初めての会談
「……ここにこうしていても、事態は変わらない。話し合いを始めたい。俺はドレーノン代表を気取るつもりはないが、少なくとも、ドレーノンの考えている内容はわかっているつもりだ。それをここで話せればと思うが……」
誰に目を合わせる訳でもなく、ニセモは語りだす。一番後からこの場に現れ、先程まで押し黙って考え込んでいた青年が、一番最初に。
だが、それに異常なまでの拒否反応を見せたのがハギーマだった。
「話し合う……だと? この俺とか? 第一位サイディーランのハギーマ様が、ドレーノンの乞食風情と? 一体何を? お前等ドレーノンは、俺たちサイディーランの命令通り動いていればいいんだ!」
ハギーマはいつものように、生意気な言葉を吐くドレーノンの顔を鞭で何度も激しく打つつもりだった。打つつもりで立ち上がろうとした。……つもりだった。
だが、彼には足がない。体幹がゼロに等しいこの男に、踏ん張って鞭を振るう事など出来はしない。
案の定、彼は座布団から転げ落ち、自らの力では立てない状態に陥った。
顔面を床に打ちつけ、痛みの余り呻く。
暫く立ち上がろうと、暫くもがき続けたハギーマだったが、在る時動きを止める。そして絶叫した。
禍々しい慟哭。
応接間にいる全ての人間が硬直し、叫び続けるハギーマを見た。
……見る事しかできなかった。視線を逸らす事も出来なかった。魂を凍らせる禍々しい叫びというのは、このことを言うのか。ハギーマを助け起こすものは誰もおらず、かといって離れることもできず、見下ろすだけだった。
ファルガとレーテは吐き気を催し、カンジュイームはその丸眼鏡の中の双眸を見開く。ニセモは口に手を当て、その不快さに耐えた。
やがて、その絶叫が波を帯びるようになってきた。
ガラガラと不快な音が混じり、絶叫し続けるハギーマの口から鮮血が流れた。その泡は唾液と混じり、赤い細かい泡を作り口角に貯まると、塊となって床に落ちる。その傷ついた喉から溢れたであろう赤い泡は、カーペットに吸収されることなく、その形をしばらく保ち続けた。
レーテは思わず拒絶の叫びをあげ、ファルガは耳を押さえた。
彼の慟哭は、彼の人生が解る者であれば、理解はできるものだろう。決して共感できるものではないが。
ドレーノ国の過去二百年の時代において積み重ねられてきたドレーノンへの弾圧、差別の歴史。
サイディーランはドレーノンという大きな犠牲の元、様々な既得権を使い、新たな権利を得る努力をすることなく、国の発展を目指すわけでもなく、サイディーランの生活を謳歌していた。何故なら、サイディーランの環境は大磐石であり、自分たちが手に入れられない物は、永遠の命だという自負があったからだ。
ハギーマはその中でも第一位。
過去二百年の間積み重ねられ、先人により約束された支配層としての人生が、ごく当たり前のように存在している、はずだった。それは自信と誇りとして彼の今までを、そして彼のこれからを支え続けていくはずだった。それは、彼が彼として存在するための根拠でもあった。
だが、それが彼の目の前で壊れていく。それは、掬い上げようとしても指先の間から零れ落ち、彼の元には何も残らない。
音を立てて崩壊したそれは、跡形もなく消滅し、残されたのは名ばかりの第一位サイディーランの地位と権力。しかし、それすらも今まさに崩れ去っていこうとしていた。
巨大化し、謀反を起こしたツーシッヂ。しかし、彼の手となり足となって働いたこの男も、私利に動き出したが、それもできずに目の前で崩れ落ちた。そのイメージがハギーマの脳裏に過ぎっていた。
明確な崩壊へのイメージ。
彼の中で、不可侵という言葉がもろく崩れ去る。それは物理的にだけではなく、精神的にも彼を追い詰めることになる。今後待ち受ける自由とは程遠い生活。それを否応なしに受け入れざるを得ないのだということも、わかっては来ていた。
しかし、それをハギーマはどうしても受け入れられなかった。
