マーシアン、聖剣の勇者と出会う
ラン=サイディール国通商省長官、マーシアン=プレミエールは悩んでいた。
十年前に急遽もたらされた国家運営の方針転換。軍事国家から経済国家へ。
それは、ラン=サイディール国民にとって衝撃だったが、それ以上に周囲の国家にとっても衝撃だった。
古代帝国崩壊後の世界は、ラン=サイディール国と、ジョウノ=ソウ国の二大国家の軍事力によってバランスが保たれていた節がある。
ラン=サイディール国は、他国からの干渉を受けず、ともすれば他国を殲滅できるほどの軍事力を持ちながら、際限なく領土を広げていって世界統一国家を作る程の国力は持ち合わせていない国家。だが、確かにその国が暗黙のルールとなり、世界の趨勢が決定されていたようだ。
隣国のノヨコ=サイは、隣国ラン=サイディールとの国境を隣国との関係で決定している感がある。その枷がなくなるとすれば、国境沿いの都市は再び戦乱に巻き込まれかねない。境界の村は、その時のそれぞれの為政者により、自身の加盟国家名を告げられては、困惑しながらもそれに従っていたという。強国として名を成していたとはいえ、領土の隅から隅まで監視の目が行き届いていたわけではないようだ。
属国ドレーノは、ドレーノ国王が革命を起こされた際、それを阻止したラン=サイディールの支配下に落ちている。ラン=サイディールより派遣される総督による、国王の傀儡政権。実質は総督が国王に国家運営の指示を出している状態だが、それでも国家自体は問題なく運営されているように見える。だが、それはラン=サイディールの圧倒的な軍事力によりもたらされた仮初の平和に過ぎない。兵士こそ送り込んでいないが、総督に絶対権限を認めたという意味では、それは占領にほかならない。
それが、ラン=サイディールの軍事力の放棄という、一見して好まれる改革がなされた際、ラン=サイディールを取り巻く全ての状況が覆る。つまり、招くのは混乱と混沌。
そして、その方針転換は、首都であるデイエンのあり方にも波紋を投げかける。
『超商工団体』SMGは、ラン=サイディールの首都デイエンではなく、『港町デイエン』にのみ貿易を許可している。つまり、『通商省長官』マーシアン=プレミエールではなく、『港町デイエンの商人ギルド長』マーシアン=プレミエールを窓口にした関係をSMGは承認していることになる。
その関係を一方的に変えたデイエンとの関係は維持できない。それ故、SMGは貿易許可免状の返納を求めたが、デイエンは応じなかった。SMGとの関係は更に悪化し、SMGの免状略奪という実力行使に及ぶ事態になった。
SMGの特派員が、マーシアンの元を訪れ、それを告げた。
SMGの特派員は、滞在する地域の情報を集め、SMG本体へ報告を行う。また、SMGからの指示命令の通りに活動し、場合によっては暗殺や破壊活動も行うとされる。だが、実際にそこまで行動することは、現在では皆無で、殆どが諜報行為のみとされている。特派員の要件には特に制限はなく、老若男女問わず、格闘技の経験の有無も問われない。どちらかというと、どこにでも潜り込める人間が好ましいとされるが、最年少では七歳の少女が特派員として実績を上げたという記録もある。特派員は、SMGより送り込まれることもあれば、現地の人間を有期契約で選任する場合もあるが、その契約形態も千差万別で、これといったやり方があるわけではないのも特徴だ。
マーシアンの元を訪れた特派員は、老婆だった。しかも、彼が幼い頃から見知っている老婆。どちらかというと、彼が親近感を持っていた人物だったため、それはショックを受けた。だが、詳しく聞いてみると、この老婆はSMGに情報を提供することで家族を養っていたという。子供が小さいうちに夫を亡くし、女手一つで育ててきた。特に貿易での綿や絹の取り扱いには定評があり、彼女の紡いだ絹糸は高値がついた。彼女であれば、SMGに情報を流したりせずとも、糸を紡ぐことでいい稼ぎを得られそうなものではあったが、その頃から、ラン=サイディールのテキイセ貴族の横暴が目立つようになり、どこかで利益を中抜きされていたのだろう。その不信感が、彼女をSMGに救いを求めさせた。
