演算の疑惑
カインシーザとギューが、巨人の街を訪れてから、半日が経過した。
ギューはジルゴの子ジアと遊びすぎて、本来の滞在目的である命光石・アークリスタルの話を聞くことを忘れてしまうほどだった。
カインシーザは何とかして、ジルゴから命光石の話と、この界元がなぜこれほどに『氣』を消費するのかという謎について、なんとか聞き出そうとしたが、命光石の話については、ほぼ要領を得なかった。ジルゴも『命光石・アークリスタル』の名前は耳にしたことはあるものの、自身が断言できる情報については、持っていないらしかった。
何かを知っているようだが教えられないのか、奥歯にものの挟まったような話し方しかしなかった。噂レベルの情報で構わないので欲しかったカインシーザからすれば、肩透かしを食らった感は否めなかった。
その反動なのか、この界元における『氣』のコントロールについては、必要以上に雄弁に語るのだった。
それ故、元神勇者だというジルゴの、この界元での戦い方についての説明を経て、カインシーザはかなり見聞を深めることができた。
それは、『氣』を活動エネルギーとして戦う神勇者としては、目から鱗が落ちるほどの衝撃だった。
「オーラ=メイルを纏うと、何者かの力にそれを剝がされてしまう? それは、一工程を咬ませないからだ。私がユークリッド界元の人間だから『氣』を吸われない、という事ではない。ユークリッドの人間でも『氣』を発現させれば当然吸収される」
「一工程? 我々が発現させる『氣』に、何か変化を加えるという事ですか?」
「説明するより、見た方がしっくりくるだろう」
ジルゴは、カインシーザを屋外に連れ出すと、敷地内の少し広い庭へと案内した。
ギューもついて行きたがったが、ジルゴの子供がギューを離さなかった。
その手法については、ギューにも後ほど必ず教えることを約束し、カインシーザだけが外に出た。
いつのまにか太陽は緑の壁の向こう側に落ち、残光のみを残していた。暗くなるのは時間の問題だ。
町全体が闇に沈む前に、家々に明かりがともり始める。訪れたばかりの時には、田舎の小さな町、という印象だったが、割と技術は発達しているようで、町の街道を照らす照明に、次々と灯がともり始める。
ジルゴの家の庭と思しき場所には、下草など全く生えておらず、剥き出しの土が踏み固められた大地であり、岩がぽつりぽつりと視界に入ってくる印象は、まるで砂漠の荒野だった。
だが、よく考えてみれば、この界元の下草といわれるものは、既に見上げるほどの高さで森林然として生え揃っており、荒れ地の庭に点在する切株だと思っていたものも、よく見ると、刈られた草の茎の一番太い部分が変色しているのだった。
町はずれということもあって、町とそれ以外との境界を示す柵の向こう側には、一日前にすぐそばを通ってきた場所のように、緑の壁然とした草むらが続く。
この緑壁を突き破って突進できるような生物に急襲されたら、『氣』を使えないカインシーザとギューでは打つ手はないのではないか、という以前感じた不安が、再度ひしひしと蘇る。
だが、眼前にいるオモリオ=オ=ジルゴという神勇者であった男が、この町を守護する地位にいるというのであれば、その打開策を持っているという事だ。
そして、その力の使い方を見せてくれるというのであれば、これを機に観察、鍛錬して自分の技術にするしかない。
カインシーザはジルゴの所作を、目を皿のようにして観察するのだった。
「行くぞ……」
ジルゴは、肩幅まで両足を開くと、少し腰を落とした。そして、腹に力を込めたようだ。
周囲の空気がピンと張り詰めた次の瞬間、ジルゴの身体全体に一瞬スパークが走り、ジワリと湧き出る光の膜。そして、光の湯気が立ち昇るとすぐに、薄オレンジ色の凄まじい『氣』の炎に包まれる。
土煙が舞い上がり、周囲の植物を激しく揺さぶった。
確かに凄まじい『氣』であり、今まで出会ってきた神勇者の中でもトップレベルのオーラ=メイルの輝きの強さだ。
だが、ジルゴの言う一工程というものが、初見ではカインシーザには全く分からなかった。
「……超界元の神勇者と言われれば納得の力だ。だが、それだけだ……。
何か特別なことをしているのか? 俺には普通にオーラ=メイルを纏ったようにしか見えないが……」