何故ならそのビジョンは、彼の今までの経験や知識、そして今後の生活と将来の夢が全て否定され、失われていくだけの未来予想図だったからだ。
文字通り、彼の人生の否定。彼の存在の否定。
今のハギーマは、文字通り『サイディーラン』そのもので成り立っており、サイディーランという存在、意義、価値が否定されると同時に、彼の自信は失われていく。
サイディーランであるという属性を失ったら、彼自身何に基づいて判断し、行動し、生きていけばよいのだろうか。
裸で放り出されるよりも恐ろしい。裸でも生きていく意志があれば、手段を講じ生きていける。しかし、生きていくということそのものが彼には理解できていなかった。サイディーランが属性を失おうとしている今、彼はまさに生き方がわからなくなっていた。生きていく嬉しさと、辛さと、楽しさと、苦しさと、それに準ずる全ての感情を、彼は第一位サイディーランであることで、どこかに置き去りにしてしまっているのだった。
彼は、生きていく方法を知らなかった。
彼は、総督の弾劾裁判が失敗しようが、ツーシッヂがいなくなろうが、彼の人生には殆ど影響がないとしか考えられなかった。想像ができなかった。
元々与えられた環境だ。今の環境が失われても、超越した何者かが自分に以前と同じか、それ以上の環境を準備してくれることを信じて疑わなかった。つい先程まで。
だが。
自分の足で立って歩くこともできず、見下していたドレーノンに鞭打つこともできず、ただうつぶせになって藻掻くだけの自分の姿を、客観的に見てしまった。国を治める方法どころか、自分が今後何をしていけばいいのかすらわからない、自分自身の不安定さを痛感してしまった。
その惨めさが、自分自身を誤魔化すこともできずに現実を直視させてしまった。
残されたのは、大海に放り出された様な不安と絶望感だけ。掴まる板も身につけた服も何もない。
背筋の凍る絶叫は、文字通り慟哭だったのだろう。と同時に、不安感から母を求めて泣く乳飲み子と同じ性質のものだった。
永遠に続くと思われた慟哭が、徐々に小さい物になっていく。
ハギーマにとって納得の伴わない諦めの感情なのか。はたまた、時代を受け入れたが故の納得を伴った同意の感情なのか。
呪われているのは、彼の代にして失速し力を失ったサイディーランの時代なのか、それとも、積もりに積もったドレーノンのサイディーランに対する憎しみを結果的に一身に受けることになった彼の人生なのか。
彼の人生観を、終生ハギーマは口にすることはなかった。
だが、普通の人間であれば、諦め、または受け入れの心を手に入れるまでに時間がそれなりに掛かるはずだ。
数年か。
数十年か。
一生かけても達成不可能な者がいるかも知れない。それをハギーマは、たった数十分でやってみせた。
魂を凍らせる慟哭は、彼が自分自身に折り合いをつける為の……、もっと言ってしまえば、ドレーノンを蔑視することによって相対的に地位を高めていた誇りとも呼べないような自尊心を融解させ、自分の身から押し出していく為の儀式のようなものだったのかもしれない。
しかし、その禍々しい叫び声が、気が遠くなるほどに長い間続いたあと、徐々にその声の質が変わりはじめていく。
濁り、耳障りな雑音で、ともすると殺意を覚えるような澱んだ呻き声が、徐々に悪意を失っていく。ハギーマの体に溜まっていた悪意が噴出し、外気に触れ続けることで、その悪しき力を失っていく。いや、力を失うというよりは、圧倒的なその力の性質が変わり、徐々に浄化されていく。
そんな印象を受けた。
同席した面々は、当初はこの声に慣れたのだと思った。しかし、慣れたのではなく、質が変わってきたのだという事に気付く面々。
背筋に走る悍ましい衝撃が、徐々に哀愁を帯び、声は大人の物であるにも拘らず、まるで何も知らぬ純粋な赤子の響きに変わっていく。
突然慟哭が消え、暫くの沈黙が落ちた。
同席していた人間は、未だにハギーマの様子を窺い、竦んでしまって身動きがとれない。
まさか、死んだのか?
