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界遊記  作者: かえで
ドレーノ擾乱
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ドレーノ擾乱 第二章14 帰ってきたレベセス

いよいよレベセスとレーテの邂逅。

「うう……、い、嫌だ、止めてくれ……。全て言うとおりにしていれば、解放してくれると言ったじゃないか……!」

 男の首には、太い荒縄で作られた輪が掛けられる。その輪の端はそのまま、木造の十字架の交差部に繋げられていた。

 その十字架が、何人かの屈強な男によって、直立させられる。

 男の首にかかっていた荒縄が締めあげられ、男は足をばたつかせながら釣り上げられる。荒縄の繊維が首に刺さり、首筋に血が滲む。苦しさのあまり、首に手を当てて少しでも苦しさを緩和させようと、しばらく抵抗している様が見て取れたが、両手両足は拘束されている。人間では到底出しようもない不協和音を口から発しながら、最後は、命を与えられた全く別の生物のように手足がバラバラに跳ね回ろうとしたが、やがてその手足はだらりと垂れていき、ピクリとも動かなくなった。


 二日前から袋を被せられ続けたこの男は、その直前まで地元の繁華街で酔っ払っていた。

 灼熱の国ドレーノの首都ロニーコは乾燥の都市だ。それ故、健康維持にとって水分の補給は最重要項目だと言える。

 では、水が高価かというとその通りなのだが、では、全く手に入らないかというとそんなことはない。ロニーコを出て熱帯雨林に入ると、直ぐにきれいな水が手に入る。また、毎日時計がわりに降るスコールを溜め、濾過する道具を通して得た水を飲めば、新鮮でうまい水も簡単に飲むことができる。問題は、手間が掛かるという事だけなのだ。その手間を惜しんですぐにおいしい水を飲もうとするから、金が掛かる。

 そして、この地方の若者がよくやってしまう酒の席の失敗が、水分を取らない状態での酒の摂取だった。悪酔いした者は、様々な粗相をしてしまう事になる。

 この若者も、その一人だった。

 ロニーコの治水工事の作業人として炎天下で働き、少なくとも惰眠を貪るサイディーランよりは余程この国に貢献していたと言える若者。

 だが、運が悪かった。

 ただそれだけだった。

 泥酔したところを店員によって通報され、現れたロニーコの衛兵により拘束され、独房に叩き込まれた若者。

 彼は、ドレーノンだった。

 彼は、何の説明もなく、二日間拘束された。水分も食事も与えられず、放置され、いよいよ三日目にパンと水がやっと与えられた。どうやら、釈放が決まったらしい。

 彼は反省する。

 いよいよ牢から出る直前、猿轡を噛まされ、頭から麻布を被せられた。そして、突き飛ばされる様に牢から出されると、どこへともなく歩かされた。

 空気の流れから、広間に出たことがわかる。だが、そこがどこなのかはわからない。音は絶え間なく耳には入るのだが、その音はどれもそう聞き覚えのある物ではなく、場所を図り知る事はできない。と、突然男の横に気配が近づく。そして、耳元から声が聞こえた。

 何も言わなくていい。この服に袖を通し、質問をされたら、ただ頷けばいい。全てが終わればお前は無罪放免だ。少しだが、謝礼も出そう。

 話しかけられている間、男には恐怖しかなかったが、それほど難しくない命じられたことを行うだけで、無事に解放され、金も貰えるならそれに越したことはない。そして、関わったことを、半永久的に口を閉ざしていればいい。

 ただそれだけだった。

 そして、そのつもりだった。

 彼はそれから一度も麻布を外されることはなかった。話が成立した後、指示通りに身に付けた服すら、彼は一度も見ていない。それどころか、彼は自分が誰の代わりに『頷く』のか、誰の代わりに拘束されているのかについても、当然知らなかった。それどころか、彼は自分がどのような格好をしているのかも、把握していなかった。彼が身に付けた服は、恐らくこの世で一番豪奢な正装の内の一つだったにも拘らず。

 やはり世の中にそんな美味しい話はなかった。

 彼は遠のく意識の中でそう感じていた。


 十字架がゆっくりと立ち上がり、レベセスと思しき総督の正装を身に纏った男の首が吊られる。

 十字架に吊られる男が実の父親だと信じて疑わないレーテは、一人の男性になされる死への一本道の所業を目の当たりにして、自分の絶叫を遥か遠くに聞いた。眩暈を覚え倒れ込みそうになるレーテ。

