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界遊記  作者: かえで
ラマでの出来事
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狂美2

遅くなりました。精霊神大戦争部分の説明をもう一度訂正するかも。

 生まれて初めての経験だった。

 剣自体は、年中見ている。鍛冶屋が剣を打たない日はない。剣の形はしていなくとも、剣を作るため、日々火を起こし、鉄を並べ、焼きを入れる。少なくとも、剣は扱っているのだ。

 だが。

 剣の本来の使い方をするために、剣を持ったことはなかった。

 剣の本分は、敵の打倒だ。それは異論を唱える所ではない。そして、当然打倒には命のやり取りも伴う。人の命を奪う武器を作る事に対し、ファルガも抵抗がなかったわけではない。だが、剣は道具に過ぎない。使う者によって、その意義は変わってくるのもまた揺るぎない事実だ。

 人を助けるために振るわれる剣と、人を脅すために使われる鋏。その道具の優劣を一体誰がつけることが出来ようか。

 そもそも、剣は刃物の中の一種類に過ぎない。無論、剣にも無数に種類はあるが。

 刃物の『刃』。鉄を成形し、物体に掛ける力を線上に集中し、物質を二分する。切断する物質にかかる力の線の幅員を、限りなくゼロに近づける事で美しい切断面を作り出す。その機能を有する鉄の塊。結果威力が異なれど、斬るという動作には違いはない。

 その『斬る』という動作が、他者を傷つけるのか、活路を開くのか、はたまた生活を豊かにするのか、という意味合いは斬る対象次第。

 ただそれだけなのだ。

 決して剣を振るうということ自体が問題になるわけではない。

 そんなことはわかっている。だが、今、ファルガは生まれて初めて剣を構えた。敵と対するために。仲間を守る為に初めて自分の意志で、人を傷つけ、敵を倒す目的で剣を持った。

 頭ではわかっている。人を守る為に他人を傷つけなければならないこともあるのだという事。それは、どんな綺麗事を述べた所で、逃れられることではない。

 己を守る為。友を守る為。

 構えた剣の鞘を持ち、ゆっくりと刃を引き抜く。薄汚れた柄や鞘から、同一のものとは思えない美しい刃がその姿を露わにする。

 男の持つ蝋燭の光に反射する光を目の当たりにした男の、目の色が変わった。

「……貴方になぜその剣が抜けるのですか?」

 なぜも何もあるものか。

 剣は抜かなければ使えない。不本意ながら、剣を使って仲間を守ろうというのだ。抜けないわけがあるものか。剣はそもそも鞘から抜けなければ意味がない。その機能を有するのが剣であって、鞘に入った剣が、人の手で抜くことができないとするなら、それは剣と言う名で呼ぶには相応しくないものだ。

 そんなことを考えたが、剣が抜けた所で、得物が手に入ったところで、この状況が覆らせることが出来ると考えるほど、ファルガは楽観主義者ではなかった。

 ファルガの隣に立つことになるナイルも、ファルガの戦おうという意思を感じ取り、敵を睨みながら、ゆっくりと体を斜に構え、相手に一撃を加えられる隙を待つ。

「食料を何とか調達したつもりでしたが、逃げ出してしまうのは誤算でした。その代償は、あなた方に払って頂くことに致しましょう」

 男は、思わず聞き惚れてしまうような、重低音ながらも澄んだ声で、ナイルとファルガに覚悟を迫った。耳に届く心地よい声が、この男の発言の真意を覆い隠してしまいそうだったが、不思議とナイルと違い、この男の発する特殊な効果に影響の受けづらいファルガは、頭の中で男の言葉を反芻する。

(食料……? あの子達が?)

