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界遊記  作者: かえで
ドレーノ擾乱
77/252

解決した問題と、新たに発生した問題と

 最低限の荷物をまとめ、総督府を出たファルガ、レーテ、レベセスの三人は、食事処で軽く食事を済ませると、ロニーコの人目のつかぬ場所で一夜を明かし、日の出とともにジャングルへと移動を開始した。三人がヒータックの待つ飛天龍の元に辿り着いたのは、ドレーノの今後を左右する会談が、首都ロニーコで行われた翌日の夕方だった。

 飛天龍の金属ボディは、深緑で彩られたジャングルの中では非常に目立ったが、もうすぐ闇に落ちるジャングル内では、誰かに発見される恐れもないし、仮に発見されたところで、さしたる問題にはならないだろう。

 ヒータックは、丼を伏せたような形状の飛天龍のキャビン部分にテントを張り、その外で火を起こして食事の準備をしていた。

「遅かったな。もう少し早く来ると思っていたのだが」

 ヒータックは火にかけた鍋の中のスープの味見をしながら、飛天龍の麓から見上げる三人に声をかけた。

「借りていたガラビアを綺麗に洗濯して返してきた。あと、せっかく貰った装束も、もったいなかったから取りに戻っていた」

 ファルガの言葉に、鍋の味を見ていたヒータックは、初めて鍋から目を離し、眼下の三人に目をやる。

 それぞれが裁判の時に来ていた服装とは異なっていた。裁判当時は、皆ガラビアを身に纏っていた。だが、今は思い思いの服装をしている。

 ファルガが身に付けていたのは、ドレーノを訪れる前にヒータックの実妹サキに準備してもらった、SMGの戦闘服。ファルガに言わせると、今まで着た事のある服の中で一番しっくりくるらしい。

 到着直後のロニーコ大火災の中で、一般のロニーコ住人との戦闘に巻き込まれたファルガ。その時に戦闘服は大量の返り血を浴びた。

 ヒータックの導きの元、総督府の地下に設けられた総督派の隠れ家を訪れた際、民族衣装ガラビアを与えられた。ロニーコ内で目立たないようにガラビアに身を包む代わりに、装束を預けたのだが、総督派の壮年の女性が、いつの間にか白砂を用いて装束の血痕を落としてくれていたらしかった。どうも、この女性は大層面倒見がいいらしい。

 装束は、サキから与えられた時の漆黒に比べると色落ちこそしていたが、逆に程よい藍色になっており、SMGの戦闘服とは少し違うものに見える。それがまた、少しファルガの装束に対する好感度を上げたようだ。少年は壮年の女性に礼を言いたかったが、それが叶う事はなかった。

 レーテは、厚手の麻の服にパンツスタイルという、所謂冒険者の服装。ラン=サイディール国首都デイエンで薔薇城に潜入した時と同じ格好だ。これも、膝の部分に当て布を施されているなど、少女の知らぬ間に若干の補修が成されているのはありがたい限りだった。ただ、その当て布が見覚えのあるリンゴのアップリケだった事で、レーテも頬が緩んだ。

 到着してすぐの総督府の地下で、レーテは不安で泣いていた少女をあやした事がある。その時、幼女は涙を拭きながら、レーテに彼女の宝物だったアップリケを手渡した。幼女の好意と感謝の証だったそのアップリケを、レーテは大事に麻の服のポケットにしまっていたが、女性が修繕時にアップリケを当て布にしたのだろう。アップリケを当て布にし、修繕したズボンを見ながら、女性と幼女が二人でにこにこ笑いあっている所がイメージできた。

 ロニーコの滞在時間が長く、一番いろいろな物を持っているはずのレベセスが一番の軽装なのには、流石のヒータックも瞠目する。持ってくる物がそれほどはなかったという事なのか。

「一対複数の場合は、防具も意味があるが、一対一の戦闘の場合には、防具はほとんど意味がない。戦闘では基本回避が主流であり、防御はよほど敵と接近した場合のみ。そして、戦闘中は敵の間合いに踏み込んだとしても、その場合は剣が防具となるからな。

