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界遊記  作者: かえで
ドレーノ擾乱
56/252

ドレーノ擾乱2

「ガガロめ、やりやがったな……!」

 レベセスは上空に浮かぶ黒い点に向かって、吐き捨てるように呟いた。


 ラン=サイディール国近衛隊長にして、現ドレーノ国総督であるレベセス=アーグの下に、ロニーコの外れで発生した爆発事件の一報がもたらされたのは、ある晴れた日の早朝だった。

 だが、レベセス自身、その一報がもたらされる前には既に異変は感じ取っていたし、誰の仕業に拠る物かも察していた。

 一報を受けた瞬間、ドレーノで支給されたブロードソード片手に、場所も聞かずに飛び出していったレベセス。唯の鋼鉄の剣で、かの男とまともに戦えるとは微塵も思っていなかったが。それでも、お守りとしての機能はあったかもしれない。

 だが、現場の惨状を目の当たりにして、彼は立ち尽くすしかなかった。

 高温で変形した白い建物群。死者はないとの報告だが、どう見ても瞬間的な高熱で、不自然な場所に焼き付いた幾つかの『染み』。そして、目の前の惨状の痕跡が、全てドレーノ総督レベセス=アーグの契約不履行による報復としてなされた結果の物になっているということ。

 ドレーノの文化の一つでもある『白壁造り』は、ドレーノ文化圏における高温対策とスコール対策の粋を集めた物だが、その白壁にコーティングされているガラス部分に細かい泡が出来上がっていた。その細かい気泡を見つけ、レベセスはこの地に高熱の何かが発生したことを察した。

 変形したとされる建物のある区域はそう広くない。路地の一角、建造物の壁の一部が奇妙に歪曲している、ただそれだけの状態だった。だが、その変形の小ささこそが、極めて狭い場所に超高熱の何かが発生し、周囲を完全に破壊する前に蒸発した事を物語っている。ただ、その熱が余りに高い為、その『何か』が瞬間的に発生しただけであるにも拘らず、その影響で周囲に影響を及ぼした、という感じだった。

 変形した白い壁に数箇所出来ている人の背丈程もある黒い楕円の染み。成人女性の身長と、少年少女程度の身長の人間が寄り添って立っているようにも見えるこの楕円の染みは、この狭い範囲にのみ存在した。ただ、ロニーコでは戸籍の管理が出来ていなかったため、誰がいなくなったのかということは明確化できなかった。そして、染み以外何もなかったので、その染みの原因が何かは不明だったが、これも、極めて狭い範囲で何らかの出来事が起きたということだけは理解できた。この染みが、その出来事が発生したため、超高温で瞬間的に人間が蒸発した痕だという事も……。

 不幸中の幸い、というと不謹慎ではあるが、この事件の発生が皆朝食時だったこともあり、殆どの人間が高熱対策のなされている建物の中にいた事が、被害者を最小限に抑えた。しかし、それは同時に目撃者がいないことも意味し、何が発生したのか、という真相にたどり着くことができずにいた。

 その時、耳を塞いでも聞こえてくる大きな声。地の底から響いてくるようにも、天から降ってきた声のようにも感じられた。

「先ほどの『光の矢』は、契約を破棄したこの国に対する報復である!」

 轟音と地響きの発生に、恐怖を感じざるを得なかったロニーコの人々は、突然語りかけてくる言葉の主に萎縮する。人々は天を仰ぎ、周囲を見回し、足元の地を探った。だが、声の主が遥か上空の黒い点のように見える『それ』である事に気付く者は皆無だった。総督レベセス=アーグを除いては。

「そなたらの国の為政者である総督レベセス=アーグ。この者は、この私とある契約を交わした。この地に安寧を与える代わりに、伝説の聖剣を私に譲り渡す、と。

 だが、その契約は未だ果たされていない。

 総督レベセス=アーグに告ぐ!

 聖剣を授けよ!

 そなたの契約不履行が、この地に災いを招く!

 私にも時間がない。聖剣を渡さねば、巨悪によって、この地は愚か世界が滅ぼされる!

 私も実力行使に出たくはない!

