観測される『未定義』群
漆黒の闇。
どこの界元でもない、狭間の空間。強いて言うなら、ここはユークリッド界元の中に、泡のように存在するデイガ界元とのちょうど境界。そう表現すれば、ある程度嘘ではないはずだ。
ただ、どこの界元でもない、という表現は正確ではないかもしれない。正しくはユークリッドでありデイガでもある、という曖昧な場所。
便宜上『泡』と表現しているが、その膜の厚さは限りなくゼロに等しく、そこにアクセスできる神皇同士でしか、意識のやり取りは不可能なはずだった。
言語でのやり取りではない。データの転送とも違う。
イメージと映像と事実関係、そして無数に分岐する未来予測とその顛末。
それだけが刹那に光速以上の速度で共有される。
傍聴者はいない。
もしアクセスの要件を満たすとしたら、それは空間生命体である別界元の神皇か魔神皇、超妖魔のみだ。しかし、『泡の壁』に接触していない存在は、自動的に情報は取得できない。
実質、密談となる。
「あのグアリザムという存在は、元々はドイムの妖神だったはず。その者が、なぜデイガに出現したのか? ゾウガの疑似仮想空間内で消滅した、という報告を受けていたが……」
「グアリザムは、ドイム界元の神皇ゾウガの作った疑似仮想空間にて、ドラゴン化したファルガに倒されました。
その際、あの神勇者の発したエネルギー値があまりに高かったが故、疑似仮想空間の中で歪みが生じた。そして、≪洞≫のゲートに準ずる……、しかしひどく不安定なその歪みが、グアリザムのすぐ背後に発生し、そこに飲み込まれた可能性が高い。
……そういうことではなかったのですか?
エリクシール様は、ドイム界元の神皇ゾウガから、そのような報告を受けたと私は記憶しています。
あのガガロというガイガロス人とギラというイン=ギュアバ人が、ドイム界元での戦闘時の爆発で、界元的に最も近いギラオ界元への疑似的な≪洞≫のゲートを微かに開いてしまった現象と似ているかもしれない、とも……。
魔神皇ゼガが消滅してしまった影響で、ドイム界元の『泡の膜』そのものが脆くなっているのではないか、とのお話でしたが」
「ゾウガの観測ではそうだった。その見識に誤りはない。
それに加え、あのグアリザムという存在は、ファルガの攻撃を受けている最中に、身体を司る『氣』が希薄になった状態で、『実体』でなくとも意識を保てる力を得たのではないか。
私はそう考えている。
高次の存在と最高次の存在との決定的な違いは、『実体』でなくなった時に自我を保つことができるかどうか、という点だ。
高次の存在では、生命維持のためのもろもろの機能を、まだ臓器に振り分けなければ生存できないはずだ」
「……私は、界元の『泡の壁』が接触していないドイム界元の様子を知ることはできません。あくまでエリクシール様から与えられた情報から類推、演算するしかないのです……」
「ゾウガの作った疑似仮想空間が、一部『泡の壁』に触れていたという可能性はある。
本来であれば、『実体』の姿でいることが、存在の大前提となる現次と高次の存在のうち、高次の存在であったグアリザムが、ファルガの一撃による消滅直前、つまり生命エネルギーの密度が希薄になった瞬間、心魂をうまく残したことで、疑似的な『確率体』になったのであれば、結果的に界元を飛び越えることは可能になったということか」
「その心魂を体に残した感情は、『怨恨』。
……ただし、それはあくまで理屈上は、ということであり、そのような事案が発生する確率は、万に一つ……、いいえ、界元にあまたある星のうちの一つに、『氣』という生命エネルギーを持つ存在、つまり生命体が誕生する確率よりも、遥かに低いはずです。
高次の存在が最高次の存在への昇華を目指し、疑似的とはいえ、それを成すというというのは古今例のない話ですから」
「……とはいえ、可能性がほぼないはずの事案が、頻繁に発生してきている。それは紛れもない事実だ。
では、デイガ界元での、あのファルガのあの変化は何なのか。
ドイムでの『精霊神大戦争』で『確率体』と成りつつあった、グアリザムのあの身体を、完全に消し去るなど……。
しかもファルガの身体は、力のための無謀な変化というよりは、本来あるべき姿に戻ったような安定感だった。