 反芻してみたものの、男の言葉の意味が分からず、ファルガは男の表情をなんとか読み取ろうとするが、薄暗い蝋燭の光のみでは、はっきりとはわからない。だが、その男からは、ナイルに対してではなく、ファルガ個人に対してのみ、怒りとも憎しみとも取れる負の感情が感じ取れる。

 背筋が凍る恐ろしさと同時に下腹部が疼く不思議な感覚、そして頭が熱を帯び、意識が少しだけ遠くなる感覚が妙に心地よい。

 今まで背筋が凍るような感覚は何度かあったが、それが心地よいと感じたりするのは、生まれて初めての感覚だった。

 思わず頭を振り、邪念をはじき飛ばそうとするファルガ。

 その行動が、男の興味を引いたようだ。

「……貴方の名は?」

 男は、剣を構える少年のみに名を尋ねた。格闘家の、先ほどこの男を脅かす蹴りを放ったもう一人の少年には目もくれずに。

 気に入らない。

 なぜファルガに名を尋ねる? 目の前の男は強い。それは相対する自分もひしひしと感じる。だが、自分の蹴りは、その明らかに強いこの男に対して先程プレッシャーを与えたはずだ。

 なのに、格闘技の経験のないファルガにばかり興味を持ち、かつ、名を尋ねるとは。

 俺の方が強い。少なくとも、この戦闘という行為については、間違いなくファルガより自分の方が優れている。だが、何故この男は、ファルガにのみ名を求めた。なぜか。

「……これは失礼しました。名を尋ねるのなら、まずは自分から名乗るべきでしたね。

 私の名はジョー。ジョー=カケネエと申します。生まれはジョウノ=ソウ国。今は、どのようにしたら世界に平和をもたらすことができるのか、ということを考えながら旅をしております」

 ジョーと名乗った男と、剣を構えるファルガ、拳を握るナイルの間に沈黙が落ちる。

「……俺には名を尋ねないのか!」

 右足を一歩踏み出し、間合いを詰め、体重を乗せた右の突きを繰り出すナイル。

 ジョーは流れるような動きでナイルの突きをいなし、そのまま左腕でナイルの突き出された右腕を絡め取るような動きを見せ、ナイルの拘束を図った。

 だが、そこでジョーは一度捕縛しかけたナイルの体を、突き飛ばすように前に押し出した。その先には、剣を振りかざし、全力で剣を振り下ろそうとしていたファルガがいた。

 ファルガは思わず剣を振り下ろすのをやめ、突き飛ばされたナイルを抱きとめた。

 ナイルが自分の足でバランスを取った次の瞬間、ジョーは一気に距離を詰め、ナイルの鳩尾に鋭い膝蹴りを叩き込みながらその横をすり抜ける。その後、ファルガに対しても攻撃を仕掛けるが、ファルガ自身に対しての攻撃というよりは、剣を持っている手を攻撃し、そのまま剣を奪ってしまいたい。そんな印象を受ける攻撃だった。

 ジョーの狙い通り、ファルガの右手から剣がこぼれる。それを掬い上げるように、手にしたジョー。

 だが、次の瞬間、ジョーはまるで汚物に触ったような反応で、剣を投げ捨てる。

「君は、一体剣に何をした?」

 剣の柄を一度は収めた筈の右掌を摩りながら、ファルガを睨みつけた。

 鳩尾を抑えながらゆっくりと立ち上がるナイル。その眼は怒りに燃えていた。

「……おや、素晴らしい防御力をお持ちのようだ。気を失わないとは……」

 忌々しそうに言葉を吐きだしながら、ちらりとナイルにも視線を配るジョー。その後、ファルガとジョーの間に落ちた剣を一瞥した後、再度強い視線をファルガに送る。

 嫉妬?

 只の敵に対する負の感情とは、明らかに違うジョーの視線。

 女に選ばれなかった男の視線が、今まさにファルガに叩き付けられていた。

 もっとも、その嫉妬の視線もファルガには届かない。何しろ、ほんの数瞬前までは、全く剣など持つ機会のなかった少年だ。その少年が、たまたま目の前にあった剣を用い、防戦を試みようとする。

 だが、そんな状況が更にジョーをイラつかせる。

 無条件に愛された男。一体彼と自分の間で何が違うのか。いや、何故彼なのか。

 何の変哲もない少年。様々な判断基準を無作為に一つ選びだしたとしても、その判断基準で彼がジョーという男に勝っている所は何一つないだろう。

 手に入れられぬなら……。他の者の手に渡るなら、いっそ壊してくれようか。

 ジョーの目つきが変わった。

 剣を手に取り、膝で叩き折るべく、右手に柄を、左手は刃に手を添え、右の太腿に刃の腹の部分を当て、一気に力を込める。

 普通に考えて、剣をそのように破壊しようという人間は余りいない。というより、敵から奪った剣を自ら破壊しようという戦闘のシチュエーションは古今例がないだろう。そして、そのシチュエーションは、更に有り得ない事態を引き起こす。