 五日間の猶予を与える! そなたは速やかに契約を履行し、聖剣を私に授けよ。さすれば、この地には平和が訪れる!」


 ここに居てはまずい。

 人が自分の存在に気付く前に、この場所を去らなければ。

 今ここで、ガガロの言葉に影響されたドレーノ国民、とりわけロニーコ住人は、得も言われぬ恐怖と不安とに襲われ始めている。

 誰も、先程の爆発事件がこの声の主のガガロによって引き起こされた所を目撃していない。だが、誰もがこの事件をガガロによってなされた物であると確信し、そして、ガガロの言葉を信じつつある。唯一の嘘である『総督レベセス=アーグと交わした契約』についても。

 途轍もない力を見せつけ、その圧倒的な力が味方にも敵にもなりうることを仄めかし、そして、国民たちに『懇願』という形の依頼をすれば、人々の心はガガロへと傾く。同時に、何故圧倒的な力を持ち自分たちを護ろうとするガガロとの契約をレベセスは履行しないのか、と人々はレベセスを責め始める。

 この国を捨てて遁走するわけにはいかない。だが、少なくとも、レベセスの周りにいる人間の安全だけは確保しなければならない。

 やがて、人々は武器を手にし、大挙して総督府を訪れるだろう。その前に、彼の身の回りの世話をしている少女ゼリュイアを安全な所に避難させねばならない。

 その後で、半興奮状態で押し寄せてくるロニーコ住人たちを説得しなければならない。一歩対応を間違えれば、暴動へと発展する。そうなれば、数多くの不要な血が流れる事になるだろう。暴動は、発生のきっかけこそ一つだが、その結果は様々な欲望の発露も伴い、破壊や虐殺に及ぶことも多いからだ。

 ロニーコ住人たちと対する為には、少なくとも、こちらが弱点を持ち続けていることは悟られてはならない。

 あくまで、毅然と。ガガロが≪雷電光弾≫の術を用いて、住人たちにその力と目的とを一瞬で悟らせたように。

「ガガロめ、いつからこんな手の込んだことが出来るようになったんだ……。ほんの少し前までは、只漠然と放浪をしていた剣士が」

 最小限の行動で最大限の効果を得る事を考えてなされたガガロの行動に、レベセスはフィアマーグの影を感じざるを得なかった。だが、それと同時にガガロにやらせているフィアマーグ自身は、行動を起こすことが出来ないのだという事も今回の事件で察した。

 どれ程ガガロが強かろうと、どれ程ガガロが上手かろうと、神を凌ぐ方法で行動を起こすことはできまい。だが、それを敢えてガガロにさせるという事は、フィアマーグ自体は行動を起こせる状況にないという事だ。少なくとも今この瞬間は。

 フィアマーグの真の目的も知っておきたい。

 本当に巨悪を退けるだけが目的なのか。それとも、更に別の目的があるのか。そもそも巨悪という存在その物がフィアマーグの捏造なのか。

 伝説の魔王フィアマーグが実在するとなれば、神ザムマーグも実在する可能性は非常に高い。今後、フィアマーグ派のガガロと事を構える事は多くなるだろう。その時、どうしてもレベセスはザムマーグとコンタクトを取っておく必要があると感じていた。フィアマーグ対策として。フィアマーグを抑えられるのはザムマーグしかいないからだ。

 どうやって神と交信するのか。

 そんな方法があるのか。

 そもそも発想として馬鹿げ過ぎてはいないか。

 様々な感情が湧き上がる。だが、今その感情を精査する必要はない。

 まずはゼリュイアの安全の確保だ。それにはまずは総督府に戻る事。

 恐らく、先程のガガロの演説は、ロニーコ全土に響いているに違いない。となれば、レベセスの姿を国民に見られるのはまずい。レベセスの姿がそのまま暴動に発展しかねない。

 レベセスは人々の目に触れぬよう物陰に入ると、そのまま跳躍。白い建物の屋根を飛び移り、総督府を目指した。


 ドレーノ特有の白壁の建物群。

 その白壁の建物の中で、ほんのわずかに装飾の施された建造物がある。

 城とはとてもいい難い、ただの住居とも趣を異にした白い建物が、町の中央部の広場に鎮座している。全体的に丸みを帯びているのは、この地方の神殿的な位置づけの建造物を、総督府に流用したからだろうか。

