軟に思考できるようにし、三人だけではなく、考えのある者、意見のある者、知識のある者、経験のある者を募り、国家という形を作っていく。

 それこそが、三人の共通見解だった。

 そして、ラン=サイディール国から赴任した最後の総督の元で学んだ少女ゼリュイアが、三巨頭の上に新しく設けられた監査役職『天突』の席に座ることになるが、その名は最後まで世に出ることはなかった。

 『三巨頭宣言』から十数年後のある夏の暑い日だったと言われている。


 大人の女性となったゼリュイアは、レベセスの意志を継ぎ、昇竜二法を更に充実させ、盗みなどの狼藉を働いた者を労役の刑に処した。だが、決してその命を奪うことなく、既定の年数従事した者は解放され、模範囚については、規定年数の軽減を行なった。

 また、レベセスが行おうとしていた治水についても着手する。

 定期的に降り注ぐスコールを利用し、水と陽光で固まる材料を開発、街の中心部から町の外に流れ出る大水路を作った。

 日々の洪水は相変わらず続いたが、大水路を大量の水が流れるため、洪水により大地が水に覆われる時間が徐々に短くなっていく。一日の内半分を治水工事、半分を洪水の後片付けという作業に追われる日々だったが、人々は手分けをして、農作物を育てる作業と治水工事とを行なえる時間ができるようになった。

 試行錯誤の末、ロニーコには縦横無尽に伸びる水路が出来上がった。その人造水系は、元総督府……今は首都府と呼ばれる役所の脇に作られた巨大な貯水池に流れ込み、そこから大水路を通じて海へと排水されるシステムであり、ロニーコ式排水システムと呼ばれた。

 ロニーコの街中の砂を全て固め、町全体に僅かに斜度をつけ、スコールの水を貯水池に流れ込むようにしたためだ。その結果、ロニーコは巨大な漏斗状の都市になった。

 奇しくも、そのアイデアは愚かさの象徴であったとされるサイディーランのプールがヒントになったというから、何がきっかけで状況が変わるかはわからない。しかも、その進言は元サイディーランからなされたというから興味深い。

 治水を行う事で、ロニーコの周囲に植物を植える事が出来るようになった。それにより、元々ジャングルや畑からは少し離れた位置に存在していたロニーコと、ジャングルがグリーンベルトで繋がる事になる。

 相変わらずスコールが時を知らせる気候は変わらないが、各家庭の食卓に上る食材が徐々に変化を見せ始める。茎物とドライフルーツ、ドライ野菜が多かった各家庭のサラダに葉物が入るようになった。酒場では蒸留酒から、果実酒が増え始める。同時に高価であったソフトドリンクが、安価で手に入るようになった。

 熱中症と並んでロニーコの死因の上位であった熱帯性の原虫感染症が減り始めた。治水の結果、一日で孵るとされる蚊の減少により、病原菌の媒介が成されなくなった為だ。


 同じ系譜を持つ国家でありながら、ラン=サイディール国首都デイエンと対照的な歩みを見せるドレーノ国首都ロニーコ。

 少年ファルガ=ノンと少女レーテ=アーグが、この後ロニーコを訪れた正式な記録はない。元総督レベセス=アーグについても同様の記録はないのだが、彼だけは何度かロニーコを訪れたという説もある。

 非公式ながら、レベセスは緑に覆われたロニーコを目の当たりにして、驚嘆したという。そして、その時に彼を出迎えた『天突』は、その当時の観光客に向けて国民全員が発する『ようこそ』という言葉ではレベセスを迎えなかったという。

 彼女は、こう言ったとされる。


「おかえりなさい」

ドレーノ擾乱編、終了です。

加筆修正は適宜していきますが、とりあえずちょっと休憩。

と言っても、すぐ次書かないと間に合わないんですけども。

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