ドレーノの変遷
リオ大陸。
ラン=サイディール国の在るティノーウ大陸を囲う大海スロイを、この当時で最も速い帆船で一ヵ月ほど南西に進んだところに、ぽっかりと浮いている大陸である。
大陸と称されてこそいるが、実のところはティノーウ大陸の四分の一程度の面積しかない。ティノーウ大陸に比べて細長く、大陸南部を赤道上に乗せるように存在するこの大陸の気候は高温。大陸南部は熱帯雨林が形成されているが、大陸の北部は砂漠化が進んでいる。発生した低気圧は、大陸南部で雨を降らせ切ってしまい、北部に到達する頃には乾燥した空気になっているからだ。
そんなリオ大陸の一部に作られた国家がドレーノである。
国家と言われる組織ではあるが、実の所は移動が楽な砂漠部と、豊富な生態系を持つ熱帯雨林の境界線上に延びるように形成された集落の集合体にすぎない。そして、国を名乗るには法整備やインフラ整備、その他諸々の諸整備があまりにも貧相なのが現状だ。
そんな現状を打破するために、ラン=サイディール国より何人かの総督が送り込まれたが、送り込まれた総督たちも変死を遂げるケースが殆どだ。
ドレーノは、形こそラン=サイディールの属国だが、彼の国の民はまだラン=サイディールを受け入れていないという事なのだろう。
ドレーノの人種構成は大きく分けて二種類。
ドレーノ国内で『サイディーラン』と称される支配階級の人間と、『ドレーノン』と称される原住民主体の被支配階級。
サイディーランはその名の通り、先祖がティノーウ大陸のラン=サイディール国出身者だ。これといって見分ける方法はないのだが、ドレーノンの方が日差しの強い地方で生活しているため、肌の色の褐色が強い程度だ。それも、まだ遺伝というレベルのものではなく、ドレーノンがラン=サイディールで生活すれば、数年で生粋のサイディーランとの見分けなど付かなくなるだろう。民族的な混在は進んだが、人種としての区別をつけるには歴史が浅すぎる。
ラン=サイディール国は数千年の長い歴史を持つように思われがちだが、実は始祖ラン=サイディールが国を興したのは約三百年前だと、ラン=サイディール国史にはある。
だが、古代帝国崩壊後に訪れたとされる国家勃興期に、即座にラン=サイディール国やノヨコ=サイといった国家が成立した訳ではなく、若干の期間ではあるが、国家の全く存在しない時期があったと言われている。
所謂無国家時代だ。
そこから雨後の筍のように国家が乱立し、その後吸収合併を繰り返し今の国家形態になっていく。
ティノーウ大陸ではすべての国家がほぼ同じタイミングで発生した為、発生した場所の立地条件が国力の差に大きく影響した。国家勃興期になされた国土のせめぎ合いの結果、国土の変化はそれほど起こらず、安定してしまった為、各国が国力を増強するためには、ティノーウ大陸外に様々な資源を求めざるを得なくなっていた。
その一つが、リオ大陸だった。
リオ大陸を目指したラン=サイディール国の帆船艦隊は巨大な船は数隻しかなかったと言われる。元々遠浅の大陸だったため、中型の輸送船を改造し、船同士の甲板に巨大な板を何枚もつなぎ、橋桁をかけることで巨大な帆船を擬似的に作り出したが、その工事は海上で行われた。その結果数多くの乗員を載せることが可能になったが、それでも一ヶ月以上の航海で、何百人もの乗員が命を落とした。応急の工事だったため、船体も激しく破損し、リオ大陸にたどり着いたときは、乗組員は半数に減っていたという。
リオ大陸に到達したラン=サイディールの乗組員は、そこに『ドレーノ』という名のキャンプを設営した。そして、そこを中心にして、リオ大陸へと進出していく。ラン=サイディールに戻ることを悲願とする者もいたが、大多数の人間はそれが叶わないと悟り、この地で生き延びることを目的とした。
ラン=サイディールの様々な技術を使い、裏では中毒性のある薬物を使うことで、原住民の族長を次々と懐柔し、徐々に原住民の集落を幾つもラン=サイディール国の影響下に収め、冒険家を名乗った彼らは、原住民の生活に溶け込んでいった。