 ジョーの手にした剣が、刃の奥から滲むように洩れる不思議な光を発した瞬間、ジョーの身体の周りに、赤い霧が立ち上る。

 ジョーは思わず目を見開き、片膝をついた。そして、手に持った剣を放り出す。

「やはり、祖父の言うように、この剣は本物の聖剣だった……。私は、聖剣の力を借りて、世界を救いたかったのに……」

「……世界を救う? 聖剣? 一体何のことだ……」

 ジョーの言葉に妙な胸騒ぎを覚えたナイルは、先程の怒りもあって、がなるように問い質す。

 だが、ジョーは一瞬苦虫をかみつぶしたような表情を浮かべたが、その後狂ったように高笑いをする。

「……な、何がおかしい?」

 今度は、目の前で狂ったように笑い続ける美しい男に戦慄したファルガが呻いた。

 男は美しかった。

 身長も、スタイルも、顔の造作も。そして、珠を転がしたような美しい声は、男とも女とも取れない中性的なもので、聞く者全てを魅了し、不思議な安堵感と共に無防備な心の状態に移行させる。

 先程ナイルが感じた異様な安心感と敵対心を無くさせる雰囲気は、未だに衰える様子はない。正直な所、ナイルは緊張感を保つために、ジョーを憎み続けていたが、その憎悪の感情すら、徐々に融解してきてしまうのは否めない。

「君らは知っているのか? この剣が、伝説の『精霊神大戦争』において、世界を守った勇者達の持つ四聖剣のうちの一本、『勇者の剣』だという事を。そして、その聖剣を解き放つ事のできる者は、世界を守る使命を負うことを」


 精霊神大戦争。

 約三百年の昔に突如発生し、世界中をその戦火で焼き尽くしたにも拘わらず、伝説としてしか語られることのない大戦争だと、人々の間では認識されている。つまり、それほどの大規模戦乱であったはずの爪痕が、全く存在しないという事なのだろう。

 古代帝国は確かに存在した。その遺跡はあり、高度な技術を持っていたと伝えられている。だが、古代帝国が滅んだのも約三百年前と言われ、伝説の精霊神大戦争が原因という説もあるが、その繋がりは全く発見されておらず、学者の中には、高度な技術を持った古代帝国が滅んでいく過程そのものを、精霊神大戦争だと捉えようとする動きもあるほどだ。

 つまり、精霊神大戦争は諸説あるが、真相はほぼ謎に包まれている状態だということだ。

 言い伝えでは、白銀竜率いる魔族ガイガロス人が、また人間を滅ぼそうとしたとされる。ところがガイガロス人に対抗するために、ガイガロス人たちが用いた『魔法』と呼ばれる術を、道具を使って実現することに成功した人間が、その技術を応用し、現代に聖剣という名で呼ばれる武器を作り、その武器を使って、魔族ガイガロス人を滅ぼした、とある。

 精霊神大戦争内で語られる聖剣と、四聖剣の伝説内の聖剣が同一の物であるかは不明だ。だが、大戦争時は無数にあった聖剣も、戦争終結時には四本しか残らなかったとも言われ、これも元々四本だったのか、はたまた無数のうちの四本が残ったのか、はたまた聖剣の存在そのものが空想の産物なのか。それも学者の中では説が分かれている。

 少なくとも、子供たちは勿論、大人たちも何かの時には縋ってしまう伝説が複数あり、聖剣の伝説と、精霊神大戦争の伝説、ガイガロス人の伝説はその中でも特に信憑性が高い物なのだろう。

 そして、研究に携わった殆どの学者が、伝説は実在の出来事の誇張された描写だと解釈しているようだ。一部、精霊神大戦争は精神世界で行われた戦争のため、実世界では全く影響はなかった、という一種オカルトチックな学説をまとめた者もいたようだが、それは極少数だった。

 古代帝国は、かつての高度な文明を誇った人々が作り出した国家で、人間という物が必ず陥るマンネリ化と、それによる文明の衰退をセンセーショナルに描いたのが、聖剣伝説であり、ガイガロス人伝説。それが魔族ガイガロス人との種の存亡をかけた戦いとして描かれ、ガイガロス人を退けたものの滅びた文明として、今も語り継がれる物語。

