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界遊記  作者: かえで
ラン=サイディール禍
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ラン=サイディール禍3

お待たせしました。すみません。

 『特命』を持った戦士は、他にもいた。

 ラン=サイディール国近衛隊副隊長のソヴァ=メナクォが、蒼い髪の剣士ガガロ=ドンとの平和的交渉を破棄し、聖剣の略奪を試みたまさにその瞬間、政府要人として通商相の実務室にいた通商省長官マーシアン=プレミエールの所にも、『特命』の凶刃は迫っていた。

 兵役の経験こそないが、元々生粋の戦士であったマーシアン。SMGとの信頼関係を成り立たせるために、『特派員』と名乗るSMGからの使者兼ヒットマンとの小競り合いも幾度となく経験した。そんな彼も、既にデイエンを包む深夜の有事に感づき、その裏にある様々な目論見に気付きつつあった。

 彼も、窓の外の『黒い円盤』と、そこから零れ落ち、閃光を放つ破壊玉の轟音を気にしつつ、自身に迫る敵の存在に気付いていた。

 だが、黒づくめの男ガガロと決定的に違うのは、SMGの襲撃に紛れて彼の命を狙おうとする特命を帯びた近衛隊を、彼は受け入れようとしていた。

 彼らの持つ怒りの刃は、現行体制への移行で職を失った仲間たちの怒りだ。そして、それは未来の兵士達の生活の糧を奪う事になる、呪われた選択に対する怒りだ。

 遷都して十年。軍事国家であったラン=サイディールは、貿易国家へと舵を切った。だが、それは大量の兵士たちの今、そして未来を奪う事になった。

 中等学校を卒業してすぐ兵学校へと進学する者は数多くいた。その制度……というよりは慣習に近い……は軍事国家時代に作られたモデルであり、軍の命令系統を上意下達のピラミッド型で構成するのと同じように、軍部の構成年齢もピラミッド型を描かせるために、軍部は今まで新卒を数多く採用していた。

 確かに兵学校への入学後の進路は、なだらかな道ではなく茨の道であるといわれた。文字通り、教官から上司の命令は絶対だ、と体と心に叩き込まれる。その厳しさは、場合によっては命を落とすほどのものだ。それほどに過酷でありながら、同時に、懸命に……それこそ他をかなぐり捨てて軍に所属する限り生計は立てられるという、ある意味終身雇用が約束されていた。

 同時に、通常の就労に就くのが不可能な不良や荒くれ者たちを、その厳しい軍の規律で束縛することで、国の管理下に置くことができるという意味合いもある。軍に入ることで、多様な人間をある程度画一化し、管理することができた訳だ。そして、それがそのまま国の治安の良さにも繋がっていた。

 もっと言ってしまえば、兵学校から軍に入隊する流れは、士官学校に入れぬような勉学が不得手な者でも、勉学に金の掛けられぬ貧困層出身の者でも、親族に大悪党がいるような爪弾き者一族出身であろうとも、軍部で努力し成果を上げることさえできれば、出世し名や財を成すこともできる、学業エリート以外の立身出世の王道だといってよかった。

 ところが、国勢が貿易主体にシフトするに従って、兵士が必要とされなくなった。戦闘員としての需要は無くなり、荷物を運ぶ等の人足が重宝されるようになる。

 ベニーバの名で、軍の規模は遷都前の十分の一にすべき、という指針も既に発せられており、食い扶持を今まさに無くさんとする兵士たち、また兵として身を立てていこうと努力していた兵士見習いの学生たちは、ラン=サイディールの突然の方針転換に大きな不安と少々の怒りを覚えていた。

 戦う事だけの技術を学んできて、他の知識教養を身につけてこなかった彼らに対しては、現状では卒業後の職は確保も斡旋もされないため、新卒無職になることを意味する。既卒の数多くの兵士、特に下級の兵士も新卒同様、他の知識も経験も教養もないため、別の仕事に就くことはほぼ不可能だった。

 まだ、兵士として実務経験が何年でもあれば、傭兵として食い繋いでいくこともできただろう。だが、ラン=サイディールが卓越の時代に入り、実戦が殆どなかったこの時代において、数年の兵士としての就労は、傭兵としてはもちろんのこと、他の職に就く際の就労経験として加味するには余りに畑違いすぎた。

