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界遊記  作者: かえで
ドレーノ擾乱
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ドレーノ擾乱1

 担ぎ棒の両端につるされた二つの籠を運ぶ少年の姿は、まるでやじろべえだった。だが、それを指摘したところで少年は訂正しないだろう。いや、やじろべえを知らぬだけなのかもしれない。

 二つの籠を運ぶようにしているのは、その日のうちのとれた魚を出来るだけ数多く運ぶため。今朝獲れた新鮮な魚を各家庭の朝食に間に合うように送り届ける事が彼の仕事だ。

 少年は、ロニーコでも屈指の漁師だった。

 日の出直前の、明るくなりかけの海に潜り、まだ起きていない魚を銛で突く。魚が眠れる場所なので、波も殆どない。嫌でも魚は集まってくる場所の為、彼の漁には不漁は存在しなかった。

 彼が何日もかけて探したいくつかあるポイントは、他の同業者に知られてはいけないものだった。そこが同業者にばれてしまうと、あっという間に狩り尽くされてしまう。日の出より早く町に戻り、各家庭の台所に火が入る頃には、家々を回って魚を届けなければならない。

 これも契約だ。

 いちいち魚を持って行ってはその都度金を貰うのは、なかなか難しい。時間的にも手間的にも二度手間三度出間になってしまうからだ。そして、魚の大きさ、重さなどを測る器具も、彼は持ち合わせていない。目印になるのは、魚を手にした感覚と、物差しの役割を果たす木の棒位だ。その木の棒も、大きさを測る道具としては精度に欠ける。

 結局、この家庭は中型の魚、この家庭は大型の魚、という家庭毎に契約を結び、棒を尺度にして届けて回る。

 金の回収は、少年の弟や妹たちの仕事だ。昼過ぎ、麻袋を持った子供たちが各家庭を回り、決められた金額を受け取る。

 少年が狩って届け、弟や妹が集金する。

 これが、少年ノウ=リーの一家の役割分担だった。


 幼い頃、嵐の海で父を亡くした彼は、弟と妹と共に育てられた。元々母一人の労働で四人が生活していた。それを目の当たりにしていたノウ少年は、物心がつき、できることが増えてくると、彼はすぐに働きに出た。

 最初は物売り。そして、彼の弟や妹のように、他の人のやった仕事の集金。

 幼いながらに、色々とつらい思いをしてきた。給金を貰えないこともあった。大人からいわれのない暴行を受け、有り金全部取られたこともある。集金にいった先で無下に断られたことがあるのも一度や二度ではない。

 だからこそ、ノウは狩猟から集金まですべて家族で役割分担をして行うことで、少しずつ家に入る金を安全に増やしていく、という選択をした。家族以外はだれも信用できないという感覚が、幼いころからの経験により染み込んでしまっていたからだ。

 過労がたたり、寝たきりになってしまった母親も、ノウとその弟たちが働いたおかげで栄養のある物を少しずつ摂ることができるようになり、体調も僅かずつではあるがよくなってきていた。

 元気になっていく母を見ることが、漁師ノウ=リーと弟たちの働く気力の原動力になっているのは間違いなかった。


 彼の漁にはこだわりがある。鮮度を保つ為、魚を消耗させる漁をしない。どの魚も一撃で仕留める事を念頭に置く。そして、できる限り早く消費者のもとに届ける。

 魚の種類はどの漁師もそう変わらないが、彼の魚が喜ばれる理由の一つだ。

 そして、喜ばれる理由のもう一つが、彼の捕る魚の大きさ。彼だけが知るポイントには、大きめの魚が集まる。彼自身、それほど大きさには固執しないが、仕留める魚が平均的に他の漁師に比べ大きいので、彼の抱える顧客は、彼のとってくる魚を好んで購入する。

 いつもは時間に余裕を持って行動するノウ=リー少年。

 だが、今日だけは違った。

 いつものように銛を携えて海に潜った時、眼前を銀色の輝きが通り過ぎる。その輝きが、彼の知るどの輝きよりも巨大だったからだ。

 ノウ=リーは魚に喧嘩を売られたと思った。それゆえ、銛を構え、放つのに躊躇はなかった。

 彼の銛は鋭く速い。その技術があるからこそ、彼は一撃必殺を念頭に置くことができた。

 今回彼の前を横切った巨大な魚影も、当然その条件の下に漁を試みる。

 だが、その魚は彼の一撃を躱した。

 大きい魚は移動速度も速い。鰭の一掻きで得られる推力も違うからだが、その速さが彼の闘争心に火を付けた。

 ノウ=リー少年の身体よりも大きいその巨体は、冷静に考えれば、仕留めたとしてどのように運搬するか、思案しなければいけない。

 だが、何よりも、彼の持つ漁師としての意地が勝った。

 数度の攻撃の後、巨大魚を岩場の影に追い込んだノウ=リー。彼は勝利を確認する。

 だが、次の瞬間、巨大魚の口から瓜二つの稚魚たちが数十匹、数百匹泳ぎ出した。

 巨大魚……この母は、子を守る為、ノウ=リーの必殺の銛を必死になって躱し続けたのだ。だが、岩場の影に追い込まれ、いよいよ絶体絶命となった時、母は自分の死期を悟ったのだろう。子供たちをその場から逃がすために、自らの身体を捧げたのだ。

