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界遊記  作者: かえで
新たなる世界

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腑に落ちない答え

 ファルガとギューがデイガ界元を後にしたのは、ロセフィンの説明が終わってすぐの事だった。

 ロセフィンには、神勇者になった彼らが戻ってきてから、界元神皇の元に戻っても遅くはないだろう、といわれた。だが、ファルガはそれを固辞した。

「奴らなら負けはしないでしょう。奴らの話は、今度会ったときにでも奴らから聞きますよ。奴らの性格からして、聞かなくても話してくるでしょうし」

 ファルガはそういうと、デイガ界元と繋がる『≪洞≫のゲート』の設置された部屋のドアを押し開け、界元神皇の元に報告に向かおうとする。

 置いていかれないように小走りで追いかけるギューは、尻尾を巻いて寂しそうな姿を見せる犬神皇に向かって、軽く手を振ったのだった。


 ディグダインとネスクは、宴が終了した翌日に、犬神皇ロセフィンのもとに戻ってきたという。

 魔神皇ハイエンとの戦闘は、それほど長くは続かなかった。

 ハイエンが復活してそれほど時間が経過しておらず、力が完全には戻っていなかったこと。そして、『実体』化する際にライブメタルを媒体にしてしまったこと。

 やはり、これらがハイエンの敗北を決定づけたようだ。

 ライブメタルは、デイガ界元にも存在する技術だったが、件の銃由来のライブメタルは、最高次・空間生命体であるハイエンには適合しなかった。

 元々は、神皇も魔神皇も、界元を身体として持つ空間生命体だ。言い方を変えれば、界元に存在するもの全てが身体の一部であることを意味する。つまり、魔神皇がその界元の神勇者との戦闘で傷ついた場合、イメージとしては身体の抗体の過剰な防御反応のようなものなのだ。それ故、ダメージを与えた側も受けた側も同一生命体の身体の一部であるため、損傷しても比較的治癒は早くなる。

 ところが、ハイエンが手を出したライブメタルは、材料こそデイガ界元の人間だが、件の銃は界元内の物ではなく、グアリザムが持ち込んだものだった。

 そのため、界元外の物を媒体にして『実体』化して戦った際、神勇者二人の攻撃ダメージがハイエンに対して想定以上のものとして『実体』に残り、ライブメタルでの『実体』化を維持することが出来なくなってしまったようだ。

 それはちょうど、人間が心臓移植の手術を、適合しない人間の心臓を使って行なってしまった状態に似ているかもしれない。

 本来ならば、ハイエンは復活をもう少し待ち、体力を温存した状態で、界元内の物を使って『確率体』から『実体』化したならば、ここまでの惨敗は喫さなかったはずだ。もちろん、本当に体力が戻っていれば媒体すら不要で、『確率体』化も『実体』化も自由自在、複数箇所に同時に存在も可能なはずなのだ。他の界元の神皇がやって見せたように。

 それどころか、神勇者候補がいない状態で神皇ロセフィンとの直接対決にダイレクトに臨めるのだから、これ程『魔』にとって都合のいい状況はなかったはずなのだ。

 ロセフィンを消滅させてはならない。しかし『魔』の力の方が強い以上、ロセフィンは消滅の一歩手前まで痛めつけられ、そして界元の存在を維持するエネルギーを大量に放出することになるのだ。ロセフィンは半死半生の状態で、復活するまでしばしの眠りにつくことになっただろう。

 やはりデイガ界元の今回の混乱は、グアリザムが干渉したことにより、『精霊神大戦争』の周期が多少ずれたが故に発生したということなのだろう。そして、それが『精霊神大戦争』の結果となった。

 その教訓はファルガたちにもいえることだった。

 ファルガたちが干渉したことは、今回はたまたま結果的にプラスに働いたが、マイナスに働く可能性も十分にあった。そうなった時、神勇者が育たずに倒され、ロセフィンがハイエンと直接対決になれば、ロセフィンが倒されていた可能性も多分にあったということだ。その状態が、どのような経緯でそうなるかは、誰もわからぬことではあるが。

