超界元への誘(いざな)い2
眼前に突然出現した、光すら通さない漆黒の宝珠。
紫色の放電現象を伴う闇の塊の出現に、高速移動中のファルガは回避運動を取ることができず、そのまま突入してしまった。
慌てて急停止し、後ろを振り返るが、時既に遅く、前後左右全てを闇に覆われ、既に自分の居場所すらわからなくなっていた。
だが、ほんの少し前方に進むと、眼前の黒い霧は見事に晴れ、小さな部屋に出た。
見覚えのある部屋。
六角形の空間の五か所の壁部にそれぞれ窓があり、残りの一か所には扉があるが、窓の外の様子は伺い知れない。六角形の角の部分には燭台があり、火は灯っているものの、その火がこの部屋を明るくしているかどうかは甚だ疑問だ。
かつてファルガは、界元神皇エリクシールの城の、似たような装いの部屋の窓を開けた記憶がある。だが、窓の外は漆黒の闇だった。自分たちのいる部屋が塔の一部であり、最上層階は限りなく上部に、最下層階は限りなく下部にあるようで、自分たちの部屋が塔のどのあたりなのかという情報すら得ることができなかった。また、天井に行くにしたがってすぼまっているように見えるところを見ると、この部屋そのものが直方体の空間ではなく、正六角柱の半ばから六角錐になっている形状なのだろうということだけは想像がついた。
ただ今までと違うのは、この類の部屋にいた時には、必ず≪洞≫のゲートが存在していた。各界元に行くためのゲート。
しかし、現在この部屋には、≪洞≫のゲートはおろか、目印となるようなものは何もなかった。おそらく無数にある部屋のうちの一つなのだろう。だが、その部屋が一体どの部分なのか、皆目見当はつかなかった。
ふと背後に気配を感じて振り向くと、同じようにファルガに背を向けたまま、周囲を見回している人間がいる。
ギューだ。
彼もどうやら、いきなり連れてこられたらしい。最初は何が起きたのか良くわかっていなかったようだが、ファルガがギューを認めてすぐに、彼も気づいたようだった。
ファルガの名を呼びながら駆け寄るギュー。やはり以前より背が伸びているのが、なぜか嬉しい。
「お前もここに飛ばされたのか。さっきまで会っていて別れたのに、また会うというのも変な感じだよな」
「そうですよね。
でも、ここってエリクシール様の城の一角ですよね? 何で急にここに呼ばれたんだろう。しかも、今までだったら、神皇様を通じて来るはずなのに、直接ここに来るって……」
ギューが話している間も、ファルガはずっと≪索≫の術を走らせていた。
おかしい。
確かに、建物の作りは界元神皇エリクシールの城のそれだ。
だが、気配が違う。
このおぞましさは、『魔』……。
「……考えたくはないが、ここはエリクシール様の城じゃなさそうだ」
「ということは、界元魔神皇マラディの城?」
「そう考えて行動するほうが、無難だな」
「……超神剣装備、呼びますか?」
齢五歳で魔神皇を倒し、十歳になったギューは、幾つもの別界元の『見守り』を行うことで『見守りの神勇者』のベテランになった。
そのギューですら不安を隠せない。
「そう思って何度か呼んではいるんだが、反応がない」
ギューは絶句する。
ユークリッド界元は、超界元とも呼ばれ、本来接触のない界元同士の橋渡しも出来る界元だ。
ボールを一つの宇宙、つまり界元と見立てた時、一つ一つのボールは接触のしない状態で空間を漂っている。その空間が、比較できないほど巨大なボールの内部となる。その巨大なボールこそが、ユークリッド界元だ。
一つのボールの直径が、人間が知れる単位で言う何百億光年という大きさなので、ユークリッド界元の巨大さが窺い知れることだろう。
この凄まじく大規模な入れ子構造が、ユークリッド界元をハブ界元としても機能させ、また、他の界元の上位に位置し、そして、『見守りの神勇者』システムの根幹となる。
ユークリッド界元が存在しなければ、互いに交わることのない界元が、他の干渉なしで界元維持活動を行わねばならない。その場合にはそれぞれがバラバラに活動するため、界元が破綻する可能性も格段に上がる。
