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界遊記  作者: かえで
ラン=サイディール禍

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ラン=サイディール禍4

ワールドカップのせいか、遅筆に拍車が掛かっております。

 ラン=サイディール国近衛隊長にして兵部省長官であるレベセス=アーグの娘、レーテ=アーグが、怒りに任せて通気口を塞ぐ網を蹴破ったのは、彼女が薔薇城に非正規な方法で侵入して、およそ一時間程度経過した頃だった。

 少女にとって好都合だったのは、城内の通路に出る事なく、場内の殆どの場所に移動できた事だった。そのため、通路を慌てふためいて走り回る兵士とは一度も鉢合わせすることはなかった。ファルガがいると思われる、少女の思い浮かぶめぼしい箇所は、通気口の網から外の様子が伺えるため、これもわざわざ通路に出ることなく済んだ。

 しかし、幾ら経ってもファルガの居場所にはたどり着かず、その間も刻一刻と過ぎる時間とそれに比例して蓄積する疲れと焦りとで、このままダクト内の移動を続けても、ファルガの元にたどり着けないのではないか、と少女は考え始めた。やはり、一度通路に出るしかない。そして、ダクトから確認できない箇所も時間をかけてじっくり探索するしかない、という結論にたどり着き、通路に出る事を決めた上での行動だった。

 リスクはある。城内にいる兵士に見つかれば、不審者として捉えられるかもしれない。対応如何によっては、斬り殺される可能性もあるだろう。現在はそれほどの有事だったからだ。

 だが、レーテはダクトから降りて移動を開始したとしても、少女特有の楽観的な見通しで、兵士にも見つからずうまくファルガと合流できるに違いないと踏んでいた。そして、万が一兵士に見つかっても、謝れば許してもらえるだろう。そう思っていた。ラン=サイディールの兵部省長官の娘を知らぬ兵士はいない。それも、少女特有の甘い考えだったのかもしれない。

 少女は、円盤飛天龍が上空に現れた直後にダクトに入ってしまったため、そのあとの爆撃や、飛天龍出現によるデイエンの街の混乱を目の当たりにしたわけではない。その様を目撃したなら、少女は怯え、足が竦み、身動きがとれなくなってしまっただろう。そういう意味では、レーテが飛天龍の襲撃や街で起こっている暴動を直接知らない事は、不幸中の幸いだったと言える。


 鉄柵が床に落ち、激しい音を立てた。

 だが、その柵の音には誰も気づいていなかった。いや、気づいていないというのは嘘になる。それどころではなかった、というのが本当の所だ。たった一人の人間を除いて。

 というより、この状況でその人間が気づかない方が無理というものだろう。何しろ、その者の数十センチ前の通路の床に、通気口の網の角が突き刺さったからだ。

 その鉄網は、堅固な目標物に直撃した矢の如く、細かく振動していた。

 何の殺気も感じなかったが故に、明確な殺意で放たれたとしか考えられぬこの鋼鉄の長方形枠で囲われた網の攻撃は、通行者を驚かせた。

 周囲に彼を狙う者がいないことを確認し、再び蓋に目を落とす人影。蓋は強い力で叩きつけられ、床に深く食い込んでいる。

 その通行者は声こそ発しなかったが、レーテは自分が蹴り飛ばした網に当たりそうな人がいた事を気配で察し、思わず通気口から顔をのぞかせた。

「す、すみません! 当たらなかったですか!?」

 悪意はなかったが、人を傷つけそうになってしまったこの状況に恐縮したレーテは思わず謝意を示す。そして、その通行人の前に軽やかに降り立つと、廊下に突き刺さった網を抜き、壁の方に投げやった。

 見つかってはいけない。その目標は、潜入後一時間で見事に破られた。

 だが、レーテが慌てるのも無理もない。

 床に刺さった網は、優に小さい子供の倍以上の重さはあったはずだ。人が当たればただでは済まない。ましてや、当たり所が悪ければ、体に刺さり、人を死に至らしかねない。

 床に刺さった網がそれを物語る。

 そこではたとレーテは気づいた。回廊を歩くこの通行人は、場内を警備する近衛兵ではない。

 黒い装束を身にまとい、肩当てや肘当て、胸当てだけの最低限の防具。見たことのない格好だ。口元を隠したマスクで、表情は伺えないが、横を刈り上げた短髪の男性の強く鋭い視線は、敵を射抜けばそれだけで竦み上がらせることも可能だろう。

