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界遊記  作者: かえで
ラン=サイディール禍
29/252

邂逅

 少年は、突然の話に驚きを隠せなかった。

 何がどうなったら、自分があの巨大で重厚な薔薇城の謁見の間で、時の為政者ベニーバ=サイディールと謁見することになるのか。

 この感情はベニーバに対する憧憬の念から出てくるものではない。どちらかというと触れてはいけない、負のイメージを伴う感情。出来る限り関わりたくなかったというのが本音だろう。

 為政者としてのベニーバは、物事の決定を迅速に行い、且つ適切な箇所に適切な人材を送り込む、素晴らしい慧眼の持ち主として評価されている。

 だがどうしてもその言葉通りではないイメージが、彼の脳裏にこびりついて離れないのだ。

 ラマ村の『お上り』が始まったのは、遷都されるずっと以前。ファルガは遷都後のデイエンしか訪れたことはなかったが、非常に整備された町並みだと感じた。だが、かつてのデイエンを知る者たちは、口々に言う。昔のデイエンは、もっと温かかった、と。人と人とのコミュニケーションが取れていたということなのだろうか。

 その話を聞いていたファルガは、知る由もない昔のデイエンをより良かったものとして捉え、今のデイエンに変えてしまったベニーバ公に対し、良い印象を持っていなかった。子供が何人もの大人の意見に影響を受けてしまった良い例かもしれない。そして、ジョーの事。こうしている間にもジョーの手掛かりはどんどん失われていく。一刻も早くジョーの追跡を開始したかった。

 そばで話を聞いていたレーテにも、ソヴァの話の流れから、ファルガの持つ聖剣にベニーバが大層興味を持っているのは薄々感じとれた。だが、興味があるのなら、なぜ自分でファルガに話をしないのか、としか考えなかった。

 人に何かを頼むときには、自分からその人を訪ねる。レーテの父レベセスは常にそうしていた。それが当たり前だと感じていたのだが、最高権力者が依頼者として訪問する時には、逆に何か疚しい事があるからだ、と主に反対勢力等に勘ぐられてしまう危険性があり、事実そういう場合が多い事もいずれ知る事になる。要はTPOの問題なのだが……。

 ソヴァに連れられ、巨大な門を潜り、豪奢な調度品の置かれた廊下を進み、見渡すような謁見の間に入ってからも、ファルガの気持ちは晴れることはなかった。その表情に滲み出ていたのだろうか、キョロキョロと物珍しげに城というものを観察していたレーテの視線が、ファルガを収めた時、彼の苛立ちにも似た所作が自分と正反対に感じられ、戸惑いを覚えた。

 ファルガの視線の先に、彼はいた。

 デイエンを首都にした男。デイエンを巨大な経済都市に作り変えた男。そして、古き良きデイエンを失わせた男。

 その容姿は、人というには些か変わりすぎていた。

 法衣にしては豪奢というよりは寧ろ下品ですらある赤で統一された出で立ちは、体のラインを隠す為のものなのだろうが、首周りを覆う脂肪が顎を隠しているせいか、逆にその体を膨張した球体に見せていた。まさに、卵に手足を生やした状態。顔の異常に小さい雪だるま、と表現しても良いだろうか。右手に持つ錫杖が、権威の象徴ではなく、不健康な体を支えるための松葉杖の役割を果たし、立ち上がろうとするその体を支えるために、少ししなっている様は、無性に気の毒になる。宰相という名目なので、王冠こそ戴いていないが、姫が成人するまでの間の空位を護る為の使命に駆られた存在のようには、どうしても見ることができなかった。吐き出される言葉は、苦悶に喘ぐ豚の鳴き声にも聞こえるが、辛うじて意味を成す言語となっていた。恐らく、覆われた脂肪によって声帯や気管が押しつぶされているに違いなかった。

「少年。その剣を近う」

 その言葉と同時にベニーバの傍に控えていた執事が、献上台を持ちファルガの傍に歩み寄り、立て膝をつく。

 黒服を纏った銀髪の壮年男性の流れるような所作に、思わず息を飲み、完全に気後れしてしまったファルガは、言われるままに背の聖剣を献上台に置いた。お伽噺でしか聞いた事のないような、執事という存在を初めて目の当たりにしたからだ。場の雰囲気に恐れ戦いたというよりはむしろ、話でしか聞いた事のない巨大な鯨の海面ジャンプを突然眼前で見せられたような、純粋な驚きだ。