ジルゴは、オーラ=メイルを解くと、笑いながらカインシーザの傍に歩いてくる。
「わからんか……。まあ、無理もないか。
神勇者であれば、≪索≫で相手の様子を伺いながら戦略を立てるのは当たり前のことだ。だが、調べる対象に≪索≫の帯を伸ばせば、その『氣』が回収されてしまうのだろう。
身体から溢れだした『氣』も保護することが大事だ。そして、『氣』を保護するために必要なことこそが、その一工程なのだ」
少しもどかしいジルゴの言い回し。
カインシーザは、もう一度やって見せてくれ、と懇願した。
ジルゴはにやりと笑うと、今度は時間をかけずにオーラ=メイルの第三段階まで一気に到達した。
……やはり、カインシーザには通常のオーラ=メイルとの差がわからない。
カインシーザが『氣』を高めた時と違うところと言えば、オーラ=メイルの色ぐらいだが、それは界元が異なる人間であれば、色は異なっている場合が多い。この界元のオーラ=メイルは、オレンジに近い黄色の炎に、濃いオレンジが縁取っている。何ともカラフルな『氣炎』だ。
「ううむ。わからん。≪索≫が使えればすぐわかるのだが……」
「ちなみに、この状態ならば≪索≫も使うことは可能だぞ」
ジルゴは、自身のオーラ=メイルを収めながらそう言った。『氣』の炎は、掻き消えるのではなく、また身体に戻っていったような挙動を見せる。
何者かに『氣』を吸われないためには、『氣』そのものを剝き出しで発散し続けるわけにはいかない。であれば、何かで包み込むしかないだろう。
実際、コーティングをしていれば、そこから延ばした≪索≫の触手も、コーティングされた状態で延びていくことになる。膜はいびつな形状にこそなるが、体全体を包んでいれば、突出した部分も伸びていくはずだ。
決まった形状を持たず、限りなく圧縮も伸長も可能なエネルギーである『氣』と『真』。質量を持たず、定型も存在しない完全なエネルギーだからこその性質だといえる。
「膜で……コーティング……?」
自分の思考を反芻するカインシーザ。
発現する自分の『氣』を何かで包めばいい、という事か。
「ご名答。
私は、オーラ=メイルを発動させる直前に、全身に触れている『真』を、膜として体にコーティングしている。そうすることで、体内から噴き出す『氣炎』ごとコーティングすることになるわけだ」
全く新しい発想だった。
『氣』は生命エネルギー。『真』は存在エネルギー。相反するものではないものの、状態としては暗に対照的な存在のエネルギーだ。
それは彼の出身界元であるタント界元でも、ユークリッド界元でも変わらない。
だが、『真』の使い方が根本的に違うのだ。
『マナ術』を使おうとすると、周囲に無尽蔵といってもいいほどに漂う『真』を、術者の身体から発した『氣』を使って集める。そして、その集めた『真』を精神力……いわゆる魔力とも言われる……を使って現象発生の方向性を指定する。
火球だろうが、冷気だろうが、電撃だろうが、爆発だろうが、存在エネルギーの形状を変えることで、これらの術は実現できる。
存在エネルギーを使用するために必要な作業は、エネルギー転化だ。
熱エネルギーに変えるのも、電気エネルギーに変えるのも、術者の精神力次第。そして、術者のイメージによる命令次第。
もちろん、イメージしやすいように、術者ごとの特定のルーティーンのようなものは存在する。
例えば、電撃の術を使う際には、手をこすり合わせて静電気を起こすことで、その想像を容易にするという術者もいる。業火を巻き起こすために、目の前に蝋燭の火を準備し、それによりイメージをより鮮明に行う術者もいる。
だが。
ジルゴは、体に触れている『真』をエネルギー転用せずに、そのまま膜にしてしまうという。
存在エネルギーのままの膜だ。そして、その膜を物理的に柔軟なものとしてイメージしておくことで、オーラ=メイルはおろか、≪索≫の触手にすらコーティングを施し、延ばすことも可能だというのだ。
『真』という存在エネルギーを変化させずに、『真』のままコントロールする。その点が、今までとは全く違う用法といえた。
「なるほど……。それは通常の氣功術士やマナ術士では思いつかん方法だ」
「わかってみれば難しくはないだろう?
