超界元への誘(いざな)い
『見守りの神勇者』たちに召集がかかったのは、ファルガが見守りの神勇者を始めてから、五年という月日が経った頃だった。
最初は、次の『見守り』の界元が決まったのだろうと思っていたファルガ。
だが、今回は召集だという。
どこの界元に派遣されるのか明示されないのは、今回が初めてだった。
ドイム界元での戦いで、神皇ゾウガの作った疑似仮想空間の中で『巨悪』グアリザムを消滅させたのは十五歳の時だった。
十八歳の時に初めて見守りの神勇者という制度を知った。制度といっても、神勇者の強制参加に近い形態だと当初は思っていたが、意外とそんなことはなく、ある程度様々なことに融通が聞いたのには驚きだった。
まあ、界元神皇の都合なのだから、それくらい自由があってもいいだろう、というのは、幾つもの界元の見守りを終えたファルガだからこそ言えるのかもしれない。
だが、そんな彼でさえも、今回のような、内容が全く知らされない状態での召集命令が掛かったのは初めてだった。
『見守りの神勇者』としての活動機会が増え続けていたファルガは、もはや育ての父であるズエブや、兄貴分の幼馴染みであるナイルにも、詳細なこと全てを伝えていくことはなくなっていた。
「またちょっと呼ばれたから行ってきます」
まるで、知り合いから近所の飲み屋に誘われたので顔を出しに行ってくる、というくらいに軽い感覚で、ドイム界元から旅立っていくようになってしまったのだから、慣れとは恐ろしいものだ。
派遣前に、彼が立ち寄っておこうと思ったのは、『見守り』を最も数多く一緒に行動した少年のところだった。
余りに戦闘能力が高すぎて、自身の界元の魔神皇を倒してしまった結果、自身も帰る場所を無くしてしまった、ギラオ界元の神勇者・ギュー=ドン。
彼は、精悍な女神・フィアマーグの計らいにより、父でありギラオ界元の神賢者であるガガロ=ドンと母ギラ=ドリマと共に、かつての浮遊大陸であった古代帝国の遺跡の一角を借りて、カディアン族という原住民と共に生活を始めたらしかった。
本来界元の違う存在は、長期滞在はまずいとデイガ界元の神皇ロセフィンに言われてはいたものの、元々三人ともドイム出身であるため、ドイム界元で拒否反応が出ることもなく、現在までうまくやれているらしかった。逆に、ギラオ界元に長い間いた方が、本人達にとってはよくないことだったのかもしれない。
そんなギューの元にファルガが訪れたのも、久しぶりだった。
デイガ界元での『見守り』以降、最初の何度かはギューと共に行動してきたファルガだったが、そのうちギューは、カインシーザだけでなく、ゴンフォンやディグダインとも組んで『見守り』に行ったというから、彼自身もいろんな経験を積んでいるといえるかもしれない。
さらに、『見守り』のメインもこなしているとすれば、経験も相当のものだろう。『見守り』にも、メインとサブがいるとは、ファルガもしばらくは知らなかった。
「俺、ずっとメインだったんだ……」
あきれたような、悲しいような表情で呟いた時には、流石のフィアマーグも同情を禁じ得なかった。
ジャングルに埋もれた遺跡の入口の前に降り立ったファルガは早速、遺跡を守ることを神よりの使命と信じて疑わぬ、原住民カディアン族の見張りに見つかり、弓矢の洗礼を受けることになる。
だが、そこは何人もの神勇者を『見守り』、場合によってはその界元の魔神皇とすら刃を交えた程に戦闘経験が豊富になっているファルガ。
超神剣の装備などなくても、飛来する矢を全て掴みとる事は造作もない。彼らに対して威嚇する目的でもないのと、せっかく作った矢が壊れてももったいないので、壊さないように掴みとった全ての矢を、カディアン族に返納するように努めている。
「相変わらずだな、ファルガよ」
懐かしいが、同時に若干のトラウマでもある声が、彼の耳に届く。二十三歳になったファルガは、あれからさらに背が少し伸びたが、その彼よりも、かの男は背丈がずっとあった。