 執事は軽く一礼すると、そのままベニーバの横に移動し、膝をついた。ちょうどベニーバが手を延ばすと聖剣の柄が手に収まる高さに、献上台を差し出す。

 ベニーバは、物珍しそうに聖剣を掴み、持ち上げる。

 宝剣と違い、大した装飾もされていない剣ではあったが、その聖剣という言葉にベニーバは興味を持っているようだった。

 一体この聖剣という物は普通の剣と何が異なるのか。見た目ではなさそうだ。見た目では宝物庫にある剣や、他の神話に出てくる聖剣と呼ばれる存在の方が遥かに目を引く。

 玉座に仰け反るように座らざるを得ない恰幅のこの男には、剣を抜くことはできそうにない。だが、なんとしても自分で抜いてみたいらしく、何度かもがくように胸の前で鞘と柄の部分を持ち、引き抜こうと試みる。

 聖剣はこの男を拒絶した。

 ビア樽のような体躯を震わせ、剣を取り落とすベニーバ。

 一瞬般若のような形相で剣を睨みつけた宰相だったが、スッとその表情を収め、目の前で未だに忘我の表情を浮かべるファルガに、抜刀を指示する。

 二度目の要求で我に返ったファルガは、剣を拾い、ゆっくりと抜刀して見せた。先程までの剣の抵抗は嘘のように、その美しく輝く刀身を晒す。その剣は、奇跡だった。一つの巨大な金属塊から切り出された剣は、刀身も柄も一つの塊として存在する。人間の手では明らかに加工不可能な形態をしていた。そして、その鞘も、その剣を納める為だけに存在する、同じ金属塊で出来ているように思えた。

 造られた剣ではなく、剣として存在し続けていた物。それがファルガの持つ剣だった。むしろ、この形状をしているものを剣という名で呼んだ、という方がしっくりくるかもしれない。

「おお……」

 自分を拒絶したはずの剣に、思わず称賛の声を上げるベニーバ。それほどまでに、少年の持つ剣は美しかった。

 どれくらいの間、ファルガの持つ剣を見つめていただろうか。周囲の人間はハラハラしていた。

 世間では、強大な軍事国家をたった十年で貿易国家へと移行を完了させ、後世にまで名と共に姿を残す『薔薇城』デイエン城を完成させ、同時に国防も担う外城壁を完成させた名宰相。また、欲に塗れたテキイセ貴族を排し、デイエン遷都に貢献した者達の一族を称えデイエン貴族という身分を確立。法制度を見直し、貴族だけが暴利を貪る国家運営方式を、国家は無論のこと、平民も快適な生活を送る事が出来る体制を作り上げた。そして、それにまた改良を加えようとしている。

 そんな彼だが、ファルガが目の当たりにしているベニーバは、どう見ても欲望の塊の醜い下種。ともすれば狂人と思えるような視線を平然と投げかけ、行動に不自由さえ生じるような体躯の持ち主。

 彼の傍で控え仕事をする人間は、この危ういベニーバの気質をよく弁えていた。

 突然怒りだせば、教会のご神体の前で妊婦の腹から赤子を引きずり出し、宝剣と呼ばれる類の由緒正しい剣で何度も刺し貫くことを何の躊躇もなく為す。一度殺意を持てば、その対象者が永遠を誓う口づけを躱したその瞬間、対象の愛する者の首を刎ね、狂気の叫びをあげるその者の目の前で、落ちた首を馬車で轢過する。そして、泣き叫ぶその者の身体を拘束し、ありとあらゆる肉体的な苦痛も与えていく。精神的な苦痛と肉体的な苦痛を同時に与え続ける。しかも、その責め苦は、その対象を殺すために行われるのではない。その対象を嬲り続け、その行為に飽きれば終了。気が変わらなければ、延々と継続する。

 そこまで自分本位の男。

 そんな男が少年の剣を見入る。

 それは、その後には恐ろしい事しか起きないことを容易に想像させるものだった。

「それで、少年よ。その剣は、他の剣とは何が異なるのだ?」

 嫌な予感しかしない。謁見の間でファルガの後ろに控えていたソヴァは、思わず体を起こし、ベニーバに聖剣の概要を説明しようとする。

 だが、ベニーバは一喝の元ソヴァを黙らせた。マーシアンはそんなソヴァを気の毒に思うのと同時に、この男がデイエンに来たせいで、デイエンが変わってしまったと、密かに怒りを覚えたものだった。