 そもそも、ドレーノの総督が下剋上によって、這々の体で逃げ出してきたのだ。そんなに物を持ってこられる筈も無いだろう」

 レベセスはそう言って笑った。そんな彼が身に纏っているのは、ガラビアではないが、ガラビアに用いられる薄い布を使ったパンツ姿だった。上半身は肩までむき出しのランニングのような服だ。腰には一本の剣。他には肩に背負う袋だけ。

 だが、それぞれがガラビアを脱いだということは、このままロニーコを発つことの意思表示だと見て取れた。

「ヒータック君、か。先日はどうもありがとう。助かったよ。何とか済んでの所でロニーコの崩壊を防ぐ事が出来た」

「いや。物のついでだったからな」

 ヒータックは、居心地が悪そうにレベセスから視線を外す。

「今は、総督派とサイディーラン、ドレーノンの代表が話し合っている。紆余曲折はあるだろうが、彼らが自分の意志で自分の未来を決めていくはずだ」

「……そうか」

 ファルガやレーテに対する対応とは、明らかに異なるヒータック。だが、警戒しているというよりは、緊張していると言った感じだ。だが、そこに危機感を感じているというわけでもなさそうだった。

 実は、彼の無意識のこの行動は、約十年前の出来事に影響を受けているのだが、その出来事をこの場で知っている者はヒータックしかいない。そして、それが彼等に知られることをヒータックが是としなかった故、その内容は永久に闇に包まれることになる。

 一瞬不思議そうな表情を浮かべたレベセスだったが、言葉を続けた。

「すまないが、ファルガ君とレーテをそちらに上げてもいいかね?」

 一瞬の間の後、ヒータックは努めて平静に応えた。

「レベセス=アーグ、貴方も上がったらどうだ。食事の準備はできている」

「遠慮なく上がらせてもらうよ。ただ、道中に果実があったので、それを持ってこようと思っていてな。このそばにも群生しているのを見つけた。いいデザートになるだろう」

 レベセスは少年の様な無邪気な笑みを浮かべた。

 ファルガとレーテが汗をかきながらジャングルを進んでいる間、レベセスは最後尾で様々なものをつまみ食いしながら歩いていたらしかった。だからなのだろうか、レベセスは他の二人に比べて疲労が殆ど感じられない。元々の体力の差もあるだろうが、どうもそれだけとも考えづらかった。

 どうも、美味であった果実については、レベセスはその都度回収し、摂食しながら行動していたようだ。それを裏付けるように、彼の所持していた麻袋には一食では終わらない程の果実が収められていた。それでも、まだその袋の容積には余裕があるようで、レベセスはもう少しだけ収穫をしてくるつもりのようだ。今後の食料事情を考えると、彼の判断は正しいのだろう。


「とりあえず、レーテの目的は達したわけだが、今後はどうするつもりだ?」

 ヒータックは、鍋で煮込んだ鶏肉を金属の椀に盛り付けながら、三人になんとなく尋ねた。口は動かすものの、ヒータックの手は止まらず、鍋から椀に取り分けた夕食を三人に配る。

 今後の話……とは。

 元々は、ファルガもレーテも、ラン=サイディール国のデイエンの崩壊から逃れるように、ヒータックの飛天龍に乗りこんだ事が発端だ。

 レーテにとって、デイエン後の行動を決定させたのはガガロの言葉だった。

 ガガロは言った。

 レーテの父レベセスが、聖剣の一本を持っているはずだ、と。

 少女は怯えた。一晩でデイエンを火の海にした男、ガガロが父を狙う。

 同時に、目的も決まる。

 いつになるかわからないが、ガガロという恐ろしい男の襲撃があるだろうと父に伝える事。そして、ガガロに対する対策を練ってもらう事。

 それこそがレーテの目的だった。

 だが、必死にたどり着いた地で、レベセスは事も無げにいう。彼の手元には聖剣はないとのこと。レベセスの持っていた聖剣『光龍剣』は、とある場所に隠してきた。

 そして、ガガロはその場所に向けて既に立ち去った後だった。

 レベセスは無事だった。

 しかし、今後どこに行けば良いのか。

 レーテもファルガも、もうデイエンには戻れない。戻った所で、ファルガはベニーバに対する反逆罪で死刑だろう。レベセスにしても、ドレーノ総督が属国の謀反により追放され、任期満了前にラン=サイディールに戻ったとなれば、何らかの処分は免れないだろう。