 だが、手足を拘束された男は、突然地面に落とされることになる。

 男を死の世界へと誘う荒縄が、突然切れたのだ。

 横たわる麻袋の男。そしてその脇には、抜き身の剣を持ち、ガラビアに身を包んだ少年。心なしか、少年の周りが薄く輝き、その光がゆっくりと立ち上っているようにも見える。

 レーテは凝視する。一瞬気を失いそうになっていた少女は、十字架にぶら下げられようとしていた人影が、地面に落ちたことで正気を取り戻す。

 あれは……ファルガ!

 見慣れた少年が、突然遠くで今まさに殺されようとしていた父親を救出した様は、レーテに動揺をもたらす。

 剣はどこからか現れた。刃に不思議な模様の浮かぶ刀身からは、ファルガの体から立ち上る光の湯気以上に濃厚なそれが立ち上がっていた。そして、それ以上に、少年ファルガは彼女が悲鳴を上げたその直後まで、少女の隣にいた筈だった。

 少年ファルガは、その剣で手早く、拘束された男の手足の荒縄を切り、被っている麻袋を剥がした。

 レーテは見た。

 父だと言われ、ドレーノ国で最も地位のある者だけが纏うことを許される衣装に袖を通し、歴代の総督の代表として裁かれる場に引きずり出されていた男。

 その男は、見たこともない青年だった。

「お……お父さんじゃない……!」

 レーテの呟きに、少女の周りの人間がざわめいた。

 お父さんだと? 総督が父親だというのか? この少女は総督レベセスの娘なのか? そんな人間がドレーノンの席で何をしている?

 直ぐには臨界を迎えないものの、明らかな邪心が少女の周りに小さな渦として発生した瞬間だった。

 だが、レーテの周りの人間も含めた、総督の裁判を傍聴しに来た人々の眼前で繰り広げられるイベントは、まさに佳境を迎えていた。小さな渦として生まれた邪心も、その存在を消されることはなかったものの、一度は小さく萎むことになる。

 元々は、今回の早朝の閃光事件、深夜の大火災の犯人探しと原因追求。そして、その結果総督が失脚すれば、国家そのものの有り方が変わってくるかもしれないという期待と不安とが、今回の総督レベセス=アーグ弾劾裁判を見守る人々の心中だった。

 レベセス政権は、過去のどの政権よりもドレーノン寄りだった。では、サイディーランを邪険にしたかというとそうでもない。結果的に増長したサイディーランが自ら『貴族特区』と称して、ドレーノン達と自らを隔てた狭い個所に居住したのも、レベセスの誘導は確かにあったものの、進んで彼らが閉じこもったに過ぎない。

 殆どのドレーノンと、サイディーランにとっては、レベセスの治世は居心地が良かった筈なのだ。

 だが、一部のサイディーランがレベセスに対して妬みや憎しみの感情を抱いたことは否めない。そして、その先駆けこそが第一位サイディーラン、ハギーマ=ギワヤだった。

 ところが、この裁判は一気に総督の公開処刑まで話が進んでしまった。一部の筈の反レベセス勢力が、一気に影響力を拡大した瞬間だった。

 確かに十字架に吊られる直前、総督レベセス=アーグは、自身の罪と、歴代総督の罪、宗主国ラン=サイディール国がドレーノ国に対して行なってきた悪事の数々を認めた。そして、その直後に出た判決は『死刑』。

 だが、席を埋め尽くす傍聴者たちは、まさか、死刑判決が出た直後に、死刑が執行されるとは、傍聴者、裁判官は勿論の事、被告人である人間すら思わないだろう。

 一度は膨れ上がった反レベセス勢力が、迅速な公開処刑に一瞬萎縮する。

 そして、更に衝撃的な事実が。被告人として証言し、罪を認めた人間が、実は総督レベセスではなかったのだ。

 これでは、この裁判そのものが成立しない。

 一瞬の沈黙の後、公判廷が騒めきに包まれる。

 ドレーノ国の首都を上げての出来事と言っても過言ではない出来事が、とんだ茶番だったとは。

「この裁判は不当だ!」

 ドレーノン席からではなく、サイディーラン席で声が上がった。

 レーテには、その声の主がカンジュイーム達総督派の面々であることが何となくわかった。傍聴人の殆どが虚をつかれた形になるが、そのタイミングで総督派は反レベセス勢力を一掃しようとしたのだ。だが、その声に思いの他サイディーラン達が同調する。原告席に腰掛けるハギーマに柔らかく問いかける者もいれば、詰問する者もいる。野次のように遠巻きに吠える者もいる。

