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界遊記  作者: かえで
ルイテウにて1
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SMGのリーザ

 少年たちの前にいるのは、安楽椅子に腰かけ、フードを頭からすっぽり被った老婆。ともすれば、丸太小屋のテラスで日向ぼっこをしながら安楽椅子を揺らす姿が容易に想像できる。

 その老婆は、背後にある雲の絵画をじっと眺めているだけだった。

 その絵画には、嵐の中の雲を誰にも真似できぬ質感で描かれていた。文字通り、雲の向こう側は嵐で、今にも雲から何頭もの光の龍が飛び出してくるのではないか。暴風に踊らされる雲は、その形を千変万化させ、見る者をありとあらゆる夢想に引き込むのではないか。それほどに圧倒的な表現力で描かれた名画であろうと思われた。

 ……いや、それは絵画ではなかった。窓枠こそ名画を納める額をイメージしたデザインになっているが、額に収まったそれは、窓から見ている景色そのものだった。これこそが、ルイテウにしか存在しない究極の芸術の一つ、『変わる風景画』だ。古代帝国が浮かせたという大陸は、帝国末期に墜落したと言われるが、極一部その浮遊機能は遺したまま、空中を彷徨い続けていると言われる。その一つが、SMGの本拠地、ホームと呼ばれるルイテウだ。

 額の中の雲は、その体内に何万という光の龍を宿し、その胎動を伝えてくる。もう少しの時を経て、その光の龍は姿を現すだろう。しかし、その雲を更に遠くから照らす、今まさに沈まんとする夕日は、その雲さえ覆い尽くす天の輝きだ。

 ヒータックの呼び掛けにも無反応の老婆。老婆の周りだけ、時が止まってしまっているのかと錯覚するが、微かに揺れる安楽椅子がそれを否定する。

 安楽椅子の側に立つ女性は、指先一つ動かすことが出来ずにそこにいるファルガとレーテ、そしてヒータックにはちらりとも視線を移さない。

 三人をこの場所に案内した男は、部屋にいる全ての者に対して一礼をすると、場の空気の鋭さを感じたのか、早々に下がっていった。部屋に残されたのは、老婆リーザとその孫娘サキ。ヒータックとファルガ、レーテのみだった。

 張り詰めた空気とは対照的に、時間は刻一刻と流れていく。眼下に浮かぶ雲の周囲を赤く染め上げていた夕日が、水平線の向こうに完全に姿を消したことで雲が闇に紛れ始め、光の龍の胎動がより鮮明に輝き始めた。

 と同時に、安楽椅子の側に立つ女性が部屋の隅にある摘みを捻った。どうやら、壁の照明に火はずっと点っていたようだが、ガスの供給を少なくして、ほぼ消えている状態だったのだろうか。そのバランスをスイッチで調整しているのだろうか、部屋がゆっくりと明るさを増していく。

 安楽椅子の老婆にゆっくりと近づき、女性が耳打ちすると、老婆はゆっくりと来訪者のほうに視線を向けた。

 次の瞬間、ファルガとレーテはその場にへたり込んでしまった。

 突然倒れ込むレーテに驚き、その体を支えようとしたファルガも足に力が入らず、少女が床に頭を打ち付けないように腕で支えるのが精一杯だった。

 何かに頭を射抜かれた。ファルガはそう感じた。だが、力が入らなくなったのは両足。一体、何が起きたというのか。

 レーテは完全に気を失っている。ファルガは、突然正面から来た如何ともし難く、どう表現していいかもわからない謎の圧力の正体を見極めようとし、体が自由に動かないことにもどかしさを感じながらも、もがき続けた。ややあって、不完全ながらも体のコントロールできるようになり、正面を向くことができたファルガは愕然とする。

 何もない。

 そこには、こちらを見る老婆がそこにいるだけだ。体は相当衰えているように見えるが、その視線は、強い。レーテを失神させ、ファルガを立てなくしたのはこの老婆だということを察したファルガ。