 デイガ界元での『精霊神大戦争』の結果を、界元神皇の城の一室、デイガ界元へ続く『≪洞≫のゲートの間』でロセフィンの口より聞いたファルガたちは、ほっと胸を撫で下ろしたのだった。

「やっぱりディーさんは、『ディグダイン』だったんですね。名乗りたくないって言ってたけど、やっぱりあの時、名乗って欲しかったなあ」

 ギューは嬉しそうに、しかし少し名残惜しそうにそう言った。

 ギューの中では、ディグダインという人間は、『五色戦隊シリーズ』の遅れて登場する戦士、いわゆる追加戦士的なイメージだったのだろう。遅れてきた本命、とでもいうべきなのか。

「奴も、そのうち『見守りの神勇者』をやらされるかもしれん。その時には組むかもしれんから、それまで楽しみに待つんだな」

 ファルガはニヤリとしながら、ギューの肩に手を置いた。


 界元神皇の間で、ファルガはカインシーザと再会する。

 界元神皇の間へは、ファルガもどうやっていったのかはわかっていない。デイガ界元に行く『≪洞≫のゲートの間』のドアを開けたら、その先は既に界元神皇の間であり、奥にあるベビーベッドに近い形状の椅子に、界元神皇が上半身を起こした状態で腰を下ろしていた。

 この城も、ドイム界元のゾウガの城同様、疑似仮想空間内の建造物のはずだ。その間取りさえも、主である界元神皇の思いのままなのだろう。

 前回にギラオ界元へ続く『≪洞≫のゲートの間』の窓から外を見た時には、上も下も端が見えないくらいに高い塔の形状をしていた。それが、デイガ界元の間から扉一枚で繋がっているはずはない。

 玉座に座る界元神皇は、乳飲み子のように見えた。

 だが、老人だったり、犬だったりと神皇の『実体』には散々騙されている。見た目なぞ信じる気もないし、それが正体であるはずもない。ただ、今この瞬間に見分けさえつけば良いのだ。そういう意味では赤子の姿は非常にわかりやすい。

 そして、そのすぐそばにはカインシーザと、一つ目の巨人が立っていた。背の丈はカインの倍近くはあっただろうか。

「もっと早くカインの口からデイガ界元のディグダインの事、聞きたかったよ」

「それを知ったから戻れなくなった。まあ、俺がいなくとも平気だったろう?」

 そういって、二人はガッチリと握手を交わした。

「こちらは?」

「ノデラ界元の神勇者ゴンフォンだ。デイガ界元から外された後に行った『見守り』界元の神勇者だ」

「某はゴンフォンと申す。よろしく頼む」

 体躯からは考えられないほどに高く可愛らしい声で話すゴンフォンに、ファルガは瞠目した。

 頭髪は剃り上げているのか元々生えていないのか、薄い赤い肌の坊主は、一つ目ということもあり、鬼を想像させる。だが、頭頂部には鬼の代名詞とも言うべき角がない。蓄えた口髭は、その雰囲気も相まって壮年の落ち着いた印象を受ける。

 だが、界元が違えば、年齢の概念も違うだろう。界元によっては生まれた時が最も年寄りで、徐々に若返って赤子になり、死んでいく生物もいるかもしれない。

 ノデラ界元は、どのような界元なのだろうかと、想像を巡らせるファルガとギュー。

 だが、彼と呼んでよいのか、彼女と呼んでいいのかもわからない相手に、いきなり相手の出生地のイメージを聞いたところで即答できるはずもない。ファルガもギューも、自分の界元の様子を一言で説明できない以上、そんなことを聞いても恐らく意味はないのだろう。

 彼の容姿や言葉からは何も情報は得られない。

 そう思った二人は、それぞれ自分の出身界元の名前を、自分の名前のように名乗ったに留めたのだった。


「エリクシール様、今回の件は、どの時点から予期できていたんですか?」

 ファルガは単刀直入に尋ねた。

 やはり、『見守りの神勇者』という立場で別の界元に行っているのに、自分達の行動如何で、その界元での神勇者が生まれるかどうか、という分岐が発生することがあることが明らかになった事が、ファルガやギューにとっては大きな問題になったからだ。

