少女の決意と天からの襲撃2
「やはり、放っておけない!」
そう呟いたのは、天空に浮かぶ巨岩に住まう民。かつては全世界を支配した恐るべき帝国の末裔たち。しかし、今その組織は形骸化し、老朽化が進んでいた。設備面もさることながら、人心。新しいものを拒み、『古き良き伝統』に従って構築されたとされる現行体制は、若者には閉塞感を、年老いた者には諦観を与えていた。組織を構成する人々が皆、組織に対して不満を覚えていながらも、体制に縛られ、何もできない状態だった。それは、同一組織内の支配階層の存在たちにも同じことが言えた。自分たちで決めていたはずの規則に自分たちが雁字搦めになっていく。
そんな中、この組織の若者たちは、先行き不透明なこの状況において、何とか現状を打開しようと、集まっては熱く議論していた。
その集団のリーダー的な存在であった若者は、仲間たちと共に熱く議論しているうちに、この組織から一度脱退し、地位や影響力などを完全に初期化した状態で、世界を見てみたいと思うようになっていた。
何人かの若者は、無謀だと諫めた。
また何人かの若者は、応援はすると言った。
だが、誰一人として彼と共に行動しようという者はいなかった。
やはり、どんなに粋がろうと、自分の背後には巨大な組織があり、自分もその組織に属しているからこその感情だということを、子供から大人への階段を上りつつある若者たちは、気づいていたに違いない。
一度は上がった気炎が沈静化する中、リーダー的な彼一人だけ、その意思を曲げなかった。その者は、組織に脱退届を提出した。
その届は、すんなりとは受理されなかった。古の組織を抜けるにしても、それなりの成果を見せてから抜けろ、という指示が頭領から下されたのだ。
その者は、地上に降り立ち、使命を全うしようとした。
だが、その者は暫く経っても成果を上げて戻ってこなかった。
ある者は、やはり無謀だったと嘲笑った。
ある者は、やはり無謀だったかと嘆き悲しんだ。
そして、ある者は、地上へ降りた彼らのリーダーを援助したいと申し出た。現時点で苦戦はしているかもしれないが、まだ終わっているわけではないはずだ。ならば我々も援助できるはずだ。
組織を抜けて、ではなく、組織として。
組織の長は同意も拒否もしなかった。
援助をしたいと申し出た者は、同志を募った。
リーダーを助ける為に。リーダーが目的を達することができるように。そして、行き詰まっている自分たちの未来の為に。
十人強の若者が集まった。
若者たちは準備が出来次第、地上へと向かった。組織の最大戦力を三つ従えて。
組織の頭領は、『戦力』の持ち出しについても、肯定も否定もしなかったという。
夏の北海のような青。澄んでいながらも深い蒼の髪の戦士が、何気なく壁に寄り掛けていた剣を手にとった。来たる戦闘に備えるためだ。
城内は愚か、城下町の人々も寝静まっているはずの時間帯。その時間に一体何が起きるというのか。
最初の数日こそ街中で宿を取ったものの、元々宰相の客人であったこの男は、城の受け入れ準備が出来次第、客室に通され、そこで更に数日を過ごすことになった。
豪奢な部屋だった。しかし、ただそれだけの部屋。眠るだけの機能しか持たぬ部屋だが、その眠りに多大な価値を見出したかのように財を投入した迎賓室。だが、それを是とするか非とするかは、来賓のセンスに因るだろう。
面白いことに、賓客である筈のこの男の料理には、三食とも毒が盛られていた。だが、この男には毒は効果をなさなかった。確認できたのは、彼を消しても彼の剣を欲しているだろうということだけ。
無論、配膳をする侍女は毒が盛られていることを知る由もない。それ故この男は、侍女を斬って捨てる事をしなかった。
青白い肌をした男は、ただひたすらに待った。
剣の所有者を地獄に突き落とし、自らの安全に確証を得た上で、首謀者自らが『死神の剣』を奪いに来ることを。その時、彼は醜いあの男を斬り倒すのか、はたまたあの男の持っているとされる、もう一本の聖剣を力尽くで奪うことになるのか。それとも、また別の結論を迎えるのか。
だが、変化は突然に起こった。
最初は小さな揺れだった。
それが、徐々に揺れを増していき、部屋のシャンデリアが音を立てて揺れ始めた時、男はその体を窓辺に移した。
外は漆黒の闇。だが、その闇の中にも、何かの存在に気づく。
黒い円盤状の何かが轟音とともに、薔薇城の上空に静止したのだ。見た目こそ小さいが、城との距離を加味すると、それなりの大きさはあるだろう。この瞬間の飛行音そのものは大きいのだが、非常に高音だ。ともすれば激しい頭痛を覚える程に。そして、それを誤魔化すかのように、別の地鳴りのような音も上空から響いてくる。