 国家主導であの手この手を使い、軍事力削減を進めようとした時、彼ら兵士は不要の存在になっていた。それは軍属も非軍属も痛切に感じ取っていた。

 そして、軍人切り捨てと揶揄される今回の軍縮の草案から、指揮を執ったのも全てマーシアンだ、人々は誤解していた。それ故、軍人、軍属からマーシアンは怒りの対象となっていたのだった。

 その兵士たちの怒りを煽り、その怒りの感情を強く持った一部の兵士に勅命を与えることで、国家最高権力者以上に貿易に影響力のあるマーシアンの排除を目論んだのは、実は最高権力者ベニーバなのだが、流石にそこまでマーシアンが知る余地はない。ただ、大いなる誤解の元、己が兵士たち、軍関係者たちに憎まれていることだけは感じ取っていた。

 その怒りを持った兵士たち、とりわけ、ベニーバの刺客として選定されるほどの実力者たちと、膝を突き合わせて話をできれば、万に一つでも軍部、通商省ともに生き残る道が見いだせるかも知れぬ、とマーシアンは思っていた。むしろ、それができなければ、デイエンはSMGの侵攻を抑えることはできないだろう。

 怒りの大きさは、事態の深刻さの理解に繋がる。そして、それは力となる。情熱のある力は、分かり合えれば無尽蔵に増す。常に、時代を変えたのは若き力だ。

 古代帝国の時代の後の空白時代。何もなくなってしまったその時代において、新たな世界を作ったのは、やはり若者だと言われる。その力を共に合わせれば、ラン=サイディールの危機も越えられる。

 しかし、その場を公式に求めることをマーシアンは拒絶された。何度も会談を申し込んだのに、だ。

 頭の固い軍の上層部は、もういい歳の人間ばかり。戦闘よりも城内の情報戦に長けた老獪な存在は、そもそも軍部と通商省が歩み寄ろうとする場の提供を拒絶した。長期的な国家の在り方に対する展望ではなく、自身の保身の結果生まれる僅かな益の為に。

 だが、今回の暴動は若者の手で引き起こされている。

 きっかけはSMGの襲撃かも知れない。

 だが、そのSMGの襲撃が、鬱積していた不安定な感情の発露となって、若者が何か動きを見せ始めたのだとすれば、それが取り返しのつかぬ暴挙となる前に、何とかその力の方向修正をしたい。力を止めるのではなく、いい方向に力のベクトルを変えていきたい。

 もし軍部の士官クラスの若者と話すことができずとも、末端の若き兵士たちと意思疎通出来れば、幾つもあっただろう漠然とした不安が、形を成した意見として発信できるようになるはずだ。そうなれば彼等を取り巻く状況はだいぶ変わってくる。

 国勢の貿易移行と軍縮、そしてSMGからの脱却は、決して相反するものではない。

 マーシアンはそう信じて疑わなかった。

 それ故、今回の『勅命』の者達を、新しい体制を生み出す若い力と認め、己の思いを伝える為に、彼は待った。

 無論、未来のラン=サイディール像についていきなり彼らに投げかけた所で、即座に会話が成立すると考えるほどマーシアンは理想主義者ではない。

 一度は彼らと剣を合わせ、戦闘の中で、怒りに任せた攻撃を弾き返し、驚愕と共に訪れる一瞬の平静を引き出さなければならない。そして、そのタイミングを見計らって問いかけるのだ。

 上層部との会談も断られ、もはや後がないマーシアンにとっては、軍部の人間と分かり合う為には、無理にでも若い兵士たちと面と向かう事の出来る場を作るしかなかった。

 扉を挟んだ向こう側に、押し殺した殺気が幾つも漂う。

 思ったより数が多い。だが、部屋の入り口は狭い。何人若き兵士がいた所で、一度に手合わせしなければいけないのは、一人か二人。その都度一撃で倒すか、攻撃手段を奪えば互角以上の戦いが出来るだろう。

