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界遊記  作者: かえで
超界元ユークリッド

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252/253

落ちた奈落の先

「失礼しちゃうわ。ファルガだってあそこに足を着いたはずよ。何であのタイミングで地面が抜けるのよ。これじゃあまるで、私が重たいみたいじゃないの……!」


 漆黒の闇の中、ぼうっと鈍く光る青白い光のみが周囲を照らす。

 落下中に慌てて懐から取り出した手ぬぐいは、『氣』を染み込ませたものだった。

 照明を確保するためにその手ぬぐいを用い、光の氣功術を用いた。

 その照明のおかげで、何とか無傷で着地することはできた。

 すぐに自分の居場所を確認するために、手ぬぐいに浸み込ませてある『氣』を用いた光の術・≪灯籠巾≫を用いる。

 その光が映し出すのは、人工物と思われる大きなタイル状の床。そして、複雑な幾何学模様の描かれた天井。

 天井に関しては、辛うじて光が届いているからなのか、ひどく薄暗く感じる。それゆえ、何が描かれているのか、いまいち判然としない。天井からは、何かがぶら下がっているようにも見えるが、それすらも気のせいだといわれればそんな気もする。そして、前後左右に照らされるものがないということは、そこは酷く広い閉鎖空間であることを意味する。

 しかし、とにかく手にしている光が弱い。氣功術を道具で用いたとしても、ユークリッドの特性『氣の搾取』は影響を及ぼすというのか。

 エスタンシアは、民族衣裳でもある、モンペに酷似したズボンをぐいと引き上げ、足首のところですぼまっている裾の部分を改めてきつく縛り直した。そして、合わせになっている着物に酷似した上着の懐から取り出した手ぬぐいを、右手に持つ手ぬぐいに重ねた。

「≪灯籠巾≫!」

 エスタンシアは小さく気合を発する。

 その瞬間、消えかけていた手ぬぐいの輝きが、再び強くなった。

 光の術は『マナ術』にも存在する。

 ≪灯籠巾≫。

 名前こそ同じだが、使用するエネルギーは存在エネルギーとなる。どうやら、使用する術の根元エネルギーが生命エネルギーでなければ、ユークリッドの特性は干渉しないらしかった。

 ユークリッドの特性の影響を受けない照明を、エスタンシアは手に入れた。

 アグリ界元最強の農耕民族であるコバイン族は、日常生活における様々な技を、戦闘にも流用できるように洗練した。

 それこそが、手ぬぐい術だ。

 手ぬぐいそのものも汎用性に富んだ道具だが、そこに『氣』や『(マナ)』を染み込ませ、手ぬぐいそのものに属性を持たせ、様々な効果を生み出す術だと言われている。

 元々は、柄を付けたり殺菌作用を持たせるほか、手ぬぐいそのものに強度をある程度持たせるためにも藍に漬け、染め上げることを行なったが、それと同様に≪回癒≫の術にさらし続けることで、手ぬぐいそのものに≪回癒≫の機能を持たせるというような技術を、コバイン族は確立していた。

 もちろん≪回癒≫の術だけに限ったことではない。

 術の効果をそのまま染み込ませる方法と、『氣』や『(マナ)』を染み込ませ、染み込ませた生命エネルギーや存在エネルギーを使って術を使用する方法の二種類が、手ぬぐい術として確立されている。

 ユークリッドの特性である『氣』の搾取で、命の危機にさらされたギューの命を取り留めた手ぬぐい術≪回癒巾≫は、手ぬぐい術のうちの前者、術の効果を染み込ませる方法の手ぬぐい術だった。

 エスタンシアが今回、照明として使用しようとした手ぬぐい術は後者であった。最初は『氣』を染み込ませた手ぬぐいを用いたが、思いのほか早くに『氣』を吸われて光が弱まったために、慌てて『(マナ)』を染み込ませた手ぬぐいを準備し、≪灯籠巾≫の術を使うことにより、漆黒の闇に飲まれずに済んだのだった。

