若者の挑戦
大望を為す為、巨大な古組織からの離脱を決心し、大地に降りた若者。
しかし、その若者に実現可能な目的達成の手段は思い浮かばなかった。何度検討しても、現実的な方法はない。思いつく手段は完璧だった。しかし、それを彼一人で実施に移すことは不可能だった。
彼が無能というよりはむしろ、その目的に無理があった。それは誰しもが認めるところだ。だが、長はそれを命じた。そして、彼はそれを受けた。
彼は大地に降りてすぐ、目的の町に程近い小さな宿場町に宿を取る。といっても、所持金も決して多くはない。古組織に所属していた時のように、金と時間とを湯水の如くに使う事はできなかった。
人と情報が集まりそうな、飲み屋と所謂『花屋』が併存する宿に数日滞在し、そこを訪れる客と『花売り』から情報を得ようとする。
十年前の遷都によって急激に整備が進んだかに見える都市。
だが、その内情はガタガタのようだった。どれも噂レベルの情報。しかし、その情報は全て新首都の形骸を物語っていた。その情報が完全に正確な物だとは、彼自身もさすがに思わない。しかし、全てがその方向での情報ばかりだとすると、当たらずとも遠からずだと結論せざるを得ない。情報操作の線も考えるが、たった一人の斥候の為に偽の情報を流す意味はまるでなかった。
彼の手に入れた数多くの情報の中には、軍部と商業部の対立も含まれていた。
青年は、下見の為に首都を訪れた。
初めて上京した観光客然として、街並みを見渡す。確かに、よく整備された都市だ。地上からの攻めに関しては、圧倒的な防御力があるだろう。城壁には砲門も設置されている。包囲する軍隊もその砲を使えば殲滅も可能だ。だが、あくまでその砲は城壁を取り囲んだ軍に対しての代物だ。地下から、或いは上空からの襲撃に対しては、対抗手段はほぼないに等しかった。もし、古組織の情報を商業部が軍部に提供していれば、或いは砲の設置角度も変わっていたかもしれない。だが、軍部は敵対するあまり情報共有を怠った。古組織がこの都市を攻めれば、この都市は一溜りもない。
……但し、古組織の力を使えば、だ。
若者一人では、都市の弱点すら付くことができない。
若者は、改めて己の無力さに打ち拉がれ、一度首都を去った。
「急襲からの制圧は、やはり上空からだ。外城壁にも、デイエン城にも上空に向けての砲門は存在しない。射掛けるとしたら弩弓ぐらいだろうが、それも垂直に打ち出すことなど出来はしまい。やはり、飛天龍が一機でもあれば、デイエンの制圧など物の数ではない。……物の数ではないんだ……」
飲み屋のカウンター席の隅の方で、突っ伏すようにしながら呻くこの若者を、店員を含む店にいる全ての者が見て見ぬ振りをしていた。
そのしなやかな体は、類まれな身体能力を彷彿とさせ、暴れられたら厄介だと思わせるに十分だった。横を刈り上げたツーブロックの前髪も、目には掛からない長さだが、その横の刈り上げが厳つい印象を与える。そんな、やけ酒とは無縁の男の醜態は、逆に不気味さを醸し出していた。いや、狂気といっても良かったかもしれない。
一度、『花屋』の雇うボディガードが声掛けをした。無論、声掛けといっても、そんな上品なものではない。だが、そのボディガードに叩きつけられたのは狂気だった。特段何かしたわけではない。というより、何かする前だった。ボディガードが伏せる若者の肩に手を置いた瞬間、ボディガードの体が雷に打たれたように固まり、店主が傍に寄って声をかけるまで、微動だにできなかった。今までどんな戦士と向き合って殺し合っても、あそこまでの狂気を叩きつけられたことはなかった。そう語るボディガードは、盛り上がった筋肉が萎縮して見えるほどにその体を小さくしたという。
事実、若者の心はある意味狂っていたかもしれない。
デイエン如き見てくれだけの城塞都市など、数機の飛天龍と何人かの精鋭戦士さえいれば、陥落させることは容易だった。街を破壊し、戦力を削りに削った消耗戦の結果の制圧ではない。飛天龍という圧倒的な機動力は、他の数多の障害を容易に飛び越え、機能の中枢に最小限のチカラで最大限の破壊力を持つ一撃を打ち込む。例え、どれだけ堅固な城の中にいようが、どれほど大量の兵力を準備し防衛させようが、全く意に介さない。
だが、それだけに、その手段を今は使えないという枷は、彼にとてつもないプレッシャーとして重くのしかかる。手法がないのだ。敵を打ち破るその手法が。
やがてふらりと立ち上がったヒータックは、自室に戻る。どんなに悔やもうが、悩もうが、彼は一人でやるしかないのだ。
次にデイエンに入り込む時には、日没後の一番闇の深い時間帯を狙わねばならない。そして、人目を掻い潜り、城内に侵入しなければならない。
もっとも、彼が奪うべき免状の正確な場所がどこにあるのかは不明だ。だが今までギルド長が持っていたとされる免状を宰相ベニーバが奪い取ったとの情報がある。