かつてはファルガと死闘を演じ、わだかまりを消せぬまま共闘し、そして一度はドイム界元から消滅した男。
この男が、かつては不本意ながらも『巨悪』の手先となり、破壊の限りを尽くした『働くサイディーラン』・ギラ=ドリマと、別界元で子を成していると、誰が思っただろうか。
その男が帰ってきた。
かつて生まれ育ったドイム界元に。
別界元の神賢者として。
良き父、良き夫として。
「カトには伝えてあったのだがな。お前が今日辺りギューを訪ねてくるはずだ、とな。
だが、どうも連絡不行き届きだったようだな」
「いや、連絡は来ていたんだと思うよ。
ただ、俺が来ることで一定数、いつも以上に攻撃的になる奴らもいるんだよ。知っていたからこそ攻撃してきた……。そんな感じだろうな。
どうも、族長になったカトと一緒になりたい奴らなんだろう、という気はするな。
カトはかなり強い奴とでないと、一緒にならないと明言しているらしいから。けれど、俺を倒したところで何にもならんだろうに。
……しかしまさか、あんたがいい父親をしてるとは思わなかったよ。
でも、経緯はともかく、ドイムに戻ってこれたのは良かったんじゃないか?」
「そうだな。一度は俺自身、死んだと思っていたからな。まさか、俺がこうなるとは思ってもみなかっただろう? まさに俺もだ。
……だが、悪くはない」
「そう思うぜ。
ギューを見てて思うが、あんたも幸せそうで良かったよ」
ニヤリと笑う切れ長の目の男。彼こそ、今は無きギラオ界元神勇者ギュー=ドンの父親であり、青竜戦士族ガイガロス人の生き残りだ。
頭髪は青いが、カインシーザの髪とは異なり、真冬の北国の海のような、深い紺色をしている。かつては『緋の眼』といわれ、『魔族』の証として恐れられた赤い瞳は、ドラゴン化したファルガのように朱く、瞳孔も縦に裂けている。口を開くと覗く犬歯も、人間のものよりは巨大ではあるが、口を閉じれば見えなくなる程度のサイズだ。全体的に不健康そうな青白い肌の色をしている。
その肌の色こそ、青竜戦士族ガイガロス人の名前の由来だ。そして、ガガロがドラゴン化した時には、青いドラゴンとなる。
かつては聖剣の勇者・聖勇者であったファルガを、その身体能力のみで圧倒したこの男も、戦いから離れてカティアン族に混じって生活をしているせいか、剥き身の刀のような鋭さも失われ、彼らの民族衣裳の上から前掛けを身に付け、日々家事に追われている主夫と化しているようだった。
今も、ギューを訪ねてきたファルガを待っていたというよりは、遺跡の入り口でもあり、かつカディアン族の村への入り口でもある、一抱えもある岩のブロックが積み上げられて出来たゲートのそばに、ガガロは物干し用のロープを貼って洗濯物を干していた。
村の一番外側に住居を構えたガガロたちは、遺跡の中の広場に行くより、ゲートから外に出て作業するほうが、ずっと近かった。
ガガロはギラが編んで作ったと思われる麻のパンツを何枚もロープに掛け、そのロープの端を、上空の枝振りのいい巨木にかけた。ちょうど非常に日当たりが良く風通しも良い手作りの物干しだ。
「そう見えているならありがたい」
ロープを枝にかけ、ゆっくりと降りてきたガガロは、次の洗濯物を干す準備をしながら言った。
「……違うのか?」
「いや、それでいい。昔の俺を知る人間がここにはいないのはいろんな意味で助かるが、昔を知っているお前から見ても、今が満ち足りているように見えるなら、それは本当のものなんだろうさ」
ある時は敵同士、ある時は共闘した仲間という不思議な関係ではあったが、ファルガとガガロの間では、それがちょうど良かったようだ。ある意味、互いの信頼は誰より厚いのかもしれない。
「ギューは?」
「村の広場で子供たちに術を教えているはずだ」