ハギーマを見守る者達の脳裏に、一瞬でもその考えが頭をよぎらなかったと言ったら嘘になるだろう。
やがて、声が失われてから沈黙を守っていたハギーマが、言葉を発する。
その声は、ハギーマのものであったにも拘らず、ハギーマの発した声であると理解することは、瞬間的にできなかった。
それほどに、彼の声の本質が完全に変化していた。
指先が動き、腕が動き出す。それまでの間、ほんの数瞬。
自身の腕を使って起き上がったハギーマの眼差しには、驕りも歪んだ差別心も存在しなかった。ただただ、ラン=サイディールから独立した後のドレーノがどうあるべきか、サイディーランもドレーノンも包含した、ドレーノの行く末を案じる強い光が感じられた。
「取り乱して済まなかった。
ニセモ……いや、ニセモ殿、そして、カンジュイーム殿。
私は今まで取り返しのつかない悪事を行なってきた。今更その罪を許してもらおうとも思わない。そして、私の罪を許すのは貴方たちではない。増長した私をはじめとするサイディーランたちに依って不慮の死を遂げ、死してなおドレーノの行く末を案じた先人たちだ。
ドレーノを……ドレーノに住む全ての人達にとって、何をするのが幸せなのか、考えていきたい。私もその仲間に加えてもらえないだろうか」
ほんの数分前までは、サイディーランの驕りに汚れていたハギーマ。だが、今ここに、後世の中でも五本の指に入る至高の為政者の一人として、ハギーマ=ギワヤが覚醒した。
会談がスタートした。
総督府のカンジュイーム。ドレーノンのニセモ、そしてサイディーランのハギーマ。
まずは、三者が共通で実現したい内容についての擦り合せが行われた。
それは、南国リオ大陸に存在する小部族の集団であったドレーノが、文字通り自治権を伴った独立状態を目指すこと。今も対外的には国として見られているものの、宗主国であるラン=サイディールの属国であるという現状は変わらず、他国から侵略がないのも、ある意味ラン=サイディール国が抑止力になっているのは否めない。
だが、それはラン=サイディール国の傘の下にいる状態に過ぎず、ドレーノが世界に認知されている訳ではない事を意識しなければならない。
ラン=サイディールからの独立。
そこに必要な物は、武力蜂起でもなければ労働のボイコットでもない。
諸外国から見て破綻を来さぬように、細部まで設定された憲法を初めとする様々な法律や、諸外国も受け入れざるを得ない道徳観念や倫理感等を駆使し、ドレーノが独立の正当性を謳うこと。そして、仮に他国から横槍を入れられても、足元を掬われないようにするだけの強い軍事力。
平たく言えば、国力の増強だ。ラン=サイディール国の属国として存在するより、独立する事で国力が増強された事実があることが重要だ。
国際裁判所のような国際機関などないこの時代において、国家の成立は周囲の国家の承認に依存していた。単純に自国にとって、新しく発足した国家が仇なすものではなく、搾取できる存在でもなく、純粋に対等な立場で国家間交流を達成できる存在だと認められれば、その国家から使節団が訪れるだろう。そこで、純粋に国交を開始する宣言が行われれば、それ即ちその国家にとっての『国家承認』が成立する。逆に言えば、力の弱い国家が認められるには、庇護されるしかない。だが、それを断ち切って独立をしようというのだから、所謂『国力』をつけるしかない。
彼らの目指すところは、ラン=サイディールからの独立だが、その独立も、ラン=サイディールの使節団がドレーノ国の地を訪れ、国交が開始されて初めて成立したことになる。
そこに至るための法的な整備、軍事的な整備、経済的な整備を迅速かつ適切に行っていくことで三人の代表は同意した。
当面は国王を置かず、サイディーラン、ドレーノン、総督派のそれぞれのトップが法的な整備、軍事的な整備、経済的な整備をそれぞれ担当することになった。
だが、そこで問題が起きる。
ドレーノン代表としてこの会談の場にいるニセモが、果たして本当にドレーノンの代表足り得るのかという問題だ。
