ジョーという男1
順調に遅筆です。申し訳ございません。
『鬼の巣』での出来事。
レナ、ナイル、インジギルカの三人が、夕刻になっても戻らなかった事件は、時間が経つごとに大ごとになっていった。
子供たちが戻らない事に不安を覚えていた親たち。殆どの場合は、その心配は杞憂に終わる。だが今回は、歴史上多々ある悲惨な事件事故と同様の展開を見せた。子供たちが戻らない理由に、垣間見える不審者の影。
だが、最悪の事態は免れた。レナとインジギルカが、不審者の元から脱出。大人に救助を求めることが出来た為、不審者ジョーの元に残ったナイルとファルガは事なきを得た。
だが、ジョーとの戦闘を体験したナイルとファルガは軽度とはいえ傷を負ってしまった。その治療と、捉えた不審者ジョーの処遇を決めねばならなかった。また、助け出された子供三人も衰弱しており、保護が必要だった。
閉鎖的な村であれば、そのままジョーは処刑されてしまったのだろうが、そもそもの形成過程が他の数多の村と異なり、外部からの人間の多い村の人々の中で、この村内で全てを決定し、処理をしようという意見は少数派だった。とはいえ、村外に追放という方法も、放逐した瞬間の逆襲の可能性を考えると、選択肢には含められなかった。処刑も放逐も強硬に反対したのは、取り押さえた張本人の一人であるズエブだった。しかし、ずっとこの村に勾留しておくわけにもいかず、デイエンに連れて行くにしても、直ぐにというわけにもいかない。
また、保護された子供たちも拐かされてきた事に疑いの余地はなく、しかし子供たちの故郷まで連れて行くのも難しい。幸いなことに、肥沃な土地であるラマで食い扶持に困ることはなかったため、初秋までの期間この地で生活させ、次の『お上り』で首都デイエンに連れて行き、そこで保護を求める事になりそうだ。いずれにせよ、近いうちにジョーと子供たちについては聞き取りを実施しなければならなかった。
禁止されている『鬼の巣』内への立ち入りを行なったナイルは、本来懲罰が課せられて然るべきだったが、今回の子供たち三人の救出及びジョーの逮捕に一役買ったという事で、一応お咎めなしという事になった。ファルガ以下二人も形上はナイルと同じ扱いになっている。だが、それぞれの保護者から大目玉を食らったのは、当然といえば当然か。
また、ナイルが発見したという『鬼の巣』の空間について、村人の誰もその存在を知らなかったため、ジョーの潜伏を許してしまったという事実がある。
今回のような事件が再びあっても困るということで、成人男子による『鬼の巣』調査が改めて行われることになった。この辺は、古い慣習にがんじがらめになっている村人とは違う所で、昔の村人であれば、かつての殺人鬼がいたとされる洞窟は忌地とされ、封鎖されて終わるのだろうが、村人たちは今後の安全のために、『鬼の巣』の全体的な様子を知る必要があると結論したのだ。そういった人々の反応も、古来存在する村特有の排他的な要素が色濃く出る村人の反応とは種を異にする。
だが、まずは取り急ぎ、ジョーが隠れ家としていた空間のみ調査することになった。まだ囚われた子供がいるかもしれなかったからだ。今この瞬間にも、衰弱した子供が死の淵を彷徨っているかもしれない。もしそうならば一刻の猶予もない。
そのまま男たちは二手に分かれ、片方はナイルの発見した空間を、全員が松明と武器を持ち調査した。もう片方は、ジョーを監禁するための場所を確保するために作業した。
この時、腕に自信があるはずのズエブは何故かジョーの拘束する役割を担った。ラマの最強の三人のうちの二人、ミシップとアマゾは『鬼の巣』探索を選んだのにも拘らず。この時のジョーは両手両足と首、及び腰を完全に拘束されており、歩幅程度しか足は開けず、腕も手首を後ろに縛られている状態で、とてもではないが抵抗できない状態であるにも拘わらず、だ。
この後、数日後の尋問も、ジョーに関してはズエブが担当することになる。その事を疑問に思い、やがて真相を知り驚くのはファルガのみだったが、それも数年以上後の事である。
