ベニーバの作戦
ラン=サイディール禍の章の登場人物が、この部分でほぼ出てきます。
男が二人、向かい合っている。
何から何まで対照的な男たちだ。
片や、立て膝をつくことなく直立するこの男は、不健康なくらい青白い肌をしており、ボロのマントからは全く品格を感じることはない。深く頭を垂れた男の表情は、極寒の海をイメージさせる黒に限りなく近いブルーの髪に隠れ、伺い知ることはできない。マントに隠れ、体型は想像するしかないが、首筋から肩にかけて伸びる曲線は、しなやかな筋肉で覆われている事を容易に想像させる。
もう一方の男は、マントの男よりも数段高いところに設置された玉座に腰を下ろしている。身に着けた衣装は荘厳であり、赤を基調とする服には数多くの勲章が掛けられている。玉座に腰掛けるこの男の地位は宰相。現在では、ラン=サイディール国を実質取り仕切っている国王代行という立場だ。そして、衣装では隠しきれない膨張した体は、襟飾りから伸びる首を醜い皺で覆い尽くす。傍目から見れば、胴体に首のない状態で頭が乗っている状態だ。滑稽極まりない。ビア樽という表現が酷く合致する。ビア樽から生えた二本の足は、自重を支えきれずに、常時少し曲げられた状態で椅子の前に投げ出されていた。
玉座の間。
王の住む城ならば、謁見用に必ず広間が存在する。その広間の実質的な面積だったり荘厳さだったりが、その王の力を端的に示すパラメーターである。この玉座の間は人一人が謁見するにはいささか広すぎる。どちらかというと一個小隊が凱旋時に王に報告する場として使用する規模のものだ。
日が落ちて漆黒の闇に包まれるはずの王の間は、巨大なシャンデリアが中空を占め、その全ての燭台に蝋燭が灯っているおかげで、昼間以上の明るさがある。床一面に敷き詰められた赤い絨毯は、デイエンに輸入された膨大な量の紅花で染め上げられた一級品だが、その触り心地は恐らく近隣諸国の最高級の宿屋のスイートルームの絨毯に匹敵する代物だろう。そして、その大きさはといえば、それらのスイートルームでは比較にならない。
そのような一見財を尽くしたように見える王の間ではあったが、その場で行われているこの謁見に関しては、お披露目の意味合いの強い通常の謁見とは質が異なっていた。まず、謁見に際して、大臣や近衛兵が全く立ち会っていない。居るのは、同じような体型の側近只一人。ともすれば、王の命がむき出しになっている状態なのだが、この場で向き合っている二名は、それを望んでいる感さえある。これほどの豪奢な部屋で、しかし秘密裏に行われる謁見とは一体何なのか。
青い男が口を開く。
「今お話したとおり、世界は破滅の危機に瀕している。今この国にあるという聖剣をお貸し頂きたい。
聖剣は四本。
……現在私が携行している一振りがまず一本。
また別の一本は、一人の少年に預けている。本人は預けられているつもりはないだろうが、彼が保有することで、彼も聖剣の勇者としての力をつける機会を与えていると我々は考えている。
第三の剣は、とある所に置いている。封印していると言ってもよいだろう。しかるべき時が来たら、その一振りも私が持つことになる」
国王代行は先程から不機嫌さを全く隠そうとしない。眼下の男は礼節こそ弁えているが、敬う様子は微塵もない。当然、物言いについても、荒々しい言葉で相手を威嚇するでもなければ、敬語を用いて媚びを売るわけでもない。無礼、ではないのだが、眼前の男はこれだけ準備された状況で、全く躊躇ない言動を続けている。人としての礼節は弁えている。但し、対王としての礼節は皆無だった。
「この国にも宝剣として一本奉られていると聞く。それが第四の剣。その剣をお貸し頂くことで、世界の破滅を防ぎたい。
伝説の通り、『聖剣を揃えた者は、世界を手中に収める力を手に入れる』とされるが、その力で来る巨悪を滅ぼす。その後は、貴方たち人間の好きにするがいい。人間同士の争いは、あくまでこの世界での出来事。そこに干渉するつもりはない。集まった四本もお譲りしよう」
余は大ラン=サイディールの国王代行、ベニーバ=サイディールぞ。世界の王に対し、どのような言葉を向けるのか。
上からの物言いならば、まだ理解もできる。許容できるものではないが。だが、眼下の青い男は、別次元の話をさも当然のように自分にぶつけてくる。その『巨悪』とやらを滅ぼしさえすれば、後は覇権などいらぬというのか。人間たるもの、力と資格が伴うならば、覇権を目指すものではないのか。老若男女、この世に生を受けた全ての者は頂点を目指すのではないのか。四聖剣を手に入れたら、そのままこの世を掌中に収める、という選択が眼下の男には何故ないのか。そう考えると、この男は眼下に控えて居るように見えるが、そこには全く畏敬の念を自分にはもっていないに違いない。丁寧な物腰ではあるが、そもそも見ている所が違うとでも言いたげだ。
だが、聖剣とは、また凄まじい夢物語を持ってきたものだ。幼子すら知る伝説。しかしその真相は誰も知らない。いや、真偽の程もわからない。ただ、漠然と聖剣を手に入れた者は世界を掌中に収める力を手に入れることが出来る。
それを、四本とこの眼前の男は言ってのけた。実際の数字が出てくると、俄然信憑性も増す。
彼は醜く口角を上げた。だが、その様子は彼自身気づかない。無論、周囲の人間にもわからない。厚く覆われた肉が少々の蠕動など覆い尽くしているからだ。