 もちろん、前者と後者、一長一短ある。

 効果を染み込ませる術は、効能はそこまで強くはないが、半永続的にその効果が期待できる。それに対して後者の術は、効果は強い反面、エネルギーを補充しなければならない。

 エスタンシアは、コバイン族の中でも特に、『氣』の保有量が多いため、彼女が身に付けておくことで、永続的な効果の望める手ぬぐいが完成したのだった。


 光度を得たエスタンシアの照明は、強く周囲を照らす。

 床に関しては、先程と得られる情報は変わらなかったが、天井については先ほどの空間の澱みが嘘のように、鮮やかに映し出された。

 どうやら、天井の模様は宗教画らしい。とはいえ、絵としては理解が難しかった。ただ、ところどころから鎖らしきものがぶら下がっているところを見ると、天井は可動式なのかもしれない。そのギミックと天井にある宗教画の関連性があるかはなおさらわからないが。

 そして、天井の一部が崩落している。どうやらそこからエスタンシアは落ちてきたらしい。

「脆すぎるわよ、あの天井……」

 どうしても自身の体重が原因で床……現在のエスタンシアの位置でいえば天井だが……が抜けたと思いたくないエスタンシア。思春期だからなのだろうか、絶食してでも体重を軽くしてやる、と心に強く思う。

 実はコバイン族は、見た目に反して、非常に重量がある。

 それは、エスタンシアに限らず、一族の『氣』の保有量が膨大な為であり、生命エネルギーの含量が多いことは、質量が多いことに直結している。従って、一族を見回したとき、決してエスタンシアは、肥満気味というわけではないのだ。

 しかし、他の界元の神勇者を見ていると、その行動結果が彼女にその意識を与えてしまうのは、致し方ないところか。

 立ち尽くしていても仕方ない。

 エスタンシアは方角を決め、歩き始めた。

 照明が強くなっても壁が見えないのは、この空間が酷く広いということ。

 しばらく歩くと、壁に行き当たる。

 黄土色を基調とした壁には、赤や青の染料を使った何かが描かれているが、今度は逆に近すぎて、何が描かれているのか判然としない。

「山を神様にして祭っている山岳文明は割によくあるけれども、ここもその遺跡ということなのかしら。

 それなら、ここは神殿ということ?」

 壁に沿って歩き始めながら、周囲の様子を伺うエスタンシア。

 『氣』の含有量が多いといっても、この界元で≪索≫など用いようものなら、体力はあっという間に吸い尽くされてしまうだろう。

 遺跡の調査も、まだ見ぬ敵の発見も、全ては五感に頼るしかない。

 第六感、或いは第七感と評されることもある『氣功術』の≪索≫が使えないことが、これほど不便だとは。

「元はといえば、ファルガが≪索≫の術を私に教えるから、私が不便で我慢できなくなっちゃったのよ」

 滅茶苦茶な理由ではあったが、執拗にファルガに向けられる矛先は、単純にファルガが踏み抜かなかった場所を、エスタンシアがあっさりと踏み抜いてしまったことに起因する。

 この場にいないファルガがいつの間にか悪者になっているのは、気の毒としか言いようがない。

 ボトッ。

 ボトボトッ。

 左手を壁に触れながら歩いていたエスタンシアの右側から、大小さまざまなものが落ちてきたような音が聞こえる。

 思わず足を止め、右手の方に視線を移すエスタンシア。

 その直後、今までに感じたことのない衝撃が、効かぬ視界の奥で響き渡った。

 何かがいる。

 正確には、何かが降ってきた。

 音の正体は不明だ。しかし、このタイミングで何かが現れるとするなら、それは少なくとも味方ではない。

 久しぶりに、五感を駆使して情報を収集する。

 光の届かぬ闇の向こうで、何かが引きずられる音がする。

 ボトボトと落ちてきた何かとは違う、巨大な物。

 エスタンシアは、光る手ぬぐいを前方にかざした。

 暗闇の中で、手ぬぐいの光を浴びて何かがキラリと光る。だが、それが何かの視線を示すものではなさそうだ。

 むしろ、長くて太い物が蠢いている、その一部を見せられている感じだ。

 大蛇?