 マーシアンは、己の最も得意とする武器である短剣に手を掛けた。

 この狭い場所での戦闘は、通常のショートソードでも長すぎる。少しでも振りかぶれば途端に天井や壁にその切っ先が刺さり、武器としては機能しなくなるだろう。かといって、暗殺者が槍を持ち歩くとは思えない。同じ短剣同士なら、かつての悪友にして、彼が知りうる最強の戦士であるソヴァにも後れは取らない。

 両脹脛に隠し持っていた長さの違う二本の短剣を抜き放つと、短い方の短剣を右手に持ち、左手に長い短剣を逆手で構える。左手の短剣は狭い場所での戦闘時には盾として用いる。

 マーシアンは、SMGと交わるうちに、SMGの短剣術を応用させた狭路での戦闘術をいつの間にか自分の物にしていた。

 殺してはならない。

 相手の怒りの攻撃の出鼻を挫き、こちらの話を聞かせる。

 それがこの短剣の目的。

 扉が音もなくゆっくりと開き始める。扉に鍵をかけていない事に、一瞬の躊躇を覚える扉の向こうの若き暗殺者たち。その心の動きは、扉の動きが顕著に伝えてくる。

 だが、そのまま扉はゆっくりと押し開かれた。

 次の瞬間、マーシアンは最大の殺気を、扉を押し開いて忍び込んでこようとする暗殺者たちに叩きつけた。

 暗殺者たちの前衛に位置する二人の戦士は、マーシアンの殺気を受けて、狭路であるにも拘らず、咄嗟に腰の剣に手をかけて抜き放とうとした。そのタイミングを見て、マーシアンは自ら扉を強く引き、二人の暗殺者を中に引き込みながら強力な当て身を食らわせ、暗殺者たちの意識を奪った。そのまま扉の開閉に邪魔にならないところに暗殺者である近衛兵たちを投げ置く。

 扉の外の暗殺者たちが騒めいた。

 扉の向こう側で自分たちの同志が明らかに攻撃を受けたのだ。閉められた扉を何とか押し開けようと殺到する。だが、扉は何らかの力が働き、先程のように軽く開くことはない。何人かの暗殺者は、仲間を救出すべく扉を押し込もうとした。

 その瞬間を見計らい、マーシアンは、今度は扉を勢いよく手前に引いた。

 何人かの暗殺者が開いた扉の下に倒れこんできた。マーシアンはバックステップでその暗殺者たちを躱すと、素早く暗殺者の数を数える。

 当て身を食らわせて倒したのが二人。

 眼前で倒れている暗殺者が二人。

 その奥に立ち尽くす暗殺者が一人。

 暗殺者といっても、元は近衛兵。ただ、正式に王を守る職務ではないため、正装はせず、かと言って隠密活動のため重厚な装甲を身につけているわけでもない。単純に、近衛兵の正装の内部に身につける鎖帷子と急所を隠す簡易鎧を身につけているだけだ。

 その鎖帷子の左胸の部分にはラン=サイディール国のエンブレムが仕込まれている。だが、大ラン=サイディール国の近衛隊員ともあろう者が、暗殺などという下賎な行動を取っているせいだろうか。心なしか、エンブレムが悲嘆に暮れているように見えた。

 幾ら若くとも、近衛兵になる実力は確かだ。奇襲は一度しか通用しない。

 マーシアンは、倒れた近衛兵二人を一気に飛び越えると、隊列の最後列にいた、この暗殺小隊の隊長に肉迫し、慌てて対応しようとする隊長の剣を右手の掌で押さえて抜かせず、首元に短剣を突きつけた。

 叫び声を上げることができず、くぐもった声で唸るように若干の抗議の声を発する隊長。

 扉口で倒れていた暗殺者が二人立ち上がった時には、小隊長は既にマーシアンの手に落ちていた。

 マーシアンの命令通り、暗殺者二人は武器を捨て、通商相実務室内部に入ることになった。

 窓を背後に置き、暗殺者の援軍があろうものなら、窓からの脱出を試みるつもりで小隊長を解放するマーシアン。

 小隊長は思わず呻き声を上げた。

 そこで、もう一度殺気を眼前の三人の若い戦士たちに叩き付けた。一度は完全に命の危機に瀕しながら、解放してもらえたという事実と、それでも突き付けられた圧倒的な殺気に、三人の若き暗殺者は戦意を完全に喪失していた。

