非公式会談
ソヴァとマーシアンが、アーグ邸で出会います。
「残念ながら、今は俺がこいつの保護者なんだよ」
短く刈り込んだ髪型は、その組織では没個性的だった。だが、その個性の埋没を打ち消して余りある強力な眼差しは、少年剣士との面会に訪れたデイエンの貿易の要人、マーシアン=プレミエールを驚愕させるには十分だった。
「まさか、貴様が……いや、貴職がこの少年の後見人だったとは」
口角を上げるソヴァ。
だがその笑みは、相手との相対的な力関係において優位に立っていることを意味しない。その証拠に、ソヴァ自身はおくびにも出さないが、背筋には冷たいものが伝っている。それを悟らせないようにする為の虚勢であることに気づく者は何人もいないだろう。
二人の関係は複雑だった。
幼少期は共に遊び、少年期は共に悪さをした。しかし、進路で一度袂を分かつことになる。だが、そこではまだ仲違いはしていなかった。
関係が決定的になったのは、ソヴァが衛兵としてデイエンに派遣された時だった。片やデイエンを護る為にギルドに属し、片やラン=サイディールを護る為に兵士となった。
当時の港町デイエンは、テキイセ貴族から様々な物を搾取されている町であり、そのテキイセ貴族を護る立場となったソヴァを、マーシアンは許せなかった。無論、今であれば職業上仕方ないと言えるのだが、その当時は『立場』というものを理解するには若すぎた。お互いを否定し、物別れに終わったのは当然の帰結といえた。
やがて、ラン=サイディール国内での動乱後に遷都が行われ、衛兵隊から近衛隊に所属が変わった際も、互いに動向は意識していたようだ。既に互いの立場は理解していたが、振り上げてしまった拳を降ろすタイミングを見つけられず、互いに直接の接触を避けていた節はある。
そして、現在は近衛隊副隊長と商人ギルド長。
理解できていた筈の互いの立場が、今度は枷となって彼らを縛る。
デイエンの経済の中枢を担う人間が、直接軍部の近衛隊副隊長、実質近衛隊の指揮を執る人間と会うのは、現状のデイエンでは様々な意味で危険すぎた。
対立している二つの組織、軍部と商人ギルドの実質のトップが公式に会うのならば、何かしら会談の結論が求められる。だが、それが非公式であれば、今度はその関係が疑われる。それは勿論、利益供与の関係であっても問題になる。ところが、対立し合っている組織の場合は、そこから内紛に発展しかねない。
この場合、騒ぎ立てるのは当人やそれに近しい人間ではない。概して、そこまで造詣の深くない知識人、通を気取った輩だ。そして、その類の人種は、こねくり回した持論と、仕入れた情報の都合の良い所をつなぎ合わせ、大々的に喧伝する。
厄介なのは、彼らに悪意がないことだ。大きく括れば悪意と取れないこともない、マイナス要因の内容のはずなのだが、この場合は、彼ら自身が義憤に駆られている場合が殆ど。そして、その影響を受けた短絡者が実際に行動に移す。その行動はいわゆる抗議行動と分類できるものだが、そこから破壊行為に及ぶ者も当然出てくる。
本来であれば、近衛隊長であり大将であるレベセス=アーグの邸宅を訪ねるという行為は、マーシアンにとっては禁忌であるはずだった。
だが、マーシアンは家主レベセスがドレーノの総督として赴任していることを当然知っている。従って前述の組織の長同士の邂逅はないだろうと踏んだ彼は、彼の前を華麗に舞っていった少年と話をすべく、かの家を訪問した。その少年の力を借りるために。
マーシアンは失念していた。
レベセスの次女、レーテをハタナハから無事デイエンまで送り届けた少年が、アーグ邸で保護されている事を。その情報自体は把握していたが、あの少年の剣技を即座に結びつけることができなかった。そして、後見人にはあの男がなっている事を。
使用人に応接に通され、少年少女の後に、見覚えのある憎くも懐かしい顔が入ってきた時には、流石のマーシアンも腰を浮かせた。
対するソヴァも、ソファーに腰掛けるマーシアンを目の当たりにした瞬間、明らかに表情が強張る。
アーグ邸という、二者とも自陣とは到底言えぬ邸宅の応接室で、互いが情報、覚悟ともに準備不足の状態での予期せぬタイミングでもたらされた話し合いは、双方の躊躇を多分に含んだ環境で始まった。
ソヴァ=メナクォ。
ラン=サイディール国軍、近衛隊の副隊長。立場としては軍人だが、首都デイエンを巡る通商省の立場主張には、一定の理解を示す。
