ドレーノ擾乱 第二章4 ロニーコ上空にて
ルイテウから出発した飛天龍が、漆黒の闇の中に赤い輝きを見つけたのは、出発して半日と少し経った頃だった。
はるか地平線の彼方に、微かに赤い光を目の当たりにした時には、これほど遠くから確認できる強い光を放つ街があるのか、と驚いたファルガとレーテ。彼らのドレーノに対するイメージは、のどかな田園風景の広がる田舎の国家だったからだ。
だが、近づいていくに従って、その明るさは不自然さと共に不安を彼らに与える。
周囲の森を焼き尽くすかのごとく、赤い光が揺らぐ。その揺らぎは、工場の蒸気などで見られる部分的なものとは違う。進行方向の空間の一部が切り取られ、淀み歪んでいるように見えた。
燃えている……?
まさか、ラン=サイディール国首都のデイエンに戻ってきてしまったのか?
そんな錯覚を少年たちは覚えた。
だが、デイエンを焼き尽くす大火は既に過去の話だ。未だに件の火力を維持しているはずもないこともまた、彼らにはわかっていた。
輝きが徐々に近づいて来る。大地の流れる様子を見て、少年たちは飛天龍が見たことのない速度で飛行していることに実感した。
飛天龍は、丼を伏せたようなその形状の為、上昇は不得手だが、落下速度を抑えての下降は非常に得意としている。
この機体には、それを実現するための機能として滑空用の翼が格納されている。無論、翼といっても、鳥の翼のような形状ではない。
操縦桿横のスイッチ操作で、角度の付けられた板状の翼が、ボディの側面から十数枚突き出し、飛天龍の周りを高速で回転する。巨大な扇風機の回転翼部を伏せたようなイメージのその機体形状で、一枚の巨大なグライダーの翼を擬似的に作り出し、浮力を得つつ滑空していく。
翼を広げた飛天龍の表面積はほぼ九倍になり、空気抵抗も増す。それ故、落下速度が落ちるのだが、その板を少し傾けることにより、傾けた方に飛天龍が流れるように落ちていく。紙皿を伏せて投げた時に、皿の傾けた方に徐々に滑り落ちていく様子をイメージすればわかりやすいだろうか。
この飛行方法では、本来飛天龍に装備されたローター性能では出せないスピードが出せる。この航行方法を使用できるのは、飛天龍のエースパイロットであるヒータック他数名しかいない。そして、この形態の飛天龍を一人で操舵できるのは、史実ではヒータックだけだった。
ただ、この格納された翼については、元々存在はSMGでも知られていたのだが、用途ははっきりしていなかった。飛天龍同士の接近戦で武器としてその回転翼を使用したという予測も立てられたが、現在は滑空用の補助機能として使用するという見方が有力だ。これは、単にヒータックがその飛行法を上手く使いこなせたからなのだが、この回転翼を使った飛行法がかなり特異であり、汎用性がない事を考えると、滑空飛行法使用のためにこの回転翼を全機に搭載する意味はなく、本来は別の用途があり、それをヒータックが飛行に利用しているだけだと主張する学者もいる。
さて、この飛行法の体感時速は五百とも千とも言われ、到底人間が一生のうちに遭遇する速度ではない。当然、普通の人間が目を見開いて前方を注視することはできず、同乗しているファルガとレーテは勿論の事、駆るヒータックも防風防塵、呼吸用のゴーグル一体型マスクを装着していた。視界と呼吸を守る為だ。
飛天龍の飛行速度が余りにも速いため、減速には飛天龍の減速装置は使えない。減速装置を使うと、恐らく耐久力が足りず減速装置そのものを破損してしまいかねないからだ。
その為、滑空する回転翼の角度を操縦者がバランスでコントロールすることで徐々に減速していくという方法を取るしかないが、滑空飛行法以上に、その減速方法は使用者を選ぶため、実質使用者はいない状態だ。ヒータックですらこの飛行法をあまり選択しない事がその困難さを物語っている。
ファルガとレーテは息を飲む。
何度もロニーコ上空を通り過ぎているうちに、その赤い輝きが街並みの大規模火災である事に気付くが、高速で飛行する鋼鉄の塊がそう簡単に停止するはずもない。
レーテは、業火の中にいるだろう父の安否が気になって仕方がなかった。だが、それを口にしたところで何も変わらない事がわかっているレーテは、ただ無言で眼下に広がる火の海を見つめているしかなかった。だが、ある程度飛天龍が減速し、燃え盛る街並みと逃げ惑う人影の姿が確認できるようになった時、レーテは思わず悲鳴を上げていた。
彼女の悲鳴がほんの数日前に発生した、ラン=サイディール禍での街の炎上をフラッシュバックさせたのだという事は想像に難くない。
ファルガも呻き声こそ上げないが、眼下の地獄絵図から目が離すことができなかった。
よろよろと逃げ惑う人影の歩みが止まり、その場に倒れ込んで動かなくなった後、その人影が炎に包まれていく。争う人間同士が殴り合い、片方が倒れ、動かなくなった後、残った方の人間が倒れた人間から何かを奪っていく。女であろう人影を追い回し、後ろから殴打した後、組み伏せて何かをする男であろう人影。女であろう人影を組み伏せた男であろう人影は、背後から近付いてきた別の人影に首を飛ばされたようだ。