 だが、それがマーシアンの狙いだった。

 この異常とも言える状況下だが、この若き力に現状を知ってもらう必要がある。

「戦士としての屈辱を与えてしまったのは申し訳ない。だが、私は君らと話がしたかった」

 戦意はないが、少々の抗議の視線を向ける三人の若者。

「抗議はもっともだ。

 だが、まず一つ言わせてほしいのは、今回のラン=サイディールの軍縮を意図したのは私ではない、という事だ。嘘ならば、君らをわざわざこのような状態にしてこんな話をするはずもないという事を解ってほしい。そして、時間がない事も解っている筈だ。

 この混乱は、SMGの夜襲がもたらしたもの。共通の敵は、既にここに訪れているのだ」

 マーシアンは、彼らを説得するつもりはなかった。

 己の話を聞いてもらったうえで、信じるかどうかは別として、マーシアンの考えを兵部省内に広げる事を目的としていた。兎に角、彼等の口からマーシアンの考えが伝播されればいいということだ。

 従って、問答をするというよりは、マーシアンの言葉を伝える場のみとするつもりだった。そして、彼等の心に一石を投じたまさにその状態で、そのまま窓の外へと脱出するつもりだった。後は若い彼らが、愛国心のままに行動すればよい。

「私は、ベニーバ様に対し、軍縮を急がずとも貿易に移行することは可能だと告げた。

 その実現とは、わが国が他国との貿易において主導権を握る事だということだ。つまり、我々の国がSMGに替わって世界の貿易を制する。

 具体的には軍事力を貿易の保護に全て向ける。決して現行の軍事力を捨てるという事ではない。

 これこそが答えだと私は考える。

 無論、そこには船の操舵技術も必要だ。貿易船を保護し海賊を撃退するそれなりの規模の軍艦も必要になるだろう。

 だが、まずはSMGを退ける為に兵部省と通商省が協力せねばならん」

 暗殺者の小隊長が、初めてたどたどしく口を開く。

「そ、そんなことが可能なのですか?」

 殺害対象であり、敵である男。だが、彼等からすればセクションは違えど、遥かに上席であるこの男に対しては、やはり畏怖を覚えるのだろう。小隊長はいつしか敬語でマーシアンに応対していた。

「可能だ。

 私は何年もの間、SMG本体やその特派員とやり取りをしてきた。

 彼らは、自身が発行した貿易の免状を非常に大事にする。その免状こそが、彼等が古代帝国時代に貿易を管理運営していた名残であり、彼等の様々な活動の正当な権利主張の根拠になっているからだ。

 だが、今その体制を維持するには、SMGは力を無くしすぎている。だからこそ、彼等に取って代わるチャンスなのだ。

 今、SMGは必死に古代帝国時代の技術を使った『飛天龍』という乗り物を用いて空から攻撃を仕掛けている。元々は海賊船などに横付けして空から奇襲をし、海賊船を蹂躙することなども容易にやってのけた戦力だ。

 だが、現在SMGはそれを使いこなせる人材が殆ど育っていない。

 だからこそ、SMGが飛天龍を出してきた時にそれを奪い取り、我が国の技術とする。それが実現可能なのが、まさに今なのだ。

 飛天龍は、爆撃には向いていない。今でこそ爆弾を投下しているが、すぐに弾は尽きる。その後には武器がない。元々そのような使い方をする兵器ではないからだ。

 我々が混乱せず柔軟に対応すれば、飛天龍の奪取も可能だ。奪取した飛天龍を使いこなせるようになれば、最強の軍事国家の再建も可能だ」

 もはや暗殺者の若者たちは完全に毒気を抜かれていた。

「……見てみろ。飛天龍を何機も導入しても、爆弾を落とすことで光や音で我々を威嚇することはできているが、薔薇城を破壊する事は全くできていない。これが、今のSMGの実力なのだ。