こうして、ラン=サイディール国成立後、百年経たないうちに、ドレーノはラン=サイディール国の実質的な属国となった。奇しくも、まだドレーノが他国より国家と承認されるより前の話だ。
ラン=サイディールの乗組員の末裔の一部は、ドレーノに居を構えドレーノの貴族として権力を振るった。また、別の末裔の一部は、ドレーノから何人もの子供を本国に連れ帰り、奴隷商人として本国でも巨万の富を得た。また、ドレーノ特有の資源、とりわけ燃料資源や鉱物資源などを本国に輸送する末裔もおり、文字通りドレーノはラン=サイディールから搾取される国家となりつつあった。
リオ大陸の別の地域では、ラン=サイディール国と成立の時期を同じくするノヨコ=サイ国やジョウノ=ソウ国などの、後の巨大国家と呼ばれる諸国も、別大陸に価値を見出し、進出を始めており、リオ大陸以外の大陸にも巨大な船を送り込む大侵略時代に突入した。
ラン=サイディールとドレーノとの関係は、歴史上は『穏やかな侵略』と言われており、数少ない冒険家が闘争を経ずに実質的な支配権を確立したが、歴史上でいえば稀有のケースであり、殆どの大陸進出は大量の虐殺や略奪を伴ったものとされる。
ラン=サイディール以外の国家が、リオ大陸の進出を諦めた理由は、実はティノーウ大陸での各国の国土の相対的な位置関係に起因していると言われる。
ティノーウ大陸で国家が再形成されて約百年。ラン=サイディールは三方を海に囲まれている。これは、ラン=サイディール国にとってはメリットでありデメリットでもあった。
ティノーウ大陸内で国土を広げようとした場合、隣接するノヨコ=サイ国を侵略しなければならなかったが、侵略しようとすると、現時点での国土を決定している大きな要因となるシキイ山脈が大きな障害となる。だが、そのまた逆も然りで、ノヨコ=サイ国からの侵略に対しては天然の城塞となる。それ故、ラン=サイディール国は、ノヨコ=サイの侵入にさえ注意すれば、他国ほどに周辺国家牽制に国力を割かなくてもよかった。
ラン=サイディール国の時の王コモス=サイディールは、ティノーウ大陸以外の大陸の存在について、漂流者の言質により知る事になる。漂流者はその時の傷が元で死に至るが、ラン=サイディールの発展に関して、ティノーウにのみ拘っていくことに限界を感じていたコモスは、その様々な希望を大陸外に求める施策へと変更していく。
まず先進国家が売り込んだのは武器。
原住民たちは、海を越えてやってきた部外者を、新たな脅威としてではなく、敵対部族に対して優位に立てる様々な要因を提供してくれる『パートナー』と捉えた。
彼らが作る石のナイフより強力な鉄剣。動物の骨を鋭く削った槍よりも遥かに長く壊れない鉄槍。鉄の矢尻も中長距離の戦闘を容易にした他、狩猟においても大型の動物を倒すことが可能になり、部族の人々が力を蓄える事が出来た。火薬により、投擲された石よりも遥かに加速し破壊力の増す鉄砲。弾も固い石から鉄の粒へと変わっていった。
それにより、『パートナー』と接触していない敵対部族に対して、圧倒的な力で優位に立つことが可能になる。敵対部族を圧倒すれば、単純に敵対部族は傘下に入る。
そうやって、『パートナー』の協力を得た部族は、徐々にリオ大陸内での覇権を確立していく。その覇権の裏側にはラン=サイディール国という別大陸の大国が絡んでいる訳だが、不幸中の幸いは、リオ大陸において他の国家がそれほど台頭してこなかったことだ。もし、他の国家が、ラン=サイディール国同様に特定の他部族に肩入れをし、技術や知識を提供していたなら、リオ大陸内の部族同士がティノーウ大陸内の国家の代理戦争を行なう形になり、酷く大陸内は荒れた筈だ。
さて、『パートナー』が求めたのは、この地域ではあり触れた色とりどりの透明な石。彼等からすれば、部外者の欲する者はこの地ではありふれた物。なんら拒絶する必要はなかった。
『パートナー』はその石を美しく磨く術を持っていた。
部族の女たちは、その美しく磨き抜かれた石を、さらに価値のある宝として高値で買い取った。また、『パートナー』たちの祖国の人間も高く購入した。