 この世界には、実は神ザムマーグ以外にも、土着の神は国家ごとに存在する。勿論、信仰上『存在する』という事であり、実在するかどうかは別問題であり、同時に実在の解釈もかなり抽象的なものになるが。

 その位置付けも様々で、ザムマーグに国の統治を命ぜられた神もいれば、ザムマーグそのものが名を変えて祀られている場合もある。中には、ザムマーグの上位神、という位置づけの神もあるという。

 だが、いずれにせよ、どの国家の貴族も基本は神の名の元に自身の統治権を主張するというやり方で、執政を行なっていた。

 サイディーランは、その建造物に住まう事で、ドレーノンに対して畏怖を抱かせていたが、その流れをレベセスが踏襲したわけではない。単純に総督府がここだから、という理由で執政をはじめたが、その事実を知ってからはいつか総督府を移転することを念頭に置いていた。

 今、レベセスは人目につかぬよう、白壁の建造物の屋根伝いに移動していた。だが、総督府を目の当たりにした時に、彼の足は止まった。

 総督府の周りを無数の住民が取り囲んでいたのだ。

「遅かったか……」

 レベセスは何とか人目を忍んで総督府の中に入ろうとしたものの、その方法は姿を消し、住民たちを飛び越えて屋根に飛び移るしかなかった。だが、そんな方法などあろうはずもない。

 建物の周囲を取り囲んだ人垣がゆっくりと割れ始めた。それに伴い、玄関の様子がわかるが、その扉は開かれていた。そして、人垣が割れていくその部分には、一人の子供がいた。そして、その背後には、一人の男が。

 子供は、侍女ゼリュイアに間違いない。そして、その後ろを歩く男は、ラン=サイディール国植民地省事務次官カンジュイームだ。


 カンジュイームは、レベセスがこの地に赴任する前から、ラン=サイディール国の一部署である植民省の事務次官として、ベニーバが宰相として立つ前の国王、今は亡きオニーユの命でドレーノに赴任していた。デイエン大学を首席で卒業した彼は、レベセスとは真逆の文官として、着実にキャリアを積んでいた。内々示で、レベセスの次の総督は彼だと告げられており、彼は来たる自分の政権の為に下準備を重ねていた。

 歴代の総督が何故ドレーノで通用しなかったのか。何故ドレーノから追い出されたのか。それらの研究を重ね、小さい書庫ならば足の踏み場のないほどに積み上げられた書籍としてまとめている。彼の敵は、明らかにサイディーランだった。

 過去の栄光に捕らわれ、ドレーノンを搾取の対象としてしか見ていない彼らは、今後のドレーノ、とりわけ、カンジュイームが求めるラン=サイディールの属国としてのドレーノには、完全に無用の存在だった。

 レベセスよりも長身の偉丈夫は、小さな丸眼鏡をかけ、ターバンを巻く。ガルビアを身に纏った色黒のその風体は完全に魔人だ。だが、そんな厳つい容姿に対し、彼は武の天賦の才は持ち合わせていなかった。カンジュイームはレベセスの嫌う二世官僚だったが、それでも兵部省元長官により徴用された。それは、彼が愚直なほどにドレーノについて一生懸命砕身していたからだ。ともすれば、レベセスすら不要であるというほどに。そして、それ以上に、彼が有能だったからだ。

 『昇竜二法』は、概要はレベセスに依るものだが、その詳細が明文化され、法として整備が施され、漏れのない稀代の良法と後世まで賞賛されるにたりえたのは、単に彼の力による。かつてはドレーノンを嘲笑の対象とし、同じ空気を吸う事すらあり得ないとした、半ば生理現象に近いほどの嫌悪は、とあるドレーノンの少年に命を救われることで正反対に転化した。