ジョーの監禁は容易に済み、ジョーの潜伏していた空間での簡易調査も、他に捕らわれた子供がいなかった為、ほんの少しの時間で終わった。ジョーの尋問及び捕らわれていた子供たちの聞き取りは翌日行なわれることになり、ある程度準備の終了していたレナの誕生パーティーを再開しようかという意見も上がったが、当のレナがそのような心理状態でなかった事と、ナイルとファルガの負傷もあった為、パーティーそのものは順延となった。しかしながら、誕生パーティー用の料理の材料がすでにある程度調理されてしまっていた為、今更完全に中止というわけにもいかず、今回は無事にジョーの魔の手から逃れることのできた子供たちの、ラマへの歓迎パーティーという形で誕生会よりはだいぶ規模を落とした形で実施された。
子供たちは、事態はよく呑み込めてはいなかったようだったが、自分たちの生命の危険は感じていたようで、ジョーの束縛から逃れた安堵感は計り知れぬもので、しばらく食事も喉を通らず、パーティーが始まった後もしばらくの間泣きじゃくり通しだった。
監禁されていたジョーにも当然施しはなされたが、なぜか彼は、食事だけは丁寧に辞し、酒だけを少量摂取しただけだったようだ。その時のジョーは、とても常軌を逸した食人鬼には見えず、酷く高貴な人間の雰囲気を醸し出していたようだ。その様はまるで美しい神が一瞬の堕落を恥、自らを罰しようとしているようにも見えたという。監視役の人間も、ファルガやナイルの話を聞いていなければ、眼前で祈りを捧げるように目を閉じ、両膝を合わせて沈黙を守っているこの美しい男が殺人者とは、とても思えなかっただろう。
翌日執り行われた聞き取り調査で、子供たちの出身国がバラバラであることが判明した。しかし、囚われの身ながら、共に励まし合ってきた彼らの間には、それなりの信頼関係が生まれており、もし出身国に戻るとしても、離れ離れになることを極度に嫌がった。親元に帰りたくないのかとも確認したのだが、どうやら、子供たちの親は既に他界しているか、あるいは貧困が原因で奴隷として売りに出されていたようだった。もはや、出身国に戻る意味もあまりなさそうな印象だ。
ジョーは、彼らのことを食料だといった。それは紛れもない事実。
だが、彼らが知る限りでは、ジョーが外出した時、増える仲間たちが減ったことはなかったという。不思議な関係だ。ジョーは彼らを食料だといった。しかし、ジョーは彼らを食そうとした形跡がない。むしろ、彼らは監禁こそされていたが、子供たち三人が互いを信頼するように、ジョーのこともどこかで信頼していたようだ。後世に『ラマ症候群』と呼ばれることになるこの心理状態は、非監禁者が監禁者にどこか共感を得、根拠のない信頼を寄せると言われるが、これを病気としてはならない、生に対する無意識の戦略だ、という学者もいる。敵を信頼する様子を見せて、敵の信頼を勝ち取るという本能に基づいた無意識の戦略だというが、真相は謎だ。
いずれにせよ、しばらくはこの村に子供たちを住まわせることになった。
ジョーの聞き取り調査については、ズエブが行なった。
ジョーの好戦的な態度は、『鬼の巣』での一見以来なりを潜めている。彼ならば大人三人を倒してでもあの状況を打開できただろう、とはナイルの父アマゾの言葉だ。それほどの実力を持ってなお、何故現在のように隷従しているのか。当初は何か考えがあるのかとも思ったが、聞き取りを終えたズエブも、そのことについては一切触れなかった。また、ジョーの聞き取りの内容も、ジョーの身上についてはあまり話したがらなかった。
ジョーという男は異国の出身で、ジョウノ=ソウ国の上流家庭の長男であるという。子供については、ジョウノ=ソウ国からラン=サイディールへと流れてくる間に奴隷市場で、もともとは食料のつもりで購入したが、何故か殺して食べることができなかったという話だ。その一方で、食人行為そのものは続けていたらしく、その残骸も『鬼の巣』内にあると証言。
日が変わってからの『鬼の巣』の調査で、ナイルが発見した更に奥に空間があり、そこには人骨が何体も置かれていたという。
しかも、その人骨は原型を留めておらず、死後、暫くして加工された跡が多数見受けられた。
ある人骨の頭蓋骨はよく磨きこまれ、器として使用されていた。鎖骨部分は衣服をかけるための道具に。上腕骨などある程度の長さのあるものに関しては、食器に加工されていた。