体は常に『真』に包まれている。その包んでいる『真』は、『氣』の吸収の影響を受けないから、その何者かに吸われずとも済む。
裏を返せば、身体から外に出していない『氣』は、結果的に『真』に包まれていることになる。だから奪われないということなのだ」
早速カインシーザは、体を包んでいる『真』を意識して、膜状にしてみた。
「ほう。さすがにいいセンスをしている……」
カインシーザの『氣』のコントロール技術の高さを褒めるジルゴ。
だが、次の瞬間、膜が外れたのか、うっすらと体を包んでいた第一段階の『氣』の鎧は、何者かに吸引されて完全に消滅してしまった。
「……ダメダメだったな」
天から地に引きずり下ろすジルゴの言葉。彼の歯に衣着せぬ表現は、地味にカインシーザの心を傷つける。
落ち込んでいる場合ではないが、ここ数年間は、カインシーザが指導する側であることも多く、辛辣な評価もやむを得ず何度かしてきたが、辛辣な評価を相手に言葉で伝えるのは、それなりに相手も心の準備が必要だ。
今回のジルゴとの鍛錬は、カインシーザの人間的な側面を成長させるための糧にも、きっとなることだろう。
ジルゴは表情を引き締めた。
「最初に言っておくが、この方法でも≪八大竜神王≫の術は使ってはいかんぞ。
体表を覆う『真』のみを使った程度のコーティングでは、オーラ=メイルを抑えることくらいが関の山だ。
≪八大竜神王≫の膨大なエネルギーを包み込むことなど、到底不可能だ」
「≪八大竜神王≫すらも、吸われてしまうんでしょうか?」
「わからん。それをやったことのある人間はいないはずだ。なぜなら放つ前に吸収されてしまうからな。
それに、わざわざ増幅した『氣』を捨てる必要もないだろう」
何度か試してみて、うまくいかないカインシーザを見ても、決して笑わないジルゴ。
技術的には非常に高度なことを要求している。ましてや、前提としての発想が全く違う。それを意識せずにできるようになれ、などとは横車を押すような話だ。
だが、ジルゴは『真』の取り扱いについてはしつこく口にした。
『氣』をコントロールするのは、半ば無意識にできているのだから、『真』もそれに準ずるほどにコントロールできるようにならなければならない、と。
実際、カインシーザを始めとする七人の神勇者達は、ネスクはともかくとして、ほぼ常時作業用氣功術を使っている状態だ。そのため、普通の人間には、かなり身体能力の高い存在として映っているはずだ。
作業用氣功術は眠っているときにも発動しており、呼吸をするがごとくに自然に使いこなしている。
オーラ=メイルを使用する時も、必ず『真』で体をコーティングしてから発動させる癖をつけること。それがジルゴの言葉だった。
「『真』膜のコントロールは、この界元だけでなくとも、有用なはずだ。
この界元のような現象のない界元で活動する時も、噴き出したオーラ=メイルは、そのまま雲散霧消してしまうが、コーティングすることで、その場に留まる。さらには、噴き出したものを体内に収めることも可能だ。
それはつまり、『氣』の垂れ流しの防止にも繋がる。自身の発生させた『氣』のロスを極限まで減らすことができるという事だ。そうすることで、体力の温存にも繋がる」
カインシーザはゆっくりと頷いた。
やはり、超界元ユークリッドの神勇者は、一味も二味も違う。
だが、と彼は思う。
これ程に大事な現象が発生することを、なぜ界元神皇エリクシールは自分たちに教えなかったのだろうか。
『真』膜のこともそうだが、この界元で『氣』を用いようとすると、その瞬間に何者かに吸収され、消えてしまうことを。そして、それにより様々な危険が発生し、その結果致命的なダメージを負ってしまう可能性もあることを。
今回でいえば、ギューがまさにそうだった。
『氣』を≪天空翔≫で使い続けようとしたがゆえに、ほぼすべての『氣』を吸われてしまい、瀕死の状態に陥った。
まさか、エリクシールがこの現象のことを知らないはずもない。ましてや、この界元での作業を無数の神勇者にさせようとした場合、事前にそれを伝えるべきなのは明らかであり、それを伝えなかった意図が全く不明だ。
そう物思いに耽っていたカインシーザに声を掛けるジルゴ。
「……カインシーザよ。
君の仲間なのか? この界元の存在ではない、特殊な二人の男女がこの町の入り口に到着したようだ。
一人は人間だが、もう一人は人間のようでもあり、機械のようにも見えるが……」
ジルゴという男は、カインシーザとの会話の間も、≪索≫を走らせていたということなのか。『氣』の炎の強さだけではなく、コントロール技術についてもかなりのレベルにあるようだ。やはり、口だけの男ではなさそうだ。