 死に瀕した彼を、無償の献身で支えた少年。その結果、彼は死に至った。だからこそ、カンジュイームは、恐れ多いほどの敬意でドレーノンを考えるようになったのだ。

 無論、レベセスはカンジュイームと何度も衝突した。だが、何度衝突しようとも、彼はカンジュイームを罷免することはなかった。

 カンジュイームが怒るのにはそれなりの意見がある。その意見と自分の意見を照らし合わせ更なる良法を求める。それには、自身の主張する法と、カンジュイームの主張する法のよい所を冷静に分析する必要があった。

 レベセスは、人間性はともかくカンジュイームを確かに認め、御意見番として重宝していた。

 そして、カンジュイームもレベセスに対する感情は同様だった。

 武官は執政に関しては無能。

 その先入観を取り払ったのが、他でもないレベセス=アーグその人だったからだ。

 彼は、純粋に無知だった。少なくとも、長い間執政に関する学を納めてきた人間であるカンジュイームにとっては。だが、乾いた土が無尽蔵に水を吸っていくように、レベセスはカンジュイームの教授する知識を身に着けていった。そして、それに加えて独学でも習得に勤しんだ。

 結果、総督レベセスは機能する。

 それはカンジュイームの努力の結果であるともいえた。


 民衆に囲まれたカンジュイームは、しきりに冷静さを訴えた。彼の前に立つ少女ゼリュイアも同様だ。

 だが、直前に起きた出来事と、その出来事を引き起こした張本人と思しき人間の言葉を聞き、民衆たちも冷静でいられるはずもない。

 目の前で大地が焼かれる。閃光と高温が瞬間的に周囲を包む。

 民衆たちを震え上がらせるのには十分だった。そして、この圧倒的な力が、明らかにとある存在から発せられたものであると分かれば、その存在に対する恐れは高まる。恐れが畏れになった時、人はその存在に盲目的に従うようになる。

 死者は確かに出た。それは紛れもない事実。

 だが、怪我人は一人も出ていない。そして、死者がこの爆発事件の被害者であることを知る者が誰もいない。すなわち、被害者はいるのだが、被害者がいることを周囲が誰も認知していないという非常に特異な状態になっている。死者は消滅し、存在そのものもほぼ消されたに等しい。少年ノウ=リーと、事件の瞬間、彼から魚を買っていた数人は消滅した。無論彼らが人々の記憶から消え去ったわけではない。だが、日々の生活において、昨日まで親しく話をしていた人間と会わなくなったとしても、殆どの人間は気にしない。唯一気にするのはその家族くらいだが、その家族も、今回の爆発による死者だとは思いもしないだろう。その爆発に巻き込まれたという状況証拠が全くないからだ。僅かに白壁に残された『染み』以外は。

 『ドレーノ擾乱』と後世で呼ばれる事になるドレーノの事件は、研究者によって『染み』が『きっかけの爆発事件』の被害者の跡であると結論づけられるまでは、被害者ゼロの爆発事件として人々には認知され続ける事になる。

 もし、もっと早くに死者が出た事がわかっていれば、爆発事件を起こした存在であるガガロも、暴動に発展しかけたこの事態を収めたレベセスももっと非難されていたに違いない。そして、その後のレベセスとガガロの関係も微妙に違ったものになっていたはずだ。


 民衆の不満は徐々に高まっている。

 この緊迫した状況は、高まる民衆の感情に拍車を掛ける。

 何か手を打たなければ取り返しのつかない事になる。

 総督府のすぐそばの白い建造物の屋根に到着したレベセスは、現況への対応が一刻の猶予も許さない事を強く感じていた。

(どうする……。このまま時間が経過すれば、民衆の感情が爆ぜる。そうなったらもう止められない。何とか、まだ爆ぜる前に不満を取り除かなければ……!)