そんな中、技術も思想も違う二つの民族が唯一共通の価値を見いだした『黄金』。いつしかそれで物品の交換がなされるようになっていく。現在のドレーノとラン=サイディールを繋ぐ共通貨幣として未だに『ゴールド』と呼ばれる貨幣単位が用いられるのは必然だと言える。
結果、リオ大陸のドレーノは、ラン=サイディール以外の国家の排除に成功する。
リオ大陸で覇権を得たドレーノは、国王に部族の長を立てながらも、総督というラン=サイディール国からの使者を置く、二大巨頭体制が出来上がった。
この時代の、ティノーウ大陸の国家群と他の大陸の国家の鬩ぎあいの陰影は、歴史的にも名高い『五国誌』として、歴史の教科書にも記載がある。歴史上の人物同士の人間関係や、勇名を馳せた武将同士の雌雄を決した有名な戦、そして人智を越えた精神戦は、後世の作家の想像力を掻き立てたものだ。ある程度の史実とある程度の想像の余地のある時代は、夢とロマンで描かれる。この時代はまさにそういった時代だった。
相手国の経済状況や自然環境を加味しない状態での産業の流入は、概してその国の地場産業を破壊する。
ドレーノ国の首都ロニーコの場合も例外ではなかった。この時代は、経済理論などは確立されておらず、場当たり的で私腹を肥やす為政しか施す事の出来なかった歴代のドレーノの総督たちの政策を非難出来る物ではない。だが、鳴り物入りで導入された産業がロニーコ地方の地場産業を破壊した上で、その産業そのものが崩壊し、ドレーノという国家を瀕死の重傷に追い込んだという歴史的事実は、消し去る事はできない。
一つは食料政策だった。
ドレーノとラン=サイディールとでは物価に差があったため、ラン=サイディールの貴族、とりわけラン=サイディールの今後の生活に不安を感じていたテキイセ貴族の中でも、若い貴族が好んで移住した。そこで彼らは、生活をしているだけで富が増えていく事実を目の当たりにし、歓喜する。
貴族たちは格式だけを重んじる無知無能集団。少なくとも末期のテキイセ貴族はそういわれていた。そんな輩が目を付けたのが、ドレーノの生活だった。
貴族としてふんぞり返って生活しているだけで、勝手に財が増えていくのだ。こんな良い生活はない。ラン=サイディール産の道具は高く売れた。ドレーノ産の宝石はラン=サイディールでも高く売れた。それをお抱えの商人にやらせれば、物を左から右に流すだけでどんどん価値が上がっていくのだから、こんなに効率よく自らの財を増やせる状態はないだろう。
そんな環境を自ら作り出そうと、テキイセ貴族が大挙して押し寄せ、生活を始めたものだから、まず行き詰ったのが、食料だった。
大陸南部のジャングルには食物としての生物は豊富だった。だが、それを採ってくる労働力が圧倒的に不足していた。既にある物を売り、利益を上げることは得意な者たちではあったが、純粋に食料や飲料水を得る事は不得手だったのだ。
当初は、原住民を安価に雇い、彼等に食料や飲料水を調達させたが、その採取に対して、消費がうなぎ上りに上昇していく。
その結果、食料品は高騰し、慢性的な飢餓状態に陥った。
貴族達は、ラン=サイディールで育成可能な食物の苗や種を持ち込み、原住民を使って栽培させた。だが、ティノーウ大陸で安価に育つ植物が、気候の違うドレーノの地で育つ筈も無く、同時に持ち込んだ家畜類も、ドレーノの気候に合わず死滅する。
もう一つの食料確保の方法として、ジャングルに住まう動物たちを家畜化する事も検討されたが、そんな短時間で野生の動物を家畜化できるはずもなく、それも断念することになる。
食糧問題は、何代も総督が変わろうとも変化がなかった。貴族達は、物価の差で利益を得、自分たちの財を増やす事を目的としていた。それ故、食料が不足し高騰しても、それは非常に高価な食事をするだけの話だ。だが、原住民たちを取り巻く環境は、慢性的に悪化し続ける飢餓。まさに、二百年に近くにわたる長期間、ドレーノの原住民は飢餓に苛まれ続けることになる。