 ドレーノンの席でも動揺は隠せない。これだけ手間と時間をかけて準備をしてきた国家の行く末を占う裁判が成立しないということは、この国の大元の価値観そのものが揺らぐということ。

 自分たちを支配する存在が、ラン=サイディール国からサイディーランに移行するかどうかの境目で、そもそもドレーノンが、ラン=サイディール国かサイディーランに支配されなければならない謂れはない、という事実を再確認する事にドレーノン席のざわめきは移っていく。

 本来、支配権を証明する出来事が偽物ならば、その権利とやらも偽物なのではないか。

 サイディーランに支配されることも、ラン=サイディールに支配されることも選択肢ならば、自らが自らを律するのもまた選択肢なのではないか。

 人々のざわめきがその機運を作っていく。


 レーテは突然、中年の男に手首を掴まれた。

「おい、お前、さっき総督の事を『お父さん』だと呼んだな? ということは、お前はラン=サイディールの人間なのか?」

 男の声が、またざわめきを呼ぶ。

 今まさに、ドレーノン全体に、ドレーノンが被支配階級である必要がないのではないか、という機運が生まれた。

 だが、それとレーテの安全が脅かされていいことにはならない。

 思わず竦んでしまい、声を上げることもできないレーテ。

「おい、黙っていないで何とか言え、小娘!」

 自分の言葉に更に興奮し、少女に詰め寄る男。

 それを制する周囲の人間と、制する人間を更に罵倒する人間が生まれ、小競り合いが発生する。

 公判廷内の証人偽者疑惑と、ドレーノン席に紛れ込んだラン=サイディール人らしき少女の存在が、周囲を騒然とさせた。

 男の少女の腕を握る手に力が籠る。

「そうだ。彼女はラン=サイディールの人間だ。そして、この私もな。

 だが、それは大した問題ではない。大きな問題は他にある。今ここで、偽りの証拠によって裁判が結審し、それと同時に強引ともいえる強硬な処刑を行なおうとした政権など、誰も認めはしない。

 ラン=サイディールの治世が、後世に誇れるほどに良い物だというつもりは決してないが、ラン=サイディールの治世を悪と位置付け、偽の証人を打ち立て、それを消し去る事で己の欲望を満たそうとするだけの為の政権を打ち立てようとすることも、また過ちだとは思わんかね?」

 少女の腕を握る男の手を、更に強い力で握る太い腕。その主は、少女によく似た強い眼差しを持つ、角刈りの壮年男性だった。

 男は、徐々に強くなっていく自分の腕を握る力に耐え切れず、少女の手を放した。

 自分の腕を摩り、蹲りながら見上げる男の視線の先には、強い眼差しで見下ろす総督の姿が。

「レベセス総督……」

 切れ長の双眸が、一瞬緩んだように、男には見えた。

「総督もお役御免さ。ドレーノは、これから自立の道を歩んで行くだろう。そこに総督が必要だとは思わない。もっとも、手伝う事があるのなら、そこに手を貸すことはやぶさかではない。

 だが、第一位サイディーラン、ハギーマ=ギワヤが、総督に変わって為政者となり、治世を行なう事には異議を申し立てよう。ドレーノ国に関わった一人の人間として」

「お……、お父さん、無事で……良かった」

 壮年の男性は、今までにない優しい眼差しで少女を包むと、ゆっくりと少女が立ち上がる手助けをした。そして、背後のドレーノンの傍聴席から最も遠い所に視線を向ける。

 壮年男性が少女の手を引いて歩みを進め始めると、ドレーノンの傍聴席の人々が、まるで預言者が海を割る言い伝えの如くに道を開ける。道の先には、サイディーランの傍聴席がある。

「そこまで無事というわけでもないよ。

 囚われていた私を彼が助け出してくれた。まさか、囚われの身となった三日間の間で、これほどに事態が進んでいるとは、正直驚きだが」

 レーテがレベセスの言うほうを振り返ると、装束を着た見覚えのある男が遠巻きに立っているのが見えた。その瞬間、少女は総督府の地下で突然姿を消したヒータックが何をしていたのかを悟る。

