リーザの慕情
ちょっとだけの回想シーンです。
「リーザ様……、いや、リーザよ。お前はもう終わりだ」
漆黒の闇に覆われた街並みを逃げ惑う女。そして、その女を追う男たち。
だが、男たちは女の動きに翻弄されていた。女の身のこなしは、ただのか弱い女のそれではない。細い線の中にも、訓練されたしなやかさを持ち、鋭さと速さで男たちの猛追を凌ぎ、ともすれば反撃し、男たちをその都度撃退していた。
とはいえ、女の体力も無尽蔵ではない。ましてや、女を討とうとする男たちも百戦錬磨の手練れ。そんな人間が一人ではなく数名で襲ってくる。
それこそ、近接戦闘用の短剣から長距離戦闘用の射出武器と中距離の槍など、レパートリーの豊富な攻撃だ。それをたった一人でいなすにも限界があった。
逃げ続けていた女性の年齢は不詳だが、幼さの残る少女の雰囲気も持ちつつ、大人の女性の眼差しを持っていた。
リーザと呼ばれた女性は、黒い装束を身に纏っていた。
SMGの後世の装備と見た目にはそう大差ないが、当時の技術の粋を極めたそれは、多少の刃や遠巻きの矢の斉射程度ならば通さない。それでいて類まれな軽さを実現していた。
リーザ=シュワイツは、SMGで生まれ育った。だが、彼女も後の彼女の血を引く者達同様、SMGの人間としてずっと≪ホーム≫に留まり一生を終える事を是としなかった。
リーザは、SMGからの離脱を願った。そして、その行動に出る。
だが、当時のSMGは、ただひたすらに離反者を許さなかった。単純に情報の漏洩を恐れたのか、それともまた別の原因なのかはわからない。
ただ一つ言える事は、SMGを離脱した者は有史以降存在しなかったということだ。離脱を望む者もいなければ、離脱を止める者もいなかったとされている。実際は何も裏付けのない話ではあるが。
SMGは手を替え品を替え、執拗にリーザの命を狙ってきた。そこには、リーザの願いや考えを聞こうという開かれた思想などない。
裏切り者は排除。
それだけだ。
大人数の襲撃だとしても、横の連携のない個の攻撃の連続ならば、リーザがおいそれと不覚をとることはない。連携とは程遠い、単独の攻撃が連続して成されるだけでは、その攻撃外の威圧が全くないからだ。それでは、単独の攻撃の威力しか得られず、二倍、三倍という相乗効果での攻撃パターンには全く繋がらない。
例え屈強の戦士の攻撃であろうと、今のリーザにとって、意外性がなければそれが当たる筈も無い。一対一の戦闘を同時に複数行なっているに過ぎないのだ。
だが、リーザにも体力の限界はある。攻撃を躱しきる速度や動きにも、徐々に陰りが見え始めてきた。
体力が奪われる前に、少しでも敵の数を減らさねば。
リーザは反撃に転じた。女性とはいえ一人の超一流の戦士だ。その戦士を生半可な攻撃では討つことはできない。
リーザの反撃を目の当たりにした刺客たちは、徐々に連携をし出した。
彼等もやはり超一流だった。
連携を意識した途端に、攻撃の幅が格段に増す。斬撃一辺倒、射撃一辺倒だったそれは、素晴らしいコンビネーションとなり、途端にリーザを圧倒しだす。
頃合いを見て反撃をしていたリーザだったが、こうなると遁走するのみだった。
だが、刺客はその追跡、抹殺の手を緩めようとしない。
ついに少女リーザが刺客に追いつかれ、いよいよ追い詰められた場所。それこそが港町デイエンだった。
デイエンは海に面した港町だった。
周囲の海は皆遠浅だったが、この地域だけは水深が深くなっている。その為、物資の大量輸送を実現する巨大帆船も接岸することが出来、結果様々な国家の様々な物資がデイエンを介するようになった。