しかしそれも、初代ラン=サイディール国から、二代ラン=サイディール国に生まれ変わるまでのことだった。
ラン=サイディール第十二代目の国王オニーユ=サイディールの時代に、同じサイディール家の血統でありながら直系から外れている為、能力がありながらも虐げられていたベニーバ=サイディールによって、ラン=サイディールの歴史が。そして、ラン=サイディールを掌中に治めたベニーバが派遣してきた新しい総督、レベセス=アーグによって、ドレーノの歴史が大きく動き始める。
新総督となったこの男、勿論聖剣の所有者であり、レーテの父親である。
レベセスがこの地を訪れて愕然としたのは、サイディーランとドレーノンの貧富の格差だった。そして、それ以上の待遇の差。
同じ姿形をしている者に対して、よくもここまでの仕打ちが出来るのか、甘んじて享受する事ができるのか、虐待者と非虐待者それぞれに対して怒りすら覚えた。
『移住者の末裔』達が如何に無計画にドレーノを食い物にしてきたか。その状態を正そうとした総督もいただろう。原住民たちもいただろう。
だが、それは何者かに因って悉く阻止された。そして、その異常な状態が恒常化し、ドレーノン達は、今与えられている環境が当たり前だと信じて疑わない、心身が荒み切った状態で生活をしているということだ。
生まれた時から父母も祖父母もその状況に置かれていれば、そもそも辛いと感じることなどないだろう。慢性的に食事がなく、常に腹を空かせている状態。人間とはそういう物。そんなことを教えられるでもなく悟った人生。
家庭の食糧問題は、まさにその人生の集約と言えた。
通常はジャングルに自分たちの食事を探しに行く。
だが、持ち帰ってくると、他のドレーノン、とりわけ腕力が強く知能が低いだろうと思われる者に襲われ、奪われてしまうので、常にジャングルの中で自分は食事を済ませ、ジャングルに入ることのできない家族用に僅かな量の食料を持ち帰る。
男は大抵狩猟を行い、女子供は果実を拾い集めては持ち帰る。家の中の人間が交互にジャングルに出向く為、ロニーコの街中は人があまりおらず、各家の中にも一人か二人しかいない。これは、ジャングルに全員で出向いてしまうと、家の物が盗まれてしまうからだ。
その為、見張りという意味で人を家に残しておく。それでも、様々な条件が重なり、ジャングルで食べ物の得られなかった者が、飢えに苦しみ隣家を襲撃することは珍しいことではなかった。
だが、それを守ろうと者はよほど近しい親戚でない限りおらず、ともすれば、その襲撃に便乗しようとする輩もいたほどだ。仮に、襲撃に対しての防衛に加勢する人間は、逆に撃退され傷んだ輩を襲撃する下準備だという考え方をするのが普通だった。
その結果、街の中で誰かが死んだという噂を聞けば、誰よりも早くその地を訪れ、食料として確保する。また、その者の家を割り出し、すぐに家のものを持ち出しては自分の物にしたり売却したりもする。
人が人としての最低限の尊厳を持つことが厳しいのが、ドレーノという土地だった。国の首都としては全く機能しておらず、ドレーノンだけならば、猛獣が街の住民である、という表現の方が正しいかも知れない。
ドレーノンたちの血縁関係とは、それほどに薄情なものだった。
裏を返せば、生命活動を維持するための繋がりであり、血の繋がった赤子といえども食糧難であれば食料にされ、成長すれば食料を集めるために労働力にされた。ただそれだけの関係だ。親が子どもを育てる理由は、食料にするか食料を集める労働力にするかの二つしかない。その感覚は女よりは男の方が強かったようだ。逆に、子が強くなれば、親は子にとって同じ存在理由しかない。
唯一違う点といえば、年長者が長年の間に蓄積した経験が豊富であれば、衰えたとしても生き字引としての用途が発生する程度だ。
いずれにせよ、その集団にとって役に立たない存在であれば、いつ何時でも積極的に排除される可能性は大いにある。
子は来たる長い闘いの日々を考えて強くなることに重きを置き、大人は来たる衰えに備えて換えの効かない知識の習得に勤しんだ。