 彼の左横に立つヒータックは直立不動のままだ。この老婆はその不可思議な力をファルガとレーテにのみ投げかけてきたのだろうか。

 そう思ってヒータックを見上げると、当のヒータックはピクリとも動かないものの、その額には脂汗が浮かんでいる。そして、全身は鳥肌が立っているようで、彼自身も卒倒しないように全身に力を込め、意識を保とうとしているのが、強く握られ打ち震えている拳でわかった。

「……小僧、意識を失わぬとは大したものだ」

 老婆が初めて口を開く。その見た目とは裏腹に、声は低くしゃがれていたものの、力強かった。ともすれば真っ白な時間が流れていてもおかしくない程に衰えた風貌の老婆。だが、その眼力は、ファルガは勿論の事、ヒータックすら竦ませるのに十分だったという事だ。

 『覇気』。

 その人間の持つ個性と言ってもいい。トオーリの家系は、代々強力な眼力を持つようだ。リーザほどではないが、ヒータックの眼力にもそれに近い強さがある。その眼力は、射貫かれた対象を竦ませ、身動きを取れなくさせる。強力なリーザのそれは、体だけでなく心も竦ませ動けなくすることで、結果的に気を失わせてしまうようだ。

 隣で直立するヒータック。彼を射抜いていた視線が、弾かれる瞬間を目撃するファルガ。物理的に音がしたわけではない。ましてや、老婆リーザの覇気を伴う視線が弾かれ始める所をファルガがその眼で見たわけでもない。だが、ヒータックが言葉を発した瞬間、リーザの強い視線がヒータックに到達しなくなるのを、ファルガは間違いなく感じていた。

「……頭領。聞きたいことがある」

 ファルガの周囲に巣食う、刺すような空気が胡散霧消する。同時に、ファルガは体の自由を取り戻した。程無くしてレーテも意識を取り戻す。

 リーザの視線に、一瞬の戸惑いの色が浮かんだかに見えたが、それもすぐ消えた。

 リーザとヒータック。祖母と孫。だが、その二人の間に取り交わされるのは、不敵な笑みだった。その背景には互いの感情の探り合いがある。

「……デイエンに発行したという『免状』。これは、実在したのか? いや……。頭領、あんたがそれを発行した事実はあるのか?」

 だが、SMG頭領リーザは、そのヒータックの質問には答えずに、質問で返す。

「お前はデイエンで、あの男に会ったのか?」

「それは誰のことだ?」

「……マーシアン=プレミエール。デイエンの貿易ギルドの長にして、ラン=サイディールの通商省長官だ」

 会話を横で聞いていたファルガは、思わず呻く。その者の名は、確かに彼の数多い恩人の一人だった。

 老婆はちらりとファルガの方を見るが、そのままヒータックに視線を戻した。

「お前はその男と会ったのか?」

 リーザは、もう一度同じ質問をヒータックに投げかけた。


 若干の違和感を覚えざるを得ない。

 頭領リーザは、孫であるヒータックに対し、免状を奪って来いと指示を出した。それを一人で成し遂げることで、晴れてSMGからの脱退を許可するという条件で。

 それ故、ヒータックは命を懸けてその命に従った。

 だが、ルイテウに帰還し、頭領リーザに謁見しても、未だに免状奪還できたかどうかの話が出ない。今回の命令で一番重要な事は、免状を奪取できたかどうかではなかったのか。

 事情を知らぬファルガですら、ヒータックとの最初の邂逅で免状の話は耳にしている。それ故、免状の奪取の可否は、今回の命令においては大きな比重を占める筈なのだ。

 だが、その話は一向に出ない。出るのはマーシアンの話ばかり。

 マーシアンには会ったのか。マーシアンとは話したのか。マーシアンは健在であったのか。

「彼は死んだよ。恐らく殺された」

 ヒータックから出た言葉に、リーザは固まった。驚愕の表情を隠そうともしなかった。体の前で組まれた両手が、心なしか震えていた。

「……そうか。死んだか」

 そういうと、リーザは再び窓の外に視線を移した。

「あの……」

 リーザの覇気の直撃を受け、気を失っていたレーテだったが、少し前から意識は戻っていた。ただ、足には力が戻らず、立ち上がることが出来ずにいた。その少女がファルガの力を借りてゆっくりと立ち上がる。