 その様子を目の当たりにしたノウ少年は、銛を打てなかった。

 必死に子を護る母の姿が、病弱でありながら自分たちを護り、育ててくれた実の母の姿と重なったからだ。

 おかしな話だ。

 自分たちは魚を採って生活している。魚の命を糧にして生きているのだ。それはまごうことなき事実。

 だが、一日に何尾もの魚を殺すノウが、たった一尾の巨大魚を仕留める事に躊躇するとは。

 吐き出した小魚たちを岩場の影に押しやるように隠す巨大魚を見て、思わず頭を掻くノウ。完全に毒気を抜かれてしまった。

 ノウは巨大魚に背を向けると、息継ぎの為に海面へと向かった。




 巨大魚との格闘の時間は、着実にノウの漁の時間を奪っていた。

 いつもの漁獲量に達するのに、いつもより半刻遅い。

 少年は、彼の魚を待つ顧客の元へ、籠を担ぎ、急いだ。

 彼の人気の秘訣は、先にも書いたが、魚の大きさと配達時間の厳守だ。その売りのうちの一つを逸してしまえば、顧客が離れていってしまう可能性がある。

 果たして、前日に依頼された魚を八割の確率で採ってくる凄腕の少年漁師の到着を、彼の顧客たちは、いつもの場所で首を長くして待っていた。

 謝罪と共に顧客たちの元へ魚を運ぶ少年に掛けられたのは、揶揄の言葉ではなく、彼の健康を気に掛けた言葉だった。

「遅かったじゃないか。体でも壊したのかと思って心配していたよ! 魚が一日くらい食べられないのは仕方ないけど、あまり無理するんじゃないよ!」

 顧客のうちの一人、いつも大型の青魚を数尾購入する、ガラビアを着ていてなお恰幅がよいと分かる女性が、心配そうに少年の顔を覗き込みながら声を掛けた。

「すみません、いつもより手間取ってしまって。でも、いつものサイズより少し大きいのが取れましたよ。どうぞ!」

 少年は、籠から注文された青魚を三尾取り、女性の持つ葦で編まれた笊に移す。

 壮年の女性は満足そうにその魚を眺める。

「こりゃ、本当にいつもに増して大きいね。うちのも喜ぶわ。後で集金に来てね」

「ありがとうございます!」

 足早に去っていく女性に背後から声を掛けるノウ。

 その後も彼にねぎらいの言葉を掛けながら魚を購入していく顧客たちにより、籠の中の魚は完売した。

 遅れはしたものの、魚を完売し、一息つくノウ。

 いつもなら、籠を持ち自宅に戻る。そこで道具の整理をしている頃に早朝の腹の虫が雄叫びをあげる。

 だが、今回はあの主との一戦を経験していたため、時間帯的にも体力的にも、腹持ち的にも限界を迎えていた。

 ギュルルルルル……。

 普段聞くことのないノウ少年の腹の虫の声を聴いた顧客たちは、相好を崩した。

「そんな調子じゃ、家まで持たないだろ? 食べていきなよ。この魚を調理するからさ。自分の取った魚、食べたことないんだろ?」

 突然の顧客のうちの一人の申し出に、ノウは一瞬躊躇する。

 だが、彼が動きを止めた一瞬のうち、各家庭の朝食のおすそ分けが集まる。

 思わず目頭が熱くなるノウ。

 少年はお礼を言うと、集まった料理を頬張った。


 顧客たちの施しは優しかった。

 父を失った感しみは大きい。それは、筆舌に尽くしがたい物だ。

 その悲しみを忘れようと躍起になっているかのように、彼は猛烈に働いた。それ故、病弱な母の相当な助けになったことは事実だが、それと同時に、彼は同世代の少年が持つべき色々な経験や感情を、どこかに置き忘れてきてしまった。