「……一度鍛錬を中断し、彼らを迎えに行ってもかまわないですか?」
「行ってくるがいい。久しぶりの客人だ。この人数ならば、私も家内の料理を手伝わなければならないからな」
カインシーザは頷くと、部屋の中でいまだにジルゴの子と遊び続けているギューに声を掛け、先ほど彼らが到着した、町の入口へと移動を開始したのだった。
「ユークリッドの元神勇者? そりゃ凄い。
カインシーザよ、我々のいなかったたった一日の間に、よくそんな人物と知り合いになれたものだな」
ジルゴは四人の来客では、屋内での食事は無理だと判断し、庭に大きな簡易テーブルと椅子を準備し、そこに料理と飲み物とを並べる。
突然の来訪にも拘わらず、アミツとジルゴは十分な料理数と量とを用意していた。
彼らはシチューとパンとを堪能し、満足の行く時間を過ごすことになった。
ディグダインは、食事の席のとあるタイミングでカインシーザを執拗に絶賛した。
その言葉は、ジルゴとその妻アミツ、その愛娘で幼女であるジアが席を外した時に、放たれることになった。
ギューと長い時間遊んだジルゴの娘ジアは、食事の真っ最中であるにも拘らず、眠気が勝ってしまったのだろうか。少女はうつらうつらし始めた為、アミツはジアを寝巻に着替えさせるために室内に連れて行き、ジルゴもジアの寝床をきれいにする為に室内に戻った。
まさにそのタイミングだった。
限度を超えた絶賛は、時に皮肉な印象を与えることはままある。
ディグダインの言い回しはまさにそんな印象だった。
そしてその『毒』は、カインシーザにもネスクにも伝わっていた。
カインシーザは、ディグダインの言葉に表情こそ変えなかったが、その言葉尻に不満を持ったようだ。それでも、彼はちらりとディグダインの方に揶揄の視線を向けただけで、何も口にすることはなかった。
さすがに言葉のニュアンスが攻撃的過ぎると、ディグダインを制しようとするネスク。
だが、ディグダインは敢えてネスクの言葉に反発した。
「元神勇者? 次の神勇者が育ってもいないのに? 界元魔神皇も封印されているわけでもないのに?
それで『元』と来りゃ、奴が何かが原因で界元神皇とトラブった、と考えるのが普通じゃないか? 我々は界元神皇の指示で行動している。その人間が、敵対している対象と卓を囲むべきではないだろうが」
ディグダインの主張はもっともだった。
超界元ユークリッドでは、普通の界元とは違うところが幾つもあった。
圧倒的な容積の超界元。
存在する物質も生命体も異常なほどの巨大さを誇る。
そして、『氣』が使用できないという状況も、他の界元では類を見ない環境だ。万物の根源である『氣』と『真』のうちの片方が使えないという状態は、生命体が活動するという点においては、ひどく不自然なのだ。
そして。
最大の違和は、界元神皇と界元魔神皇のどちらも力を失っていないことだった。
今までの『見守りの神勇者』としての活動は、もちろん神勇者が育っていない界元において、神勇者候補が不慮の出来事で命を落とさないように見守り続けることが責務だった。そして、それを『精霊神大戦争』発生の確定まで続ける……。
それは、その活動界元が、前回の『精霊神大戦争』後であることが時系列的に確定する。そして、それは『妖』と『魔』の神皇のどちらか、あるいは両方が致命的な打撃を受けているからだ。
『妖』が勝ち残ったのか、『魔』が勝ち残ったのか、という差はあれど、前回敗北したどちらかの神皇が時を経て復活をするにあたって、それと対抗するための準備を始めている界元の戦士たちの成長を見守ることこそが、『見守りの神勇者』であるということなのだ。
しかし、前述のように両界元神皇は、どちらも力を奪われていない。
これはひどく不安定な状態であるという事なのだ。
それに加えて、『妖』の神勇者が、神勇者の座から退き、下野しているという事実は、界元神皇とユークリッド界元の神勇者の間に、何か重大なトラブルがあったとしか思えない。
ディグダインはそう主張する。
「確かに、このユークリッドは、他の界元とは様々な面で大分違う。
だが、エリクシール様と対立する者が、界元神皇の手の者にすんなり情報や技術を提供すると思うか?」
ディグダインの言葉を受けてなお、カインシーザは無言だった。
「……カインシーザ……。おまえ、何を考えている?」
ディグダインは、カインシーザのほんの少しの憂いの表情を見逃さなかった。
だが、ディグダインが言葉を繋ごうとしたときに、ジルゴが席に戻ってきた。
「すまんな。ジアを寝かしつけようとしたが、日中ギュー君と遊んだのが楽しかったらしく、興奮していてな。眠いようなのだが、なかなか寝つかなかった。