 干渉しなければいけないならば、それはもう『見守り』ではなくなる。

 ファルガ自身、そういう可能性があるからといって、『見守りの神勇者』を今後辞するかと言われれば、それは分からない、という回答になる。

 そもそも次があるのかもわからない。

 ただ、今回なにも知らない状態で行動を決定してきた側面があるのは確かで、知っていたらもっと慎重に行動できたかもしれない。

 その思いが、ファルガにはあった。

 それはカインシーザに言わせれば、だからこそ深入りするな、という彼の『見守りの神勇者論』であり、慎重に行動するとは、つまり何も行動しない、と同義語になってしまう。

 その是非が問いたいわけではなく、今回の件では、いつ自分達がデイガ界元の神勇者探しに組み込まれたのかということが単純に知りたいだけだった。

「デイガ界元での『見守り』は、本当にご苦労だった。ロセフィン共々、礼を言う」

 界元神皇エリクシールという、あらゆる存在の頂点に立つと思われる存在が、こうもあっさり礼を言うとは、とファルガはいささか拍子抜けだった。

 界元神皇と戦う気はもちろんの事、文句を言う気もなかったが、これ程低姿勢でこられると、どう反応していいか迷ってしまう。

 言葉に詰まるファルガだったが、エリクシールはそのまま続ける。

「先程の質問について答えよう。

 分岐の可能性を視野に入れ始めなければならないと私が感じたのは、最高次に昇華しつつあった、かのグアリザムという存在だった。

 本来であれば、界元の消滅を含めた全ての事象は、その界元の神皇の問題であり判断であり結果なのだ。

 当然神皇の中には、ギラオのように『魔』を道連れに、自ら消滅を選ぶ者もいる。ドイムのように、終焉が見えていても、なお抗おうとする者もいる。

 それは神皇次第であり、魔神皇次第だ。

 そして、私はその判断と結果を重んじている」

 ファルガの中に疑問が頭をもたげた。

 エリクシールが、『妖』と『魔』の戦いである『精霊神大戦争』の結果を、『妖』が勝てるように助力しているのではないとするならば、この『見守りの神勇者』システムは、何のために存在しているのだろうか。

 界元のありとあらゆる存在が、神皇の身体の一部であり、魔神皇の身体の一部でもあるのはわかった。

 『妖』と『魔』が互いに傷つけ合い、界元を維持するためのエネルギーを得ようとするのもまあわかる。

 そのために各界元の神皇が、各々神勇者を立て、魔神皇が神闘者を立て、お互いを完全に消滅させないように戦わせ、あるいは戦おうとするのもなんとかわかる。

 だが、それは他の界元が手助けすることではないはずだ。それが、全ての界元を見通せる界元神皇エリクシールであったとしても。無論、界元魔神皇マラディであったとしても。エリクシール自身がそういっているように。

 ならばなぜ、界元神皇は、各界元の神勇者のために超神剣の装備を作るのか。

 超神剣装備の製作は、エリクシールの意思ではないということなのか? また別の存在からの依頼?

 だが、それについて界元神皇エリクシールからは、何の回答もなかった。

 ファルガは、別の質問をした。それは、三年前のドイムの戦闘の事であり、今回の戦闘の事でもあった。

「今回の戦いでの、あの銃はデイガ界元で作られたものではない、とロセフィン様は言っていました。あれは、誰が作った物なんですか? 誰がヘッジホに渡したんですか?」

「あれは、デイガの魔神皇ハイエンが、神闘者を使ってヘッジホに渡るようにしたようだな。

 あの星は神も魔神も不在だった。

 前回の『精霊神大戦争』の時に、双方消滅をしたようなのだ。

 それ故、力を失ったハイエンは復活を誰かに手助けして貰うことが出来ず、グアリザムのような界元外の存在にすがったようだ。ちょうど、最高次への昇華をしたかったグアリザムと、利害関係が一致したのかもしれぬ。