 倒せるはずだ。我々ラン=サイディールの民なら。

 奪えるはずだ。近衛隊の君らなら、飛天龍を」

 マーシアンの言葉を聞き、暗殺者たちはその顔を見合わせる。

 ベニーバという国家最高権者の極秘命令だったマーシアンの暗殺。その勅命は実行必須であり、失敗は許されない。同時に、成功の暁には膨大な報酬が約束された。

 彼等は、近衛兵として、勅命を受けた栄誉を胸に刻むのだ。ほんの少しだけ戦士としてあるまじき行為を行なっている心の傷を負いながら。

 だが、今回の勅命には腑に落ちない点がいくつもあった。

 これから貿易を拡充していこうとするときに、何故、首都になる以前のデイエンをここまでの都市にした立役者であるマーシアンを暗殺しなければならなかったのか。

 軍事国家から貿易国家への移行の経過として、象徴としての軍縮はまあわからない話ではない。しかし、兵士を大幅にリストラするという事には直結しない。兵士のノウハウを使用してできる国の業務はいくつもある。現在の軍の力が兵力であるというなら、兵士を減らすという数字上のアピールは必要だが、それはあくまで数字上であって実情がそれである必要はない。そして、兵士のノウハウを使って出来る職が、かつて兵士だった者全てに充当できなくとも、それを何とかするのが為政者の仕事であり、他の仕事の斡旋や、その技術の習得を促進すべきだ。

 それが実際には不可能だとしても、それを前面に押し出して、軍部の怒りを煽り、最高権力者が暗殺を指示するというのは、あまりに突飛すぎる話だ。

 それでも、士官学校ではなく兵学校を卒業した者は、やはり知識レベルや教養レベルが低く、噂話に翻弄されやすい。与えられた情報を精査するほどの知識や教養を持ち合わせていないのだ。

 現在の衛兵、守備兵、警備兵などは、ほとんどが兵学校卒業生で占められているとされる。薔薇城内の兵士たちよりは、外城壁の守備を行う守備兵、内城壁と外城壁の間の居住地域を警備する警備兵の方が、マーシアンへの誤解を膨らませているはずだ。当然公式の記録にはないが、ちょうどマーシアンが初めて聖剣というものを目の当たりにしたあの瞬間も、実は闇討ちしたのは、そういった人間だったと言われている。

 眼前にいる暗殺者たちの表情が少し変わったのを、マーシアンは見逃さなかった。

 ここで、さらに情報のゴリ押しをして、彼らをコントロールするのは容易い。だが、今ここでこれ以上彼らに情報を与えても、募るのはベニーバの勅命に対する不信感だけだ。

 マーシアンは、軍との結束を作り、SMGを撃退することを目的としている。正直、ベニーバの失脚などどうでもいい。

 ただ、あの老獪なビア樽は、何か良からぬ事を考えているようだ。それは薄々感じていた。

 その為に愛すべきデイエンを、ラン=サイディールを危険にさらすけにはいかない。自分が正しいか、為政者が正しいかの判断を彼らに求めているわけではないのだ。

「この話を聞いた今まさにこの瞬間が、私の話す『その時』だというのは、皮肉なことだ。だが、今目の当たりにしているのが、SMGだ。そして、SMGの技術であり、実力だ。あれを墜とせるか。奪えるか。それは、君らの意識に掛かっている……」

 三人の暗殺者だった者たちの眼前で、突然マーシアンは吐血した。

 マーシアンの視界にあった、不安ながらも一筋の光明を見出した若者たちの表情が、一瞬にして驚愕から慄きに変わった。

 同時に、マーシアンは今までに覚えたことのない熱を右腰部に感じた。その熱の直前には衝撃。そして、その直後に、左の肩甲骨の下部から突き上げるような衝撃。なぜかこちらは痛みを伴った。

 揺れる視界の下の方に、見覚えのない先端が見えた。それは明らかに彼の胸部から生えている。だが、モノは知っている。暗殺用のピックだ。

 短剣は、刺突にも使えるが、切断にも使える。だが、暗殺用のピックは刺突に特化した武器だ。先端が尖っており、心臓や肺を傷つけることにより、即死ではなくとも、確実に相手を死に追いやる。