界元神皇は、消滅する界元のエネルギーの無駄遣いを避けるために、入れ子の界元の相互援助システムを構築したのだった。
だが、気が遠くなるような時間紡がれてきた界元維持のシステムが、今このタイミングでほつれはじめた。
「超神剣が呼べない……」
ギューが戦慄するのも無理はない。
超神剣の装備は、『妖』が『魔』と戦うに当たって必須のものだった。『魔』の衝撃を受け止め、『魔』を消滅させるには、超神剣の装備が……。
もしここが、本当に界元魔神皇マラディの城だとしたら、文字通り敵の本拠地に放り出されたことになる。どこを向いても敵だらけ。出会う存在は全て『魔』。
そんな場所に戦う術もなく放り込まれれば、戦慄もするだろう。
あっさりと殺してくれればまだいい。だが、『魔』は、根本的に感性の異なる存在。特にユークリッド界元の『魔』の神勇者、つまり神闘者がどのような快楽を、自分たちの攻撃に乗せてくるかは、もはや想像すらできない。おそらく、思いつく最悪の事態が、彼らの準備する最低限のものとなるだろう。
不安そうな表情のギュー。
直近のグアリザムとの戦闘で完敗し、自信を完膚なきまでに打ち砕かれているギュー。その彼が、超神剣の装備もなしに、グアリザム以上の存在、界元魔神皇マラディの城にいきなり送り込まれたのだ。
神勇者が魔神皇の城に送り込まれれば、目的は一つ。
『魔神皇を倒せ』。
そうとしか解釈のしようがない。
「どんな罰ゲームだよ……」
思わず愚痴をこぼすギューに、ファルガは大丈夫だ、と声をかけた。
無論ファルガにそんなことがわかるはずもない。
だが、駄目だと言っても大丈夫だと言っても状況は変わらない。ならば、状況を変えるために動くしかないが、その力を竦んだ心から絞り出すには、大丈夫だと言うしかなかった。
「まずは、ここが何処かを正確に知るんだ。そうしないと次の一手が見えない」
頼れる兄貴分は、やはり流石だった。
消沈するギューに、ほんの少しだけ力が戻る。
「ここにいても、そのうち何者かが来るに違いない。
移動するぞ。いくらマラディの城でも、その扉を開けて、すぐマラディがいる訳じゃないさ」
そんなことはなかった。
竦む心を奮い立たせて、一気に開け放ったその扉の向こうには、マラディがいた。
その『流石』のファルガですら、絶望する間もなく、あんぐりと口を開けるしかなかった。
「ファルガさん、絶対僕より持ってますよね。ある意味……」
怯えることすら忘れ、ギューに笑顔が戻る。
もちろん絶望を通り越した所に快楽などあるわけはない。もう、発狂の一歩手前の笑顔だった。
「くそっ……」
戦うしかない。
逃げることはできない。
逃げるという行為は、逃げる先があるから逃げられるのであって、逃げる先がないのに逃げることは不可能だ。
ファルガはもう一度超神剣を呼ぶ。だが、そう都合よくは現れない。
このまま戦うしかないのか……。
丸腰で戦うしかない、と覚悟を決めるファルガ。丸腰で戦うならば、術を用いて全火力を一点集中しか、ありえない。
勝ち目などあるわけがない。その中で、一番まともな方策といえるかもしれない。
「……まとも、ねえ……」
ちらりと横目でギューを見ると、生唾を飲み込み、額に冷や汗を浮かべているが、怯えて全く役に立たないといった感じではなさそうだ。そこは流石といった感じだ。
だが、界元全てを統べる界元神皇に並ぶ存在と、一界元の神勇者ごときがまともに戦えるのか? 超神剣の装備もなしに。
……そもそも戦っていいものなのか?
どれほど規模が大きかろうが、ユークリッドも一つの界元。
界元魔神皇と戦うべきは、界元神勇者とでもいうべき、神勇者の親玉みたいな存在がいるのではないか?
そう考えると、突然この状況が酷く理不尽に思えてきた。
戦ってはいけない相手と戦わざるを得ない状況に置かれた場合、どのような対応をすれば正解なのか?