 そんな彼だったが、魚たちを通じてできた人々の輪が作り出す、優しい感情に充てられ、彼は酷く幸福な気持になった。

 これから、彼は自分の為にも楽しんで生きていく事が出来る。

 そんな幸せに浸っていると、幼い少女がゆっくりとノウの方に歩み寄ってくる。白いガラビアに身を包む少女。ノウ少年の胸にも満たぬ背の少女は、少年に何かを突き出した。

 少女の胸の前に差し出された掌の上には、美しい貝殻が乗っていた。

 少女は、精いっぱいの勇気を振り絞って、少年ノウにプレゼントを渡したかったのだろう。

 ノウがその貝殻を受け取ると、少女は一目散に少し離れた所にいる母親の足に縋り付き、背後に隠れた。そして、母親のガラビアの裾から少しだけ顔を覗かせ、少年ノウの反応を見ようとしているようだった。

 不器用ながらも一生懸命な少女を目の当たりにしたノウの口元に笑みが零れた。

 未だに魚の集金におっかなびっくりの弟と妹。その子たちよりも更に小さな少女が、頑張って自分に好意を伝えようとしてくれた。

 幼少期の憧れだろうか。いや、いつも自分においしい魚を届けてくれることへの感謝の気持ちかも知れない。

 いずれにせよ、ノウ少年は、そんな少女の行動を喜ばしく思った。

「あら、頑張ったわね」

 幼い少女は恥ずかしそうに、母親のガラビアの裾部分に顔を押し当てた。

 そんな少女を見て、少年は優しく微笑む。

「ありがとう。大事にするよ」

 少年の気持ちは、この上ない幸せなものとなった。

 その次の瞬間だった。

 突然、少女達の背を熱い空気が襲う。

 幼い少女が、少年に感謝の言葉を口にしたまさにその瞬間。

 ノウ少年たちのいる場所から少し離れた所。海に近い港の方だろうか。一筋の光の帯が空から落ち、大地を激しく叩き、揺らした。

 眩い閃光に包まれ、ノウ少年は思わず目を細めた。次の瞬間、一山はありそうな火球が出来上がり、高熱の衝撃波が粉塵をまき散らしながら大地を走ってくるのが見えた。

 スローモーション。

 疾走する衝撃波の動きが何故か非常にゆっくりなものとして捉えられた。そして、その衝撃波に対して何も防御措置の取れない自分が腹立たしくも感じた。

 一瞬の出来事。

 ノウ少年の目の前で、母親の足にしがみつきながら恥ずかしさと戸惑いと僅かの嬉しさを含んだ微笑む少女の表情が、大きく歪む。

 背を叩く突風が少女の髪を激しく巻き上げる。だが、只の突風と違うのは、跳ね上げられた少女の髪が、突然縮れだした事だった。同時に背後からのオレンジの光に染め上げられ、縮れた髪に炎が灯る。

 少女は思わず悲鳴を上げる。何が起きたかなどは当然わからないが、ただ先程までとは違い、不快感を全身に覚えていた。少女の口の中が乾燥し爛れる。少女の口腔内が爛れて盛り上がるのが、妙にゆっくりと見ることが出来た。

 少女の背後から迫る高熱は少女のガラビアにも火を灯す。ガラビアの裾と袖の先に炎がついた次の瞬間、少女の顔に細かい泡が立ち、顎から顔の皮が滑り落ちる。同時に頭髪のなくなった頭皮も、細かい泡立ちの後、少女の頭蓋骨から滑り落ちた。潤いのあるはずの双眸が、瞬間的に梅干しの様に皺だらけになり、黒ずみ、眼下から零れ落ちる。わずかに残った視神経が零れ落ちた眼球を支えたが、その視神経も縮れるようになり、眼球の先に火が移り、眼球自体も消炭と化した。

 少女が消失した直後、彼女が縋っていた母親も全身炎に包まれ、ガラビアごと崩れ落ちる。人の形をした塊が削れていき、その姿が失われていく。先に消えた少女の後、その母親も消えていった。

 それを目の当たりにしたノウ少年。

 その熱波動は、例外なく彼も襲う。

 顔面に叩きつけられた熱は、熱さや痛さではなく、ただの圧力としてしか感じられなかった。徐々に己の顔が変形していく。人間の体の許容を超えた変形は痛みを伴い、しかし継続された。熱波動はノウ少年のまず鼻先を焼き、その後その形を砕き始める。その圧力が彼の目を捉えた瞬間、押し付けられた眼球から光が失われ、彼は視力を失う。瞬間的に顔の間に揺れる細い糸状のものを感じたが、その後全身を背後に引かれるような衝撃を覚え、激痛とともに少年の意識が飛ぶ。

 家族思いの少年は、ガラビアとともに燃え上がり、砕けて消えた。

平成最後の投稿が、この中身か……(--;

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