彼女は泣きながらマーシアンに告げた。なんとかならんのかね、と。
彼女自身SMGの特派員をやってはいるが、デイエンが嫌いではないからこそやっているのだ、と。
彼女がSMGの特派員として働かなければならなかったのも、単にラン=サイディールが末端の都市をきちっと見てくれておらず、貧富の格差が徐々に広がったからだという気持ちが、彼女自身非常に強く、それについてはマーシアンも異論の余地はない。
実際、デイエンに首都が移ってからというもの、流入してきたベニーバ寄りのテキイセ貴族に、様々な財産が流れているのは感じていた。それでも、首都という性質上、ある程度仕方の無いものだとも割り切っていた。もっと頑張れば自分たちの取り分も増えるだろう、と考えるしかなかった。
そして、今回のSMGからの最後通牒。それを耳にして、彼は今こそデイエンの貴族が総力を結集して戦うべきではないのか、と考えたのだった。
しかし、いざSMGと事を構えるにあたって、軍は動かないという。表立っては、テキイセ貴族のテロ行為を予防するため、これ以上の軍事力は割けないという説明がなされているが、軍が動かない真の理由は、実際は異なっている事をマーシアンは察していた。
軍縮の実施にあたって、一番難易度が低く、かつ財政効果が覿面なのが、兵士のリストラだ。
何の業種でもそうだが、人件費が一番負担となる。その人件費を減らすことこそが、組織の発展につながる。この時代では、剣や槍、弓矢等の歩兵部隊に加え、騎馬隊がメインの戦闘が多く、圧倒的な兵器が存在するわけではない。軍事力の増強はこれすなわち徴兵制度の充実だが、軍縮イコール兵士のリストラが公式として成り立つ。
だが、職業兵士として生活してきた人間が、ほかの職業に就労せよと言われても、おいそれと転職できるはずもない。中途の兵士ならまだしも、学校を出てすぐに軍に入った少年兵士たちが、軍の規律から外れた行動を取れと言われても、規律絶対の生活を全否定など出来まい。うまくいかない生活を背景に彼らの心の奥底に発生するのは、無気力といわれのない悲しみ、不特定多数への怒りだ。軍に残れた者も、軍を去った者に対して心は残る。無論業務ゆえ国防は行わなければならないが、一人当たりの負担は相当に増えている。残った者も去った者も、誰一人としておいしい思いはしていない。それが軍部に巣食う言い様のない倦怠感として確かに存在していた。
そして、今回いざSMGと事を構えるにあたって、軍に対して助力を求められたとしても、何をいまさら、という感覚があるのは否めない。ともすれば、怒りを伴って反発の声が出た。
無論、マーシアンが軍縮を謳ったわけではない。だが、自分たちを苦しめている原因が『国家の貿易傾倒』であると感じている兵士は多く、その象徴であるマーシアンからの依頼を二つ返事で受けることは、どうしても兵士達の気持ちが許さなかった。
といっても、マーシアンとて己の方針を掌返ししたわけではない。彼には彼の確固たる信念に基づく判断があり、それは合理性も持っていると思うからこそ、一見して都合の良いように見える依頼も、彼は恥を忍んで軍部に持っていった。
軍の上層部でも、真に状況を理解しているレベセスやソヴァは、不満こそあるが、それでも方針変更として仕方ないものとして受け入れようとしていた。元はといえば、テキイセ貴族の堕落こそが原因であり、その没落は、先代王の貴族優遇政治に起因する。