骨にこびり付いたタンパク質等が完全除去されていた為、濃硫酸などを使って落としたものと思われるが、詳細は不明だ。
人間の遺体の場合、原型を止めておらずとも、すぐにそれが人の部位であると何となく分かるものだが、今回『鬼の巣』で発見された物は、すぐに人骨だとわからなかった。その理由は、彼の部屋にあった食器や道具がすべてエナメルの光沢を持っていたからだ。歯の表面のように、エナメル質を全ての工芸品に塗ったようだが、その方法についてはジョーの細かい説明を、ズエブが語ることはなかった。
確かに、人間が人間の体の一部を使って様々な道具を作り出すことは、死者への冒涜と考えられがちだ。拒否反応を示す人間も多いだろう。
その一方で、狩りで得た鹿や熊などの動物については、その命に敬意を払い、捨てる物がないように全てを利用するのが美徳とされる所を見ると、ジョーの食人行為は、一部の貴族の間で流行した『殺すだけ』のスポーツハンティングとは全く種を異にし、生存の為の純粋な捕食行為で、非捕食者に対しても敬意を払っているのではないか。保護された子供たちを食べることをせずに、食料は他で調達し、食することができない体の部位においても、加工し工芸品として売却するなどして、証拠を全く残さなかったのだろう、と長老には報告した。
一種過大評価とも言える感想を随所に含むズエブの報告に対し、長老は当初激昂したものだが、あまりのズエブの困憊しきった様子に二の句が継げなかった。
加工した食器や工芸品の主な販売先が、デイエンやテキイセ等の都市部の貴族であり、工芸品が人骨で作られているということも当然承知した上で購入しているのだという。ジョーの口から出た名前には時の為政者にかなり近い人間も居り、軽々しく口にするのも憚られた。
ただ、ジョーは、自分が狩猟した人間の骨以外は決して使わず、テキイセ貴族の衰退時期に自暴自棄に流行ったとされる、人間を標的としたスポーツハンティングの獲物を持ち込まれても、頑としてその加工には応じなかったとされる。
そのような説明を延々とされた長老は、振り上げた拳を打ち下ろすことができず、沈黙することしかできなかった。ジョーという人間を通して垣間見ることの出来た人間そのものの闇は深く、思ったより身近に有ることに長老は唖然とするしかなかったのだ。
それはズエブも同じだ。納得などできるはずもない。だが、理解だけはできる。この男の思想が、己の欲望にのみ忠実に履行されたものではなかった。彼の中にある常識との乖離による苦痛と、それを行わぬことによる本能的な苦痛の狭間に置かれ、彼は自分がどうあるべきなのかひどく苦悩したのではないか。
デイエンやテキイセに潜む、人の皮を被った化物とは違う、自分の嗜好に悩みに悩んだ彼なりのルールが存在し、それに従うことでなんとか理性を保とうとした様がありありと理解できるのだ。
それを聞いた者が納得し、同意できるかどうかは別にして。
レナの誕生パーティーは、何日にも及んだ『鬼の巣』の調査と子供たちの聞き取り調査、そしてジョーへの聞き取り調査が終了した晩、無事に行われた。
デイエンにある大金持ちの豪邸からよりはずっと小規模ではあったが、それでも他の村人達の家よりはずっと大きい家の玄関前の広場に、ジョーの警備役以外のほとんどの村人が集合し、会食を楽しんだ。
都会を知る者からみると、豪華さという点では一歩劣るものの、食材の美味しさと品数の多さという点では、デイエンの貴族も歯ぎしりするだろう豪勢な食事であり、その料理に皆舌鼓を打ちつつ、レナの成長を喜び、彼女のこれからの事を冗談交じりに話し合った。数日前の騒動からは考えられぬ程に穏やかな時間が流れたのだった。
ズエブもファルガも、レナの誕生パーティーをあらゆる意味で十分楽しんでいるかにみえた。少なくともパーティー参加者は。主賓のレナも酷く楽しんだようで、『鬼の巣』での出来事が遠い過去の記憶か、悪夢であったかのように、気持ちが和らいでいくのが表情から伺い知れた。特に、ファルガから贈られた、ファルガの初めての作品である短剣を手にした時は大層喜び、お礼に頬にキスをしたほどだ。レナにしてみれば、自分の好きな相手から貰った誕生日プレゼントだ。当たり前といえばたり前なのだが。ファルガが初めて主導で打ったとはいえ、相槌をズエブがとっている故、形はそれなりのものに仕上がっている。レナはこれを護身用としてずっと持ち続ける事になる。