「空からの侵入者!?」

 レーテは思わず男から距離をとった。

 だが、その男からすれば、レーテのとった距離を一気に詰め、一撃の下にレーテを打ち倒すことも容易だっただろう。

 既にこの男は、地下牢から脱出した後、自分の装備を取り戻していた。

 一瞬、仲間を呼ばれる前に始末するかという選択も頭をよぎる。

 だが、少女の発した言葉に引っかかるものがあった。それに、こんな小娘が深夜に城をうろついているのは異常だ。

 城の兵士とは違う、何か別の人間か。しかし、その割には自分が隠れていたダクトの蓋を蹴り飛ばすなど、およそ潜入者とも思えない、阿呆と言われても仕方ない類の豪胆さだ。潜入者としての意識もあまりなさそうだ。心なしか城に慣れているような印象も受ける。

 少女が城にいるにしてはおかしい時間帯。城にいる少女にしてはおかしい格好。どれもこれもが普通とは違う。眼前にある全ての要素が、安易な選択に激しく警鐘を鳴らす。

「おい、空からの侵入者とは誰のことだ。まさか俺のことか?」

「……違うの?」

「何故そう思った……?」

 会話がかみ合わない。

 この少女、自分の正体を見極めたうえで話している訳ではなさそうだ。そして、その質問の答えによっては、少女に対する処置も厄介なことになる。

 対するレーテも、眼前の男が何者なのか、はっきりとは掴んでいない。

 恰好から正規のラン=サイディール軍の人間ではないのは想像がつく。だが、兵部省長官の娘レーテであっても、軍の構成まで知っている訳ではない。ベニーバが抱える私兵軍や暗部があるやもしれぬ。

 勿論、レーテがそういった部署の存在を把握している訳ではないが、軍が単純にきれいな組織図のみで成り立っていると考えるほど、ある意味純粋な思考をする少女でもない。

 相手の正体がわからぬという不気味さが、レーテを必要以上に黒装束の男に近づけさせなかった。

 一瞬の沈黙が落ちる。

「お前、何者だ」

 黒装束の男はストレートに尋ねた。これ以上の探り合いは時間のロスだと判断したからだ。

 少女から、微かな動揺が感じ取れる。対応を一歩間違えれば、何をされるかわからない、という確信にも似た思いがあるのだろう。この恐怖は、今までに感じた事のない類の物のはずだ。まだ年端のいかぬ上流階級の少女が、背筋の凍るような恐怖に晒されたことなどあるはずもない。その人間によっては、そのような思いをせず一生を終える者もいるだろう。それを齢十一歳の少女が的確に行動せよというのは、乳飲み子に人生を語らせること並に難しいだろう。

 だが、その恐怖は大なり小なりあれどヒータックも同じだ。

 正体不明の少女。この少女の対応で時間を食えば、敵兵に発見される可能性は飛躍的に上がる。彼は一刻も早く免状を見つけ、この城から撤収しなくてはならない。

 突然、ヒータックはレーテとの距離を詰める。少女が驚く間もなく、小脇に抱えると、そのまま跳躍、ダクト内に押し込み、自身もその中に体をねじ込んだ。

 ほんの十数秒後、数人の兵士が廊下を走ってきた。この鉄枠の音を聞いて駆けつけてきたわけではなさそうだが、床に転がった排気口の柵を発見、ざわめき立つ。

「侵入を許したのか!」

 小隊のリーダーらしき男が呟く。

「探せ! まだ近くにいるはずだ! それと、中隊長殿に報告、援軍の要請をせよ。この一角にまだいるはずだ!」

 兵士たちは抜刀すると、そのまま走り去った。

 ヒータックは、無理矢理ダクトに押し込んだレーテに短剣を突きつけ、声を出させないようにすると、声を押し殺したまま詰問する。

「奴らもまさか、侵入者が出てきた場所にまた隠れるとは思わんだろう。だが、大して時間は稼げない。手短に答えてもらおう。貴様、何者だ」

 外の廊下から差し込む明かりで、自身に突きつけられた短剣の輝きを確認したレーテには、抵抗も沈黙もできなかった。沈黙すれば殺される。歯向かっても殺される。この男にとって、自分は手札になるかもしれないが、いなければいないで特段問題のない存在なのだ。ならば、手札になる方が生き残る可能性は高い。