 ファルガはジョーを追ってラマ村を出たが、デイエンに着いたところで足取りが途絶えている。そして、デイエンの崩壊。ジョーが現在もデイエンに潜伏している可能性は限りなく低い。ラマに戻るにしても、村を飛び出してきてしまった現在、レナの敵を打たぬ限りは戻ることもできないだろう。そして、ラマ村もラン=サイディールの国土の一部だ。このまま戻っても、犯罪者が村に戻ってきたとあっては、村人に迷惑が掛かってしまうかもしれない。

 そう考えると、『戻る』という選択肢はファルガにはなかった。兎に角先に進む。先に進むことが、デイエンに行く事、或いはラマに行く事であれば、彼は迷うことなく選択しただろうが、『戻る』事は、今の彼にとっては少なくともプラスの思考ではなかった。

 では、レーテはどうか。

 レーテは、まだ小等学校に籍がある。夏休みのハタナハでの出来事の後、デイエンには戻ったが、そこでデイエンは壊滅的な打撃を受けている。学校の友人は心配ではあるが、今自分が戻ったところで何もできないだろう。当然学校も消失している。少なくとも、ここ数年で以前の生活が取り戻せるだろうとはとても思えなかった。それに、レベセスやファルガを見ていて、デイエンにいるだけの生活に戻る事はもはや嫌だった。ツテーダ夫妻の敵も討っていない。やはり、レーテも前を向いて歩きたかった。父レベセスや、同胞ファルガと共に。

「私は、カタラット国に行こうと思っている」

 レベセスは椀を受け取りながら答えた。その理由を続けようと思ったが、酷く椀の中身に興味をそそられ、そのまま言葉を止め、椀の中に見入った。

 椀の中は透き通るようなスープで満たされているが、鶏肉の他、みた事のない色とりどりの野菜が煮付けられていた。だが、その香りはジャングルを一日中歩き続けていた三人にはひどく刺激的なものに感じられた。

「……まさか、ドレーノの地で汁物が食べられるとは思わなかったよ」

「ロニーコ内はひどい乾燥地帯だが、さらに南下したこのジャングルでは、この場所から割と近いところに川がある。そこにさえ行けば、きれいな水は容易に手に入る。

 確かに、あのスコールでは、水を貯める機能を町に持たせるよりは、水害とその後の伝染病の蔓延の対策の方が優先だな。実際、スコールの水を蒸留する技術は確立していなかったのだろう?」

「その通りだ。だからこそ、今回の件がなければ、次は治水事業を行なうつもりだった。降水量が多すぎて、植林もできる環境ではなかったからな。

 河川が氾濫するのなら、そこは肥沃な土地になるはずなのだが、この地では降ってきた雨がそのまま洪水を起こし、土壌の栄養素も一緒に全て流し去ってしまう。だから、この土地は痩せている。

 私は、植林を行う前段階として、水害を減らす事を考えていた。

 あの膨大な量の雨を降らせないこと、あるいは降水量を調節することは不可能だが、排水を上手く行うことで、スコール後の街の片付け作業を減らし、人々の時間を創る。

 生きていくための労働時間だけではなく、それ以外の労働時間を確保することで、ロニーコを発展させたかった。ロニーコに降るスコールの排水を上手くコントロールし、適量の水を貯めて蒸留することが出来れば、爆発的にロニーコは良い都市になるだろう。

 ロニーコの周囲にある畑は、ジャングルを開墾して作った物だ。かなり離れている畑なので、スコールの影響こそあまりないが、ロニーコからの移動に時間がとられ過ぎる。本当はロニーコの周りを作物で覆い尽くし、豊作をロニーコの皆で祝いたかったんだ。