だが、短剣を打ったファルガの心はここに在らず、と言った感じで、さほど大きな反応は示さなかったのだった。
パーティーも終盤に差し掛かり、ファルガは少し考え事をしたくて、人々の話の輪から外れた。
遠くで人々の笑い声と楽器が奏でるメロディが聞こえる。ファルガには吹くことのできない笛の類だろうか。打楽器も合いの手を打つように響いてくる。陽も落ちて、夜空には星が瞬いている。広場に設けられた営火は天を焦がしていたが、ある程度の距離を取ると、星を見上げるのに何の枷にもならなくなった。当たり前のことだが、火から遠ざかれば遠ざかるほど、夜の風は涼しく感じられる。
彼は営火を遠くに眺めながら、広場の隅にある木製の柵に腰掛けた。大きく溜息をつくと、空を見上げた。
ジョーの言っていたことが耳から離れなかった。それを、思いを巡らせるために、今度は意図的に記憶内で再生させる。
彼は、自分が抜いた剣の事を聖剣といった。
正直聖剣と言われてもピンとこない。
それはそうだ。
洞窟の空洞で食人鬼と相対する際、何かとりあえず武器が欲しくて、棒状の物を手にしたら、それが一振りの剣だっただけの話だ。しかも、あの戦闘で、剣はどこかに行ってしまった。と言っても紛失したわけではなく、『鬼の巣』内にあるはずだ。仮にあの場所になかったとしても、あの剣は、ジョーの荷物として、先日の『鬼の巣』調査隊が回収しているはずだ。あそこはまたいずれ、子供たちの遊び場になる。その場所に剣を一振りとはいえ置きっぱなしにするとも思えない。
聖剣といえば、お伽噺に出てくる程度の事しか知らない。
『この世に存在する全ての聖剣を揃えた者は、世界を支配できる力を持つ』。
何ともあいまいな伝説だ。聖剣と呼ばれる剣が特殊な力を出すのか、はたまた聖剣を持った者が何か力を手に入れられるのか。その口伝だけでは何もわからないに等しい。誰でも知っている聖剣伝説。しかし、その実態は誰も知らない。超常の力の象徴の伝説、聖剣伝説。
そんな物がこの世にあるなどとは思ったこともなかった。各地に伝わる神隠しや妖怪伝説、それとほぼ同じかそれ以上に眉唾な伝説。そのようにしか捉えたことがなかった。
だが、あの美しい食人鬼は、ファルガが手にした剣を聖剣だと言った。自分が後生大事に運んできた剣だとも言った。あれほど必死に奪おうとさえした。
その時の、ジョーの狂気の光に満ちた表情ほど恐ろしい物をファルガは見たことがなかった。心底震え上がった。あのジョーにあれほどの表情をさせるとは。
そんな事を思ったところで、今、自分の手元に剣があるわけでもない。ましてや、あれが自分の物などと思っている訳でもない。
今回のジョーの件で、その剣が話に上がってくれば、もっと適切な人間の所に行くに違いない。そう考え、ファルガはもう一度星空を見上げた。
天に瞬く星を見て、瞼の裏に浮かんだ映像がある。それは、ファルガの手からこぼれた剣をジョーが拾おうとした瞬間、彼の全身が赤い霧を吹いた事。そして、聖剣を取り落としたこと。しかし、あの赤い霧が血であることに気づいたのは少し後だ。
ジョーの速い膝蹴りを回避しつつ、その足に膝蹴りを打ち込んだファルガ。その動きも、今考えてみるとおかしい。無我夢中であったと言えばそれまでだ。だが、何故あれほどはっきりと膝の軌道が読め、そこに的確に一撃を打ち込めたのか。
あの瞬間は、なにかおかしかった。あれは何かを暗示しているのか?
ファルガの足は、何となくジョーのいる牢へと向いた。
ラマ症候群は、ストックホルム症候群をもじっています。流石に、現実の地名を出すと内容的におかしくなってしまいますので。
書き溜めた内容は、やはり違和感があり、キャラクターの動きに任せていますので、推敲してすぐアップというわけにも行かなくなってしまいました。じっくり腰を据えていきたいと思いますのでよろしくお願いいたします。