そこまで考えたところで、相手のおぞましさが急激に失われていく事に気づいたファルガ。減っていく、というよりは、マラディと思われるベッドに腰掛けた赤ん坊の姿をした存在の中に吸収され、外に溢れかえっていたおぞましさがなくなりつつある、といった感じだ。
ベッドの赤ん坊の表情が見えなくてよかった。
ファルガは本心からそう思った。
『魔』の『氣』を取り込んだのか。
酸の海でおぼれ死ぬような、救いようのないおぞましさを。
次の瞬間、爆風とでも呼ぶべきものか、あるいは衝撃波とでも呼ぶべきものか、開け放たれた扉から飛び込んできた巨大な力が、ファルガとギューを弾き飛ばした。
壁に叩きつけられ、一瞬気を失いかける二人。いや、気を失うきっかけは、叩きつけられたダメージではなく、その空気を吸うことすら憚られるおぞましさだったのか。
敵の攻撃が来る!
消えゆく意識の中で、何とか戦う姿勢を見せようとするファルガとギューだが、マラディの術の射線を切るように、再びドアが勢いよく閉まった。
彼らの意識はそこで途絶えた。
ファルガが意識を取り戻した時、自身のいる場所を目の当たりにして、先ほどの出来事が夢ではなかったことを再認識させられる。
視界の隅に、意識を失ったまま倒れているギューの姿が入った。意識はないが呼吸はしている。死んではいない。
「ギュー、起きろ……!」
ファルガの小さく鋭い言葉に、ギューははっと目を覚ます。
「……夢じゃないんですね、さっきの奴は」
「そうみたいだな……」
「じゃあ、ここはまだ界元魔神皇マラディの城……?」
ギューは素早く立ち上がるが、一瞬ふらつき、左側頭部を押さえた。先程弾き飛ばされた時に、壁に側頭部をぶつけたようだ。
よろけるギューを支えるファルガ。
「しっかりしろ。動けそうか?」
「大丈夫です。やれます」
戦うしかない。
自分たちが気を失っているうちに、マラディはなぜ止めを刺しに来ないのか。そこまで考えたところで、そんなことすら眼中にないということか、と思い至る。
ギューの返答にファルガは頷くと、再度扉の側に近づき、扉のノブを持つと一気に押し開いた。
拍子抜けするほどに扉は軽く、いささか必要以上の力で開け放ってしまったらしく、扉は壁に激しくぶつかり、大きな音を立てた。
扉の向こうは……。
ただの廊下の壁だった。
見覚えのある、界元神皇エリクシールの城の廊下の壁の模様。
この部屋を訪れた直後の、時間と空間とがバラバラになりそうな不安定感は感じなくなったが、彼らの中に違和感は残る。
ファルガだけではない。
ギューも共に目撃している。
先程扉を開けたときには、間違いなく向こう側に、マラディがいた。
無論、マラディの姿など今まで見たことがあるわけはない。
だが、彼らはすぐに、全身の毛穴一つ一つが締め上げられるようなおぞましさを目の当たりにし、ここまで凄まじいおぞましさを発散する相手は、マラディだと思わざるを得なかった。
それほどに圧倒的な『魔』の力だった。
そもそも、界元魔神皇の『実体』など、どのような姿でも取れるだろう。見た目で判断などできるわけがない。
ただ、そこに『力』があった。
魔神皇など比較にならぬ。光の力と闇の力。炎の力と冷気の力。力の種類を感じ分けができるなら、どれほどに楽だろう。迸るのはただ凄まじく、狂おしいばかりの生命の力。そして、生きていることに罪悪感を覚えるほどの、反する力。生命力のはずなのに、死後の世界を意識せざるを得ない。なぜに、『生命力』に死ねといわれなければならないのか。
こんな矛盾した力があるのか。
ファルガとギューはただ立ち尽くすしかできない。
ファルガはギューに、ギューはファルガに、先ほど起きた出来事を確認できなかった。
今その状況からは脱しているように思われるが、その事を口にした瞬間に、いきなりその状況に戻されそうな気がして、恐ろしくて仕方なかったからだ。
