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界遊記  作者: かえで
ドレーノ擾乱
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ドレーノ擾乱 第二章13 中座

 突然中断した裁判。

 足早に立ち去った第一位サイディーラン、ハギーマ。

 ハギーマが不在では、裁判を進める事はできない。

 慌てて原告代理人が裁判官に休憩を申し入れ、裁判長が了承した形で休廷に入るが、ドレーノンの一部、そして総督派はハギーマ退席時に裁判官群が固まったのを見逃さなかった。彼等には、それが不慮の出来事だったことが推測できた。

 当然といえば当然だが、裁判官は原告の第一位サイディーラン、ハギーマの指示通り動いている。いわば出来レースだ。裁判はシナリオが決められており、一部のサイディーランと、ドレーノンの様子を見て結論に持って行く演劇の様なものだ。

 だが、その監督であるハギーマが離席してしまっては、結論は見えていても進行がわからなくなる。裁判を初めとする交渉事は、進行を誤れば当然結論が変わってくる。その進行の台本を持つのはハギーマだけだ。

 本来であれば、原告不在であっても代理人がいれば裁判は成立する。だが、この弾劾裁判は通常の裁判とは目的が異なる。それ故、代理人は休憩を申し入れたのだ。

 

 気づいたのは、カンジュイームだった。

 偉丈夫宰相のカンジュイームはサイディーランだ。それ故、彼はこの裁判をサイディーランの席で傍聴することが出来た。そして、サイディーランとしての身分は隠さず、ちょうど裁判官の席の向かいに陣取っていた彼は目撃することになった。

 ハギーマが突然立ち上がったその瞬間、一瞬何が起こったかわからぬとでもいうように目を剥き、法廷を後にするハギーマをそのまま目で追い続ける裁判官の様子を。そして、総督府内にハギーマが姿を消した後、原告席に残る原告代理人に慌てて目を向け、何かを訴えかける裁判官の様子を。

 それに呼応するように、やはりサイディーランの原告代理人は、休廷を申し入れた形になる。

 殆どのサイディーランは、唖然としていたが、それでもその休廷が、第一位サイディーランの描く台本にない物だとは知る由もない。

 カンジュイームは、隣に腰かけていた伝令用のサイディーランに耳打ちをし、走らせた。それにより、サイディーランでありながら総督派に属する者達は、情報を共有できた。

 この裁判は、ハギーマによってコントロールされている、と。サイディーラン全体の意志、というよりはハギーマの意志により方向性が決定されている。

 ドレーノ国総督レベセス=アーグの誘拐の首謀者は、第一位サイディーラン、ハギーマ=ギワヤだ。

 あの無能が……、と最初は皆思った。だが、彼の何が変わったのか、突然覚醒したこの男は、些か性急すぎる程にラン=サイディール国との関係を改善しようとした。

 危険だ。

 ハギーマという男は、元来横暴な気質であり、加えてサイディーランの中でも特に選民意識が強い。ハギーマが先頭に立って進めている独立運動は、そのままハギーマが国王になるのが終着点だ。それでは、ラン=サイディールの支配圏から脱する代わりにハギーマの支配下に入るようなものだ。結果ドレーノは、より多くの血と涙が流されることになるだろう。それ位、ハギーマという男は、良きにつけ悪しきにつけ、特徴のある男だという事だ。

 ドレーノが独立することはいい。だが、ハギーマに舵を握らせてはいけない。それこそが総督派の考えだ。

 今までは、サイディーランにドレーノを統治する能力がなかった。その為、総督派は現政権として、暴走しないようにレベセスを立て、行動させた。サイディーランの中でも、現状のサイディーランの能力に疑問を呈する者達が、ラン=サイディールの宗主国という位置づけを利用し、バランスをとっていたという事だ。もし、レベセスが総督としての器のない人間だったとしたら、総督派は前四名の総督同様、レベセスを処分していただろう。

 だが、自己犠牲を厭わぬレベセスに、彼等は心を打たれた。彼自身、ここにずっと赴任し続ける事をするつもりもないため、彼は己の信じる道を進んだ。

 それが、総督派の支持を集めた。それ故、少し差別的な意味合いも持ってしまうレベセスの『比較イベント』も、真の狙いが最初から見えていた総督派からすれば、方法は兎も角として、理解できない内容ではなかった。

