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界遊記  作者: かえで
ラン=サイディール禍

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30/253

牢獄にて

「ソヴァさん! マーシアンさん! 出してください! どうして俺までここに入れられなきゃならないんですか!?」

 薄暗く湿気の多い空間。巨大な岩から切り出されたブロック状の巨石で組まれた空間は、人一人が生活するのにも若干狭かった。鋼鉄の扉で閉ざされた入口に申し訳程度に空いている覗き穴からの光で、ここが独房だとわかる。

 ほんの少し前まで、気を失っていたファルガ。

 この場所に入れられた記憶もなければ、ここがどこだかもわからない。今がいつなのかもわからない。

 思い出される直近の記憶は、薔薇城謁見の間の光景。人が五人会するには異常とも言えるほどの広さと高さ、豪奢さを兼ね備えた広間。赤いカーペットを二段上がった先で、玉座に『埋め込まれた』ビア樽は、潰れた声で偉そうに何かを言っていた。

 ファルガの視界の右端には、剣術の師匠のソヴァが。左端には訪問者マーシアン。

 実は、彼が時の為政者ベニーバの前に連れてこられた理由は、彼の持つ剣の件だろうという認識しかない。その剣自体にベニーバが興味を持ったということなのだろう。

 彼の持つ剣には、急に彼の元に現れたり火球を打ち返したりと、超常の要素が確かにある。

 だが、その超常の剣も、彼にとってはそれほど重要なものではなかった。その辺の農機具と変わらないと感じていたその剣の印象が、ほんの僅かに変わったのは、馬上でのジョーとの戦闘。戦闘と呼べるような戦闘を殆ど体験したことのないファルガではあったが、この時だけは体が覚えている。この時には、確かに『ゾーン体験』に近い状態を経験している。だが、それだけでは証明できない事象も幾つも起きている。馬から馬へと飛び移るだけの跳躍力の発生。崖から転落して無傷であったこと等。この事象は既に人間の能力の範疇ではない。

 やはり、剣には何かある。そう思わせるに足るものが彼の中に生まれたのは事実だ。

 周りの人間は、彼の扱う剣を『聖剣』と呼ぶ。

 だが、彼自身は、なにか特別な力があるのかもしれないだろうが、それを聖なる力と呼べるかどうかについては甚だ疑問だった。ましてや、彼の手元のある剣がそれであるという確証もなければ、確信もなかった。それ以前に、伝説で言われるところの『世界を手に入れる力』に興味がなかった。

 今は、彼の幼馴染の心を殺した男を追うことだけ。追いかけて、捕まえて、少女に謝罪させること。

 あの瞬間は明らかに殺意を持っていた。だが、ソヴァの与えた鍛錬が、少年ファルガの心を少しずつ変えたのは間違いなかった。

 ラマから飛び出した直後は、ジョーに関する情報収集が必要だったファルガだったが、それを得る為にデイエンの中を自由に動き回る事は、ラマの『お上り』として訪れているわけではない彼には不可能だった。ここで初めて、『お上り』の一行もデイエン内で行商行為を行うのに、きちんと登録を行っていたのだということを知った。やはり、子供だけでは実は何もできない。何かをやれているようでやれていないし、知らないこともあまりに多すぎた。行き当たりばったりではダメだ、気持ちだけ先走ってもダメだ、ということを、今回嫌というほど思い知らされた。

 今回、単独でデイエンを訪れたファルガにとって、自由に行動できる資格は必須だったが、彼の知りえぬ所で某かの力が働き、居住権を得られることになった。その手続きの為の軟禁ではあったが、行動できる資格を手に入れられるのなら、ファルガにとっては数日の軟禁は苦ではなかった。

 その数日の間に、ファルガの天賦の才を見出したソヴァは、兵士としての『剣術鍛錬』をファルガに強いたのだった。

 ジョーを倒すのに力不足を痛感していたファルガは、『戦闘訓練』に参加できることを好都合だと解釈した。それ故、短期間ではあったが、凄まじい集中力を発揮し、剣術鍛錬に従事した。

 だが、それは剣術鍛錬であり、『戦闘訓練』ではなかった。

「殺す程に相手を圧倒できるなら、その先を目指せ」

 直接ソヴァからその指導はない。

 だが、ソヴァの与えた鍛錬の先に見えたのは、強くなる意味は、相手を倒し超えることではなく、敵から護り退けること。その考え方とジョーを追い続けることの整合性を求めた時、彼の目的は変化。その結論は、ジョーを生きた状態で連れて帰り、レナに謝罪させることだった。

 その後どうするかは、わからない。今は、レナをあのような酷い目に合わせた事をジョーに後悔させること。それが至上命題へと移行する。

 そう思い至った時、彼の表情からほんの僅かだけ憂いが消えた。

 ……はずだった。

 ところが、突然の軟禁からの監禁。


 ファルガから聖剣を持ち去っていった男は、手にした剣を弄んでいたが、結局何もできなかった。やがて半分怒りにも似た表情で、その男にとって役立たずの剣を突き返す。そんな彼の前で、少年剣士はゆっくりと抜刀してみせた。