これこそが彼らが彼ら自身を生かすための方法だった。
それ故、貴族として寄生し続けるサイディーランは、その猛獣たちをアメとムチを使い分け、手懐ける必要があった。貴族と名乗り、権勢を振るう彼らも、油断すれば簡単にドレーノンに襲われる。手懐けた『兵隊』たちが、他のドレーノンに打ち倒され、消滅した貴族も少なくない。
文字通り、食うか食われるかの国家になってしまったドレーノ国。『移住者の末裔』たちは、長期的に自分たちの楽園すら破壊してしまったということになる。
普通の感性を持つ人間ならば、ドレーノという国は『地獄』という表現がまさに正しかった。
畜生界と地獄界と餓鬼界の性質を併せ持つ土地。
そして、この国に配属される総督は、不運以外の何者でもなかった。
ただ黙って、殺されないように振る舞い、任期が終了するまで待ち続けるしかなかった。そして、残念なことにドレーノ総督は左遷ではなく、昇進の王道だった。
だが、レベセスは違った。
昇進の為にこの地にいるという目的を自ら排したレベセス。
彼には目的があった。
ドレーノという土地には約束がある。果たさなければならない約束が。
彼がラン=サイディール軍中将にして近衛隊長であった時期から、ベニーバの元で兵部省長官として徴用されるまでの期間、聖剣を使う同志と共に世界を駆け抜けた血沸き肉躍る『刹那』があり、そこで彼が誓った友との約束。
レベセスは、ラン=サイディール国の兵部省長官として働きながら、その約束を果たさんと常に砕身し、尽力していた。
だが、その約束は未だ果たせずにいた。
ラン=サイディールでは全ての人間を幸せにできなかった。
皆は救われたかもしれない。だが、少なくとも『彼』は救われていない。
今はどこにいるのかわからぬその彼を、何とかして救いたい。今は、その彼を救い出し、彼が一人戦っている間に起きたいろいろなことを酒の肴に語り合いたい。
そんな風に思っていた。
そんな中、レベセスの元にひとつの噂が流れてきた。情報元はそれほど信憑性のある物ではない。
だが、ラン=サイディールに居て万策尽きたレベセスは、そんな情報ですら検証せざるを得なかった。
その状況だったレベセスにとっては、ドレーノへの総督赴任は好都合だった。
この当時のリオ大陸は、資源の供給の為の倉庫としての意味合いよりは、島流しの地域というイメージを強めていた。この状況も、決して彼は喜ばないだろう。彼を探して解放するのも目的だが、彼が戻ってきた時に悲しむような状況にこの国をしておきたくない。
彼がいるとされるこの地のあらゆる状況の改善を進めなければ。そして、環境の改善を進めるには、全てを作り直さねば。
そんなレベセスの慟哭ともとれる祈りを実現するにあたって、当面解決すべきは歴代の総督の不審死だった。
配属されてすぐのレベセスにも、妙に総督府の人間たちがよそよそしい事がわかる。どんなに高い地位の人間が配属されたところで、度重なる暗殺活動が続けば、地位など関係なくなる。ただただ生き延びる為の努力をすることになった。
一人目の暗殺者は、なんと総督府のメイドだった。
年端もいかぬ少女は、灼熱の太陽に照らされて総督府に到着したレベセスを、毒の飲料水で迎えた。レベセスは少女の様子に違和感を覚え、追及しようとしたが、看破されたと察した少女はコップの水を自ら飲み干し絶命した。
二人目の暗殺者は、夜の宴の後の床に控える女だった。レベセスは既に妻に先立たれているため、スキャンダルを目論んだ者の差し金であったとしても、さほど問題にならない。だが、ここでも女はレベセスを殺しに来た。微睡むレベセスに短剣を突き立てようとした。
その女を排し、一晩を明かしたレベセスだったが、彼を排除しようとする手の者が尽きる事はなかった。
それでも度重なる悪意に彼が屈する事がなかったのは、一重に総督でいる事が手段でしかなかったからだ。だが、総督として赴任してきた以上は、総督としての仕事もやらねばならない。