 ヒータックは、レーテがレベセスに助け起こされることを見届けると、そのまま身を翻して立ち去る。だが、不思議とレーテにはヒータックの次の行動を察することが出来た。

「仲間なのだろう、彼は。

 お前はてっきりデイエンにいるとばかり思っていたが。まあ、詳しい話はあとで聞こう。

 ……場合によってはみっちりお説教だ」

 一瞬、少年の様な表情を浮かべるレベセス。この時のレベセスは、実は一番怖い。

 二年前に学校をサボって友達と遊んでいた時に、小等学校から連絡が行き、呼び出しを受けた時のレベセスの、雷が落ちる直前の表情に似ていた。しかも、面白い事にその当時レベセスからレーテに与えられた説教は、およそ通常に親が子供に言って聞かせる類の物ではないのだが。

 自らを裁く筈の裁判の場に初めて訪れたラン=サイディール国の総督は、娘と共に公判廷へとゆっくり歩みを進めた。

 レベセスが身を包んでいたのは、誘拐された時と同じ、普段着のガラビアであり、箔をつける為に意図的に伸ばした顎鬚と口髭は、三日間の拘束期間により手入れされることはなく、更に伸びていた。髪型も綺麗な角刈りとはいかない程度には伸びており、レーテにそれを指摘されて、少し困ったような表情を浮かべたレベセス。ともすれば、風呂に入らないホームレスの様にさえ見えてしまう。

 この地方の風呂は、桶一杯の水を体に少しずつかけながら、白い砂で体を擦るのだと後で聞いたレーテは、一瞬目を白黒させたものだった。

 そんな他愛もない話をしながら、アーグ親子はそのままサイディーランの傍聴席に歩みを進めた。

「第一位サイディーラン、ハギーマ=ギワヤよ。お前たちのラン=サイディール国に対する感情はよくわかった。

 私も聖人君主ではないのでな、至らぬ所もあったかもしれない。

 裁判で自国の権利を証明する手法も間違っているとは思わない。むしろ、法治国家としては良い選択だとは思う。

 だが、裁判の円滑な進行を意図する余り、偽の証人を立てる事には賛同できんな。それは犯罪行為だといえるだろう」

 原告席で立ち尽くし、突然現れた本物の総督を見据えるハギーマの表情には、明らかな戸惑いと怖れが見えた。遠くから見ているだけでも、明らかに体に震えが来ているのがわかる。

 どれ程の智謀を持っていたとしても、常に屋敷という名のシェルターに身を隠したまま気炎を上げていただけの男が、戦士と向かい合えばおのずと生命の危険を肌で感じる事になるのも無理はない。

「ハギーマよ。どうする? このままこの裁判を続けることは、私が許さぬ。

 総督としてではなく、偽者による証言をされた一人の人間としてな。裁判をやり直すか? それとも、別の方法を以てドレーノの権利を主張するか?」

 レベセスはサイディーランの傍聴席から、公判廷にあがろうとする。ハギーマまでの距離は目と鼻の先だ。

 恐れ戦くハギーマの表情が、一瞬醜く歪む。

「畜生……、ツーシッヂが俺の言うとおりにしていれば、ここまで民衆の心証を悪くすることなどなかったのに! やはり、判決から処刑を急ぐことはなかったのだ!

 だが、もう遅い。こうなったら、俺の手でレベセスを処刑してやる!

 ツーシッヂ! 奴を解き放て!」

 鋭く飛ぶ指示。だが、その指示は冷静に出されたものではなく、怖れによる焦りに耐え切れなくなった者の悲鳴だった。

 原告席の後ろで控えていた、老ツーシッヂは、その顔を見にくく歪ませながら、仕掛けを起動させた。

 突然の地鳴りに腰を浮かせるサイディーラン席の人間。ドレーノンの茣蓙席にいる者達も、一斉に立ち上がった。

 次の瞬間、裁判官席が崩れ落ち始める。三人の裁判官は悲鳴を上げながらその崩壊に巻き込まれた。そして、瓦礫と化した裁判席を押し分けるように、巨大な生物が姿を現す。

 その姿は、二足歩行をする巨大な猿人だった。

なんか出てきましたね。これはプロット通り。しかし、こいつの行動がちょっと制御できなくなってきてます(笑)

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