ファルガは、齢十歳になったギューが、偉そうに村の子達に術を教えている様を想像し、思わずにやりとすると、先程射られて回収した矢を十本程、ガガロに手渡した。
「もったいないからさ」
と申し添えて。
ガガロはそれを受けとりつつ、植え込みの中に隠れていた男たちに出てくるように声をかけた。
「矢でこいつを倒そうなんて無謀なことは考えるな。矢を壊されずに渡されただけありがたいと思え」
一見すると木々が生い茂るだけの、無人の空間と思われた場所。そこに投げ掛けられた、ガガロの言葉に反応し、男たちはジャングルから姿を見せると、ばつが悪そうに矢を受け取った。
「……とはいえ、ここに来て、カトに会っていかないわけにもいかないもんな……」
やや面倒くさいという雰囲気を隠さないファルガ。純粋で美しい女性であるのだが、ファルガにとっては正直苦手なタイプだった。
そんな様子を見ていたガガロは、口角を挙げただけだった。恋愛下手で、剣と術を使った命の駆け引きのみに価値を見いだしていた頃の自分に、少し重なるところでもあったのだろうか。
「おお、ファルガ、来たのか。祝言をあげるのはいつにする?」
父親がカディアン族の酋長であったカト。
だが、父キパは、カトが成人になった年に、酋長の座を譲った。
今からちょうど四年前の話だ。
カディアン族は、女神フィアマーグと女神ザムマーグの二人に、古代帝国の遺跡の地を守るように命じられた種族だ。少なくとも本人達はそう信じて疑っていない。
古代帝国から出土する様々な物品は、いわゆるオーバーテクノロジーの物が余りに多い。道具や兵器が一点でも流出するだけで、世界が震撼する事態を引き起こしかねない。
実際、『大陸砲』という兵器が破損していない状態で出土したために、出土した国家カタラットでは、短時間であるが内乱状態に陥った。
『大陸砲惨』と呼ばれるこの事変は、カディアン族の必要性を女神ザムマーグに痛感させたのだった。その後、カタラット国でも、遺跡からの出土品を精査するなどの処置は行われていたが、世界を混乱を避けるためには、神としても古代帝国の遺跡の様々な技術を流出させない方針としていた。
そのために、野心を持つ侵入者を防ぐ方策を取る必要があったが、いくつかの方策のうちの一つが、遺跡を守護するために存在が許されたと自負する種族、カディアン族の『再任』だった。元々、カディアン族が自らに課した使命を、神が追認した形になる。
もっとも、追認したのが神であろうと神皇であろうと、そのすべてのきっかけは巨悪との戦いであるため、それが終焉してしまっていれば、もはや縛るものは何もないはずなのだが。
「もう、その話は何の拘束力もないだろう。
神の命で強い人間を探すんじゃなくて、カトが幸せになれる人を探せよ」
ファルガは笑いながらカトの言葉を軽く流した。
カト自体は暴漢に襲われた所を助けられたことも感謝しているし、この世界……界元をファルガが最終的に救ったことも、なぜか記憶からは消えなかったという。ゾウガは不思議に思い、カトに記憶消去術を二回も掛けたが、彼女にはなぜか効かなかったという。
「私はファルガがいいのだ。私と祝言を挙げられることを喜べ」
何とも滅茶苦茶な話の振り方には、いつもながら辟易する。
ただ、今日はこの地をその為に訪れたわけではなかった。
「今日は、ギューに会いに来たんだ。奴も多分召集は掛かったはず。なにか情報を持っていないか、って思ってさ」
「行きたくないのか? ではここに住むといい」
苦笑しながら、そういうことじゃない、と首を横に振り、ファルガはカトに、子供達のいる広場へと行く旨を伝えた。
「帰ってきたらまた寄ってくれ」
カトは残念そうにそういうと、彼女も自分の仕事に戻った。
彼女は王としての仕事より、畑仕事を好んだ。特に、果実と根菜類の栽培を得意にしており、立ち去るファルガに向かって、収穫したばかりの梨を投げて寄越した。