 群衆の中央付近に、少女と偉丈夫が立つ。だがその様は、潮干狩りに熱中しすぎたが故に満ち潮に取り残された家族のように、酷く儚げに見えた。迫りくる潮は、足元を徐々に侵食していく。そして、その波は数を徐々に増していく。

 実は、レベセスはガガロの行為そのものを見てはいない。

 だが、ガガロの最も得意とする術は、閃光と熱とを操る術≪雷電光弾≫。氣を高め、大気中の非生命エネルギー≪マナ≫をコントロールし、極限まで圧縮。圧縮することで熱と光を発生させ、それを対象に命中させる。

 レベセスも≪雷電光弾≫を使う事はできるものの、術に秀でたガイガロス人のガガロの用いるそれとは比較にならない。

 だが、人々の不満は、得体の知れない恐怖からきているのは明らかだ。となれば、その恐怖を取り除くことで、不満は軽減される筈だ。

 恐怖を取り除くためには、得体の知れない存在の正体を暴露してやればよい。そして、その正体を、彼等が認識すればよい。取るに足らないものであり、恐れるに足らぬものであると。……もし、それが実はその正体でなかったとしても。

 成功するかは一か八か。だが、何もしないわけにはいかない。

 やるしかない!

 レベセスは、白い建造物の屋根の上で仁王立ちになる。そして、下腹部に力を込めた。

 下腹部には、丹田があると言われる。

 生命エネルギーである『氣』を溜め、練る事の出来ると言われる器官。ここに神経を集中させ、体内を巡る『氣』を溜め、練り上げる。

 聖剣を手にしている時には、集めて練り込むまでもなく、聖剣に送り込んだ『氣』が何倍、何十倍にもなって体内に戻ってくる。これは、所有者の代わりに、聖剣が刀身内で『氣』を練り込み、所有者の元に戻すという聖剣独特の機能なのだが、『氣』のコントロールが出来るようになると、それを簡易的ながら自身の身体を使って出来るようになる。

 いわば、聖剣を持たずに第一段階を発動させることが出来るようになるということなのだが、レベセスは既に聖剣を持たずして第二段階を発動させることが出来るようになっていた。

 聖剣の第二段階は、動体視力や瞬発力、判断力などの身体能力が、通常の十倍から二十倍に上昇するとされる。青白い光の膜から、これまた光の湯気の様な物が立ち上がる第二段階は、ラン=サイディールの薔薇城、鐘楼堂にてガガロとファルガの戦闘中に一瞬だけファルガが到達した聖剣コントロールレベルだ。

 この『氣』のコントロールを、レベセスは聖剣なしで行えるようになっていた。

 だが、第二段階になったレベセスですら、ガガロの得意術である≪雷電光弾≫を同じ威力で発生させることはできない。

 それでは、彼はどうやって民衆から恐怖を拭い去ろうというのか。

 彼の考えていたある方法とは、ガガロの放った初撃には全く及ばない≪雷電光弾≫ではあるのだが、それと同じ現象を、只のサイディーランであるレベセスが起こすことにより、ガガロの行動が、実はそれほど大した問題ではなく、彼の脅しに従う事もないという事を、言葉を使うことなく、民衆の前で証明する事だった。

 それにより、人々は恐怖から解放され、平常心に戻るだろうと考えたのだった。

 だが、ここで一つ問題が起きる。

 レベセスが起こすことのできる≪雷電光弾≫が、必死に『氣』を練った結果であっても、ガガロの起こしたそれの何十分の一、いや、何百分の一の威力も持たないだろう。幾らそんな術を用いて説得を試みた所で、人々にはより大きな不安感を与えてしまう事は自明の理だった。

(≪雷電光弾≫では、ガガロの威力の比較にはならない。とすると、そもそも同じ術であるという認識も、民衆には与えられないだろう。どうする……)

 ほんの一瞬の思考の時間。

 同じ術でありながら威力が異なるため、同じ術であるという認識を周囲の人間に与えられないとするならば、実際に自分が使う術は、ガガロと同じ術でなくてもいいのではないか。

 レベセスは、利き手である右腕を空に突き上げる。そして、ガイガロス人の得意とするマナ術ではなく、人間に分のある『氣功術』を用い、民衆に語り掛けた。

「……≪伝≫……!」

 『氣功術』の≪伝≫は、空気の振動と共に、生命エネルギーである『氣』の振動を用いて、音を伝える術だ。人々の頭脳に耳から入るのは音。そして、脳に直接語り掛けるのが『氣』。人々からすれば、レベセスの声は、耳を塞いでも聞こえてくる不思議な声として認識されただろう。それは、爆音の鳴り響く戦場であっても、味方に声を届かせる術としてよく使われる術だ。そして、ガイガロス人であるガガロが使える幾つかの『氣功術』の一つでもある。