 彼女の足元に、スルリと細い紐状の物が近づき、一度先端がのけぞると、彼女の足に攻撃を仕掛けた。

 エスタンシアはそれをバックステップでかわすと、一メートルほどの紐状の物を踏みつけた。

 頭を踏まれ、逃れようとする蛇。しきりにのたうって後退していこうとする。

 彼女はスッと足を上げると、頭を踏まれた蛇は一目散に逃亡する。だが、落ちてきた気配からして、蛇は一匹ではなさそうだ。彼女を中心に直径二メートルの円が出来上がり、その向こうは無数の蛇が床を覆い尽くしていた。

 手ぬぐいの光が床を輝かせていたのは、無数の蛇の鱗だったのだ。

 エスタンシアは驚かない。

 稲刈りや草刈りをしているときに、猛毒の蛇が草むらから現れることはよくある。だが、コバイン族はそんな蛇を相手にしない。

 一匹殺したところで畑には蛇など無数にいる。その蛇が毒蛇だろうが、無毒の蛇だろうか、大した問題にはならないのだ。それよりは、闇の向こうにいる巨体の主の方がよほど恐ろしい。

 エスタンシアは眼前の鎌首をもたげた蛇の頭部を、殺さない程度に蹴り飛ばすと、未だ姿の見えぬ巨大な敵に注意を払った。

 エスタンシアの履く長靴は、モンペ状のズボンの裾を包み、膝下までをすっぽり覆う。これは、鎌などが誤って足に当たった時に体を傷つけないためと、藪などを歩く際に、鋭い枝を踏み抜いたりしないための物だが、加えてマムシやハブのような茂みにいる毒蛇に足を噛まれても毒牙が貫通しないような造りになっている。それでいて形状は足袋のように足首にフィットしている。

 昔の農民は必要に応じて武器を取って戦ったが、その理由は領主に対する忠義などではない。給金次第では敵にも味方にもなる、野武士以上に恐ろしい存在だといえた。

 そして、民族的に『氣』の保有量が多いコバイン族は、その最たる例といえた。

 エスタンシアの時代では、ほぼそのようなことはなかったが、それでも数年に一度は国同士が戦争状態になり、若い衆が駆り出されたというから、戦争もあながち縁遠いものではなかったのだろう。それ故、彼女はその若さで戦地の悲惨さを身に染みて体験していた。

 農民こそ最強の戦士。

 コバイン族はそう信じて疑わない。

 ズルッ……。ズルッ……。

 今まで相手にしていた蛇とは比較にならないほどの巨大な奴が、闇の向こうにいる。

 鎌でもあれば、簡単に蛇の首など飛ばせるが、エスタンシアはあいにくと刃物は持たぬ主義だった。

 それは、刃物など常時携帯せずとも様々な事態に対応できる、エスタンシアの絶対の自信だった。

 少女は、懐から一本の手ぬぐいを出すと、明かりの灯った手ぬぐいを左手に持ち換え、右手に新しく出した手ぬぐいを持つ。

 鞭を撃つように手首のスナップを効かせると、手ぬぐいが空気を撃ち、破裂音と共にピンと延びた形状となる。少し手首よりにカーブを描いているのは、エスタンシアの使いやすい鎌のイメージなのだろうか。

 彼女にしてみれば、どんな剣や槍より、手ぬぐいの鎌の方が使いやすかった。

 這いずる音が近づいてくる。

 先程からじゃれついてくる蛇どもの牙は、足袋はもちろん、モンペも小袖も通さない。農作業用の手甲に至っては、エスタンシアの気迫によってか、熱を持ち、絡んでくる蛇は軒並み床に落ちた。