と、開け放たれた部屋の扉から、見慣れた顔がいくつか覗き込んでいることに気づく。
「どうしたんだ? いきなりそんなに勢いよくドアを開けて……」
心配そうに部屋の外から覗き込んでいる顔を見て、ファルガとギューは安堵感のあまり、その場に思わずへたり込んでしまった。
南国の海のような淡い蒼髪の神勇者カインシーザは、不思議そうに部屋の中に足を踏み入れてくる。
その後に続くのは、『融合人』神勇者・ディグダインとネスク。そして、赤い隻眼の巨人神勇者・ゴンフォン。
そして、最後に覗き込んだのは、ファルガが最後の『見守り』をしたアグリ界元の神勇者エスタンシアだった。
「ファルガさん、すごく汗かいてますけど、大丈夫ですか?」
見た目は十代後半の若く可愛らしい女性で、ボブカットの薄桃色の髪。背はギューより少し低い程度の少女だったが、アグリ界元では最強の農耕民族と呼ばれるコバイン族だということだった。
彼女の持つ超神剣は、なんと鍬だった。
侮ることなかれ。
人間が力を加えた時、一番理想的な形で地面に突き刺さり、梃の原理を利用して地面を深く掘る、人類の叡智としての道具だ。土と空気を攪拌し、農作物が根を張り巡らせ安いように、柔らかく、しかし踏ん張りの利く土壌を作るには最適の道具。
それでも。
鍬といえども強力な刃物であることに違いはない。
彼女たちは有り余る生命エネルギーである『氣』を、大地を耕すときに流し込むことで、存在するすべての農作物を最高品質の状態で収穫する能力を持つ。
一見すると平和主義の民族のようだが、その凄まじい生命力を一度戦闘に向ければ、アグリ界元では敵は存在しない。
アグリ界元にも様々な生命体が存在するが、宇宙のギャングと呼ばれる異星人の精鋭を集めた集団も、コバイン族にだけは手を出さないというから、その強さがしれようというものだ。
「あ……、いや、ありがとう……」
エスタンシアから手渡された手ぬぐいで汗をぬぐうファルガ。もっとも、汗を拭った手拭いそのままを返すわけにもいかず、彼は「後で洗濯して返す」といい、懐にしまい込んだ。
「そろそろ、集合時間ですぞ」
唯一部屋に入らず、後方から覗き込んでいたゴンフォン。彼がメンバーでは、最も冷静沈着かもしれない。
時計のような時間を画一的に判断するような道具は持ち合わせていないが、彼の中の体内時計は正確に時を刻んでいるらしかった。
「おたくらもエリクシール様に呼ばれたんだろう? 大広間に集合だそうだ」
ディグダインはそう言うと、ネスクと共にそのまま歩いて行ってしまった。
ディグダインの言動を制する間がなかったものの、そっけないように感じられる言動だったと思ったのだろう。ネスクは苦笑しながら顔の前で手を合わせ、そそくさとディグダインについて行ったのだった。
ファルガとギューはゆっくり立ち上がると、先に行ったディグダインたちについていくように、廊下に出た。
進行方向からは、無数の『氣』が流れてくる。
この城の形状はわからないが、恐らく招集をかけられている神勇者たちが、何十人も集まっているのだろう。いや、超有名なアーチストのライブ会場か、世界的スポーツの決勝が行われるスタジアムから流れ出るような、大きな熱量を含んだ無数の『氣』の感じからすると、大広間にいるという神勇者の数は何百、或いは何千という数かもしれない。
「みんな、超神剣を装備して行っているのか?」
ファルガは久しぶりに会ったカインシーザに尋ねる。だが、カインシーザやディグダインはともかく、エスタンシアは農作業着であり、ゴンフォンに至ってはほぼ半裸だ。
「……まあ、いいか」
ファルガは、先を歩くカインシーザとエスタンシアに続き、ギューと共に廊下を歩み始めたのだった。
皆が大広間に向かって進んでいく中、ファルガは一度だけ部屋を振り返った。
夢……、だったのか??
ファルガは一度自分の頬を両手で挟み込むように張ると、先を歩いているギューに追いつけるように、軽く駆け出したのだった。