「括目せよ!」

 レベセスの声は、民衆の耳に、頭脳に直撃する。

 高ぶる民衆の感情は、一瞬冷水を掛けられたかのように冷え切った。

「≪操光・閃≫!」

 レベセスは、絶叫した。

 同時に、全身に溜めた『氣』を掌に集中させる。

 人々が横からのレベセスの声に反応するように振り返った瞬間、人々の目を閃光が射貫いた。民衆は皆目を覆い、激しい閃光に視界を奪われる。

 人々の目が眩んでいるその瞬間に、レベセスは≪伝≫を使って演説を始める。

「……皆さん! わかりますか? 

 これが、早朝に起きた現象の正体です! 彼の者は、人質をとり、私に対し脅迫をしようとしました! 人質とは、皆さんのことです!」

 眩い輝きは、レベセスの掌からは既に失われている。だが、直視をするように視線誘導をされたロニーコの民は、未だに目が眩んでいる。そして、視界が奪われている現在、彼等は、当初の如くに不安に悩まされることになる。

 その状態で、次はレベセスが思考を誘導する。

「彼の者が起こした現象は、全く恐れる物ではありません。何故なら、この私ですら再現可能なものだからです。

 そして、それはいわば、皆さんたちでも実現が可能だという事なのです!」

 民衆の言葉にならぬ怖れは、一瞬沈黙する。こんなことを人間が再現可能なのか、と。

 一瞬の間を置き、レベセスは言葉を繋げる。

「……無論、それなりの鍛錬は必要です。ですが、この『術』は、鍛錬次第では誰しもが使う事の出来る能力なのです!」

 レベセスは一つ一つ言葉を紡ぎながら、次の最も効果があると思われる言葉を選ぶ。

 これで民衆たちは、得も言われぬ脅迫の恐怖と瞬間的に向き合う事になったはずだ。そして、その恐怖が、実は恐怖を覚える必要のない類の物であることも伝わった筈。

 だが、次に問題になるのは、ガガロに踊らされて、総督府に詰め寄る為に行動を起こしてしまった民衆の、掴みどころはないが確実に存在する罪悪感だ。

 ともすれば、脅迫者の意のままに行動をしてしまったという事に対し、罪悪感を持つ者もいるかもしれない。だからこそ、その罪悪感を無効化する言葉を選ばなければならなかった。

「……あなた方は、ひょっとすると酷く罪悪感にさいなまれ始めているかもしれません。ですが、この行動は否定されるべきものではありません!

 よいのですよ!

 皆さんは国を守る為に、総督府に集まり、今後の流れを相談しなければならなかったのですから。それこそが、ドレーノンの自立!

 今まで、歴代の総督は、皆さんに与えるだけの存在でした。そして、皆さんはそれを享受していた! いい事も悪い事も!

 ですが、これからは、いい事は受け入れ、悪い事は排除しなければなりません!

 私は嬉しい!

 私は『自立心の芽生えた』人たちに協力は惜しみません!

 今回は、偶々彼の者の無意味かつ滑稽な脅迫に、知らず知らずのうちに乗ってしまっただけ!

 本来ならば、この程度の脅迫は無視しても差し支えはなかった!

 次からこのような脅迫は、無視をするというスタンスでよいではないですか!」

 レベセスは、ここで一度言葉を切る。

 民衆の反応を見る為だ。

 言葉の意図が伝わっていれば、次の話に進めばよい。だが、理解が乏しいようであれば、もう一度別の表現を使って、伝えなければならない。

 ガガロの脅迫は無力、または脆弱である事。その脅迫は恐れるに値しない事。その恐怖は、感じる必要のない物であること。

 しかし、ここに集まったことそのものは、決して間違っていない事。そして、ロニーコ市民、ドレーノ国民は、自分たちで様々な事柄を決定していかなければならないという事。その為の試金石としては、総督府に集合することは、正解であったこと。

 そして、それは彼らにうまく伝わっているようだった。

 理解の低い者は、周囲の理解した者に尋ね、理解した者は、理解の低い者に自分の言葉で説明することで、己の理解をより強固なものとする。

 その様子が辺り一帯で見られた。

 レベセスは、ゆっくりと、そして強く言葉を紡ぐ。

「皆さん、落ち着かれましたでしょうか!