最初は、整備されていない法規を整え、人々が平穏に、平等に暮らせる国を作ってみようと思った。だが、しばらくして、自分の様々な行動や決断が空回りしていることに気づいた。彼の考えに誰もついてきていない。
人々は、平穏に、平和に暮らす事の必要性も意味も解っていなかった。解ろうともしていなかった。
法律で権利を守ったり、差別をなくそうとしたりといった、法治国家としてのあり方は、現在のドレーノにとってはまだ要らぬこと。その体制を整えたところで、その体制の意味も目的もわかるまい。
ドレーノンには、今の彼らの生活よりいい状況があり得るのだということを分からせねばならない。ドレーノの民に望ませなければならない。
求めよ、さらば与えられん。
そして、その機会が与えられるのは総督しかいない。だからこそ、赴任してすぐの希望に満ち溢れ使命感に燃える総督を、貴族たちは早いうちに狩っておかねばならないのだと気づいたレベセスは、その大前提を覆すことにした。
今は、望まなかったとはいえ、ドレーノ国の総督に就任している。その権限を使わない理由はない。レベセスは、ともすれば強引ともいえる方法で、サイディーランとドレーノンの比較を徹底的に行なった。それこそ、種族の優劣を徹底的に調べたのだ。
ラン=サイディールであれば権力者の乱心とも捉えられかねない内容も多分にあっただろう。実際、当時は『ドレーノ総督乱心』の報がデイエンに届いたという記録もある。
そのテストとは、ある程度民族としての尊厳を持つ者ならば、激高してもおかしくない内容だった。身体能力のテストに始まり、知能のテストに留まらず、芸術的な要素を含むありとあらゆるテストを行なった。通常は表に出る事などない性的な要素や、文化思想、それに対する民族の禁忌にまで及ぶ。個人差や嗜好差でどうとでも解釈が出来るテスト内容での比較試験を実施に移したのだ。
後世の学者に『聖勇者の乱心』とまで言わしめるこのイベントは、色々な意味でレベセスの心に大きな影を落とすことになる。そのイベントを手掛けている最中のレベセスの心中はといえば、常に自己嫌悪との戦いだったということだ。
短時間に人々の心に自尊心を植えつけるには、荒療治が必要との彼の判断は揺るがなかったが、彼の良心はこれでもかとばかりに傷んだとされる。
彼は、やりたくもない意図された狂人を演じて見せたわけだが、その試験結果は必ずサイディーランとドレーノンの能力には差がないという結論にたどり着くように意図された物だった。そして現実に、サイディーランとドレーノンの差はなかった。いや、ないというよりは、それぞれ得手不得手があり、どちらが優れていると比較するべきものではなく、人間という存在は人の優劣を決める程の物ではない、という結果になった。
サイディーランからは勿論の事、ドレーノンからも誹謗中傷を受け、何度も殺人予告を受けたが、それでも彼は屈することなく、その『比較イベント』をやり遂げた。
過去のどんな鍛錬よりも過酷だったと後に語る彼だったが、唯一の救いどころは、このイベントで誰も死者を出さなかった事だろう。その部分だけ抽出すれば、歴史上の独裁者の誰よりも好意的なイベント主催者だと言えるわけだが、そのイメージなど消し飛んでしまうほどにそれぞれの民族から怒りを買った。
そして、その『民族凌辱テスト』を行う傍ら、レベセスは二つの法律を制定する。
『昇竜二法』と後に呼ばれるこの二つの法律は、レベセスがこの地を去った後に、ドレーノ国がラン=サイディール国から独立する為の足掛かりとなる。
『奴隷待遇改善法』と『作付け均等法』。
それぞれが名前の通りの物だ。骨子はレベセスが立案したが、詳細の変更はレベセス在任時から認められていた。
『奴隷待遇改善法』。
字の通り、一般に完全奴隷といわれる奴隷を廃止する法律である。
完全奴隷とは、家に仕える奴隷であり、生死与奪の権利はすべてその奴隷の主人に任せられている。当然人身売買なども、主人の意思に任せられる。いわば、完全奴隷とは、人の姿形と能力を持った家畜やペット、財産という意味合いが強い。レベセスはこれを廃止する法律を作ったのだった。