 先程、『氣』の≪灯籠巾≫で使った手ぬぐいの残りの『氣』を使い、少しだけ大気中の『(マナ)』を集めると、炎の『マナ術』≪燃滅≫を用いて手ぬぐいを発火させ、それを恐らく闇の向こう側にいるであろう大蛇に向かって投げつけた。

 飛んでいく火の玉が、床に蠢く無数の蛇を鮮やかに照らし出していく。

「たくさんいるとは思っていたけれど、すごい量ね。ご飯は足りているのかしら??」

 お節介とも取れる独り言をこぼしたエスタンシアの前に、闇の向こうに構えていた蛇の主が姿を表す。

 巨大だ。

 猛禽の巣を襲った蛇と同じか、それ以上。顔の大きさだけで二メートル以上はある。長さを計り知ることはできないが、太さも規格外だ。毒の有無は不明だが、あの巨体に巻き込まれては、さすがのエスタンシアも一溜りもないだろう。

 ましてや、現在は『氣功術』が使えない。爆発的に身体能力を高める事もできないのであれば、あの巨体はそれだけで暴力だ。

 『氣』を用いる戦士たちにとって、身体の大小や筋力の強弱は、戦闘において決定的な差とはならない。彼等にとって重要なのは、『氣』のコントロールであり、『(マナ)』のコントロールだ。彼らの戦術には、術の存在があり、技の存在があるからだ。それが、彼等を達人且つ超人たらしめる。

 ところが、超界元ユークリッドでは、『氣』を用いることができない。それは、彼等にとっての戦闘の尺度が異なってしまうことを意味する。

 エスタンシアは、大蛇の動きを見極めようとする。

 さすがに、先制攻撃は仕掛けない。相手の特性が分からない状態で、迂闊に先制しては、相手に付け入る隙を与えかねない。

「……うそっ……!?」

 エスタンシアの口から思わず漏れる驚愕の溜め息。

 大蛇の顔が二つ。

 巨大な大蛇の顔のすぐ横に、同サイズの顔が並ぶ。

 確かに、大蛇が一匹である必然性はない。この遺跡の上部にある猛禽の巣を襲った蛇がおり、それと同サイズの蛇が同じような場所にいる。そうなれば、さらに個体数が多くても何ら不思議はない。あれほどの巨体をどう維持するか、については疑問ではあるものの、蛇は通常は変温動物ゆえ、そこまでエネルギー消費は激しくない。それほど大量には出現はしないだろうが、複数いても何ら不思議ではない。

 直接戦闘は避けるべき。

 エスタンシアはそう判断し、背を壁につけるように死角を消し、大蛇から目を離さずに左手にスライドしていく。

 だが、それを許さなかったのは、後から現れた大蛇だった。

 横歩きで距離を取ろうとするエスタンシアに向かって攻撃を仕掛ける。攻撃を仕掛ける際の蛇のモーション。一度顔を引き、延び出るように牙を剥く。

 エスタンシアの光の視界から片方の顔が消えたことで、大蛇が攻撃の予備動作に入ったと察した少女は、更に移動速度を上げた。

 数瞬後、彼女の右手方向の壁辺りで爆音と振動が起こった。

 大蛇が、遺跡の壁に顔面から体当たりを敢行したのだ。

 だが、更に驚いたのは、遺跡の壁は全くの無傷だったことだ。

 恐るべき堅固な壁である。

 この蛇たちが侵入者を退けるトラップそのものだとしたならば、蛇が逃げ出しては困る。壁そのものが巨大な檻と考えると、その頑丈さも納得だ。

 そういう目で、改めてこの場所の床を検分すると、蛇たちに覆われた床ではあるが、それ以外にも足に当たるものがある。

 見た目は巨大だが、骨だ。

 壁を背にスライドしながら、照明の光をばらまき、周囲に散乱する骨を注視していくと、いくつかの頭蓋骨を目撃することになった。

 エスタンシアの知るサイズとは比較にならない頭蓋骨。その大きさから推測すると、身長は優に五メートルは越える。サイズだけならゴンフォンよりも大きい。いくら巨人ゴンフォンでも二メートル後半でしかない。

 そのサイズの人間の遺骸が、この空間に散乱して、更に蛇が無数にいる。化け物クラスの大蛇も二匹確認できている。

 ここは処刑場だったのか?