 せっかく総督府の前に集まったわけですから、この機会を無駄にすることもないでしょう!」

 レベセスは、白い建造物から飛び降りると、民衆に向かって言葉を続ける。

「一日早いですが、今日は休日としましょう! 私も、今日は休みにしようと思います! 今日どうしてもしなければならない事がある者以外は、明日働けばよろしい! 休める者は明日も休めばよろしい!」


 レベセスは、カンジュイームとゼリュイアの元に行くと、ねぎらいの言葉を掛けながら、総督府の地下倉庫にある酒を振る舞うように指示した。

 同時に、飲食系の出店や屋台を扱う者には、この場で店を広げ、食事を振る舞ってほしい旨を告げる。

 請求は総督府で構わない、と。

 また、果実飲料を取り扱う出店の物にも同様の指示をした。

 カンジュイームとゼリュイアは、グラスやカップを持ってきた者には、無償で一杯の酒を振る舞った。全ての者に行き渡るように。

 一杯だけの施しではあったが、民衆は大層満足したようだった。

 先程まで張り詰めていた民衆の心は徐々に和み、暴動へと発展しそうだった民衆の昂った感情は、それがそのまま祭りの昂りとして変化し始めていた。

 人々はそこら中で肩を組み、大声で歌った。

 談笑し、笑い声が絶えず起きた。ある者は踊り、ある者は喝采する。

 総督府は今季大赤字だろうが、それでも経済の根幹が破壊される暴動に発展するよりは遥かにましだろう。それに、総督府の地下に眠るあれらの酒は、この地方の酒を必要以上に納めさせ、ストックしていた物。いわば過去の総督の遺産だ。

 どうせ、ラン=サイディールになど報告していないに違いない。破棄はもったいないが、自分が飲むわけにもいかない酒の処分としては、最も良い口実ではなかろうか。

 宗主国ラン=サイディールにはどう報告するのか、と肩を落とすカンジュイームを宥めながら、他の住民たちと共に、食事をし、談笑し、踊り歌うゼリュイアを眺めるレベセス。

「カンジュイームよ、お前も今日は何もかも忘れて飲んで食べろ。お前はそれだけの事をしてくれた。何なら明日も休みで構わんぞ」

 レベセスに渡されたカップを受け取り、半ば自棄気味に酒を煽ったカンジュイーム。

 いつしか、彼は手酌で何杯もの酒を飲み、他の者達同様、気持ちよく酔い潰れてしまった。

 宴は翌日の早朝まで続き、酒が切れ、人々がほぼ寝静まる事で終了した。




 早朝の閃光と轟音によって始まった、ドレーノ史上最大級の混乱は、まだ日の高く上がらぬうちに、祭りへと昇華された。

 だが、この時の事は、どの歴史の書物にも残されなかった。

 暴動になりそうだったロニーコの感情の高まりは、その高まりをそのままに、人々が最も好むイベントの一つである、季節ごとの感謝祭と同じような位置づけに変わった。

 こんな、嘘のような出来事が、後世の研究者に額面通りに受け取られる筈も無い。

 総督は、麻薬のようなものを使ったのか、あるいは、何か別の事の象徴として、総督が民衆を鎮静化させたか。ひょっとしたら幻惑をしたかもしれない。

 だが、それ以上に、この後に発生する混乱の方が特筆に値するからだろう。

 今回の『沈静』は、レベセスの政権を終息に向かわせるきっかけに過ぎなかった。

令和初投稿です。

ただ、微調整はする予定です。

ガガロが高めた感情を、レベセスがベクトルを変える、という本筋は変わらないですけれども。

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