 それらの武器と五人パーティは意味があった。

 相手によって殺傷方法を変えるが、相手が鎖帷子を身につけていた場合は短剣よりピックの方が、より殺傷能力が高い。羽交い締めにして、体重をかけてその切っ先を押し込むことで、帷子は勿論のこと、肋骨の隙間を掻い潜り、肺や心臓を貫く。肺を傷つければ、呼吸を難しくし、心臓を傷つければ血を失わせる。やがて肺も心臓もその機能を停止する。

 そのニードル部が、彼の胸から生えているのだ。

 彼は失念していた。

 暗殺者を制圧したのは三人。残り二人は最初の攻撃で失神させた。だが、それは行動不能にはしたが、彼らの心には彼の言葉は届いていなかったのだ。

 不運にも、彼が己の言葉を紡ぐことで一瞬我を忘れたその瞬間、二人の暗殺者は意識を取り戻した。そして、勅命に忠実に従った。


 二人の青年暗殺者は、爆音と点滅する視界で意識を取り戻した。意識を取り戻してすぐに、目の前の男に、自分たちは気絶させられたのだと思い至った。

 恥。

 本来、その命を奪うべき対象に、殺されもせず意識を奪われただけ。

 しかも、仲間は彼を目の当たりにして、動きを止めている。

 チャンスだ。

 二人の青年暗殺者は、自身の持つ暗器を準備し、そのまま仲間たちが『気を引いてくれている』ターゲットに突撃した。

 タスパ=ルヴォナは、人の体に刃を立てるのは初めてだった。

 トウホ=ソミは、人の体に針を刺すのは初めてだった。

 その『初めて』の機会は突然、しかも容易に訪れた。

 貫いた瞬間の達成感。目の前でブルブルと震えだすターゲット。ターゲットの体の向こうで何か液体がこぼれ落ちる音がした。その後、徐々に迫り来る、後悔の念とも違う、ついに一歩踏み越えてしまった後戻りできない喪失感。

 ターゲットの気を引いていた仲間の表情が、何か違う。

 獲物を取られたという悔しそうな表情でもなければ、目的を達した歓喜の表情とも違う。

 彼らも、直接手を下していないとはいえ、『勅命』の実行は初めてだったはず。そうか。人を初めて殺めているのだ。想像とは違う、人間の苦悶の表情を見て、動揺しているのかもしれない。

 ターゲットの体から離れた瞬間、ターゲットであるマーシアンと初めて目があった。いつもは遠巻きにしか見ることのなかった通商省長官も、人間だった。

「長官!」

 ターゲットの気を引いていたはずの三人が、マーシアンを呼ぶ。『奴』でもなく、『マーシアン』でもなく、『長官』と。

 タスパはそこで全てを悟った。感じていた違和感の理由と、仲間三人の表情の理由を。

 トウホはまだ、全貌を捉えていないようだった。

「やったぞ! ……どうした、タスパ。奴をやったのは俺らだぞ」

 そこで、トウホは初めて自分を除く者たちの表情が険しいことに気づいた。

「な、なんだよ。みんなもっと喜べよ。ついに……」

 トウホはすべての言葉を吐き出すことを仲間に制された。

 落ちる沈黙。トウホは、まだ全貌を理解していない。感じているのは、何か大きな過ちを犯してしまったのではないかという不安感。

 マーシアンの話を聞いていた三人のうちの一人、最年長の小隊長ヤムギは呟く。

「我々は、とんでもないことをしてしまったのかもしれん。変わろうとし始めたラン=サイディールの変化を止め、崩壊への道を歩み始めるきっかけを作ってしまったのか……」

 床に崩れ落ちたマーシアンのそばに跪くヤムギ。マーシアンは失血のせいか気を失っているようだ。呼吸が乱れている。確実に命の危機に瀕している。

「無論、長官の仰られていた通りになるかどうかはわからん。だが、少なくともこの方にはデイエンを貿易都市として大きくされた実績がある。少なくとも我々の洞察よりは根拠のあるものだろう」

 意識を失い、呼吸の荒い状態のマーシアンがその目をゆっくりと開いた。だが、その焦点はもはや合っていない。

「長官!」

 元暗殺者全員がマーシアンの下に集まる。

 マーシアンは言葉を絞り出す。そのままにしていても消耗していく体力。燃え尽きようとする命の炎。だが、それも厭わず、彼は若い力に伝える事に残りの命を費やす。

「……この日が来ることは分かっていた。

 ベニーバは、己の私欲を満たすために十分な仕込み時間を持っていた。君ら若い力が誤解し、疑いの余地を持たぬように。そうなった時、私はどのような手を用いても君らを説得することはできなかっただろう。そこまで、用意周到だった。彼は。