それは、ラン=サイディール禍を生き抜いたファルガも目撃していない、ラン=サイディール禍の別の側面でもあった。それを、ファルガはラン=サイディール禍ではなく、ドレーノ擾乱で目の当たりにすることになった。
暴動、動乱、闘争。
人の集団が秩序を失う時、人は欲望を満たそうとする。それは生の欲求であり、生物としての本能としての欲求だ。
その様は、少年少女には、汚い物として映っただろうか。それとも、人として剥き出しになった欲求を仕方のない物だとして受け入れる事が出来たのだろうか。
正解は当然ない。その人間が、その事象に対してどう受け止め、どう対処するか。理解するか。理解しないか。納得できるか、納得できないか。ただそれだけだ。ただ、嫌ならばそれに抗う力を持つしかない。この瞬間は、彼等は人の姿をした欲望の化身に過ぎない。
「俺はこのままここから降りる!」
ファルガは、高速走行に耐える為に手摺と腰とに括り付けられた安全用固定ベルトを外しにかかりながら叫んだ。
「無茶言うな! そのまま飛び降りたとしても、生きて降りられるわけないだろう! あわよくば命を失わずに降りられたとして、この火災の中で、レーテの親父さんをどうやって探すつもりだ? 親父さんの顔も知らんだろう!」
減速が大分進んだとはいえ、まだ静止には程遠い状態で、マスクを外して叫ぶファルガに対し、ヒータックは厳しく静止する。だが、ファルガの気持ちもわからなくもない。隣で動揺を隠せない少女がいて、自分しか何かすることが出来ない状況だとするなら、何かせずにはいられないだろう。
ただ、今動いても具体的に何かできる訳ではない。それがヒータックにはわかっているからこそ、逸るファルガを抑えたかった。
「もう少し待て! ロニーコ傍の森林地帯に着陸する! そこからロニーコに向かえ!」
だが、ファルガはヒータックの言葉が終わらぬうちに大きく跳躍。後方宙返りをするように飛びあがると、そのまま業火の中に墜ちていった。
「とりあえず、似ている雰囲気の人を探してみる!」
彼が残した言葉だ。
当然、ファルガはレベセスを知らない。顔の造作も、レーテとの血縁者とは似ていない可能性も多々ある。
だが。
だからといって、そのまま飛天龍の上でじっとしている事はファルガにはできなかった。
レーテとヒータックのファルガを呼ぶ叫び声は、飛天龍のローター音にかき消される。
「ヒータックさん!」
火の海の中に身を投じたファルガ。その後を追って欲しいと主張するレーテだったが、ヒータックに拒否される。
「ああはいったが、奴なら大丈夫だ。奴は聖剣を持っている。聖剣が奴を真の所有者として認めていたなら、何らかの方法で奴を護るだろうさ。今はそれより、奴がドレーノ総督と出会えた場合の事を考えるべきだな」
動揺しかけていたレーテの震えが止まる。
確かにヒータックの言うとおりだ。このまま上空に留まった所で、火災を鎮める事はできない。何もできないなら、これ以上ここに留まるのは、むしろ危険だ。
それよりは一度ロニーコから離れて着陸し、状況を確認すべきだ。
ヒータックの言葉には反論を許さぬ強さがあった。
ドレーノが火の国である話は聞いた事がない。
それが、ロニーコ全土を覆い尽くさんばかりの規模の火災は、何か事件があったからこそだ。その理由を知らぬ限りは、この火災を鎮める事が物理的にできたとしても、今後のドレーノの国家としての見通しはあまり良い物とは言えないだろう。
幾つもの都市の暴動を見てきたヒータック。
上空でレーテたちが見た、人々の行動。自然発生、または過失で発生した火災ならば、その燃え盛る炎の中で人が人を犯し、殺める構図はあまり見る事がない。
火災はある感情の発露の結果だと考えた場合、やはり暴動や騒乱と考えざるを得ない。
いずれにせよ、この火災が収まった所で、レーテの父、ドレーノ総督レベセスは失脚する可能性が高いとヒータックは踏んでいた。
となると、彼を無事に救出することもなかなか骨が折れる。
レーテには当然話せないが、既に総督は亡き者にされている可能性もある。
ラン=サイディールの近衛隊長であったレベセスであっても、暴動時の民衆を躊躇なく斬れるとは思えない。それに対して、相手は箍の外れた人の姿をした化け物たちだ。
どう贔屓目に見ても、レベセスの生存の可能性はぐっと低くなる。
仮に救出したとしてどこにいく? ドレーノにはいられない。ラン=サイディールにも戻れないだろう。
ファルガを落したヒータックの駆る飛天龍は、そのまま一度ロニーコから離れ、そこから余り離れていない熱帯雨林の空き地部分にその機体を降ろすことになった。
ヒータックは、明るくなるのを待ち、飛天龍を隠してから、現地の衣装であるガラビアを装束の上にはおり、頭にはターバンを巻いた。
レーテも少女用のガラビアを身に纏い、隠れた足の脹脛の部分にヒータックから渡された護身用の短剣を身に付けた。
二人は日の出の直前、猛獣避けの低い塀を越え、ロニーコ内に潜入した。
最初書きためていたものとはだいぶ展開が変わってきています。自分でもどう変わっていくのか楽しみ。