「レベセスの娘か……。どこか面影がある。お前の父は息災か?」

「はい。今はドレーノに赴任しています」

「そうか……。ならよい」

 リーザの声の響きが、若干の悲しみを帯びたことに気付いたのはレーテのみだった。

「……マーシアンさんを、ここに連れて来られればよかったのでしょうけれど……」

 レーテの言葉は、周囲にいる人間にとっては完全に意味が不明だった。ファルガは全く意味を理解していない風だし、ヒータックもサキも、眼前の少女は一体何を言い出すのだと言わんばかりの、半ば鼻白んだ表情を隠さずにいられなかった。

 そんな中、明らかな動揺を見せたのは、誰でもなくSMG頭領のリーザだった。

「頭領のリーザさんが免状を渡した、という相手はマーシアンさんですよね。でも、それは多分形のある物ではなかった。或いは、形があっても、『免状』という言葉から推測されるものとは最も遠い物。他の人が見ても絶対に免状だとわからない形にする事こそ意味があった」

 リーザはピクリとも動かず、窓から視線を外さない。だが、全神経をレーテの発する言葉に集中しているのを、リーザの部屋にいる人間は感じ取っていた。

「レーテ、ちょっと待ってくれ。免状とはいっても、紙じゃないってことか?」

 ファルガの疑問ももっともだった。パピルス紙のような植物繊維を用いた文字通りの紙ではないにしても、紙に準ずる羊皮紙のような物で免状は作成されていて、その効果を発揮する対象と期間が明示されていると当然思うだろう。

 リーザがマーシアンに所謂『免状』を渡したのは、彼女がマーシアンを認めたからだ。それが、SMGに対する献身なのか、はたまたデイエンでの商人ギルドの頑張りに関係したものなのか。それとも、また別の物なのか。それは誰にもわからない。

 だが、レーテはマーシアンに与えた免状とは、マーシアンそのものに施された何かなのではないかと踏んでいた。彼が身体的に、あるいは道具的に何かを持っていたとして、SMGの人間はすべてわかるが、他の人間にはわからない物を与えた。ひょっとすると、教会の司教が信者に祝福を与えたようなイメージなのかもしれない。

「……そうなのか、頭領」

 ヒータックの問いに、リーザは答えない。何か手の届かないものに思いを馳せているようだった。

 ヒータックは、リーザの何か思いを敏感に感じ取った。だが、それとこれとは話は別だ。今回のリーザの命令で、数多くの人間が死に、一つの巨大都市が崩壊した。その事実をリーザは知らなければならない。

 その命令を発しなければ、数多くの人が死ななかったかといえば、それは否と答えるしかないだろう。デイエンが疲弊しきっていたのは事実だ。そして、その現状に疑いを持たぬ者達のみだった。いずれ摩耗し、消滅する都市だったのは否めない。

 そして、リーザの今回の命令が是か非かの判断は、誰にもできないだろう。SMGという組織を存続させるための一つの選択肢だった。それ以上でもそれ以下でもない。

 ただ、その選択をリーザがしたことにより、今回の『禍』がこのタイミング、この状態で発生した事実をリーザは知らねばならない。

 ヒータックはそう思っていた。

「頭領。わかっているか。今回の件で、人が沢山死んでいる。デイエンは崩壊した。それが、貴女の命令のタイミングで起きている」

「もちろん把握しているさ。それは大変な事であり、そして、それだけの事だ」

 ヒータックは、一歩前に歩みを進めた。ちょうど、ファルガとレーテの一歩前に出たことになる。

「頭領。貴女にとって、『マーシアン=プレミエール』という男は何だったのか」

 リーザは、ゆっくりと窓に目を移し、安楽椅子を揺らし始めた。傍に立つサキも、これほどまでに饒舌なリーザは久しぶりに見る。

 リーザとしてはあまり触れられたくない問題なのかもしれないが、その一方で年老いて様々な物の衰えの隠せないリーザを活性化させているのはどうも間違いない事実のようだ。

「奴は……、マーシアンは、『免状』だ」

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