 ……次の公判で、レベセスは有罪となる。その前に助け出す算段をしなくては。

 総督派サイディーランに緊張が走る。

 そして、今回のレベセス誘拐の首謀者がハギーマであると分かった今、ハギーマの息の掛かった所を手分けして捜索させる。そうすれば、レベセスの幽閉場所が解る筈だ。

「それでは、今被告席にいる総督は……?」

 カンジュイームの隣に腰かけ、出来るだけ目立たぬようにしていたゼリュイアは、囁く様に問いかける。

 ゼリュイアはドレーノンだ。しかし、総督府で働いているため、公的な待遇はサイディーラン扱いとなっている。その為、カンジュイームの隣の席にいても問題はなかった。だが、元々ドレーノンである人間がサイディーランの傍聴席にいる事が面白くないと感じる人間は、ドレーノンの中にもサイディーランの中にもいる筈だ。それに気づかぬゼリュイアではない。それ故、出来るだけサイディーランの様に振る舞い、目立たぬようにカンジュイームの傍にいた。もっとも、カンジュイームが非常に目立つ体躯をしているため、その周囲に視線は集めてしまう事にはなるのだが。

「……あれはレベセス様ではない。総督の正装を身には纏っていて、あの方の背格好に近い者を使っているが、今回のハギーマの退席ではっきりした」

「ということは、あの麻布はレベセス様でない事を隠すためのものだったのですね」

「結果的にはそうなる。だが、ハギーマは麻布を総督役に被せた理由を別の物にするつもりだった。本来ない筈の休廷によって流れは変わってしまうだろうが、元々は休廷なしで判決まで行き、そのまま刑の執行まで行う流れだったのだろう。処刑時に顔を剥き出しにするのは、執行人の精神的苦痛を和らげる為だが、同時に近親者の報復を防ぐ意味合いもある。だが、今回は、そういった配慮と思わせて、処刑される総督が偽者であることを隠すために着けられていると考えるのが妥当だろうな」

 一瞬恐怖に怯えた目をしたゼリュイアだったが、その幼いながらも明晰な頭脳は、人一倍早くカンジュイームの語ろうとする真実を掴んだ。

「そうか……。本当は裁判が最後まで進んでしまえば疑惑のまま終わった偽者の存在が、この休廷で明らかになってしまった、という事なのですね。そして、偽者を準備したのは、ハギーマ様たちに有利な証言をさせるため……」

 カンジュイームは丸眼鏡の奥の瞳に驚きを隠さずに、しかし声を出さずに頷いた。

 だが、そうなると、偽者は元々処刑されてしまう予定だったことになる。行き着く先は死である筈のこの役割の、総督レベセスの偽者を一体何者が進んで演じているのか。偽者はそもそも自分の処刑が決まっていた事を知っているのか。それとも、何かと引き換えにその条件を受けたのか。

 ゼリュイアは、顔も名も知らぬ偽者の背景に思いを馳せ、思わず唇を噛みしめた。

 

 動悸が止まらない。

 麻の布を被らされていたのが父親。

 あの麻布を被らされた理由は、処刑。

 首を落とした後の回収を楽にするための措置。少女の脳裏によぎるのは幼少期の記憶。

 断頭台から転がり落ちた麻の布が徐々にどす黒く染まっていく。

 麻布からほんの少しだけうめき声が聞こえる。いや、声と言っていいのかどうか。不思議な摩擦音にも呼気の音にも聞こえる。それはしばらくの間続いたが、徐々に小さくなり、消えていった。

 断頭台の露と消えた犯罪者たちの、首だけになってからもしばらくの間意識があると言われている。苦悶の表情は伺えない。だが、その呼吸音が、呻き声が、微かに聞こえる断末魔が、少女に必要以上に想像力を掻き立てさせた。

 あの麻布は、そのために使うに違いない。少女レーテにはそうとしか思えなかった。

 嫌だ……。父が、レベセス=アーグが亡き者にされてしまう。悪い事などしていないのに。

 レーテは勢い良く立ち上がった。それを見た数人のドレーノンが迷惑そうな表情でレーテを振り返る。

 居ても立っても居られない。

 少女レーテは、思わずドレーノンの傍聴席から、サイディーランの傍聴席へと走りだそうとした。だが、それを阻止した者がいる。腕を掴んだのは、ファルガだった。

 腕を振り払おうとしたレーテは、それ以上の力で抑え込むファルガの強い眼差しに思わず振り返った。

「……大丈夫だ。皆見ていてくれている。もし、どうしても駄目なようなら、俺が何とかする」

 ドレーノンの傍聴席に腰かけていたファルガからは、とても想像もつかない……ともすれば、全く別人と言っても過言でない程の強い意志が感じられた。薔薇城では、命懸けでレーテを護った聖勇者ファルガ=ノンが今ここに蘇った。

 