軍が周囲の国家を睥睨し、ラン=サイディール優位の関係を維持していくにあたっては、軍事力が不足している。国家の予算的に、増強は無論の事、現状維持でさえも機能的破綻のリスクが高い。虚勢を張りながら周囲の国家を監視していくにしても、根性論で今を乗り切ったとして、その先に改善の見通しはない。その現状があるからこそ、軍縮は必須だった。無論、無能なテキイセ貴族を排除すれば財政的には多少好転するだろうが、軍関係者にはテキイセ貴族出身者も多数おり、そう簡単には事は進まない。
そういう意味では、国家の方策転換及び遷都は致し方ないというスタンスは、レベセスと同じだ。
その一方で、ベニーバの急すぎるリストラ策に対応しきれない兵士たちを目の当たりにし、苦言を呈したいという気持ちも持っていた。そして、方針転換もやむを得ない、という彼やレベセスが持つ理性的な意見は、軍の末端に蔓延る『通商省憎し』という思想で結束を固めている兵士たちには知られてはいけないものだった。
マーシアン=プレミエール。
ラン=サイディール国通商省長官にして、『貿易の街デイエン』の商人ギルド長。貿易に携わる役職の兼務ではあるが、親国家か親都市かというスタンスで言えばまるで逆だ。長官としては国家方針転換の旗印となるべきなのだろうが、ギルド長としてはSMGとの関係悪化はできれば阻止したいところ。その一方で、『SMG』という、名前だけで実態が知れない組織に、これ以上干渉されたくないという気持ちも、二十年近くギルド長をやり続けて、芽生えてきている。
最強と謳われたラン=サイディール軍をもってすれば、SMG撃退も可能ではないのか。そのような思惑は少し前から持ち続けていた。
だが、国家の意図と軍内部の思惑とは大分異なったようだ。
いいように国家の方針に利用されて、いざSMGとの決別を吟味し始めた時に、闘争の要となる軍に横を向かれたのでは、マーシアンは堪らない。ベニーバに話を通そうとしても、埓があかないというのが現状だ。デイエンを護りたい彼からすれば、国家も軍もSMGも敵ではないのか、という認識にならざるを得ない。
ファルガ=ノン。
ジョーを追って訪れた、少々馴染みのある首都デイエンで、いわれのない軟禁と取り調べを受けている。当初は、近衛隊長にして軍大将レベセス=アーグの娘を誘拐しようとしたテキイセ貴族の手先の少年兵だと思われ、拘束された。その後、ソヴァに剣術の訓練を受け始めるが、ラマ村を出るときに入手した聖剣『勇者の剣』は、未だ自身の所有物だと思っていない節がある。その一方で、ラマ村を出るきっかけになったジョー討伐の志は未だ持ち続けており、ソヴァの剣術指南の元、研鑽を積みたいと考えていた。ソヴァが後見人になったことも、デイエンの住人として戸籍を得るためにアーグ邸に滞在させられていることも、レーテ共々知らされていない。当面の宿が確保できていることが幸運だと思っている程度の認識だ。
通りがかりに壮年の男性が暴漢……本当は、元兵士の職に溢れた破落戸が武装化した集団……に襲われていると思ったファルガは、突然現れた聖剣の峰打ちで破落戸たちを打倒し、囲まれた男マーシアンを助けたが、それがきっかけで、意図せぬ会合に同席させられて戸惑っていた。この会合によって何が決まり、何をさせられるのか不安に感じているが、それもジョーに繋がるかも知れないと割り切り、その場に留まっているのが実際のところだ。
レーテ=アーグ。
近衛隊長にして、属国ドレーノの総督として送り込まれたレベセス=アーグの次女。彼女もまた、今回の会合がなぜ自宅で行われるのか理解に苦しむ。だが、同席をソヴァから求められ、どちらかというと場所の提供者として同席していた。
思惑も立場も違う四者が、なぜかアーグ邸の応接室で向き合って座っているという、大人からしても子供からしても居心地の悪い状況が発生している。ましてや、議論すべき内容は互いに準備が出来ていない状態なので、相手の様子を窺う段階にも達していないというのが本当の所だ。
応接室自体は、天井から吊り下げられたシャンデリアも、本革のソファーも特筆すべきものはない、至極まっとうな雰囲気であり、公の場でも私的な場でも使用には十分耐えうる物で、シックなイメージで纏められていた。テーブルには使用人の準備したグラスに水が注がれていたが、誰も手を付けようとはしない。テーブルの下に敷かれたカーペットも落ち着いた色合いで、それぞれが感じている緊張感とは真逆の雰囲気を醸し出しているはずなのだが、この場の雰囲気を奇妙な方向に歪め、永遠とも思える一瞬が、徐々に積み重ねられていく。