ファルガは、受け取ったそれを自分で打ったナイフで手早く皮を剥き、等分に分けると、そのうちの半分をカトに投げ返す。カトはそれを受け取り、うまそうに頬張ると、にこやかに手を振った。
いくら古代帝国を守る仕事とはいえ、一度体制を完全に作り上げてしまうと、早々仕事はなくなる。あとは、古代帝国の遺跡に迷い込んだ者を、薬物で眠らせて、入口まで送り返す仕事か、古代帝国の技術で甦った過去の生物が、地上に出ていかないようにする見張りの仕事くらいで、それもたまにしか発生しない。
そういう事態が発生しない間は、カディアン族も通常の人々と生活スタイルは変わらない。
ただ、その生活において比較的便利に使えるように加工された道具を用いるか、自分達の手作りで作った道具を使うのか、といった違いしかない。
しかも、カディアン族は、装飾品こそ熱帯地方の原始的な部族のように思えるものの、持っている技術は、古代帝国の遺跡から出土する特殊合金を加工出来たりと、かなりハイレベルなものであり、カトに何かからかわれる度に、ファルガは彼女のことをエセ原住民といって怒ったりした。
彼らの打つ剣に至っては、ラン=サイディール国やジョウノ=ソウ国の大量生産された代物よりずっと頑丈であり、刃こぼれせず、長期間の使用に耐えるほどだ。
この鍛冶技術を、輸出品にすれば大分生活も豊かになるだろうに、と思うこともあるが、べつに彼らは生活に困っているわけではない。ならば、そんなことを提案しても、大きなお世話というものだ、と思い直すファルガ。
ファルガもカトに答えて手を振ると、持っていた手拭いで二、三度ナイフの刃をぬぐい鞘に収め、そのままギューがいるという中央広場へと向かった。
「今のところ行くつもりはないですよ。だって、いつ、どこに行くのかも明確じゃないですし」
ファルガが誘いに来た少年神勇者は、上半身には毛皮で作られたベストを羽織り、下半身は、恐らく母親のギラが作ったと思われる麻で編まれたパンツを身に付けていた。
現在は十歳になったギューだったが、背はまた少し伸び、ファルガの肩までだった背が耳のところまで来ていた。だが、あの高身長のガガロとギラの息子であることを考えると、もっと背が高くても不思議ではない。いや、もっと後から伸びるのかもしれない。特徴的な逆立つ緑の髪は、黒髪のイン=ギュアバ人であるギラと青い髪のガイガロス人の混血の結果なのだろうか。
子供たちに術を教えながら、自身も術の鍛練をしていたギューは、子供たちに自習を言い渡すと、広場の端で待つファルガのところに来て、そう言った。
「そうなんだよな。どこにいつ誰と行くのか、はっきりしないと準備のしようもないもんな」
ファルガはそう独り言のように言うと、広場の外れの切り株に腰を下ろした。
ギューは、ファルガから少し離れたところに座り込むと、少し不満を口にする。
「だいたい、ファルガさんは行きたいんですか? 僕はいやですよ。『見守りの神勇者』なんて。最初こそ色々あって面白かったですけど、行く界元行く界元ほぼ隠れて見ているだけで。僕がやればもっと早く済むのに、まどろっこしくて」
「それはまあ、そうかもしれないけどな。ただ、『見守り』という名前の通り、その界元の神勇者が、不慮の事故なんかで死なないように見守るのが仕事だからなぁ」
「で、無事に『精霊神大戦争』が起きるようにするんですよね? 楽しくないですよ」
そんなものか。
ファルガは思わず考えた。
いろんな界元のいろんな人、いろんな文化、いろんな考え方に出会えるのは、凄く面白いと思うが、と。
「まあ、まだ具体的にはなにもわからないからな、詳細がわかったら教えてくれ。俺もなにかわかったら教えるから」
ファルガはそういうと、そのままラマ村に戻ろうとする。だが、その道中、ファルガは空中に突然発生した≪洞≫のゲートに飲み込まれてしまった。
 