確かに、初代王ラン=サイディールが国を治めるにあたって、様々な能力に長けた者たちを従え、その一族を優遇したのが、貴族の発端だ。だが、それらを血縁だけで優遇したのが原因。間違いとは口が裂けても言えまい。自分たちの統治権も血縁によって護られている物であり、能力が劣っていても、辛うじて血縁で治世者になることができているのだ。もし、完全に能力で判定したとしたなら、サイディール一族はとうに政治の世界から姿を消していた可能性もある。
継承権二位のベニーバ=サイディールは、国王死後、マユリの後見人として実質の統治権を獲得してから、その頭角を表した。情勢的にも地勢的にも首都としての機能の限界を迎えていたテキイセから、交通の便に優れたデイエンのへの遷都は、理に叶ったものだと言えた。軍事力は、国家間の関係が悪化していれば抑止力になるが、良好であれば、そこまで国力を割かずとも良い。ただ、完全に停止させてしまうと、状況によって軍事力増強の必要に迫られた時に技術が失われてしまうため、維持だけはしておかねばならない。
そのバランス感覚は、ベニーバという男は傍目には非常に優れているように見えた。十年という時間が、果たしてどうだっただろうか。長かったのか、短かったのか。それは後の人間が判断することになるのだろう。
だが、マーシアンからすれば、今そこにあるSMGの危機に対し、手を拱いているわけには行かなかった。そして、SMGの情報は、表立っては何もない。ただ漠然としたSMGの襲撃の可能性を考え、その対抗手段を講じるしかなかった。
マーシアンは、自身の経営する宿の前で、未だ考えが纏まらず、立ち尽くしたまま、日の暮れる海を眺めていた。
巨大な入江のおかげで、外海が時化ていても、デイエン湾は穏やかだ。それ故、緊急措置的に嵐回避のために立ち寄る船に港を貸すこともあった。だが、今日は船が殆どない。特に箝口令を敷いているわけではなかったが、人の口に戸は立てられない。なんとなく、デイエンに不穏な空気が流れているのを海の男たちも感じ取っているようで、必要以上に長く滞在するということはしなくなっていた。
直接のSMGの攻撃がなくとも、風評被害でデイエンはどんどん廃れていくだろう。SMGに目をつけられたい貿易船業者などいる筈もない。デイエンに訪れる船の数が減少するのは自明の理。そうなれば、貿易の手数料、乗組員の飲食宿泊代など、一隻の船が訪れる事で動く金の量が極端に減る。
長い時間をかけて、真綿で首を締めるようにデイエンを圧迫する、『SMG襲撃』という文句。それを払拭するためには、明確な意思表示が必要。『戦う』のではなく『戦って勝てる』という明確な意思表示。それを克明に記すことによって、SMGの呪縛から逃れる事はできる。但し、そうなると実際にSMGからの攻撃が始まるに違いない。その時、デイエンの人間を鼓舞できる手段がないのではまずい。古代帝国の技術を駆使するSMGに対抗する、何か喧伝用の材料はない物だろうか。
SMGが攻めて来た時には、国も軍を動かさざるを得ないのは間違いない。SMGにとっては、軍も民間人も変わらない。SMG側が区別して攻撃ができない以上、首都を攻撃される事はラン=サイディールそのものにとってマイナスだからだ。ただ、そこでラン=サイディール国民、とりわけデイエンの民がSMGに対して過度の怖れを抱いては上手くない。その気になれば、デイエンを含むラン=サイディール国はSMGを退けることも可能である、と思わせる材料が必要なのだ。
だが、その材料が何なのか、マーシアンには思いつかなかった。
人々が『その気になればSMGなど取るに足らぬ』と思い込むような要素が必要だった。
「……何があれば、デイエンはSMGに負けないことができるか」
そんなことを考えながら海を見つめるマーシアンの傍を、一組の少年と少女が通り過ぎる。
そこで事件は起きた。