「レーテ……。レーテ=アーグ。兵部省長官、レベセス=アーグの娘です」

 短剣を突きつけていたヒータックに、僅かな驚愕が見られた。

「レベセス=アーグだと?」

 兵部省長官。近衛隊隊長。その辺りの名は何度も伝え聞いた。

 だが、彼の記憶にあるかの男の二つ名は、どれも彼にとって魅力的ではなかった。

 彼の知る、かの男の二つ名の中で、最も彼が興味を惹かれるうちの一つが、『聖勇者』だった。

 他の肩書は、国が無くなれば胡散霧消する。だが、神の生成物の一つとされる聖剣は、国を越えて間違いない物だからだ。

 接点があるかはわからなかったが、ヒータックは聞いてみたくなった。聖剣を持つ少年、ファルガ=ノンを知っているか、と。だが、現在は後回しにすべきだと判断した。

「……で、ここへは何しに来た」

「恩人が城から戻らないので、迎えに来ました」

「……こんな真夜中に、お前のような小娘が、か?」

「昼間は追い返されたんです」

 一瞬考え込むようなそぶりを見せるヒータック。

 追い返された? 兵部省長官の娘が?

 やはり、今まで穏健派だったはずの、デイエンの貿易をコントロールしていた存在に何かしら変化があった。そう感じざるを得ない。方針転換の結果、城への立ち入りを禁じた。そう考えると、ラン=サイディール国首都デイエンとSMGとの間に起こった関係の変化や、それに付随して発生した様々な事象も理解、納得しやすい。

 デイエンの貿易のギルド長はマーシアン=プレミエールだった。かの男がそのまま通商省長官になったとしても、そう急激に方針は変えるとは思えない。

 頭領は確かにデイエンの変化を感じ取り、見せしめとして貿易免状の奪取を命じた。もし、マーシアンが国の貿易代表になったことで、SMGとの関係を清算し敵対するなら、恐らく頭領はマーシアンの暗殺を指示したはずだ。反乱のトップをあっさりと排除して見せる事で、SMGの力を誇示することは可能だったはず。だが、その指示はなかった。

 頭領は、敵対をしようとしている存在を、マーシアンより上層部の人間だと判断したのだろう。マーシアンを国家権力で抑え付け、ギルド長としてではなく通商省長官としての立ち振る舞いをマーシアンに求めたという事だ。

「……なるほど。それ故のこの混乱か。為政者は宰相ベニーバ=サイディール。奴が黒幕ということか」

 ヒータックは、少女に突きつけていた短剣を収めた。そして、少女から離れる。

「レーテと言ったな。お前は今から、この城からの脱出を考えろ」

 はっとするレーテ。この青年は自分をこのまま解放しようというのか。

「お前は、俺のことを知らんだろうな。だが、俺はお前の父親に借りがある。だから、今回はお前を見逃す。早くこの城から……この国から出ろ」

「えっ……? 私は、ファルガを連れて家に帰りたいだけ……」

「だめだ。あの『聖剣持ち』の小僧を連れてもいいだろう。後は、お前の大事な人間を連れてこの国から出る事を考えろ」

 ヒータックの表情は、冷たく、そして険しかった。

「この国は、墜ちる……」




 あの男が戻ると言ってから、大分立つ。

 最初は、戻ってくる男を待った。だが、よく考えてみれば、その男が戻ってくる保証はない。ましてや、戻ってきてもファルガをここから連れ出そうと思わないかもしれない。

 いずれにせよ、現在少年ファルガは完全に他者依存の態勢になっていた。

「いや、自分で何とかしなきゃ」

 そう呟いては見たものの、現状何ができるのか、皆目見当もつかない。

 ふと横を見ると、例の如くに剣が一振り。

 もう、明らかに剣が自分を求めてついて回っているという感じだ。

 特殊な剣であることはわかった。だが、ここでその剣が何をしたところで、事態がそう変わるとは思えない。

 ファルガはゆっくりと鞘から剣を抜くと、勢いよく横に薙ごうとした。だが、そこで躊躇してしまう。聖剣が折れたらどうしようか。それこそ、完全に打つ手が無くなってしまう。