「そちには尋ねておらぬ。

 ……少年よ。聖剣とはどのような物なのだ。何故剣でありながら人を選ぶのだ?」

 突然の宰相からの質問に、ファルガは思わず黙り込む。

 そんなファルガの所作も無理はあるまい。何しろ、聖剣そのものを初めて手にしてから一月も経っていない。聖剣が何なのかは愚か、なぜ彼が選ばれた理由すら、当の彼にはわかっていない。もう少し年齢が上になり、世の中の仕組みがわかり、自分の立ち位置と向いた方向がハッキリすれば、あるいは変わるかもしれない。

「わかりません」

「わからない、だと? それはどういう意味だ」

「……わからないんです。俺自身は、ジョーの攻撃を退けるために剣を取りました。それから、ずっとこの剣は俺と共にあります。俺が選んだわけじゃありません。ただ、剣がそばにあるだけです」

 ベニーバの脂に覆われた眉がぴくりと動く。剣は、ラン=サイディールを立て直す力を持つ宰相、このベニーバ=サイディールではなく、何処の馬の骨かわからぬ少年を選ぶというのか。

 しかし、それも仕方ないかもしれない。剣はなぜ彼を選んだのか。その力を見れば、自分自身納得できるかもしれない。

 ベニーバは動揺する自身の感情を出さず、聖剣を持つ少年に、聖剣の効果を尋ねた。だが、帰ってきた答えも彼にとっては要領の得ない答えだった。

 業を煮やしたベニーバは、持っている聖剣の説明ではなく、実演を少年ファルガに望んだ。

 少年ファルガは、まだ聖剣自体をよくわかっていない。従って、聖剣が発動している時の自分の容姿は愚か、効果もわからない。しかし、ジョーを追跡した際のあの圧倒的な身体能力は、明らかにファルガ自身の能力というよりは、聖剣から引き出された能力だ。

 どうやってジョーを追跡し、ツテーダ夫妻の敵を撃退したのか。それは、聖剣の能力に間違いない。しかし、その能力を引き出す方法を、ファルガは知らない。というより誰も知らないだろう。

「うまく行くかはわかりませんが……」

 そう言って、ファルガは聖剣に精神を集中した。

 しかし、何も起きない。傍目にもファルガ自身の感覚としても。

 だが、明らかに剣は異常を伝えた。




 SMG頭領の孫にしてその地位を自ら手放そうとする、稀代のうつけと称されたヒータック=トオーリは、その目標に向かって邁進していた。

 薔薇城は広大だ。そして壮麗だ。だが、脆い。立て付けではなく、セキュリティが、だ。

 戦国時代に建造された城ならば、間諜の潜入を許さない造りになっていたはずだった。だが、戦争という国家間の争いが一段落し、力関係がハッキリしてからの築城は、かつての築城と異なり、力の誇示と戦略的意味との両方を持たぬ、どちらかといえばプロパガンダとしての意味だけが膨張した、巨大な調度と化していた。

 そこに、ヒータックの付け入る隙があった。間諜対策と言っても申し訳程度のものならば、それは侵入阻止の効果がない。ヒータックは免状を目指し、城内を隈なく探した。宝物庫にもなければ、ベニーバの寝室にも存在しない。とすれば、謁見の間のみだ。

 正直、謁見の間は最後にしたかった。謁見の間に人がいない事は殆どないからだ。ベニーバの寝室ですら、ベニーバが日常部屋から出ている時には、誰も立ち入りが出来なかったという。それは、一見セキュリティが高そうだが、潜入している者からすれば、ベニーバ本人以外誰も入らないのだから、調査しやすいことこの上ない。宝物庫の調査よりもずっと楽だった。

 眼下の謁見の間で、宰相ベニーバと少年が向き合っている。少年は宰相から剣を手渡された後、不安そうな表情でベニーバを見つめていた。

 だが、剣を手にした少年が、剣を握り締めた瞬間、天井裏に身を隠すヒータックの体を稲妻に打たれたかのような衝撃が貫いた。その衝撃の理由をヒータックが理解するのに時間は不要だった。

 少年は迷うことなく、天井裏に身を隠すヒータックの位置を正確に捉え、まるでそこにいるのを見越しているかのように、天井裏のヒータックを見つめていたのだ。睨むわけでもなく、怯えるわけでもなく、ただ見つめていた。

 自分に気付かなかった者の視線が突然自身を貫く。それは、既に圧倒的な恐怖に違いなかった。天井の板一枚を隔てている。その姿はかの少年の目には見えなかったはずだ。だが、その視線は確信を持ってヒータックの姿を捉えている。

 次の瞬間、天井板を蹴破り、ヒータックは剣を持つ少年に短剣で斬りかかっていた。

うわ、斬りかかっちゃったよ。なんで??

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