最終的には奴隷という地位を完全に無くしたかったレベセスだったが、この当時は労働者と徒弟と奴隷の明確な定義がなく、労働者として働いていたはずの人間が雇用主に対して大きな引け目を感じ、いつの間にか奴隷のような扱いを受けてしまうケースもあれば、奴隷でありながら様々な能力に秀で、雇用主に徴用されることによって、結果的に権力を持つこともあった。
奴隷の世界も実力主義ではあるのだが、運の要素が非常に強く、堕ちていけばどこまでも扱いがひどくなる奴隷制度というものは、やはり許容できるものでは無かった。しかし、実のところ、ラン=サイディールにも奴隷制度は残っており、その撤廃の機運も高まっておらず、変にレベセスのみが行動を起こしても、彼の家族に火の粉が降りかかる可能性も否定できなかった。
本当は撤廃まで持って行きたかった奴隷関連法を、待遇改善法を制定するに留まったのは、レベセス自身痛恨の極みだと語っている。
もう一つの法律、『作付均等法』。
こちらの法律の制定にも時間がかかった。理由は、慢性的な飢餓の原因が掴めなかったからだ。大勢の調査員を雇い、調べさせた結果、ある一つの結論に達した。
『移住者の末裔』が持ち込んだラン=サイディールの作物が、ドレーノの土壌を荒らし、ラン=サイディールの作物もドレーノの作物も育たなくしてしまっているということだった。ラン=サイディールの作物は、根から栄養を吸収する際、そこに老廃物を吐き出す。だが、その老廃物は有機物でありながら、ドレーノの作物をはじめとする植物の成長を阻害する性質があるという。
レベセスはその物質の特定を急いだ。その結果、その物質の特定と、その物質を作り出す植物の特定に成功する。ある特定の植物は、発芽し根を伸ばす際に、周囲に生える他の植物の根を枯らすことで自身の根を張るスペースを確保する習性があることがわかった。解決策はといえば、老廃物を吐き出す植物を、他の植物とおなじ畑に植えないように指示することだった。
だが、その植物を完全に排除してしまうと、今度は様々な苗が病気になる事がわかった。その為、畑の面積に応じて一定量その植物を植えるという方法を採る事で、本来収穫できなかった農作物を最大限に収穫する方法を編み出す。『作付均等法』はその育成、収穫方法を系統立てて定めている。
それと同時に、その特定の物質を除草剤として使う技術も編み出した。街中には植物が生えては困る場所も存在する。ロニーコの建造物や城壁に植物が根を下ろすと、時間をかけて構造物を侵食し、内部から破壊していく。それを防ぐ為、その植物の根を煮だした液を構造物に吹きかける。そうすることによって数年サイクルで雑草が生えてこない状態を作り出すことが可能になった。
ドレーノに赴任して、少ししてすぐに昇竜二法を打ち立て、更に効果の長い除草剤を作り出したレベセス。彼の施策は、急激に人々の飢餓を解消していく。
ついにドレーノの作物と、ラン=サイディールの作物の双方が収穫できるようになった。それにより住民の料理のレシピの幅も広がり、後世にドレーノ料理と呼ばれる新ジャンルができあがっていく。
その関連性に気付いている学者は少ないが、彼が間接的に関係している。やがて、レベセスは神と悪魔の二つの顔を持つ総督として言い伝えられるが、それは後世での話だ。
劇的に国家の状況を変えてきたレベセス。
だが、まだ彼には遺された課題があった。それは長き歴史に渡って鎮座し続ける『貧困』。という名の魔物。
それは、今の彼でもすぐには解決できるわけではなかった。
支配階層である『移住者の末裔』サイディーランと『原住民』ドレーノンの気持ちを、時間をかけて寄せていくしかないのだが、それは一朝一夕でなされるものではない。
その歩み寄りを実現するような様々なイベントを開催しつつ、彼は本来の目的であった、親友夫妻の探索を始めたのだった。
自分の中でドレーノの状況を整理する意味もありますが、わかりにくい部分があったら随時加筆修正を加えていく予定でおります。
 