 ……まあ、そこは私の後任たちがやってくれるはずだよ。

 今度の為政者たちは多才だ」

 ヒータックは、レベセスの言葉に耳を傾けながら、ロニーコの酒場の料理を思い出していた。

 言われてみれば、確かにアルコールの入っていない水分を取ることは、なかなか難しかったように思えた。水そのものが高価で、それ以上に野菜などの水分を含んだ食材が、これはもう明らかにぼったくりだろうという価格設定がされていたような記憶がある。たまに店に来ていた、少し派手な装飾品を身につけたガラビアを纏った連中が屯するテーブル席を見たときには、水差しに刺さった生野菜がサラダとして出されていた。それ以外の料理は、葉ではなく茎や実を油で炒めた料理がメインで、葉物が食卓に上がることはなかった。

 その理由は、スコールの治水と蒸留、そして、作物の輸送にかかる手間と時間の問題が解決していないのだということだ。

 そう考えると、レベセスにはまだロニーコでやるべきことがあったような気はする。

 だが、レベセスが進める事業は、結局ラン=サイディール国の総督が進めている事業に過ぎず、ドレーノの民がロニーコの為に成している訳ではない。総督として行動する以上、やはり最終的にはラン=サイディールの為であり、利益もラン=サイディールに流れる。

 母国が潤うのはレベセスにとっては大事な事だが、少なくとも今はドレーノの生活水準を上げる為には、搾取だけではだめだという事を母国に示さねばならなかった。

 だが、実際にそれを母国ラン=サイディールに示すことは、もうできない。属国の権利を認める事は、ラン=サイディールに対する脅威になりうるとベニーバは解釈するからだ。

 真にドレーノが成長を遂げる為には、サイディーランもドレーノンもない、ドレーノの国民全体が成長する必要があった。

 だが、レベセスにはそれを導くこともできなければ育てる事すらできない。彼がそれをしようとするならば、ドレーノの王になるしかないが、それはかつてカンジュイームが言ったとおり、レベセスが王になる事を国民が望んでいるとは限らない。

 ドレーノの栄華のたどり着く先に、レベセスはいない。

 そんな矛盾を抱えたレベセスの心中を垣間見たヒータックには、レベセスの今までの努力が、彼にとって非常に空しい物なのではないかと思えてならなかった。

 総督の座も追われた。

 もう、レベセスにはこの地で出来る事はないのかもしれない。

 だが、そんな様子を微塵も見せず、ほぼ無言で椀の中身を食するファルガとレーテの代わりのつもりもないのだろうが、食事を振る舞ってもらったことに対する礼を述べながら、レベセスは金属の匙で椀の中身を口に運ぶ。

 鶏肉のダシに、野菜の甘みがふんわりと口の中に広がるが、程よいピリ辛が口の中に残るのも大人のレベセスには心地よい。少し子供であるレーテとファルガには早すぎる風味か。だが、柔らかい鶏肉に思わず食が進み、いつの間にか少年たちも椀の中を空にしていた。

 三人の食欲に驚きの表情を隠さないヒータック。

「これは、なんという調味料なのかな? 砂糖でも塩でも胡椒でもない、それぞれの特徴を持っている気がするが、それ以上にコクがある」

「SMGではよく用いられる秘伝の粉末で、食材の腐敗を遅らせたりする効果もある。本来は仕込みに使う場合が殆どだが、生肉にこの粉末を塗すことで、保存食として持ち歩くことも可能だ」

 レベセスの問いに、ヒータックは冷静を装って答える。

 先程まで彼が慮っていたレベセスの悲哀と、その食欲とが並び立つとは思えなかったからだ。だが、自身の努力ではどうにもならない事態を憂いているようにも見えない。当人にしてみれば、それほどの問題でもないのかもしれない。