 そんな疑問が少女の頭をよぎる。

 だとすると、この散らばる巨人の骨は、上から落とされた状態で放置されたことになる。蛇にかまれて絶命し、そのままにされた。もちろん部位によっては蛇に喰われたかもしれない。界元が違えば、咀嚼する蛇もいてもおかしくない。

 そう考えると、この空間は四隅を走り回ったところで、出口はないはずだ。

 そんな、出口に該当するようなものがあったならば、小さい蛇ならいざ知らず、巨大な蛇がその出口に対してアクションを起こしていたはず。

 そこでエスタンシアはハッとする。

 天井にうっすらと見えた鎖は、落とし穴のトラップの仕掛けの一つだ。

 猛禽の巣を襲った大蛇は、上部の出口に何らかの方法で到達し、この地から抜け出したのだ。そう考えると全てが合致する。

 でも、落とし穴のギミックがあるとして、それが稼働する前にその床をぶち抜いて落下してしまったエスタンシア。

 落とし穴自体はあったが、その上蓋をぶち抜き、壊してしまったということなのか。

 もし、落ちる場所が場所なら、ひょっとしたらそこは抜けなかったかもしれない。

 エスタンシアは一瞬にやりとした。

(やっぱり床が抜けたのは、私のせいじゃないよね)

 だが。

「そんなのお構いなしに、落ちたエスタンシアは重いんだよ」

 脳裏に、指をさしてエスタンシアを笑うファルガの姿が浮かび、急に腹立たしくなってきたエスタンシア。

 もちろん、ファルガがそんなことを言ったことはないし、それに準ずるような、エスタンシアを小馬鹿にする言動もない。

 完全な冤罪だ。

 だが、今回はそのいわれのない怒りが少女の行動力を活性化させた。

 今までは回避一辺倒だったエスタンシアの横のスライドの動きが、左右のフットワークを組み合わせるようになり、二匹の大蛇のうちの一匹を完全に手玉に取り始めていた。

 エスタンシアは左右に動くが、蛇の頭は同じ場所を結果的に攻撃することになった。

 やはり爬虫類だった。その巨体で連続した動作には無理があった。

 エスタンシアが最後に回避運動を取った瞬間、今まで攻撃を仕掛けていた大蛇が、壁に突っ込んだまま動きを止めた。

 巨大ではあるが、ニシキヘビのような顔の造りは、蛇の感熱器官・ピット器官となる口唇窩の存在をわかりやすくしていた。

 おそらく、この器官を手ぬぐい鎌で破壊すれば、攻撃はできなくなるだろう。

 だが、そうするとこの蛇は生きていけなくなる。

 蛇である以上、ピット器官での獲物の捕捉は必須だ。今しつこく攻撃されて、行動を阻害されるのは困るが、かといって獲物が一生捕らえられなくなるのは困る。それはやはり、エスタンシアの本意ではない。

「よし、いい作戦を思いついた!」

 少女は懐から一本の手ぬぐい……というよりは、ほぼたすきに近い長さだが……を取り出すと、蛇の口をぐるぐる巻きにした。そして、手ぬぐい術を発動させる。

「≪保育巾≫!」

 呪文を唱えるように手ぬぐい術を繰り出すエスタンシア。

 ≪保育巾≫は、もともと戦闘で用いる手ぬぐい術ではない。

 この術は、冬場の寒い時期に乳飲み子を抱きながら農作業ができない場合に、長い手ぬぐいで赤子を包み、一定である人肌の温度を、手ぬぐいを通じて伝え続けるという、女性しか使おうという発想にならない術だ。いわゆる保育器の手ぬぐい術、生活の知恵だ。