 ヒータックは、ある予想の元、行動していた。

 裁判の前、総督府の地下で行われた偉丈夫宰相カンジュイームとのやり取り。その後、彼は突然姿を消した。

 それには理由があった。

 総督府で、偉丈夫宰相カンジュイームや、侍女でありながら明晰な頭脳を持つゼリュイアから、裁判が行われる事を聞いた。総督レベセス=アーグを弾劾する為の裁判。

 レベセスを弾劾する以上、一方的に裁判を進める訳にはいかない。サイディーランが総督の有罪を主張するなら、現総督であるレベセスにも証言させねばならない。だが、総督であるレベセスが、自分の有罪を認めるような証言をするとは思えない。だが、サイディーランが欲する証言は、サイディーランに都合がよい証言。

 となれば、彼等は偽証を求めるだろう。レベセス=アーグと名乗る者の偽の証言が必要だ。本物であろうと偽者であろうと、公的に総督レベセス=アーグと見做せる存在の証言が。

 血縁者のレーテを見る限り想像できる父レベセス=アーグという男の人となり、幼少期に祖母リーザや他のSMG幹部から聞いていた聖勇者レベセス=アーグという男、そして、カンジュイームやゼリュイアから話を聞いて思い描くことのできる総督レベセス=アーグという男。それらを総合すると、自分の命を惜しんで『司法取引』に応じるとは思えない。

 レベセス本人からは協力は得られないが、何とか現総督による証言は欲しい。それならば、その条件を満たす存在を、サイディーラン側は準備する筈だ。

 偽者の『総督レベセス=アーグ』を。

 ということは、当然本物は表舞台に出てこない。出てこられてはまずい。サイディーランの監督下に置かれた本物がどこかで幽閉されているはずだ。

 殺しはしないだろう。いつか必要になる時が来るかもしれない。もっとも、『不慮』の死は致し方ないかも知れない。都合の良い『総督レベセス=アーグ』が死を迎えれば、当然、死は与えられるかもしれぬ。

 だからこそ、本物を助け出さなければならない。サイディーランが、『偽者』の処理に奔走している間に。

 ヒータックは、ドレーノに置かれたSMGの特派員と連絡を取った。SMGから脱退する為の努力ではない、SMGとしての活動に従事してからは、SMGの情報源を最大限に活用する。

 情報の収集は一筋縄ではいかない。SMG自体がサイディーランの活動のせいでかなり行動が制限されていた。それに加えて、ヒータックのSMG脱退疑惑があり、SMGの協力を仰ぎにくかった。

 だが、過去の事を謝罪して回る事で、ドレーノのSMG所属の特派員から協力を得る事が出来た。

「ハギーマの屋敷の地下に、人が入っていくのを見たことがあります。腕を前に出したままの姿でしたが、両腕を拘束されている状態であると考えれば、合点がいきます。恐らく、ハギーマの屋敷の地下、恐らく隠し部屋がどこかにある筈で、そこに幽閉されていると考えられます。その場所は、我々では探しかねます。そこだけはヒータック様にやっていただく必要があります」

 ヒータックは、久しぶりにSMGの戦闘服、黒装束に身を包み、ハギーマの屋敷に潜入することにした。

 狙いは、全てのロニーコの住民が裁判に集中している裁判の日。そこでレベセスを探し、奪還しなければならない。その日にレベセスを探し出さなければならず、同時に、その日に連れて行って裁判で証言させなければならない。

 その日より早ければ、レベセスの周囲には監視の目があり、その日より遅ければ、不要となった本物のレベセスは処刑されるだろう。処刑という方法すら取られず、単に廃棄される可能性もある。

 隠し部屋への入り口を探す事は、ヒータックはむしろ得意としていた。

 建造物の構造に詳しいヒータックは、外部から見たどの辺りに隠し部屋が造りやすいかを、経験と理論の両方から知っていた。

 三色土器と同じ材質で作られた煉瓦を模した、作り物の壁を見破るのは造作もなかった。壁に両手を押し当て、そのまま横にスライドさせると、壁の一部がずれ始めた。

 壁が退いた先には、四畳ほどの小部屋があり、そこに両手足を拘束された男が壁にとめられていた。

 ヒータックはその男の姿を見て、驚きを隠さない。

 食料は愚か、水分すらも十分に与えられていない状態で壁に繋がれていたこの男は、衰えを微塵も感じさせなかった。むしろ、迸る生命力を感じる。それはまさに、たった今起床した少年の如き力強さだ。ただ、漆黒の闇に閉じ込められていたせいか、SMG特製の懐中灯で顔を照らされた時、若干まぶしそうな表情を浮かべるのだった。

 猿轡を噛まされているその口元に笑みさえ浮かべる余裕のあるこの壮年の男性に、畏怖にも似た感情を覚えるヒータック。口角を上げて不敵に笑うこの男と相対する己の背に、一瞬ではあるが冷たい物が走った。

 拘束され、猿轡を噛まされているこの男から感じるプレッシャーは一体何だというのか。

「……あんたがレベセスか。噂はかねがね聞いているよ。初めまして」

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