剣を手にした青い髪の戦士は、窓から外の様子を伺った。
彼の眼下で火の手が上がる。一箇所ではない。薔薇城の上空を旋回し始めた黒い円盤から、何かがポロポロとこぼれ落ち、それが地面に到達すると爆発の閃光と轟音があたりに撒き散らされた。
「……飛天龍か? ベニーバめ、そこら中で諍いを起こしている……」
爆発の閃光が連続し、一瞬昼間のような明るさが周囲を照らし出す。
その明かりの中、眼下に広がる薔薇の庭園に、何人もの人影が降り立ったのが見えた。薔薇城に向かうのは、黒き円盤から降り立った侵入者。爆撃の混乱に乗じて、忍び込もうとするSMGの諜報員たちだ。
そして、それら侵入者を排除すべく城から駆け出してくる何人もの近衛兵たち。迎え撃とうとする近衛兵たちも、最初の爆発の時に比べると、徐々に統制を取り戻してきているように見えた。
この爆撃は、先般捕まったとされる侵入者の脱出援護だろう。とすると、侍女の言っていた侵入者とやらは、SMGの手の者ということだ。そして、その侵入者は、既に捕えられていた場所から脱走したか、この混乱に乗じて脱走するかのどちらかだ。
だが、それにしては奇妙だ。
深夜帯の突然の襲撃の割には、迎え撃つ側の迎撃態勢が、異常ともいうべき速さで整ってきている。まるでこの襲撃が起きる事がわかっていたかのように。
「……対応が早すぎる。だが、それでも、兵の対応が追いついていないのは、単にSMGの事の運びが速いからか。……まさかとは思うが」
ガガロの緋の目が、炎を映して妖しく輝く。
背後の扉の向こう側が、俄かに忙しなくなってきた。遥か遠くで騒めき始めた気配が、扉を隔てた廊下を駆け抜けていくのを何度となく感じる。
城内でも少し遅れて、外敵に対する警戒態勢が取られ始めているようだ。それは、突然の襲撃で城内が混乱しながらも、徐々に防御機能が戻ってきているということを意味する。
いや、それは正確な表現ではないかもしれない。
大多数の人間は、突然の天からの襲撃に混乱し、文字通り本当に慌てふためいているだろう。その特殊な状況下でも、普段の鍛錬の賜物か、慌てているなりに徐々に機能を取り戻している。
だが、『特命』を帯びている極一部の者たちは、今まで為政者が実施に移したくとも移せなかった常軌を逸する行為……中には当然違法行為も、人道に悖る行為も含む……を、実施に移し始めることになる。
そのトリガーこそが、この混乱というわけだ。
ガガロの目に、侵入者たちの迎撃態勢が整ったように映ったのは、混乱に踊らされないその者たちが粛々と目的を達しようとする行動が、周囲の混乱具合と比較しても、異常なほどに体系的だったからだ。
ガガロには読めていた。
この混乱に乗じて、ベニーバはガガロの聖剣を狙ってくる。
他にも、この城にいるベニーバに敵対する者、或いはベニーバがその存在を疎んでいる者の命も狙ってくる。恐らく、城内の邪魔者をすべて抹殺するつもりだろう。
約十年という長い時間を費やし、SMGを誘き出す。その上でSMGの襲撃を利用し、城で発生した様々な抹殺行為を全てSMGのせいにしつつ、その横暴な者たちの集団SMGを排除したという自分の正当性を主張し、改めて全てを己の支配下に置く。SMGからの独立を願った世界中の国家たちを。
一為政者がSMGを退けたとなればそれだけで、世界中の貿易を望む国家に対し、優位な関係を作ることが出来るだろう。来たるはラン=サイディール国の文字通り一強時代。全ての国家を支配下に置いた、卓越国家時代。
しかし、その代償は、国の焦土化。罪なき国民の命。国家上げての簒奪と殺戮だ。文字通り国内は混沌と化すだろう。卓越状態など胡散霧消する。
ある者は、この大きな混乱を利用し、横恋慕した相手を犯し、その過程で心が得られなければ殺すだろう。金に執着する者は、この混乱に乗じて他者の金品を奪うだろう。女を欲する者は、そこら中の民家の生娘を襲うだろう。殺戮を目的とする者は、抵抗なき老人、女子供をその自慢の剣術や槍術、その他数多の殺戮術で蹂躙するだろう。
ありとあらゆる欲望を満たす舞台は整った。
目の当たりにした絶望から、自棄に陥った人間が最後に自分の持っている禁断の欲望を満たそうと動き出すのは、至極当然の心の流れと言えるかもしれない。