グアリザムの出現の対応としては、ドイム界元神勇者のファルガを充てるしか手はなかったのは仕方のないところだろう。恐らく、『超妖魔』に成りつつあったグアリザムは、他のどの神勇者を充てても、対応することは難しかったに違いない。
……それはいい。
あの瞬間、ファルガはなぜドラゴン化しなかったのか。ドラゴン化ではなく、なぜあの変身だったのか。
ロセフィンよ。
そなたが『超勇者形態』と呼ぶあの姿は、人間とドラゴンの中間のような姿だった。奴のあの姿は、現次でありながら、限りなく最高次に近い。というより、あの瞬間の奴は現次であり高次であり、そして最高次でもあった。
今まで、そんな存在は神皇含めていなかった。存在することができなかったのだ。この私ですら。
形態はそれぞれに変化できるとしても、全てを満たす存在という形態変化は、あり得ないはずだった」
「推測の域はでませんが……。
ゾウガは、元々ガイガロス人の力を問題視していました。
問題とは、その事だったのかもしれません」
「そのとおりだ。
ガイガロス人は普通の成人ですら、他の生物の神勇者に匹敵する能力を保持していた。
その者が神勇者の装備を身に付けつつ、ドラゴン化したならば、神皇ですら手に負えなくなる恐るべき存在となってしまうだろう。
その未来が見えていたがゆえに、ドイムの超神剣の装備には、ガイガロス人が装備をした状態で発動する、感情が高ぶった時のドラゴン化を押さえる機能をつけたのだ。
その機能の付与はゾウガ一人では難しく、私をはじめ、何名かの神皇の協力を得、なんとかその機能をつけることができた。
ロセフィン。そなたもあの時に協力してくれた一人だったな。
聖剣と呼ばれる存在も、ガイガロス人が鞘から抜くことはできても、聖剣を介して発動ができなかったのはそれ故。
彼らからすれば、そもそも力を得るのに、聖剣を介す必要もなかったわけだが」
「はい。その機能は確かに働いていました。
ガイガロス人のドラゴン化は、現次から高次へと昇華する状態に極めて近いもの。いわば『亜昇華』。それが分かっていたからこそ、ゾウガはドイムの超神剣の装備に、対ガイガロス人の機能を付与しました。そしてそれは、並のガイガロス人なら、十分にドラゴン化を押さえることが出来たはずでした。
……しかし、ファルガは『星辰体』」を手に入れた男と、世界を亡ぼす鬼子『ゴールデン=ゴールド』の力の双方を受け継いだ存在。
現次でありながら、高次の力を持つ存在です。
ギューを殺されそうになった時の、あの感情の爆発で膨れ上がろうとした『ゴールデン=ゴールド』の力と、押さえ込もうとする『ドイム超神剣装備』の力が、ファルガの中で激しく衝突しました。
その衝突は凄まじく、本来逆のベクトルを持つ力は、衝突すれば消滅するだけのはずなのですが、力のベクトルを全く別方向に、圧倒的な力で互いに加速させてしまったとしか……」
「考え方はわかるが、そんなことが起きうるのか。
プラスとマイナスが釣り合った時にはゼロになるはずだが、そのプラスが無限、そして、マイナスも無限、となった時に発生するのは『定義外の力』。
『特異点崩壊』という表現が一番しっくりくる。
神でもたやすくは起こせぬそんな現象を、現次のあの青年が起こしたというのか。ドイム界元のただの一生命体が……」
「そうとしか……。
しかも、『星辰体』は発生した力に対して無限の保持力を持ちます。我々の『確率体』に準じる形態ですから。
まだ、力を生み出すファルガの身体が、そこまでの強い力を生み出せないが、彼が無尽蔵のエネルギーを受領できる環境になったら、それこそその力は無限となるでしょう」
「界元の歪みといい、神から超妖魔への昇華といい、ファルガの『超勇者形態』への変化といい、ゾウガの作ったドイム界元では、一体何が起きているというのだ……」
界元神皇は、苦しげに息を吐きだしたが、犬神皇ロセフィンは、それを気の毒そうに感じるしかなかった。
あるひとつ、または複数の能力において、神皇を超えるかもしれない存在が、ここ数年でこれほど大量に発生するとは。
これらの出現を、宇宙カレンダーに倣い『界元秒録』とでも呼ぶべき尺度で捉えた場合、彼らの誕生は大みそかの最終日、小数点の後ろに一体ゼロが幾つ付くのかわからないくらいの短い時間……23時59分59.00000……秒……となるのだろうか。
エリクシールは忌々しそうに呟く。
「私が長い間悩んできた、『確率体』としてのあるべき姿を、あっさり覆しおって……」
 