アミツはそのまま奴のそばにいさせることにした。後片付けはこちらでしておくので、君らは休んでくれ」
四人は、ジルゴが日中、声をかけておいてくれた宿に泊まることになった。金は持っていない旨を告げ、町の外で野営する考えを示したカインシーザたちだったが、既にジルゴが宿泊代を支払っていたようだ。
この手際の良さには、流石に違和感を覚えざるを得なかった。とはいえ、その好意を無駄にするわけにもいかない。
その日は、四人の神勇者たちはその好意を受け入れ、宿に泊まったのだった。
日没後どれくらいの時間が過ぎただろうか。
ネスクは深夜にふと目が覚めた。
『融合人』である彼女も、睡眠は必要とした。理屈上は、睡眠をとらずに稼働し続けることも可能なはずだったが。
それは、また彼女が赤子であった時の名残りなのかもしれない。
もう一度ベッドの毛布を頭からかぶって眠りにつこうとしたネスクだったが、遠くから微かに聞こえてくる何者かの声に気を取られ、寝付けなくなってしまった。
その声の主は、そう遠くないところで静かに、しかし激しく言い争っているようだった。
ネスクはベッドから立ち上がると、声のする方向を窓から伺ってみた。
「……本気か、カインシーザよ」
「ああ。一度、エリクシール様の元から離れてみようと思っている」
「なぜその行動をとる必要がある? なぜ今なのだ?」
「なぜ今なのか、と聞かれると困るが、そのこと自体は、三年前のあの時から漠然と思ってはいた」
「デイガに戻れなくなった時のことが引き金か?」
「そうだ。あの時も、エリクシール様は何かを隠していた」
「結果的ではあるが、ファルガとギューと、グアリザムが関与し、かつ、パクマンとドォンキの経験と知識を授けられることで、デイガ界元の神勇者として蘇った俺は、そうしなければ生まれ出なかったと聞いている。そうなれば、魔神皇ハイエンの跳梁を許すことになってしまったはずだ」
「それは俺も聞いている。俺たちがあんたの出自を先に知った未来には、先がなかったと言う話もな。だが、それは『演算』の結果でしかない」
「……極めて精度の高い、な。俺たちでは図り知れぬレベルで、事態は動いている」
「であれば、詳細は言えぬにせよ、事前に大まかな話があってしかるべきだと思わんか? 結果、ギューやファルガ、あんたでさえ死にかけたんだぞ」
「『見守りの神勇者』として、最低限の関与のみを心掛けていたお前が、そこまで心替わりをしたのはなぜだ? 一体何があったのだ?」
「……何もないさ。『見守り』については今も同じ考えだ。だが、今回の召集は『見守り』とは違う」
「どう違うと見ている?」
「ユークリッド内が殺伐としている」
「……そりゃそうだな。あれだけ大量の神勇者を送り込んでいるんだからな」
「『魔』の方もだ。俺は、少し離れて全体を見極めたいと思っている」
「見極めてどうするつもりだ。まさか、数えられぬほどの神勇者を敵に回すつもりか?」
先程まで続いていた、小さいながらも鋭いやり取りが、突然止む。
暗雲が垂れ込めるように不安が増大していくネスクは、いても立ってもいられず、宿の玄関から飛び出した。
先ほどのやり取りは何処でやっていたのか、と左右を見回すと、ディグダインが部屋着のまま歩いてくるのが見えた。ヘルメットは彼の身体の一部なのか、そのまま身に付けていたが、シールド部だけは収納されており、彼の眼光鋭い眼差しが剥き出しになっている。
何か酷く嫌な予感がして、ネスクはディグダインに駆け寄った。
「カインシーザさんは? 一体何があったの?」
「奴は単独行動に移る」
「えっ?」
「明光石集めからは離脱だ」
「どうして? 昨日の件が原因なの?」
「昨日の件はきっかけにすぎない。奴なりに思うところがあったのさ」
「では、彼は敵になってしまうの?」
「そうと決まったわけではないさ。そもそも、奴が『魔』につくわけはない。自分の心に正直になった結果だと受け止めるさ」
ネスクは押し黙ってしまった。慌てて追いかけようにも、どちらに行ったかは分からない。それに、ディグダインが話して物別れに終わったものが、ネスクが話してまとまるとも思えなかった。
ネスクが悔しさと寂しさ、不安の為に泣き出したのを見て、ディグダインは宥めながら宿の中にネスクを連れ戻した。どれ程強くとも、どれ程知識があっても、感性は幼女のままなのだ。
ネスクに付き添って宿の中に入る直前、ディグダインは振り返って空を仰いだ。
まだ夜明けまでには時間がある。
空には幾つもの月が物言わず浮かんでいた。
2025/11/8 一部修正しました。内容は変わっていません……。