 そう考えると、剣で鉄の扉を切りつけることに躊躇を覚えた。

 ファルガは鍛冶屋の弟子だ。刃物の美しさ、創る事の難しさ、そして切ることの大変さと限界をこれでもかと言わんばかりに見てきた。

 木を打ち倒そうとした時には、どんなに切れ味の良い剣でも、やはり斧にはその威力は敵わない。どんなに名剣と呼ばれた剣でも、攻撃レンジは槍には敵わない。その槍もレンジだけで言えば弓矢には敵わない。

 刃物は、切る行為だけではなく、どう切るか、切ったあとどうなるのかまで計算されて作られている。剣は武器だ。敵を、もっと言えば人間を斬るために作られている。その武器が、鉄の扉を斬ることはやはり不可能だということは想像に難くない。

 それでも、聖剣という名は、少年に淡い期待を持たせる。ひょっとしたらどんなものであってもスパッと切れるのではないか。この鉄の扉さえも。

 少年はゆっくりと剣を抜くと、鉄の扉にその鋒を押し付けてみた。

 カキン、と小さな音が鳴り、鋒と鉄の扉はお互いが破損することなく接触した。やはり仕方ないか、と考えたファルガ。だが、何を思ったかそこで彼は、ゆっくりと力を込めてみた。

 すると、驚くべきことが起きた。

 まるで鋒を豆腐に突き立てたかのごとく、鋒が鉄の扉の中への飲み込まれ始めたのだ。しかも、ただ飲み込まれるだけではない。ゆっくりと下におろすと、そのまま鉄の扉を切り始めた。慌てて剣を鉄の扉から引き抜き、鋒を観察する。

 剣の方は特段変わりない。だが、扉の方は剣を刺した部分に穴が空き、向こう側を見ることができた。

 高熱で溶かしたわけでもない。かといって鉄の板を切り裂いたとも考えづらかった。そもそも、斬撃とは、剣の切れ味もさる事ながら、使用者の膂力が大幅にものを言う。押し当ててから、ゆっくりと押し込んで刃が対象に入り込んでいくというのは、切断とも違うようだった。

 別の箇所を刺してみたが、ファルガが強く貫けと望んだ時のみ、貫くようだった。

 そこで、ファルガは聖剣を、鍵を囲うように切り込みを入れたところ、貫いた部分がつながった瞬間、鍵部だけが鉄の扉の向こう側にガチャリと音を立てて落ちた。

 ファルガは剣を背に戻すと、ゆっくりと鉄の扉の穴部に指をかけて、引き開けてみた。剣が貫いた切断面は、回転式刃の切断機で切ったようなザラザラした面は全くなく、何か薬品で溶かしたような歪みもなかった。磨かれた鏡面のような輝きさえ帯びている。

 切断とは、物体に力を加えて分断するという行為であるにも拘らず、切断面に力が全くかかっていないように見えるのが、ファルガからすれば非常に不思議なものに見えた。

 だが、あまりそれに執心している時間もない。

 あのヒータックという男、これから何をするのか。それよりも、ヒータックが脱獄するあたりから、城全体が異様なざわめきに満ちている。それは張り詰めた空気といってもいい。そのざわめきが城の外、内城壁外の居住区域にまで広がっていることをファルガは知らない。

 それでも、少年にはこの場所に居ては危険だ、ということだけは感じ取れた。どこに行けば良いかはわからない。だが、まずは高いところを目指そうと決めた。周囲を一望できると思ったからだ。状況を見て、次の行動はそれから考えればいい。

 少年は扉に手をかけると、外の様子を伺い、辺りに誰もいないことを確認する。先程ヒータックと名乗った男の入っていた独房に少し視線を向けたが、思い返したように、その場から立ち去った。

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