ガガロ、海を渡る
真夏の太陽が海を焼く。
母なる海は、波一つなく穏やかで青い。古代帝国よりも遥か太古の昔に、人以前の生物が、丸太を船として大陸を渡ったという。現在の人々はその歴史を童話だ、夢物語だと笑うだろうが、この海を見る限りでは、時間と体力さえあれば完遂できるのではないかという錯覚さえ覚える。
四方全て、足元は青い平面。そして天井は抜けるような水色の二色刷りの景色。水平線の彼方には何も映らない。
だが、この絶妙なバランスがずっと続く事はないのは、航海士なら皆知っている。上空に鎮座する太陽の恐るべき光線は、いずれこの大空が漆黒の雲で覆われる予兆だからだ。そして、地域によっては恵みの雨とも殺戮の雨ともなり、上空には何頭もの黄金の龍が荒れ狂うだろう。
海上を滑るように飛ぶ黒い影がある。
渡り鳥?
いや、渡り鳥にしては低く飛びすぎる。そして、速すぎる。
『それ』は青い海に、白い一筋の航跡波を描く。
大きな翼を持つ鳥が優雅に、しかし高速で飛行するように見えたのは、一人の人間の男だ。その男が纏うマントが激しく風を孕み、大空を滑るように飛ぶ巨鳥の翼に見せていた。
蒼き髪を風に靡かせ、男は一点を見つめ飛び続けていた。
突然飛行を停止し、耳をそばだてる男。まるで宙づりにされている形になるのだが、不思議と透明のブロックの上に立っているような錯覚を与える。無論、その様を目撃している者がいれば、だが。
誰もいる筈のない海上で、高速で飛行を続けていたガガロを呼ぶ人間などいる筈も無い。だが、声は確かに聞こえた。
海上に静止してみて、ガガロは初めてほんの僅かな風の音を耳にする。逆に、聞こえてきそうな波の音は一切聞こえない。波の音は、砕ける水しぶきの音。船上にいて聞こえる波の音は、水が船体に当たり砕ける音。何も障害物のない海上では、海水は何物にも当たらず音は発しないのだ。
「ガガロよ、聖剣は入手できたのか」
誰もいない所から声が響く。実際に耳に届いた音声なのか、はたまた頭脳に直接響く声なのかは、今はどうでもよかった。
「主よ。ラン=サイディール国には、残りの一本は存在しないようです。現所有者のレベセス=アーグは、現在ドレーノ国におります。その男を訪ね、聖剣の在処を聞き出すのが一番の近道かと思われます」
「そうか。引き続き聖剣の捜索を続けよ。私は神勇の儀の準備を進める」
中空に浮かぶ男は、何処にいるかわからぬ声の主に向かい一礼した。そして、改めて太陽の位置を確認し、自分の位置を知る。ともすれば、魔族の末裔と言われた彼の魔術を以て包囲を知る事も可能なのかもしれない。
蒼い髪の戦士は、そのまま滑るように飛行を開始した。