 学者たちのその判断の根拠には、どうも余りにも都合良すぎる勧善懲悪な話である点がある。そして、星を全て巻き込んだ程の凄まじい戦闘行為があった割には、その痕跡がまったく見られない事、しかし古代帝国と言われる遺跡そのものは発見されている事などが挙げられている。

 古代帝国の文明が、『道具で魔法を使えた文明』だったかどうかはさて置き、現代と比較しても高水準の文化を持っていたであろうといわれる。とはいえそれは、失われた超古代文明という意味ではなく、同時期に存在していた他の文化と比較して、それらよりは優れた技術を持っていたと言う事にすぎないのではないかと専門家の間では見られている。精霊神大戦争は、それらの古代帝国の類まれな技術を伝承する宣伝手段として用いられた、というのだ。

 古代帝国といわれたかつての帝国も、所詮は人間の創造物。

 作られたものが壊れない筈が無い。そして古代帝国も例外ではないだろう。

 国家劣化の理由としては政治不安や経済不安、モラルの低下や自虐他虐的な邪悪な新興宗教の勃興など枚挙に暇がないが、そういったものを含めた、あらゆる意味で国家がマンネリ化し徐々に衰退し消滅していく、その過程を辿ったに過ぎないと考えられた。

 だが、新しく国家を作り出し、その支配者階級に鎮座しようとする人間にしてみれば、そんな巨大国家が消滅する事は、非常に不都合だった。

 国家は、人間が作り出したものの中でも、最も壊れることがない永遠の創造物。歴史を学び、他の国家の栄枯盛衰を知る者も、今、己が属する国家が消滅することを、自信を持って言える者はそうはいないだろう。己の存在意義も、物の価値も、貨幣価値ですら、全ては国家という裏付けがあるからこそのものであり、国家が揺るげば、己の意義を証明する価値判断が消滅することを意味するからだ。

 人々の価値観や思考形態を左右する国家が消滅するような不安定な世界で、自分達の作った国家の持つ様々な価値観にどの程度の説得力があるだろうか。

 新しく国を起こそうとする人間は不安になった。古代帝国が消滅した事は、間接的に自分達の支配する国家もいずれは消滅する可能性を明らかに残す。国家はそのまま人々の価値観や物の価値を定義する。それ故、彼ら支配者階級にとってみれば、国家は普遍の存在でなければならず、その存在は永遠でなければならない。そうでなければ、人間が同じ人間を支配するには説得力を欠いたからだ。

 そこで、後世の支配者階級は、かつて権勢を誇った古代帝国が消滅した理由に、同じ時代にいた異民族ガイガロス人を仮想敵とし、その敵との戦争を原因とすることで、三つの伝説、『精霊神大戦争』『四聖剣の伝説』『魔族ガイガロス人』という三つのキーワードをうまく利用する事にしたのだ。

 しかも、これほどの巨大な国家が消滅するにあたって、敵が只の人間では困るので、ガイガロス人を魔族として位置づけたのである。

 そして、ガイガロス人が竜に変身できた、という伝承については、古代帝国が存在した時代には竜信仰が盛んだったからだ、という風に結論された。異民族ガイガロス人を神憑り的な力を持たせる事によって、古代帝国の崩壊もやむなしという事にしたのである。

 精霊神大戦争について、後世の学者はこう結論している。

 精霊神大戦争とは、『古代帝国崩壊後、新興国家群を形成した新しい支配者層が、自分達の支配権を正当化するために必要である、自分達の作った国家の永続性を主張するにあたって都合の悪かった、自分達の作った国家よりもはるかに規模の大きいはずの国家の消滅という事実を、人間では対処できない巨大な力のせいであると結論づける事によって、自分達の正当性をより堅固な物にしようとした、事実の誇張である』と。


「それって、子供も知っているレベルの伝説じゃないのか……?」

 ラマ村で村長が教師として教えてくれた授業でも、こんな御伽話的な要素はなかった。むしろ、古代帝国の研究がある程度進んだ状態で、様々な説があることを聞かされて育ってファルガにしてみれば、ジョーの言葉はどう見ても真摯に向き合う事実であるとは思えず、いきなりなにを言い出すんだ、と半ば呆れてジョーを見つめた。