「……で、お前……いや、マーシアン殿は、ファルガに何をさせる気でここを訪れた?」
沈黙に耐え切れずに、一息でグラスの水を一気に飲み干したソヴァは、口火を切った。
「具体的に何かをしてもらおうとは思っていない。
だが、彼なら、この膠着した軍部と通商省の関係になにか変化をもたらすきっかけを我々に与えてくれるのではないか、と思えて仕方ないのだ。目的は双方変わらないはず。国家の発展と我々の生活の安定。だが、双方のつまらぬ意地の張り合いが、この膠着を招いているのは事実だ」
ソヴァはゆっくりと深く息を吐き出す。
話し出すまでは長いが、言葉が出てくればもう止まらない。
マーシアンの意図は抽象的だ。だが、その抽象的でしかないのも致し方ない。通商省側が漠然とした展望しか出せないのと同様、軍部も漠然とした展望しか出せないのだ。
妙な親近感をマーシアンに覚えるソヴァ。だが、立場上そう簡単に友好を深めるわけにもいかない。仮に過去に私的に交流があったとしても。
「先日、ベニーバ様に軍を動かしてもらうよう陳情した。だが、謁見そのものが初回だけで、あとは門前払いだ。恐らく、私が謁見を求めたこともお耳には届いていないのだろう。そんな印象だった。ベニーバ様は何を考えておられるのか。デイエンをSMGに落とされたら、ラン=サイディールは終わりだ」
「俺は、SMGという組織が現存しているのを知っている。無論その存在の全貌を知るわけではないがな。
だが、政府はSMGの存在を空想の産物だと考えている。そして、SMGへの上納金は、実はデイエンの裏金としてストックしているのでは、との疑念を持っている。ラン=サイディールから独立して、一つの国家になろうとする思惑があるのではないか、と。
そのストックを国に還元することで、少しでもラン=サイディールの国庫を潤そうとしている、というのが時の政府の考えだ。貯めた上納金から類推される反逆罪については目を瞑る。その代わり、ストックしていた上納金を政府に納めろ、というわけだ」
ソヴァはできるだけ感情を出さないようにマーシアンに伝える。だが、マーシアンも特段驚いた表情は浮かべない。むしろ、それも知っているといった体だ。
「……正直、実際に存在するSMGがデイエンに攻め込んできたら、どうこう言ったところで軍は動かざるを得ない。それは職に溢れそうな末端兵士の感情では変わらない、というのは解りきっている。
私が必要だと思っているのは、そこまでの世論作りだ。
現在、デイエンという貿易都市にとってのSMGは、実在の組織であろうとそうでなかろうと、畏怖の対象でしかない。だが、それが存在したとしても、もはや形骸だろうと私自身は思っている。
しかしながら、デイエンの住民はそうは考えていない。自分たちにとって何もしてくれない政府と事を構えることより、SMGと事を構える事の方がより深刻な問題なのだ。
それでも俺は、実際のところはSMGと事を構える方が、デイエンの生き残る可能性は高いと考えている。
長い年月SMGを見ている限りでは、デイエンだけにいろいろ構っている余裕もなさそうだ。それに、SMGも言い伝えのような力はなさそうだ。
そう判断する根拠が、幾つかある。
無数の貿易都市のうちの数個も、SMGに造反する計画を水面下で立てているようだが、SMGの特派員がその情報をSMG本体に上げないはずもない。それにも拘らず、具体的なSMGからのアクションがなく未だに貿易を続けられている、という事実がある。
無論、今のデイエン同様、SMGからの攻撃を恐れるあまり、貿易船が港に長期滞在せず、街自体の経済はあまり活性化していないという状況には陥っているが。
だからこそ、SMGと戦ってもなんとかなる、という風潮を作りたい。そうすることで、徐々に逓減する経済活動に歯止めをかけ、かつての盛況さを取り戻したい。
その為には、この少年の持つ聖剣の力が必要だ。聖剣の力、というよりは、聖剣という名の喧伝材料が」
ソヴァは低く唸った。マーシアンの意図が読めたのだ。
「聖剣の能力そのものより、聖剣という名の持つ心理的効果が重要というわけか。だが、そもそも政府が聖剣の存在を認めるかどうかだな。そして、仮に認めたとして、SMGと戦うための後ろ盾として喧伝する事を認めるかどうか」