「……ドレーノの総督様が、なぜカタラットなどという片田舎に?」

 ヒータックは、おかわり、と差し出された椀に鍋の中身をよそいながら尋ねた。斜に構えた物言いを敢えてしてみたものの、どうも彼の中での緊張感は消えない。

「『元』だな。今は。

 ……あの地に、忘れ物があるからだ。」

 レベセスはニヤリとして答えた。

 レベセスは、三人にガガロとのやり取りを話した。そして、その後に発生した第一次ドレーノ擾乱『閃光事件』と、第二次ドレーノ擾乱『独立裁判』についても、あらましを話す。ファルガやレーテ、ヒータックがまだロニーコに到着する前に起きた出来事だ。三人が飛天龍に乗って到着したのは、正に閃光事件の後の、暴動が発生した直後だった事になる。

「ガガロという男は、その聖剣を手に入れる為にカタラットに行った。それを阻止するためにカタラットに行くつもりだという事か。しかし、奴がドレーノを発ってから大分時間が経っているはずだ。とうにガガロは聖剣を手に入れているのではないのか?」

 ヒータックの問いに、レベセスは食べ終わった椀を重ねながら答えようとするところで、ファルガが言葉を繋ぐ。まるで、口の中に鍋の具が無くなったので、お変わりを貰おうとしたその時間稼ぎとでも言わんばかりに。

「ガガロに聖剣を渡したくないのなら、レベセスさんの剣を呼び出せばいいじゃないですか。そうすれば、わざわざカタラットまで取りに行かずとも……」

 言うだけ言って、新しく盛られた鶏肉を早々に口に頬張るファルガ。

 その指摘は、もっともかもしれない。

 聖剣は、所有者の手元に戻る習性があるようだ。それ故、ファルガは手元に置いていなかったはずの『勇者の剣』の出現によって、何度も危機を脱している。今回もカタラットにあるという聖剣がレベセスを所有者としているならば、レベセスの呼び出しに応じそうなものだが。仮にガガロの手中に聖剣が落ちていたとしても。

 そんなファルガの物言いに、ある人間の面影が見え隠れし、レベセスの表情が思わず緩む。

「ラン=サイディール国の兵部省長官に就任する時、ベニーバ様に聖剣の提出を求められた。だが、私はその時に聖剣のダミーを提出し、本物の光龍剣は出さなかった。聖剣を使わぬ者がずっと所持していても、色々と危険が及ぶと判断したからだ。

 聖剣同士、どこかで惹かれあっている気がしている。

 私は、聖剣の所有者であることが嫌になったわけでもないが、一国に身を捧げると決めた以上は、剣から自らを遠ざけようと思った。

 今は、私は光龍剣の所有者ではない。『契約解除』したからな。もし、また聖剣を用いる時があれば、その地に赴き、再契約をすればいい。そう思っていた」

 そう言うレベセスの表情は若干曇った。どうも何か言いづらい内容のことでもあるのだろうか。だが、レベセスの表情の微妙な変化に気づいたのはヒータックだけのようで、ファルガもレーテも気づいた様子はなかった。

 実は、レベセス自身は、今になって、契約を残しておくべきだったと後悔していた。

 だが、そこで思い返す。契約を残すということは、光龍剣が常に身の回りにあるということ。そうなれば、いつかはベニーバの目に触れることになり、嫌でも聖剣そのものを提出せざるを得なくなる。だが、ベニーバは所有者たり得ない。そうなれば、ベニーバは怒り狂い、ラン=サイディール国の治世そのものに影響が出かねない。

 今は亡き友人との約束……といっても、彼が勝手に決めただけだったが……を果たすためには、ラン=サイディールでの地位が必要だった。いくら聖勇者といえども、情報収集の面では、人海戦術には敵わない。その為の苦渋の決断だったが、まさかその探索対象が、自国の片田舎にいたとは……。

 そして、その判断が、再度精霊神大戦争の危機を招くかも知れない。そう考えると、やはりレベセスの気は晴れなかった。

 それでも、聖剣の一本はここにある。少年ファルガの持つ聖剣を奪われない限りは、精霊神大戦争は防げるかもしれない。少年を見守りつつ、勇者の剣も守る。そうすれば一石二鳥だ。むしろ好都合ではないのか。