まだ、この頃のラン=サイディール国は、その首都をテキイセに置き、後にテキイセ貴族と呼ばれる傲慢な貴族達が己の名誉欲と金銭欲に塗れ、他者からの評価だけを気にしながら、農民や商人からの搾取による生活を続けていた。なんとかラン=サイディールに新しい風を入れたいという国民は数多くいたが、具体的に何をすればいいか、気づいている者は、ほぼ存在しなかった。
いよいよ袋小路に追い込まれたリーザ。
一騎当千の手練とはいえ、追手も慎重だった。
超一流の彼らが手を焼く腕前を持つリーザ。そのリーザがいよいよ追い込まれた時、どのような底力を発揮するか、おおよそ見当もつかない。それ故、追手の一味は一気に間合いを詰めることをせず、徐々に袋小路に追い詰める作戦を取ったのだ。
袋小路に逃げ込んだ彼女の存在は視認できない。しかし、それは逆に彼女も追手である彼らの存在を視認できないということだ。
追手は煙幕を炊き、リーザの視界が効かなくなったところで一気に間合いを詰め、袋小路を構成する五階建ての煉瓦造りの住居に向かって銃撃を開始した。
『銃』。
銃といっても火薬の爆発で鉄の弾丸を飛ばす代物ではない。古代帝国が作ったと言われる聖剣の技術を応用して作成された指輪を親指から小指まで全てはめ込み、その中に溜め込んだエネルギーを打ち出すという代物だ。五本の指にはめられた指輪から伸びる細く細やかなチェーンに繋げられた金属の輪……それは、指輪と同じ形状ながら、指に嵌められたそれよりずっと径の小さい物になる……に周囲をぐるりと一巻するように嵌め込まれた宝石に、何かしらの力が収束されているようだ。
もちろん、掌に石を乗せ、掌上の圧縮した空気で石を弾丸として打ち出すことも可能であり、それがこの『銃』の本来の初歩的な使い方になる。
これを剣との対比で銃と表現はしたが、その古代帝国人の言葉の意図を、この追手たちが慮っているとは、到底思えない。
何人もの追手の掌底から放たれるエネルギーは、術者のイメージを具現化した。
太陽の表面を再現したかのような紅蓮の火球。触れた物を全て凍結させる冷気の波動。そして、天掛ける光龍をそのまま一つの矢尻に閉じこんだ雷の矢。気圧の鋭い刃は対象をずたずたに引き裂く力を持つ。
それらが一気に放たれ、袋小路に熱風と閃光、冷気が充満する。そこにいた生物は皆殺しの憂き目にあっているはずだ。
もし、そこに留まる生物がいたならば。
土煙が霧散し、無残にも剥き出しの岩肌と化した建造物は、生物の痕跡を全て掻き消していた。
数回の確認作業後、術者たちは満足げにその場から離れていった。
リーザは消滅した。追手の望みの通りに。
……もし、その場にそのまま彼女が立ち尽くしていたとしたならば。
歴史に刻まれぬ激しい戦闘の終結時、彼女は別の場所にいた。
彼女を救ったのはデイエンの街並みと、マーシアンという幼い少年だった。
デイエンという都市は、近隣の都市に対してかなり優位性を持っていた。港町として成立したこの都市は、他の都市の面する沿岸に比べ水深が深く、巨大な帆船が接岸できるという地の利があることは、何度も示している通りだが、そのアドバンテージはデイエンに多大な富をもたらす。そして、その都市に住まう民を潤すのだが、彼等は決して驕る事はなかった。
彼らは汗水垂らして働き、余った富に関しては、溜め込むことなく都市のインフラ整備に充てた。治水を行ない、安定した水の供給が出来るように水路を整備、時に嵐により過剰に供給される水も排水路を整備することで災害時も大きなダメージを受けずに済んだ。
