ドレーノ擾乱 第二章12 怒るハギーマ
「一体どうなっているのだ!」
ハギーマは怒りに任せて椅子を蹴り飛ばす。椅子は壁に叩き付けられ、バラバラに砕けちった。
総督府内に設けられた休憩室は、サイディーランが総督府を占拠してからというもの、ハギーマの住居と化していた。無論、地下に総督派のアジトがあるなどという事は流石のハギーマも知る由もない。
ドレーノ国の王として、この国で一番歴史があり由緒正しい建造物で生活するのに何の問題がある。これが、ハギーマが旧総督府に住まう理由だった。家財の引っ越しは当然していない。そこまでの余裕は彼にはない。まずは、裁判に勝利する事だった。だが、それは元総督府に住居を構えるのとは、彼にとっては別問題だった。
怒れるハギーマを見て怯える侍女たち。
だが、そんな怒るハギーマを見ても、執事ツーシッヂは顔色一つ変えない。その様は、予想外であるはずの公判廷での様々な出来事も、ハギーマの怒りでさえも、想定の範囲内であるように感じられた。
「そもそも、あのテントは一体何なのだ! 傍聴席の周囲に座り込むドレーノン共も! 対外的にドレーノ国の力を見せつける為のサイディーランの突貫工事も、裁判そのものも、奴等のせいで台無しではないか!」
理知的な怒り、というよりは、『帰ってきた第一位』になる前の、幼いままのハギーマが久しぶりに顔を出したような印象を受ける。
ツーシッヂは口元に醜い笑みを浮かべながら、荒れ狂うハギーマを宥めた。彼でなければ、ハギーマを抑える事は出来なかっただろう。幼い頃からハギーマの世話をし、彼に様々な経験をさせ、知識を授けてきた。そんなツーシッヂだ。一時、父を失った後で堕ちたハギーマを根気よく立ち直らせる準備をし続けた。きっかけはギラだったが、ギラがハギーマにきっかけを与えたとしても、這い上がる力自体はツーシッヂの準備の賜物だ。
ハギーマと共にあったツーシッヂ。ハギーマをコントロールする技術に関しては卓越したものがあった。
「いえいえ、ハギーマ様、全ては計画通りでございます」
ツーシッヂの落ち着き払ったその様に、なお怒るハギーマ。
計画通りだと? それでは、ドレーノンの小癪な行為もすべて織り込み済みだとでもいうのか?
「いいえ、その事については、想定はしておりませんでした。しかし、元々の目的は前総督レベセスを有罪にする事。そして、その有罪の根拠が、ドレーノによる法典によるものであり、ドレーノの民が前総督を拒絶したが故の有罪であるということ。これはまだ覆っておりません。つまりは、計画通りに事が進んでいるという事なのです。イレギュラーな事態が発生したとしても、当初の目的を妨げるものでは無ければ、怖れるには及びません。貴方様は計画通りに行動されればよろしい」
ツーシッヂの言葉を聞き、少し怒りが収まったように見えるハギーマ。だが、計画通りに進んでいるという感じはしない。ただ、計画通りに進んでいないかというと、そうでもない。結局、ハギーマにとって、あの公判廷の雰囲気が彼の中で思い描いていた物とは異なっているために不快なのだという事だ。
場の雰囲気すらコントロールしたいと考えるハギーマにとって、今の状況は彼の影響力が公判廷全てに及んでいるわけではない。それこそが彼の覚える不快感の原因なのだ。
とはいえ、この状況で裁判を続ける事が、状況を好転させることだとは、ツーシッヂも思っていない。
今までは、証人のいない事象に関して、全て総督府と歴代の総督の失政であるように印象付けることが出来ていた。だが、これからの供述に頻出する、総督レベセスを初めとする直近四総督の時代の出来事は、実際にドレーノン共も今まで見聞きしてきた内容だ。となると、今までの様にあることない事を並び立てて、総督を初めとするラン=サイディール国の勢力に責任を全て押し付ける形で裁判を進めることは、些か難しくなるだろう。