所有権が移った際の状況や手法などは兎も角として、免状の所在の移動は間違いないだろう。となると、ある程度その保管場所は限定される。ベニーバの居住空間か、宝物庫、或いは玉座の傍か。彼の追い求める物の在処は薔薇城内であるのは間違いない。
嘆きつつも、どうにもならない現状を言葉で反芻することで、彼は改めて単身の行動の覚悟をした。
同日深夜、彼は漆黒の装束に身を包み、デイエンの城壁の内側にいた。
情報通り、デイエンの外城壁の防御は、ほぼザルに等しかった。
ちょっとした小動物を囮に使い、門番の目を欺いて容易に潜入する。
平和ボケ、という表現が正しいだろうか。それとも元軍事大国ゆえの慢心という表現が正しいだろうか。勇んで武器を持って出て行った若い兵士たちは、兵として名を成したいのだろうか。不審者を捉えることができず、まるで玩具を取られた子供のように膨れながら持ち場に戻った。そして、今まで通りに警備を始める。既にSMGの斥候を通してしまったことも知らずに。そして、その斥候こそが、大襲撃の楔となることも知らずに。
この装束を身に纏っている以上、他者との交渉は許されない。デイエン内にいる事そのものを悟られてはならないのだ。
彼は、数日間の潜入で得たデイエンの情報を元に、漆黒の闇の中を滑るように進んだ。ある時は物陰に隠れ、ある時は建物の屋根を飛ぶように。デイエンの特徴である環状線と放射線の規則正しい都市の形状が、今回ばかりは守護者にとってマイナスに作用していた。
デイエンの中心に聳える小山のような薔薇城は、そこに存在した。見上げるヒータックに倒れ掛からんばかりの圧倒的な迫力で。その一方で、そこはかとなく空虚な何かが流れ出ているような気がした。
堅牢なハリボテ。刺々しい形骸。重厚な紛い物。
ヒータックは口角を上げた。
彼が感じている恐怖は、ある意味正当なものだ。しかし、それに気圧される必要はない。
新月は、彼を見事に闇に隠す。
青年は、薔薇城への潜入を完了した。目指すは宝物庫。あるいは謁見の間か。
王またはそれに準じる者は排除しても構わない。但し、それをSMGの犯行と知られてはいけない。しかし、免状の奪取については、SMGの犯行であると分からせなければならない。
そのようなミッションを与えられた彼は、免状を奪取した後で、国家が隠そうとしている免状の紛失を、声高に喧伝しなければならない。
困難だ。正体を悟らせてはいけないミッションと正体を悟らせなければならないミッションの両立。
しかし、やらねばならない。正体を悟らせてはいけないミッションについては、必須ではない。そのままスルーしても良いのだ。
定期的に巡回する兵士をやり過ごし、人目につかぬように城を巡る。だが、思ったより内部は入り組み、一日の潜入での発見は難しい事を悟るヒータック。しかし、数年間を掛けて潜入し、情報を引き出し、盗み出す時間はもうない。
彼が単身潜入を決断したのには理由がある。
数日間のデイエン内での聞き取り調査の結果、ギルドにあった免状は城に移されたことが分かった。しかも、ここ一か月の話だ。という事は、免状の在処は薔薇城内部の人間でも、全員が知るわけではなく、ごく一部の人間が知るのみという事だ。長年城が保管しているものであれば、厳重な警備の元、何重にも盗人用トラップが仕掛けられているだろうという判断もあろうが、ここ数か月では、実質移動させ保管しているだけ、という可能性が高い。逆に、厳重な警戒がされている所を軒並み探せばよいという結論となる。
但し、襲撃は一度だけだ。一度の襲撃で免状を奪いきらなければ、次回以降警戒がより堅固になり、もはや個人レベルではどうにもならない警備が敷かれるだろう。そうなれば、もはや奪取は不可能になる。
ヒータックは、潜入後、昼は城内の人の立ち入らぬ所に隠れ、深夜寝静まった所で活動することにした。
灯台下暗しとは、まさにこのこと。外城壁を初めとする堅牢な防御機能は外敵に対しては圧倒的な防御力を誇ったが、一度侵入者を許してしまうと、その侵入者を捜索することが困難になってしまっていた。そこに加えて、軍部の人員削減。それは近衛隊にも言える事で、城内の警護も建造物の規模からすると、とても十分な物とは言えなかった。
確かに手間はかかるが、時間さえかければ、ヒータックの能力ならば、目標物の発見は可能。その判断は正しかった。
宝物庫の捜索は時間を掛けた。人の出入りもなく、実質ほぼ空の宝物庫の捜索に漏れはなかった。思った以上にこのデイエンは、十年前の遷都からの整備で疲弊していた。
宝物庫の捜索後、彼は謁見の間に移動し、その身を潜めた。
その困難な課題に立ち向かう彼は、必要な技術や能力、強さを持ち合わせていた。
彼になかったのは運。
何故、彼が謁見の間に身を隠しているまさにその日に、少年と少女が謁見の間に呼ばれたのか。そこで聖剣を巡るやり取りが成されたのか。
若者の挑戦は、一度そこで潰える事になる。
いよいよ、次章で少年ファルガと青年ヒータックが初邂逅。