 聖剣を抜いたときに得られる、五感が研ぎ澄まされる感覚。だが、鞘に戻した際に大きな疲労が残るせいか、あまり聖剣を鞘から抜きたくないというのが正直なところ。

 彼の正面にいる肉塊からは不快感しか覚えない。

 その隣に控える執事は、一見静かに控えてはいるが、隣の悍しき男の一挙手一投足に怯えている感がある。

 両隣の男たちからは若干の緊張が伝わる。

 と、突然シャンデリアのすぐ脇の天井板の方から、痛みにも似た鋭い感覚が射し込むことに気づく。

 天井板の向こう側に何かいる。明確な殺意ではない。悪意とも違う。ただ、鋭い敵意だ。

 首元に針を打ち込まれたような錯覚を覚えたファルガは、思わず天井を見上げた。

 その次の瞬間、天井板を蹴破り、黒装束に身を包んだ男が短剣を構えながらファルガを急襲した。

 ファルガは思わずその短剣の刺突攻撃を刃で弾き返したが、その次の蹴りは完全に躱しきることができなかった。回避行動自体はとっていたので、結果的に大きく飛び退く形になったが、空中を滑っているその瞬間に、近衛隊副隊長ソヴァの放った剣の一撃と、短剣の防御が衝突するのを目撃した。それほどにソヴァとその敵の動きが俊敏だったと言える。

 侵入者の表情は伺えない。目元まで隠した布は唇を読ませない為なのだろう。短めに刈り揃えた髪は特徴足りえない。スラリとした長身で、引き締まった筋肉は速さと強さを兼ね備えた戦闘スタイルを彷彿とさせた。

 ファルガにだけは、この刺客がほんの僅かに戸惑いを覚えているのが感じられた。

 今この謁見の間で交戦状態に陥るのが、まさか想定外だとでもいうのだろうか。

 ファルガは体勢を立て直し、赤い絨毯に降り立つと、ソヴァと侵入者の戦闘に見入った。

 一撃の優はソヴァだ。しかし速さは侵入者にある。その特性が、それぞれの持つ獲物にも如実に現れていた。

 本当であれば、手数の多さで少しずつダメージを与えて行きたい侵入者。対するソヴァは一撃で屠りたい。しかし、お互いに決定打に欠く。そして、この状況下では戦闘に時間はかけられない。

 その戦闘は、やはり長くは続かなかった。

 執事が呼んだ近衛兵の加勢で、拮抗した戦士同士の一対一の局面は、一気にソヴァ有利に動いたからだ。

 当初、侵入者の目的はベニーバ暗殺だと思われた。それ故、ソヴァはファルガの位置取りが非常に気に食わなかった。ファルガは侵入者の初撃で飛び退く形になったが、その着地先は、ベニーバと侵入者の間に入る位置ではなかったからだ。

 ソヴァと侵入者の戦闘は熾烈を極めたが、常に位置が入れ替わった。それは即ち、侵入者とベニーバの位置関係が、何も障壁ない状態で一直線になる瞬間が何度となくあったということだ。

 本来であれば、戦闘を待機していたファルガは、侵入者と宰相の間に常時入り、侵入者の不慮の攻撃を全て防ぐべきだった。

 ファルガは近衛兵ではないが、近衛隊で戦闘訓練を積んだ以上、ソヴァは近衛兵としての動きを期待していたのだ。無論、後で考えれば、それは訓練を受けて間もないファルガには到底無理であったことは想像に難くないのだが、当時極限状態に近いソヴァからすれば、その怒りも理解できないでもない。

 侵入者の薔薇城侵入の目的が、ベニーバ暗殺だとするならば、その何度も訪れた一直線の状態で、毒針を飛ばしたり、攻撃対象をベニーバに絞り斬撃を放ったりしても良かったはずなのだ。だが、それを侵入者はしなかった。

 どちらかというと、常時ファルガを意識しての戦闘の運び方だった。

 何故、この侵入者は薔薇城のこの場所まで来て、ベニーバを狙わないのか。だとすると、一体何を狙っていたのか。暗殺でなければ、このタイミングで姿を現さなくてもよかったはず。とすると、別のものを狙っていたということか。

 だが、このソヴァの迷いが、結果的に侵入者を生かすことになる。

 近衛隊の謁見の間への突入で、多勢に無勢となった侵入者は、一度天井裏への退避を試みる。不利と見るや即座に戦闘を回避する判断力は、流石と言える。

 それを、ファルガが中空に舞う侵入者へ攻撃を仕掛けることで阻止。聖剣の輝く一撃は短剣を叩き落とし、バランスを崩して落下した侵入者は、取り囲んだ近衛兵に制圧された。

 そして、ファルガも。


「喚くんじゃねえよ。お前も、邪魔だったんだよ。この国にとっては」

 少年ファルガは、その声でふと我に返る。

 目の高さより少し高い位置にある鉄格子からは、天井の色と周囲の明るさの情報以外はほとんど入手できなかった。牢というもの自体は知っているファルガだったが、隣接して房が設置されるものだとは想像もしていなかった。そもそも、牢というのも立派な建造物なのだ。自身が知っているのは、天然の洞穴に拘束するための木製の柵を設置したもの。ジョーを監禁した牢はそれでも機能していた。だが、今考えるとジョーは、あのような脆い牢ではいつでも逃げ出せたのではないのか。