 そう考え、自分の気持ちに折り合いをつけるしかなかった。


 食事のあと、水の貯められた桶に椀を浸けていたファルガは、事も無げにヒータックに尋ねた。

「ジャングルの方に、巨人が走ってきたときはびっくりしなかったか? あんな大きな人間は見たことがない。ドレーノのジャングルには、いろんな動物、いろんな人間が住んでいるんだな」

 キャビン中心部にあるハッチを開き、飛天龍のメンテナンスを始めていたヒータックは手を止め、ファルガの方を見る。

「何を言っている? そんなものこなかったぞ。夢でも見ていたんじゃないか?」

 そんな馬鹿な。

 あれほどの巨人が、足音を立てながらジャングルに消えていった。そして、その親もこの地で子供が森に帰ってくるのを待っていたような感じだ。それは、レーテもファルガも、レベセスですら目撃している。

 そもそも、あの巨人をハギーマが解放したからこそ、裁判自体が帳消しになるような大惨事になったのだ。法廷を破壊しながら立ち上がり、天蓋をまるで帽子の様に被り、暴れ出した様は、生き残ったドレーノの住民たちにも口伝で残されているほどだ。もっともその事実は、ファルガがドレーノの地を再び訪れた時に耳にする情報だったが。

 その話をしても、ヒータックはそのような存在には気づかなかったという。

 ファルガにはどうしてもそれが解せなかった。

「ファルガ君。君はこの短期間で色々な経験をしてきたのだろう。その中には、到底信じられないものもあったはずだ。だが、実際それを目の当たりにしている。

 ツーシッヂの変身、そしてギガンテスの出現。

 それらが、一体何故起きたのか。信じられないだろうし、わからないかもしれないが、君が目の当たりにした物も、また嘘ではない。

 そのうち、自分で結論を出す日が来るだろうが、そのヒントとして、今から私が話す内容を使ってくれて構わない。

 この世界は、我々だけの世界ではない。我々がいる同じ所に、階層を変えて存在している何者かがいる。そして、本来は出会う事のない存在がたまたま鉢合わせしてしまう事がある。

 我々が生物である以上は仕方ない事だ。だが、彼等は彼等の階層で必死に生き続けている。

 できれば……できれば、で構わないが、階層の違う存在は、出来るだけそっとしといてあげよう。それが、我々の幸せにも続くはずだ」

 レベセスから突然口にされた言葉は、酷く懐疑的な内容だった。しかし、それを虚構であると断ずる根拠もなく、しかし、ファルガはそれを検討することもなく、レベセスの言葉を受け入れるしかなかった。

 恐らく、ファルガがこれからもっと……レベセスと同じ位かそれ以上の様々な……経験を積みさえすればわかるようになるのかもしれない。自分が見知ることのできない世界がある。しかし、その世界も、レベセスのような聖勇者になれば、見えてくるのだろうか。

 村を出てから、自分は変わったと感じていたファルガ。

 ラマ村にいるときは、それほど色々なものに興味を持たなかった。というより、持つ必要もなかった。自分の知らない事がそれほど大量にある事すら知らなかったし、どちらかといえば、ファルガ自身は、年齢の割に村人の中でも様々なことが出来る方だった。いずれは、村長の孫ナイルと共にラマ村を牽引していく存在と目されていた。

 本人はその気はないものの、周りからそういわれると、色々な事を率先してやるようになる。仕事もどんどん彼の元に舞い込んだ。それ故、出来なかったこともできるようになったものだ。もっとも、いろいろさせる事で出来るようにさせていく。それが村人の狙いだったのかもしれないが。

 そして、大抵のことは父親替わりであり師匠でもあるズエブ=ゴートンに聞けば答えが得られた。欲しいものは、作り方を教えてもらった。勿論、ただ与えられることはなく、自分で作ることが大条件だったが。