 そして、あの銃は界元魔神皇マラディが作成したようだ。

 つまり、この界元ユークリッドのものだということだ。

 だが、問題はそこではない。

 なぜマラディが武器を作り始めたのかということだ。

 元々『魔』はその性質上、武器はあまり好まない。だが、それ故『妖』と『魔』の戦績がちょうど、半分になっていた。

 ところが、ここ数百年の間に、マラディは色々武器を作り始めた。その理由がわからぬのだ」

「エリクシール様なら、マラディの考えがわかるんじゃないんですか? 身体を共有しているんだし」

 ギューは、ファルガに先んじて質問した。

 一つの身体に二つの人格。

 それなら、互いの考えなども見通しなのではないか。

 それがギューの考えだった。実際一卵性双生児のようなものだろう、というのは些か強引ではあるがギューの弁だ。

「……わかる場合もわからぬ場合もある」

 その言葉にギューは言葉を返さなかったが、不審そうな眼差しを返した。

「あの『マインド=サクション』も、界元魔神皇が作ったんですか?」

「作ったかどうかはわからぬが、『あの存在』を入れたのは奴のようだ」

 はっきりとは言わなかったが、エリクシールのいう『あの存在』とは、剣宮の主であろうとは、ファルガも察した。

 界元魔神皇が、自分の作った武器の中に超妖魔を入れる……。

 そんなことが可能なのか? 何のために? どうやって? そもそも武器の中に入りたい超妖魔がいるのか?

 そう考えたところで、悩んでも意味のないことなので、ファルガは考えることをやめた。

 そもそもが、様々なことが自身の理解を超えている。

 自分達が現次の存在であり、自分達と同座標にいるにもかかわらず、認識も干渉もできないのが、エネルギー的にねじれの位置にいる高次の存在。そして、それらの存在を包含した空間に、確率で存在する空間生命体が最高次の存在。

 言葉尻で聞くとわかるような気もする。だが、結局見えないし感じられないのだ。

 たまたま神勇者になったファルガたちは、干渉できるツールと手法を入手しただけの存在であり、高次や最高次の考えなど及びもつかない。

 しばらく難しい表情を浮かべていたファルガだったが、横に立っていたギューにも、何か力が抜けていった、と言われるほどに気の抜けた表情になった。鬼気迫るものが失われたのだ。

「少し休みたかろう? ギューは、帰省する界元は失われてしまったが……」

「それは平気です。お父さんとお母さんが元々ドイム出身ということで、ドイム界元の、ファルガさんの星で住まわせて貰っています」

 エリクシールは微笑んだ気がした。

 次の瞬間、ファルガとギューは、見覚えのある場所にいた。ギューに関していえば、一度訪問しただけだが、かなり印象深い光景だったのだろう。

 それは、ドイム界元の神皇ゾウガの城に向かう、切り立った岩の上だった。

 ここに来たのは三回目だ。

 ファルガはそう思った。

 死火山の火口に貯まった巨大な湖に浮かぶ古城。周囲からは完全に孤立しており、周囲を取り囲む山々から古城にアクセスするには、飛んでいくしかない。そして、その山々の向こう側には雷雲が立ち込め、音の失われた雷が何十も何百も雲の中を駆け巡り、雲の外を飛び回っていた。城の上空には大小様々の惑星や恒星が浮かび、夜空を彩っている。現実にはあり得ないほどの近さにある星もあり、幻想的な光景だった。

 ただ一つ以前と違うのは、グアリザムの居城だった彗星城も、その巨体を上空に浮かべていることだった。

 ファルガたちのいる場所から延びていく、両脇を侵食により抉り取られたような通路は、唯一ゾウガの城に繋がっていた。

 目を凝らすと、城門の手前でローブを身に纏った老人が立っている。

 ファルガたちは、ゆっくりと城の方へと歩みを進めていった。


「大変だったそうだな」

 近くまで歩み寄ってきたファルガとギューに声をかけるゾウガ。

「大変でしたよー。僕、死にかけましたから」

 カラリと笑いながらいうギューと、対照的に物静かなファルガ。

「どうした? 少し皆の元に帰れるのだろう? エリクシール様から、少しファルガとギューを休ませてやってくれ、と言われておる。

 いずれ、また『見守りの神勇者』として呼ばれるだろうが、それまでは身体と心魂を休ませるといい」

 ファルガはにこりとすると、ゾウガの横をスルリと抜け、城の中に入っていった。

「ギューよ、ファルガの奴は何かあったのか?」

 ゾウガは、ファルガの中に芽生えた不思議な感情を、敏感に感じ取っていた。ただ、ゾウガといえども、デイガ界元での出来事を全て知っているわけではない。エリクシールを通じて感じてはいるが、やはりエリクシールの主観の元の情報であり、ファルガの全てを捉えているわけではない。