マーシアンは日没と同時に、悩んだ時間が無駄だとでも言うように、あっさり身を翻すと自身の宿に戻ろうとした。
そこで、彼は何人かの人影に取り囲まれる。
薄暮となったこの瞬間、空が赤すぎる為、周りを取り囲んだ人間の一人一人は暗く沈み、顔の造作も表情も伺い知ることはできない。
ただ、明らかにマーシアンにとって好意的な人間の集団ではないのは火を見るより明らかだった。
「……俺たちの仕事を奪いやがって……!」
集団のリーダーと思しき男が、噛み殺さんばかりの勢いで唸る。
「俺たちはどうやって生きていけばいいのだよ。俺たちは、戦う術しか知らない……!」
マーシアンは一瞬驚き、その後口元に嘲笑を浮かべた。
何を言っている。戦う術しか知らない……だと? それはお前らが努力を怠ってきたからだ。戦う術なら俺のほうが、お前らより数段詳しいぞ。だが、俺はそれだけじゃない。それだけのつもりは毛頭ない。
嘲笑が、徐々に狂気を帯びた笑みに変わっていく。久しぶりに覚える殺意だった。
マーシアンという男も、少し前までは札付きの悪だった。だが、それではデイエンは仕切れない。力だけではなく、技や懇願、謝罪、依頼、その他様々な手段を用いて今の地位まで上り詰めた。いや、地位などどうでもいい。今このレベルまでデイエンを引き上げた。母国ラン=サイディール国宰相が、その名と機能を欲しがるほどの貿易都市に。その自信は、壮年となった今でも、力だけの若者に負けるつもりは毛頭ない。
「お前たち、自分の今置かれた環境が、お前たちの影響を全く受けなかったとでも言う気か? お前たちの努力如何で回避できたとは思わなかったのか? そんなだから、軍に真っ先に切られるのだ」
自分たちは軍から解雇された。だが、リストラが必要になった現在でもリストラされない若者たちもいる。やはり、解雇されるには解雇されるなりの理由がある。それが肉体的なことなのか、精神的な事なのかはさておき。
その自覚は彼らもあったのだろう。だが、それを第三者から指摘されて受け入れられるほど彼らは大人ではなかった。
彼らはどこかで盗んできたであろう獲物を抜き放った。
軍は治安のため、従軍している人間には、非番の日にも武器は貸与していなかった。レベセスやソヴァが持っているのは、完全に私物だ。兵士が退職ではなく解雇された場合に、獲物は仮に私物であったとしても没収された。従って、彼らが手にしているものはそれが盗品であるとわかる。
マーシアンは、少し暴れてやろうと拳を握り締めた。軍にもいらぬと言われた者たちのストレス発散のはけ口に、自身はなるつもりはない。どちらかというと、自分がこの閉塞的な状況のストレス発散にこいつらを利用してやる。
全く怯えた様を見せないマーシアンに、逆にいきり立つ元兵士たち。年齢層は様々だろう。入隊直ぐにリストラされた者もいれば、何十年も勤め上げたにも拘らず職を奪われた者がいる。
だが、その事実と、SMGからデイエンを守ろうとする事実とは何ら関係がない。
比較的静かに戦闘は始まった。一人目の男が、剣を振り上げ、マーシアンに斬りかかった瞬間、少女の悲鳴があたりを切り裂き、一瞬全ての者が動きを止めた。
それとほぼ同じタイミングで、光に包まれた人影が、マーシアンを囲う人波を打ち倒した。それは、マーシアンも初めて見るほどの高速の身のこなしだった。
マーシアンは呟く。
「……こりゃ、とんでもない偶然だな。こいつらにも感謝しなければいかんかもしれんな」
背に剣を戻し、光を徐々に失った少年剣士は、凝視するマーシアンの表情に気づき、そそくさと少女の手を引きその場から離れていった。
後に残されたマーシアンが、アーグ邸を訪れたのはそれからすぐのことだった。
さて、書き溜めたものと方向性がだいぶ異なってきました。マーシアンが不良だった設定はなかったはず……。どうしよう。