ツーシッヂは一瞬考え込む。
これからの裁判の流れとしては、現総督の起訴事実の確認よりは、今までの歴代の総督の罪状でラン=サイディールから派遣された総督という存在そのものを有罪にし、その代理として現総督を処断するほうがよりスムーズに事が進む。既に、十分総督府の罪状は溜まっている。後は、レベセスを処刑するきっかけとなる、レベセスに適用できる罪状を準備すればいい。
「ハギーマ様。このまま、総督レベセスの罪状認否を継続するのではなく、歴代の総督の罪状をレベセスに乗せ、閃光事件とロニーコ大火災発生の原因を作った者として、速い判決に持ち込みましょう。展開さえ間違わなければ、レベセス有罪による処刑をすぐに実施できます。いえ、すべきでしょう」
ツーシッヂはヒッヒと笑った。
確かに、直近の総督の悪事を休憩前の裁判同様に並び立てたとしても、これ以上裁判官を初めとする傍聴席のサイディーラン達の心証はそう変わらないだろう。
となると、同じことをし続けて効果が出ないのであれば、それは時間をロスしているのと同じことだ。それに実際の所、在任期間が短い直近の総督たちは、赴任してから何も行動を起こせていない。その前に暗殺されてしまっているからだ。その彼らに無理な罪状をあてがい、ラン=サイディール国歴代総督、そして総督府の罪状を重ねるよりは、裁判を先に進める方がよい。
直近の総督たちに罪状がない事でラン=サイディールの悪事が改善したという主張をされると、歴代の総督の悪事を並び立てたところで、ラン=サイディール国より第一位サイディーランの統治が優れているという証明にはならない。総督府の治世が悪いという事実が強固に証明されるだけだ。
勿論、ドレーノン如きにその矛盾を突き、裁判自体を崩せるとは思わないが、用心に越したことはない。一気に裁判を判決に持ち込み、そのままレベセス有罪を確定させてしまうほうが良いようにツーシッヂには思えるのだ。
「次の公判で判決及び、刑の執行を!」
ツーシッヂはそのおどろおどろしい表情を僅かに引き締め、ハギーマに進言した。
結審と同時に刑の執行?
彼の執事ツーシッヂはそれがベストだという。
だが、些かそれは早急すぎないか。
ハギーマ達サイディーランは、ラン=サイディール国に対し独立を宣言し、世界各国にドレーノの国家化を承認させる事、そして、サイディーランの国家を作っていく事が目的なのだ。
ラン=サイディール国から派遣された総督及び総督府という存在は、サイディーランの治世には必要ないという事はわかる。だが、だからと言って総督府の解体及び総督の処刑を何の準備もせずに行うのは、順序が違う気がしてならない。
独立を宣言するのに、ラン=サイディールと対等の関係を結ぶときに、総督を処刑してしまってはうまくないのではないのか?
どうも、ツーシッヂは慎重に事を進めているように見えて、先急ぎが過ぎるのではないか。
ハギーマの中に、初めて執事ツーシッヂに対する疑念が頭を擡げた。だが、裁判は開廷している。もはや後戻りはできない。かといって、ツーシッヂをいきなり外すこともできない。
「……ツーシッヂよ、判決の件はわかった。だが、その場の処刑は行わない。よいな。決して先急ぎをするでないぞ」
ハギーマは身を翻すと、コップの水を一杯飲み干し、公判廷へと戻る通路に歩みを進めた。
後に残されたツーシッヂの顔に張り付いた笑みは、心なしか歪んでいるように見える。
何を考えているのか、即座に判断はできないが、一つ言えることは、その笑みは『邪悪』だった。
いい具合の予想外の展開になってきたぞ。どうやって収束させようか……。
プロット丸無視(笑)