 不満とも違う。怒りでも悲しみでもない。それほどはっきりとした感情ではない。

 ただ、腑に落ちないだけなのだ。

 ファルガ自身、どう反応していいのかわからない心の動き。

 彼自身それを整理するために、ファルガはとある人間達に会おうと思っていた。

 それは、彼を幼い時から知っている者であり、共に旅をした者であり、共に戦った者だった。


「いきなりそんなことを話されても分かるわけがないだろう。

 正直、俺がお前より勝っていて、教えられるものと言ったら、そんなもの殆どないぞ。飛天龍の操縦とか、うまい酒の飲み方とか、その程度だな。しかも、今のお前に飛天龍は必要ないだろう。

 ……あ、後は好きな女をどうやって振り向かせるとか、だな!」

 そういってゲラゲラ笑うのは、ラマ村で細々と鍛冶屋を営む、ファルガの育ての親であり、鍛冶の師匠でもあるズエブ=ゴードンだ。

 かつては一匹狼の空中海賊として、現在の『空中武装商船団(SMG)』とも争った最強の戦士の一人でもあった彼も、今は引退して、ラン=サイディール国の外れ、ファルガの故郷でもあるこの地に根を降ろし、一人娘のズーブと愛妻ミラノと共に質素に暮らしていた。

「そんなに俺、変なこと言ってますか?」

 不満そうなファルガの表情を見て、ズエブは少しだけ真面目な表情を浮かべた。

「そりゃそうだ。

 お前が経験して思ったことは、神様の神様の神様が考えていたことなんだろう?

 お前の疑問に答えるには、まずは俺たちが、お前の見てきた世界を知らなきゃ答えられるわけがないだろう。それに、もし見てきたところで、俺にはお前のような力はない。

 何が起こったかも分からんかもしれんぞ」

 ファルガは、何ともいえない表情を浮かべ、ラマ村の自宅に戻ることにした。

「暫くはゆっくり出来るんだろう? 飯はミラノが作っているからな!」

 帰路に着くファルガの背後から、ありがたくもノー天気な言葉が追いかけてくる。

 ファルガはにこりとし、手を振って見せた。


「そんなこと、私に言われても分かるわけがないじゃないの。貴方が経験している事は、私たちには手の届かない事。そもそも、何が起きているかということもわからないと思うわ。

 ……多分、ナイルもわからないと思う」

 かつてファルガの憧れであった少女レナは、立派な女性、立派な母親になっていた。かつては呪いの爪痕でしかなく、人目に触れさせることさえも躊躇われた頬の傷も、今は隠すこともしていない。

 もはや消えない過去。

 帳消しにすることは諦め、共に生きていくことを選んだ彼女。

 かつて少女は、神の如くに美しい青年と共に生きようと誘われた。彼女は恍惚としながらそれを受け入れた。だが、その青年は欲望に任せて彼女を食いちぎり、食した後で、そのまま捨て置いて逃亡を図った。

 カニバル=ジョー。

 今のファルガならば、全く相手にならぬ存在。

 だが。

 青年神勇者がまだ少年だった頃の彼の心に、多大な影響を与えた男。

 彼は人喰いだった。

 それでいて彼は世を憂い、世界を救うために悩み、聖剣を振るって戦おうと何度も試みた。自身を鍛錬し、過去を調べ、迫りくる『巨悪』に対抗するための手段を講じた。なんとなく『巨悪』グアリザムを感じ、排するために戦う力を得ようとした。