これは、誰かに承認を摂ればいいという問題ではない。ドレーノン代表を名乗るには、ドレーノンという集合体そのものがニセモを代表として認めなければならない。カンジュイームが総督派の、ハギーマがサイディーランのそれであるように。
一番悩んでいたのは、立場に箔のないニセモかもしれない。彼はただ思い付きで酒場から連れられ、そのままレベセスの偽者を演じるように言われていた只の若者に過ぎない。
悩んだ。
ニセモが。
カンジュイームが。
そして、ハギーマが。
三者が三様に悩んで、それでいて結論が出ない。
狂いそうなぐらいの冷たい時間だった。
「選挙はどうなのかしら」
三人が思い悩むところ、横で座って聞いていたレーテがポツリと呟く。
ラン=サイディール国の首都デイエンにも小等学校が何校かあったが、その中の一つに在籍していたレーテの、単純に児童代表を決めるのに子供たちが選挙をしたのを思い出しての言葉だった。
三人の視線がレーテのほうに向く。
予期せぬ視線の集中を受けたレーテは思わずたじろいだが、ポツリポツリと言葉を紡いだ。それでも選挙というシステムそのものを理解しておらず、そのメリットデメリットも心得ぬレーテの話は、雲を掴むようなものだった。
元々、学校で行われていた選挙はといえば、教師が全ての体制を整えた、所謂上げ膳据え膳状態のそれだ。いわば本番の選挙のまねごとに過ぎない。その体制を構築し、実施に移す為のノウハウを当然レーテは持っていない。
「なるほど。代表の選挙か。それがドレーノにとって一番の民意かもしれないな」
ドレーノン代表の青年ニセモは、誰に語りかけるわけでもなく呻いた。
「だが、それを実施に移すには下準備が必要だ。
皮肉のつもりはないが、ハギーマ殿が行なった裁判の準備、これはサイディーランのみで行なったわけではあるまい。やはり、ドレーノンの労働力を使用したのだろう。今回、ドレーノンの労働力だけを使って選挙の準備をさせるべきではない」
偉丈夫宰相のカンジュイームが、小さな円形の眼鏡の奥でギロリとニセモを見た。その様はまるで、子供のレーテの言葉にいちいち驚嘆するニセモの思考能力を疑うと言わんばかりだ。
だが、そのカンジュイームの揶揄するような物言いを窘めるように柔らかい言葉を紡いだのは、サイディーラン代表のハギーマ=ギワヤだった。今までのハギーマにはない自信に満ち溢れた表情を浮かべる。
「いや、やってみる価値はあると思うぞ。というより、やるべきだと思う。
結局、今までのドレーノはラン=サイディール側の要求された物のみを行なってきた。逆に、今までのドレーノンの生活には、彼ら自身の意志は殆ど介在していないということになる。だが、今後ドレーノが独立を主張するならば、自分たちで考えた目的を達する為、自分達で考えた手法で実現に向けた努力を行なっていくべきだ。
それが出来て初めて他国から認められる国家になっていく筈だ。
今回のドレーノン代表の選挙の実施は、ドレーノン達にその意識を芽生えさせるためにはいい機会ではないだろうか」
自分の言葉が受け入れられたと感じたレーテは、自分の思っている事を雄弁に語ろうとする。
だが、それを制して、引っ張る様に総督府の二階にまで連れて行ったのは少年ファルガだった。
なぜ自分の言葉を止めるのか。ファルガの行動の意味が解らなかったレーテは激昂した。
だが、レーテが激昂すればするほど、ファルガの頭の中は霞が取れたようにすっきりする。
「……俺たちはドレーノ国の人間じゃない。かなり深く関わってきたとは思うけれど、ドレーノの人たちがいろいろ考えて動き出そうとしている所を、俺たちは邪魔をしてはいけないんだと思う」
「その意見には私も賛成だよ。やはり、この国の人たちは、自分たちで決め、自分たちで行動に移すべきだ。方向性の決定から、方法の選択まで、自分たちが話し合って決めるべきだ。それこそが、自由に伴う責任だということだ。