 今回、あらかじめ仕込んであるマナ術により人肌の温度を保ち続ける手ぬぐいを、大蛇の顔の口の周りにぐるぐる巻きにすることで、ピット器官を封じて少女を見つけ出せなくする、という作戦を実行に移すことにしたエスタンシア。

 だが、ずっと手ぬぐいが取れなくなると、大蛇は死んでしまうかもしれない。その危険があるため、ある程度したら勝手に手ぬぐいが落ちていく仕様にするつもりだった。

 エスタンシアの動きに合わせて攻撃を仕掛けようとする大蛇の動きを封じるために、あえて連続で大蛇を動かし続けたエスタンシアは、次の大蛇にも同様の動きをしつづけることで、大蛇に素早い動きをするよう、連続で促す。

 いわゆる挑発行為だ。

 そうすることにより、心房心室の分離が不完全な爬虫類である大蛇は、強制的に連続で動かされることにより、静脈の血液と動脈の血液が混ざってしまい、擬似的な窒息が発生し、動きを止める。

 二度目の作戦もうまくいった。エスタンシアは、そこに≪保育巾≫を貼り付け、大蛇の動きをしばらく封じた。

 二匹の大蛇は、体を絡ませ動かなくなったが、その先には、エスタンシアが落ちてきた穴が見えた。

 ≪灯籠巾≫をマナ術のものに切り替えたため、今度は天井の様子もはっきり見える。そして、そこに行くための道筋は、彼女に攻撃を仕掛けてきた大蛇たちが作ってくれた。

「よし、行くわよ!」

 エスタンシアは、動きを止めている大蛇の背を、まるで天から延びてきた階段を駆け上がるがごとく、一気に駆け上がった。

 天井に開いた穴までは少し距離はあるが、大蛇の道の最高地点からでも、作業用氣功術を発動させて跳躍すれば、何とか届くだろう。

 うねったまま止まる大蛇の背を駆け上がりながら、改めて蛇の間を見回す。

 『マナ術』の≪灯篭巾≫の光は、隅々までとはいわずとも十分に周囲には届いており、今度は中の様子がよく見えた。

 巨大な空間は四階建てのマンションがすっぽり三棟は入ってしまう広さだ。そして、今さっき彼女が戦った大蛇と、床部に無数に蠢く一メートルほどの蛇の中間くらいの大きさの蛇も無数にいた。ファルガたちの界元であれば、間違いなく伝説級の大蛇のサイズだ。

 だが、駆け上がる彼女には誰も追い付いてこない。天井からぶら下がっていた何匹かの蛇が、エスタンシア目掛けて飛びかかるが、手ぬぐい鎌から手ぬぐい棒に切り替えたエスタンシアの薙ぎによって打ち払われ、下に落ちていく。

 どんどん近づいてくる天井の穴。

 なるほど。

 先ほど天井に描かれていると思った宗教画らしきものは、天井に張り付くことができた蛇たちだったのだ。

 積み上げたブロックの溝を通路にして、そこまで上がったのだろう。そして、猛禽の巣を襲った大蛇も、あの穴から出ていったのだろう。

「やっぱり私は重くないのよ! ファルガに認めさせてやるんだから!」

 エスタンシアは、冤罪のファルガの幻影に向かって言い放つと、自らの身体を穴に飛び込ませるように跳躍した。

「うわっ!!」

 穴に飛び込んだ直後、ファルガの幻影が視界に飛び込んできたエスタンシア。

 思わず力任せに手ぬぐい棒を振るうエスタンシア。

 幻影だと思いたかった。

 だが、手応えはあった。

 直前の悲鳴は、エスタンシアのものだけだったのだろうか。

 数分後。

 蛇の間の上階の廊下にて、≪回癒巾≫を額に巻き付けた状態で横たわるファルガのその横で、土下座で謝罪し続けるエスタンシアの姿があった。

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