 だが、彼は『人喰い』だった。

 彼の父は、彼の思いを無視し、人喰いであることを断罪した。

 彼の後を追ってジョーの祖国を訪れたファルガは、彼の晒された首と積み上げられた彼の想いを受け止め、許してしまった。あの戦い以降、心を閉ざしてしまった少女に断りもなく。

 頬を喰われた少女は母になり、ジョーに喰われた傷口も、彼女が人として、そして母として生きた証だと思えるようになった。

 彼女の美しさだけで決められたはずの政略婚姻、そして敷かれたレールの人生のはずだった。だが、頬の傷が原因でその順風満帆と思われた人生はなくなった。その代わり、様々な人のやさしさに触れることができ、大切な人間が誰だかわかった。

 彼女は、『良いと思われる』人生を失い、『良くして行ける』人生を手に入れることになった。

 ジョーの所業は、彼女にとって許せるものではなかった。しかし、その傷があって初めて触れられるものがたくさんあった。

 その後、力をつけて再度ラマ村を訪れたファルガは、傷を治そうと提案するが、レナはそれを拒否する。

 この傷も含めて、今の自分があるのだ、と彼に伝えて。

 自分の中の呪いを昇華した女性、レナ。

 彼女は、憎からず思っていた彼が再度、自分を頼ってきてくれたことを嬉しく思いつつも、それを尋ねるのは自分にではない、と諭す。

「私も、難しいことはわからないけれど、その問いに答えられそうな人を、貴方はよく知っているんじゃないの?」

 腕を組みながら、ファルガを見上げるレナ。

「いや、あいつは忙しいっていう話を聞くからなあ……」

 夢に向かって邁進する少女は、大人の女性になりつつある。その邪魔をしたくない、と思っていたファルガは少し渋る。

「私は暇だって言いたいの? そんなこと言ってないで、さっさとあの子の所に行ってきなさい!」

 久しぶりに見た強いレナにどやされて、ファルガは逃げるようにラン=サイディール国首都デイエンへと向かった。

 レナから少し離れたところで、少し困ったような諦めたような笑みを浮かべるナイルと、そんな大人の事情など知らぬまま無邪気に手を振るドナウに、慌てたファルガは気づいていたかどうか。


「私も行くわ」

「は?」

 突然のレーテの言葉に、ファルガは口をあんぐりと開けた。

 様々なことを唐突に決めて動き出そうとするのは、以前と変わらない。

 今回のレーテの決定も、ファルガからすれば、青天の霹靂だった。

「いや、だって……。医者の学校は? 今働いている病院は?」

「移動時間はないんでしょ? なら、必要な時だけ戻ってくればいいわ。医学を学ぶことも私には重要だけれども、困っている人のために役に立ちたいの。

 医者ってそういうものでしょ?」

 一気にまくしたてられて、困っているのは自分か? と弱々しく自身を指さすファルガ。

「貴方は、私に相談しに来たんじゃないの? 困ってないの?」

「あ……、いや……」

 困っていると言えば困っている。

 だが、それはどちらかといえば迷っているという方が正しいかもしれない。具体的に何ができなくて困っている、というわけではないのだ。

「院長に話してくるわ。ちょっと待ってて」

 首から掛けていた前掛けを外しながら、レーテは待合室の奥の院長室の方に行こうとして、立ち止まって振り返る。

「あ、それと、ちゃんと入り口から入ってきてね。

 お父さんから聞いたけど、ファルガのお父さんも、いつも窓から入ってきていたらしいわね。けど、人目もあるから」

 最初から最後までなんか怒られ通しだ……。

 ファルガは、バツが悪そうに頭を掻いた。

「今のところ、次の見守り先は決まってないんだけどなあ……」

 戻ってきたレーテは、ここ三日間で入っている手術と診察が終われば目途がつくので、数日休暇を取っていいと言われた、とファルガに告げた。

 どうも、レーテはドイム界元から出て、別の界元に行くということをあまり深刻に考えていないのではないか。そんな、数日で行けるようなものでもないし。

 ファルガはいよいよ困り果てた。だが、不思議とその感情の中に見え隠れするありがたさを感じていたのだった。

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