災害に対する防衛能力が、他の都市が災害で受けた大ダメージからの復旧を手助けする事にもなり、デイエンを主とする近隣の衛星都市も徐々に発展の道を歩む。没落するテキイセを尻目に、徐々に力を蓄えていくデイエンとその近隣の都市が、ベニーバの垂涎の的になるのも頷ける。
リーザは、そのデイエンの排水路に助けられた形になる。
爆発のその瞬間、排水路の蓋が外れ、彼女はその中に倒れ込む。排水路には急傾斜がつけられており、リーザは排水路の中を転げ落ちた。そして、最初に追手が放った火球が、その上の建造物に当たり、建造物が崩れ落ちて排水路の蓋があった部分を完全に塞いだため、結果それ以後の術者の様々な攻撃を全てシャットアウトすることになった。そして、同時に追跡経路を完全に破壊することになる。
また、術者の攻撃の威力も尋常ではなかったため、もし仮に全ての攻撃がリーザを捕え、リーザを抹殺することが出来たとしても、そこにリーザの遺物が全く残らなかっただろうということも、追手の判断を誤らせた。もっとも、リーザがもしその場に留まっていたとしたら、大方の予想通り、指一本残らぬほどに体は損壊、消滅していただろうが。
ただ、リーザは完全に気を失っていた。
たまたま、子供の立ち入りを禁止されていた排水路で、悪友数人と共に遊んでいたマーシアンが、気を失って倒れているリーザを発見し、救助しなかったならば、そのままリーザは命を落としていた可能性もある。少年というには余りに幼いマーシアンが、ソヴァを初めとする悪友達と協力してリーザを排水路から救出し、その後自宅に連れ帰ったマーシアンが、母と共に看病した結果、リーザは無事に意識を取り戻した。
二十歳を大分過ぎたリーザは、その実年齢を母と子に伝えたが、その事実は母と子を驚かせるのに十分だった。
リーザの見た目は、十歳を少し越えた少女そのもの。
美しい少女という表現が適切だった。だが、そこには少女特有の煌びやかさや初々しさはなく、妙に落ち着き、ともすれば心を閉ざしている少女のようにも見えた。だが、それも数多くの戦闘を経験し、謀略と暴力の中、何人もの人を殺めてきたであろうリーザが、見た目の年齢通りの少女として振る舞う事は不可能だろうし、無意味とも言えた。
マーシアンは、リーザの看病を必死にした。母の力を借りつつも、健気に奉仕する。
それは、幼い時から権力争いに巻き込まれ、血に塗れた人生を送ってきたリーザにとって、夢のような至福の時だった。
だが、それを享受し続けるわけにはいかない。
リーザは体力が戻るまでの何日かを、マーシアンの家で過ごし、やがて旅立つ。
「私がお前に出来る唯一の恩返しだ。やがてお前はこの都市を背負って立つことになるだろう。その時、私はお前に力を与えるつもりだ」
そういうと、リーザはマーシアンの額に唇を当てた。
僅かの時間の後、リーザは一瞬表情を曇らせ、その後一瞬目を逸らす。
「まあ、まずは私があそこを抑えてからの話だが」
全身血に塗れた戦士リーザの、ほんの僅かの心の癒し。
恋すら知らぬ幼い子に対して覚えた、幻の様な慕情を、リーザは後の行動の糧として戦い続け、SMGの頭領の座にまで上り詰める。
果たして、それが恋だったのか愛だったのか。それともまた別の感情なのか。
齢四歳の幼児に対し、覚えた慕情。
リーザは、その事を終生口にすることはなかった。だが、彼女は一度だけ、マーシアンに対する不思議な感情を吐露したことがある。
「マーシアン……。奴こそが免状だ」
彼女を追い詰めた術者たちは、リーザの手で全て屈服させられ、新しいSMG政権では彼女の手足となり働いた。
リーザのSMG離脱……自由の獲得という目的は、SMGを牛耳り、自身がSMGそのものとなる事で、昇華されることになる。