 だが、彼はSMG襲撃の瞬間、内城壁の向こう側で火の手が上がることは予想していなかったに違いない。いや、予想はしていても理解できなかったに違いない。

 人心は正直だ。自分が劣勢に立たされた時、当然不安を覚える。

 人間が笑って死ねるのは神の下に行けると悟った時だけ。

 人間ごときが劣勢の人間に満足など与えることはできない。劣勢の人間が覚えるのは怒り。それを縛り、コントロールするのは恐怖だけだ。しかし、それも一時的に怒りを抑えているに過ぎない。抑えられた怒りは鬱積し、いつか爆発する。

 ……内城壁の向こう側で燃え盛る炎は、人々の不安と怒りの炎だ。表立っては整備され、安定がもたらされていると思われていた。私も、デイエンの民も、君たちも全て。

 だが人々は、表面上の安定と刷り込まれた幸福像の違和感に、無意識のうちに気付いていたのかもしれない。ベニーバの与えた幸福像は、決してどの時代の人間も受け入れられるものではない、と。

 君たちは忘れてはいけない。

 恐怖で縛る政治が、幸せにできるのは一部の階層だけだ。それも、心の底からのものではない。いつ失われるかわからない漠然とした恐怖に怯えながら、その仮初の幸せに進んで騙されるだけだ。

 そして、『恐怖』とは、命が常に保証されない事だけをささない。為政者が設定した進路の既定ルートから外れるだけで、その人間の人生が一瞬にして終結してしまうのも、また一つの恐怖だ。そうすることで、為政者は国民の思考を縛るのだ。国の求める……為政者の求める形で生活を、人生を組み立てていかないと、突然全ての物を失うことになってしまう、と。

 人は、物が潤って初めて心が潤う。それはまごうことなき事実。物がなくて心が潤うのは、それこそ神の所業だからな。だが、物を得る為に心を犠牲にする。しかもそれが自身ではなく第三者の意図で無意識のうちに。

 現為政者は、それをしようとしている。人民の為ではなく、自身の為に。

 物を奪って心を潤すことはできない。そして、心が潤って初めて、人は自由の選択がある。確かに、ベニーバはテキイセ貴族の表立っての略奪はなくしたかもしれない。それは人の生きる状態としては一歩前進した物だ。だが、彼はその略奪を水面下に沈めただけだ。もっと心の深い所で国民の心を、デイエンの民の心を縛ってしまったのだ。

 今その鬱積した怒りを、デイエンの民は理由もわからぬまま解放しようとしている。ほんのわずかの横槍の出現で、その微妙なバランスはこれほどまでに容易に崩れる。

 ベニーバのやり方では、いずれデイエンは荒廃していく。行き着く先は消耗だ。

 人々は何となく不満を覚えながらもそれを押し殺している。だが、やがてそれは立ち上がる事すら困難なダメージをデイエンに残すだろう。

 それを止めることができるのは、君たち若い力だけだ。

 ……任せたぞ。デイエンの未来を。ラン=サイディール国の未来を……」

 一気に言い終えたマーシアンは、一度激しく血を吐くとその目を閉じ、以後二度とその双眸を開くことはなかった。

 『勅命』を終えた暗殺者たちは、無言で部屋を出ていく。

 何とも空虚な『目的達成』という結果を手にして。

 まだ、通商相の言葉を全て信じたわけではない。だが、少なくとも何かが彼らの胸を打ったようだ。

 稀代の名通商相マーシアン=プレミエールは、実務室据付の仮眠ベッドでその生涯を終えた。史実としては。

 実際は、彼が絶命したのは実務室の床だ。

 だが、『勅命の近衛隊』の手で、死後に仮眠ベッドに移され、死への旅立ちの支度を施されたようだ。それほど時間が掛からず、しかし彼の尊厳を失わない程度には丁寧に。

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