 しかし、村の外に出てみて、自分の知らぬことが沢山あり、それが目まぐるしく起きていく。興味を持てないどころか、考えすら及ばない事が。

 ジョーと相対する為にたまたま手にした剣。それが『聖剣』だった。ガガロという恐ろしく強い剣士と相対した時には、自身が伝説のガイガロス人に似ていると言われた。そして、今回は不特定多数の人間に突然憎悪された結果、心が潰されかけ、そしてその者達に助けられた。挙句の果ては、自分の見知ることのできない世界があり、たまに繋がることもある、などと言われても……。

 自分を取り巻く環境が加速度的に広がっている。そして、その理解は当然追いつかない。

 そんな不安感に苛まれる中、先輩聖勇者であったレベセスの言葉は、焦るファルガを落ち着かせる効果は十分だった。

「……お父さん、ひとつだけ教えて。あの子は、お母さんのもとに帰れたのよね?」

 レーテは、切実な表情を浮かべながら、父レベセスに尋ねる。

 レベセスは頷いた。

「……よかった」

 だが、レーテの納得ですべての問題が解決したわけではなかった。

 レベセスは、表情にも態度にも示さず、一つの事柄に思いを馳せる。

(あの、高次元の巨人の子供を、ハギーマはどうやって捉えたのだろうか。物理的に触れることが不可能なギガンテスを捕らえることは、おそらく四人の聖勇者が同時に挑戦したとしても不可能かもしれない。聖剣の力を使って、こちらを高次元化させるか、ギガンテスをこちらの次元に引きずり下ろすしかないのだろうが、聖剣を発動させたとしても、どのようにすれば干渉できるのか。

 干渉できなければ倒す事は愚か、捕える事など不可能だ。もし、その技術をハギーマが、或いはその妻ギラが手に入れていたとしたら。これが、精霊神大戦争の発端とならなければ良いが……)

 いずれにせよ、ガガロに光龍剣を渡さないこと。これが至上命題だとレベセスは自身に言い聞かせた。

 以前の記憶が正しければ、ガガロはあの時既に、四本目の聖剣『刃殺し』も手に入れていたはずだ。あの時とは、レベセスが若かりし頃の最も大きな戦いであり、ファルガの父とガガロと共に、敵と戦った最後の戦い。そして、彼が幾つもの大切な物を失った戦いでもあった。

 光龍剣をもう一度手にし、再契約をする。そして、ガガロと雌雄を決しなければならない。


「ちょっと待ってくれ。

 カタラットに行くのはいい。

 だが、ドレーノからカタラットまで、結構距離があるぞ。流石に一回の燃料補給で飛べる距離じゃない。一度ルイテウに戻って給油をしたい」

 ヒータックの言葉に、レベセスは耳を疑った。

 まさか、SMGの協力が得られるというのか? 聖剣を巡る私闘に。国家間の警察と言われたSMGが。

「……申し出は嬉しいが、何故SMGが私に協力をする? 私に協力した所でメリットなどないぞ?」

「……レベセス=アーグ。貴方に対して、というよりはこいつらに対して、と言ったほうが正しいか。……先行投資だ」

 ヒータックは少年たちに聞こえないように耳打ちをした。

 なるほど。この青年は、この少年少女に対して、何かを感じたという事か。

 レーテは、ヒータックがレベセスに耳打ちをしたことはわかったが、当然その内容は耳には届かず、会話の中身も推測できない。だが、口角を上げて笑みを浮かべた父レベセスと戦士ヒータックの間に流れる空気は、不思議と不安を覚える物ではなかった。

「わかった。恩に着る。色々好都合だ。私も、一度頭領リーザには会ってみたかった。挨拶だけでもしておきたい」

 リーザの名の出た瞬間、ほんの少しだけ、ヒータックの表情が渋い物になった事には、ファルガやレーテは勿論の事、流石のレベセスも気づかなかった。

 様々な荷物を回収し、デッキの中に収納した後、飛天龍は漆黒の闇の中を飛び立った。最後までドレーノの人たちの目につかないようにするために。

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