 ジョーの事を考えることで、不思議と頭が冷静になる。冷ややかな熱い怒りが彼を理性的にする。今必要なのは、情報を得ること。慌てても何も状況は変わらない。状況把握をすることで、打開策を見出さなければならない。

「邪魔だった?」

 少年ファルガは、聞き覚えのある声に応じた。だが、声はそれきり答えることはなかった。

「……邪魔って、どういう意味だ?」

 そうは言ってみたものの、薄々想像はついていた。聖剣を抜き、侵入者と戦うファルガを凄まじい形相で見つめるベニーバの姿。

 溢れ出るのは嫉妬。

 自分の目の前で、自身が使うことのできない聖剣を使って侵入者と戦闘を繰り広げる。しかもその戦闘能力は一騎当千のソヴァにも引けを取らない。

 すべてを手に入れてきたベニーバが唯一手に入れられなかったのが、類稀なる身体能力だった。知力も、財力も、全て手に入れた。だが、体を鍛えて常人からはかけ離れた力を手に入れることだけはできなかった。

 彼にとって、圧倒的な身体能力は、国家を治める力を手に入れるより困難なものだった。身体能力は、いくら金を積んでも手に入れることができなかったのだ。

「小僧……。名は?」

 突然名を聞かれたファルガは躊躇する。なぜ、顔も知らぬような人間に名を尋ねられなければならないのか。しかも相手は暗殺者だ。ひょっとすると一生付き纏われるかもしれない。相手の意図が全く読めない。

 鋼鉄の扉の向こう側の、正体の知れぬ存在が、ふっと笑った気がした。

「……警戒しているな。心配するな。

 俺はヒータック=トオーリ。貸したものを返してもらいに来た」

 随分な物言いをする男だ。天井裏に忍び込み、通常ではありえない身体能力を駆使して為政者を殺しに来た男が、返して貰いに来た、とは。

 さらに警戒心を増して沈黙するファルガの気配を察知したのだろうか。扉の向こうにいる男は、高笑いをした。と、遅れて数人の足音が近づいて来る。番兵の耳に、ヒータックと名乗る男の笑い声が届いたのだろうか。

「喋るな!」

 鉄の扉を開ける音がし、何人かの男が牢の中に入っていく気配がした。打撃音が数回し、沈黙が落ちる。

 ファルガは思わず鋼鉄の扉にある覗き窓から外の様子を伺おうとした。そこで初めて、鋼鉄の扉に近づくのに石段を登らなければいけないことに気づく。と、覗き窓から人が覗いていることに気づいた。それが、何故かヒータックと名乗る男であることがわかった。どうやったのか、兵士を誘き寄せ、扉を開けさせたようだ。そして、その兵士たちを倒し、外に出ることができたのだろうか。

「出してやろうか?」

 ヒータックの問い掛けに答えられずにいると、彼は一瞬侮蔑のような表情を浮かべ、扉から離れていった。

「あの剣を使っていたから、あの男と関係があるのかと思ったが、どうやら俺の思い違いだったようだな」

 男? 男とは何のことだろうか? ジョーのことか? それとも、以前から鍛冶の師匠にして育ての父ズエブが言っていた、ファルガの父のことなのか?

 少年ファルガは、ズエブの言葉以外で、父と母について聞かされたことはなかった。父は高名な考古学者で、世界中を旅していたが、還らぬ人となったと聞いた。病に冒されていた母はファルガを産んですぐに他界したと聞いた。

 ジョーも聖剣を欲していたが、彼は聖剣を使うことができなかった。となると、やはりあのヒータックという男が指す『あの男』とは、ファルガの父のことなのだろうか。しかし、父が聖剣を持っていたという話は聞いたことがない。

 ファルガは扉まで駆け寄ると、ヒータックに呼びかけた。

「待ってください! あの男って誰のことなんですか?」

 扉から離れ、牢の出口に歩みを進めていたヒータックは、ファルガの方には振り返らず、もう一度名を尋ねた。

「ファルガ……。ファルガ=ノンです」

 男はこちらを振り返ることはなかったが、なんとなくにやりと笑った気がした。

「また来る」

 男はそのまま立ち去った。再度目的を達しに行ったのか。それとも、奪われた自分の武器装備品を取り戻しに行ったのか。男は囚人服を着せられていたが、数人の男をあっという間に倒してしまう強さは健在だった。

 やがて、城の中が騒がしくなったが、ファルガの興味は、侵入者に移っていた。

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