ドレーノンは、事柄を余りにサイディーランに決められ過ぎて、自身で決めることが出来なくなっている。サイディーランは、勝手に決める事に慣れ過ぎて、相手の事も考えて決めていかなければいけない事に気付いていない。
それを様々な経験を通じて悟っていかねばならない」
声の主は、テラスで手摺に寄りかかるレベセスだった。その隣には、ゼリュイアもいる。
飛び上がるほどに驚くファルガとレーテ。二人とも、日没後のテラスの暗闇で、二人の人影に気付くことが出来なかったからだ。
「そして……」
レベセスは、ゼリュイアの背をゆっくりと押した。
「君はここにいるべきじゃない。君こそが、下にいる三巨頭を取り纏めるべきだ」
レベセスの指名。それは、ファルガやレーテは勿論の事、ゼリュイアにとっても全く予期せぬものだった。
階下で頭を捻らせている、各集団の代表。だが、その代表を取り纏めるのに、レーテと同じか年下の少女が適任だというのか。
「君は、私がこの地を訪れてからずっと、君は私のやり方を見ていたはずだ。そして、身に付いているはずだ。
もちろん、私のやり方がすべて正しいというつもりはない。だが、少なくとも私のやり方を選択肢として持つことはできただろうと思う」
ゼリュイアは、黒く美しい瞳を見開きながら、レベセスの顔を見据えた。レベセスの言葉から、必死に何かを感じ取ろうとしているかのように。
「ハギーマ、カンジュイーム。
彼らは素晴らしい為政者になりうる。あの青年……ニセモだったか……は、まだどうにもわからんが。だが、彼が駄目であっても、ドレーノンからまた素晴らしい人材を探せばいいだろう。それに、なかなかどうして、彼も気概はあるぞ。この状況下であの二人の『巨人』の前から逃げ出さなかったからな。
レーテたちがここに上がってくるまでの間に、一悶着在ったのはわかっている。だが、あのニセモという青年は、逃げ出していないのだろう? あのハギーマの叫び声は、離れて聞いていた私も、結構なダメージだったよ。
あの声は心臓に、そして心に悪い」
レベセスは、少年のような笑みを浮かべた。
間違いのない満面の笑み。そして、純粋無垢な笑み。
だが、その笑みの中に、ゼリュイアはレベセスとの別れを感じていた。
「総督……」
ゼリュイアは、何かを求めるように、自分の雇い主の名を呼ぶ。
だが、それにレベセスは答えない。もう一度少女に呼びかけられて、彼は応じた。但し、返事ではなく、宣言をする事で。
「ゼリュイア。私はもう総督ではない。
実は、私は今、非常に宙ぶらりんな状態でね、ラン=サイディールからは赴任命令が出ていたが、ドレーノの自国による法規に基づく裁判で、解任されているんだよ。
つまり、どこにも所属していない状態なのさ」
レベセスは、ファルガとレーテに目配せをする。
少年は強く頷き、少女は、新たな使命を帯びた同世代の美しい瞳を持つ少女の方を気にしながら、微かに頷く。
「……ゼリュイア。
君には話したことがあったかもしれない。
私がドレーノに来たのは、表向きは、ドレーノの再興だ。
だが、もう一つの目的があった。それを果たした今、お役御免になっている以上ここにいる訳にはいかないんだよ。
ドレーノが素晴らしい独立国になった頃に、また来よう。約束する。
だから、今は私にその成長した姿を見せてくれ。その姿で、これから来るだろう困難を、三人の賢者たちと共に乗り越えてくれ」
ゼリュイアは、瞬きをする間も惜しんで、レベセスを見つめ続けた。ぽろぽろと大きな黒瞳から涙が流れる。
「総督……、いえ、レベセスさん、今までありがとうございました。
どうか、見守っていてください」
それ以上の抱負の言葉と別れの言葉を飲み込む、少女ゼリュイア。
やがて、自分の意志でレベセスから視線を外し、一礼をすると自ら背を向け、階段を下りていった。
初めてとなる、会談という名の戦場へ、自分の意志で歩みを進める少女ゼリュイア。
只の人となったレベセス=アーグは、見えなくなった少女の姿を瞳に焼き付けるのだった。