 だが、ファルガの視線の先のジョーは、明らかに狂気の光を双眸に宿していた。

「伝説か……。伝説が私をこれほどに傷つけるわけがないでしょう」

 含み笑いを続けるジョー。

 だが、その笑いは徐々に嘲笑の色を帯びてくる。

「そして、伝説は拒むわけですよ。この私を」

 一瞬の間の後、ジョーは肩を震わせ始めた。それが徐々に大きくなっていく。

 やがて、絶叫する。

「神は、私に何故聖剣を与えなかった……!?」

 強く唇を噛み締めるジョー。その唇からは、じわりと鮮血が流れ落ちる。

「適任ではないか! 全てを知り、全てを扱い、全てを凌駕する能力を持つ私ならば、神の能力に比肩する聖剣を扱うことができても、誰も文句はないだろうに!」

 ジョーは天を仰ぎながら叫んだ。だが自信過剰という言葉は、彼には最も当てはまらない。彼が口にする文言は、普通の人間が口にするなら、嘲りの対象になって然るべきであるはずなのだが、不思議と誰も彼の言葉に違和感を覚えない。彼ならば、ひょっとしたらやりかねないと、誰しもが感じてしまうのが、ジョーの不思議な存在感だった。

 その時、聖剣がふわりと盛り上がったかと思うと、ファルガの右手にすっぽりと収まった。まるで剣が意思を持ったかのように、ファルガの元に駆けつけたのだ。

 それを目の当たりにしたナイルは、思わず息を呑む。何か、自分の目の前で想像を絶する事が起きようとしている。あの剣は、少なくとも只の剣ではない。

 ジョーの両足が、ゆっくりと肩幅まで開かれる。

「よこしなさい、その剣を!」

 そう呟くと同時に、ジョーは滑るようにファルガの前に移動する。そのまま、ファルガの鳩尾に膝蹴りを繰り出し、威力に喘ぐがゆえ握りの緩まる聖剣を奪うつもりだった。

 だが。

 ファルガは、ジョーの膝蹴りに膝蹴りで対応する。半身になりジョーの一撃をかわしつつ、ジョーの鳩尾に膝蹴りを叩き込んだ。そして、そのままジョーから距離をとり、剣を改めて構え直す。

「おのれ……」

 ジョーは鳩尾を抑えつつ、ファルガに憤怒の視線を叩きつける。その視線は、明らかにファルガを蹂躙する気満々であった。

 だが、そこまでだった。

 狂気を叩きつけようとする美しい悪魔に対し、制止の声がかかる。それはファルガの良く聞き慣れた声だった。

 この声は、今までファルガを叱咤し、褒め、そして慰めてきた。それは、今回も同様だ。ファルガは不思議に思った。怒鳴られている時は鬱陶しい声としか思われなかったものが、今この場においてこれ程頼もしいものに聞こえるとは……。

 まずジョーが、そして一瞬遅れてファルガとナイルが、この空間の入り口に目をやる。そこには三人の男が立っていた。

 ファルガの知る最も強い人間達。誇大表現ではなく、まさにこの場にいる彼らは皆が皆、該当者だった。

 ファルガの鍛冶の師匠であり、父親代わりでもあるズエブ。ナイルの実父であり、格闘技の師匠でもあるアマゾ。そして、インジギルカの父ミシップ。格闘技の経験があるのは二人だけだが、いずれも腕力に自信のある男ばかりだ。

 その三人が、この場に駆けつけたことは、少なくとも現時点ではファルガとナイルの安全は保証されることになる。

 背後の三人の男たちに、ジョーは鋭く何かを叫んだが、一瞬の激昂のジョーとは真逆のズエブの淡々とした一言が、ジョーの刺々しさを奪ったようだ。

 結果、ジョー対三人の男たちの戦闘は起こらなかった。

 ズエブが、ナイルとファルガを背に起き、ゆっくりとジョーの前に立った瞬間、ジョーは戦意を失った。ジョーの両脇をミシップとアマゾが抑える。両脇を支えられたまま、ジョーはその場を去った。

 後には呆然としたファルガとナイル、そして、優しい眼差しで二人を見つめるズエブだけが残された。


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