ラン=サイディール一強時代を実現するのに、自国の様々な財産を生け贄に捧げるベニーバのやり方が、果たして正しいのか。いや、それ以上にこのベニーバという男、国土が阿鼻叫喚に包まれようとも、全く意に介さぬというのか。それとも、その阿鼻叫喚も己の欲望を満たす為ならば是とするというのか。
今この瞬間も、為政者ベニーバ=サイディールとその息子リャニップ=サイディールは、己の思う通りに事態が進み、ほくそ笑んでいるに違いない。
最終的にどうなるのか。
長期的な視点でのラン=サイディールにとって良いことなのか。短期的にはどうなのか。その答えを持つ者は恐らく皆無だろう。
しかし、賽は投げられた。無責任なほどにあっさりと。
そして、この一連の流れから、ガガロは全てを悟った。
ベニーバ=サイディールという男は、ラン=サイディール国の宰相という、国の為に力を使うべき立場でありながら、『聖剣』を手に入れる為に、自分の配下の者は無論の事、自国の民、国土、そして国家そのものまでも、犠牲にしても良いと考えていたということだ。
それどころか、十年前の遷都から現在起きているSMGの襲撃まで全て、存在するかどうかも怪しい『聖剣』を手に入れる為の計画の一環だった。
貿易に重点を置けば物資が流れる。その過程で聖剣がデイエンを経由する可能性は大いにあった。実際、聖剣四本のうちの三本がこの地に集まってきているのだから。
そして、その計画を実施に移すにあたって、この男達は恐怖の対象であるSMGすらも利用する。自身では手を下せない邪魔者を排除するためだけに、国土と国民を恐怖のどん底に叩き落としたということなのだ。
その邪魔者こそ、貿易の面で国とはまた違う力を持ちつつあった、ギルド長としての顔を持つマーシアン。そして、軍部に対して大きな発言力を持つ、ドレーノの現総督レベセス=アーグ。
貿易に関する権限と、軍部に関する権限が、国家の中枢にないことも、ベニーバにとっては気に入らなかったということだろう。
軍部に関しては、貿易を拡張する名目で、軍縮を謳い、兵力を減少させていった。その結果発生した、軍人によるリストラと、その結果としての無職の増加も、致し方ないという事なのか。そして、リストラによる失業を必ず指摘してくるであろう、兵部省長官としてのレベセス=アーグを国内から遠ざけ、属国ドレーノの総督として赴任させた。一見すると栄転だが、その実は軍部と通商省の対立構図を作り上げ、軍部の発言力を減少させるためだ。軍縮と貿易規模拡大は、両者の対立を煽るのに効果覿面だった。
レベセスも、マーシアンも事あるごとにベニーバに意見をしてきた。ともすればベニーバの計画を全否定し、国家正常化のための策を進言してきた。彼らにとってはベニーバ=サイディールという男は所詮、『ラン=サイディールの支配者代理』でしかなかったということだ。
国家の右腕と左腕を排除し、国家を、いや、世界を完全に掌握するためのベニーバの計画が、ゆっくりと今動き始めた。計画そのものがどこかで破綻する可能性も多分に秘めつつ……。
ガガロの視界のかなり遠く、内城壁と外城壁との間の居住区でも微かな光と共に煙が上がった。
極一部の民が、薔薇城で起きている異常を察知し、漆黒の闇の中に置かれる恐怖に負け、所々に火を放ったのだ。それにより、民衆の恐怖感とその恐怖に対する怒りが加速度的に増加していく。SMGの諜報員たちの侵入からものの十数分も経たぬうちに、そこら中で火の手が上がった。
薔薇城の中だけで行われるはずだった『予定された阿鼻叫喚』は、あっという間に飽和量を超え、外城壁と内城壁で挟まれた居住区に伝播する。SMGに対する漠然とした恐怖。闇というものに対する漠然とした恐怖。自分たちを恐怖に包む対象に対する憎悪。そして、日常生活において、なんとなくストレスに感じていた相手に対する蓄積されたストレス。その他様々な感情が漆黒の闇と、燃え盛る炎に誘発され、一気に弾けた。
この瞬間、デイエン内の民衆の動静は、完全にベニーバとリャニップの意図を離れた。
策に溺れた為政者は、動き出した民衆の意志の本流に巻き込まれ、その命も危ういものとなってしまったのだった。
「ラン=サイディールの禍、か」
ガガロはそう呟くと、聖剣奪取の特命を帯びた暗殺者たちの襲撃に備え、抜刀した。
「本来であれば、こんな争いごとに俺が巻き込まれる必要は全くない。だが、ここにもし、レベセスの持つ『光龍の剣』があるのなら、それを入手せねばならない。この混乱を利用しない手はないだろう」
ガガロは、やがて扉を蹴破って入ってくる暗殺者たちに、数瞬の黙祷を捧げた。