「どういうことだ?」
マーシアンは、初めて眉間に皺を寄せ、表情を曇らせた。
自分の考えが肯定されないことはままあった。特に、今回のような聖剣の有無を問われた場合などは、殆どの人間は聖剣などありえないと結論した。
よくある事だ。呆れるほどに。
だが、眼前の軍部の男は、聖剣の存在を認めた。それでいて、少年ファルガの持つ聖剣の効果に対して懐疑的になったケースは初めてだった。
「……ベニーバ様も、聖剣を欲しているようなのだ。表立って話は出ないが、ベニーバ様はどうやら、この行き詰まった国の状況を打開するのに、聖剣を用いるつもりのようだ」
「まさか。あるかどうかもわからんし、あったとして効果のほどもわからん存在を欲して一体どうなるというのだ?」
「普通はそう考える。だが、現実派のベニーバ様が、伝説ごときにすがると思うか? 我々は眼前で聖剣の威力を目の当たりにしている。従って聖剣の効果をある程度期待できるが、それすら見たことのない人間が、一国の運命をそんな博打に晒すと思うか?」
マーシアンは無言だった。だが、ほんの僅かに表情を変える。
「……まさか、手に入れたというのか?」
「無論、想像の域は出ない。だが、もしその算段が付いているとしたら、この少年が持つ聖剣とは別物だろう。効果も発現の仕方も全く別の何か」
ファルガに集まるソヴァとマーシアンの視線。ファルガは、思わず手元の剣を凝視する。
この剣には、なにか不思議な能力があるのはわかる。だが、一国をどうこうできる力があるのか?
横を見ると、レーテも不思議そうに剣を覗き込んでいた。
確かに、この剣には力があるのだろう。
実際、ファルガによって、レーテ自身何度か助けられている。だが、それでも一国を救うほどの力であるかどうかは未知数だ。
「そこで引き合いに出されるのが、聖剣の伝説だ。
幼子でも知っている『全ての聖剣が揃えば、世界を支配できるほどの力を手に入れることが出来る』というあれだ。
ベニーバ様は、そのうちの一本の聖剣を入手したのだろう。あるいは、手に入れる算段が出来たのか。いずれにせよ、海のものとも山のものともつかない聖剣の具体像が見え、それを何とかしてラン=サイディールの国政に用いようとしているように感じられる。或いは、用いる算段がついたのか。
ベニーバ様は、世界各地の様々な物品が集まるデイエンの貿易の特性を用い、世界中に散らばった聖剣を集め始めたのだと考えている。軍事力という国内外への誇示する力を失ったラン=サイディールの次の象徴として、『聖剣』を使って周囲の国に対して存在感を示すという思惑があるのだろうな。聖剣に何か特別な力があるのか。聖剣が一体何本あるのか。それすら不明だが」
マーシアンの表情が曇る。
「だとすると、ラン=サイディールが聖剣を軍事力に変わるアピールとして用いるのは悪手だな。
そもそもの軍事力のわかりやすい表現は『武器』だ。そして、聖剣も抽象的ながら、間違いなく『武器』だ。
なんら周囲の国家に与える印象は変わらん。ましてや、具体性のある軍事力から、半ば神話にも近い聖剣へとアピール内容が抽象化するなら、それはより国家の衰退を雄弁に語っているようなものだ。
ベニーバ様は聖剣の有無については全く明言していない。もし聖剣に対するアクションを水面下で始めたというなら、表立ったアピールの要素として使うことはなさそうだが、だからこそ、SMGに抗戦するための材料として、デイエンが聖剣を前面に押し出すことは、ベニーバ様はお認めにならないだろう。
小さな港町ならば兎も角として、遷都後のデイエンでは尚更だ。デイエンの動きはそのままラン=サイディール国そのものの動きになるからな」
ほんの少しだけ、両者の表情から険しさが消えた。
互いに確認したわけではない。だが、年月を経ても、お互いの立場からデイエンを、ラン=サイディールを護りたいという気概はやり取りができた。
「……ベニーバ様にファルガを謁見させてみるか。そうすれば、軍部と通商省の長きに渡る誤解がうまく解けるかもしれんぞ。そして、ベニーバ様の思惑もある程度図れるかもしれん」
ソヴァの言葉に、マーシアンは首肯した。それは、双方の思惑が一致しただけでなく、過去のわだかまりが払拭された瞬間でもあった。
遅筆すみません。
少し、元々と全然変わってしまう着地点をある程度方向修正できた気がします。