「……俄かに信じがたい話ではある。話の内容も、一見すると理に適っているようにも聞こえるが、雲を掴むような話であるという事実は変わりないだろう。
四聖剣の話、この世界に迫りくる巨悪の話は承った。その上で話をするなら、今この国の国庫には、聖剣と呼ばれる剣はなかったように記憶している。確かに、宝剣はある。だが、その宝剣は、この私がこの国の執政の任に就くにあたり、抜刀し神に着任を報告し、その資格を得た。
聖剣というのは、その資格を有する者でないと抜刀はできないのであろう?」
男が、初めて顔を上げる。王と謁見するに当たって、得物は全て事前に預けているが、剣を見せるという段取りがあったため、聖剣は献上台の上に設置され、ベニーバの玉座の左横にあった。
黒を基調とした一振りの剣は、柄の部分から鞘の先まで、まるで黒曜石をそのまま細工し、剣にしたような印象を受ける。
ベニーバはその剣の鞘に手を掛け、柄を持つと引き抜こうとするが、剣はびくともしなかった。造りの悪い剣は、鞘から抜く時にはスムーズに抜くことはできないという。ガタガタと引っ掛かりながら抜刀することになるのだが、この剣はそもそもピクリとも動かない。まるで柄と鞘が一体化しているかのようだ。
一瞬渋い顔を浮かべるベニーバ。だが、それも肉に埋もれて見る事はできない。その献上台が側近の、これまた同じような体型の男により、本来の持ち主である男の元に返されると、男は帯剣した。ゆっくりとその剣を抜いて見せ、刃をベニーバに見せた。刃は黒曜石と違い、艶消しの黒い刀身。年輪のような不思議な模様が浮かぶ。
その剣を、再度鞘に戻した男は、ゆっくりと顔を落とした。
「いずれにせよ、その宝剣が、そなたのいう所の聖剣かは、後日確認するがよいだろう。ただ、この国も、巨悪とは異なる敵を迎える未曽有の事態でな。国家ではない非国家集団との交戦状態に突入しようとしている。その襲来の時期は予測できるものではない。それ故、しばし時間が欲しい。その間、宿は準備しよう。神の使いを語る其方のような剣士の協力を得られれば、非国家集団にも後れをとる事はあるまい。その後、検分の結果その宝剣が聖剣であるならば、貸すことはやぶさかではない。
どうだ? 協力してはくれまいか?」
マントに身を包んだ男は、顔を上げずに答えた。
「本来、私は神の為にのみ戦う身。人間の為にその力を使うことは禁じられている。だが、その交戦が終結するまでの間、待つ事は可能だ」
ベニーバは、再度ニヤリとした。予定通りだ。聖剣を持つと言われるこの男を、SMGとの抗争の間、この地に留まらせることに成功した。
この男は闘わないと宣言こそしているが、自分が戦火に飲まれてそこまで悠長にはしていられないだろう。うまく行けばSMGも撃退できるし、その延長でどさくさに紛れてこの男を暗殺し、剣を入手する選択肢もある。いずれにせよ、ある程度の長い時間この地に留まらせることで、如何様にでもなる。
思わず緩む口元から流れ落ちる涎を啜るように、ベニーバは言う。
「明日以降は王城に滞在するが宜しかろう。だが今日はすぐに夜が更ける。今日は町の宿を手配してあるのでそちらで休み、明日以降詳細を打ち合わせる事にする。宜しいか?」
青い男は、流れるように立ち上がると、承諾の一礼をして、そのまま反転、観音開きの巨大な扉を押し開け、退出した。
扉が音を立てて締まり、男の足音が遠ざかる。ややあって訪れた静寂の後、一人在室を許された、この国王代行と同じ体型の男は、段を降り玉座の男の前に控えた。立て膝をついているはずなのだが、遠巻きに見ている限り、胡坐を掻いているのか、正座をしているのか判別が出来ない。
「父上、あのガガロという男、どのようにするおつもりで?」
酒焼けか煙草による喉の荒れかは不明だが、異常に濁った声で、しかし思ったより遥かに高音の声が、あのビア樽のような体型の男から吐き出されるのは、何とも悍ましい。そして、玉座の男も同じようなしゃがれた声で言葉を発する。但し、こちらは息子の声に対し、極端に低い声で応答する。
「SMGがどのような布陣でこちらを攻めてくるかは、正直な所全く予想がつかん。ただ、我々が想像するような方法ではない事は間違いないだろう。その一方で、デイエンに遷都する前、あのマーシアンが交渉に成功したという事を考えると、そこまでの強い圧力ではないようにも感じられる。
マーシアン自身は、それほど卓越した折衝能力があるとは思えない。無論、デイエンという小さな港町をあそこまでの規模の貿易港とした能力は認める。だが、それはどちらかというと管理能力の方だ。傘下に置いた者を適切に配置し稼働させる能力は非常に高い。だが、その一方で、現在敵対的な関係にある軍部との話し合いの内容と進め方を見る限りではな……。そのマーシアンが交渉相手を手玉に取ったとすれば、意図的に手玉に取られたように見せている、と考えるのが妥当だ。そう考えると、こちらも超常の力を使って撃退するのが一番良いだろう。
そして、SMGとの戦闘の混乱に乗じて、聖剣を奪えばよい。その際、使い方を学びその上でガガロを滅せよ」
ベニーバの息子にして、財務大臣の地位にいるリャニップ=サイディールは思わず醜い笑みを浮かべたが、それを悟られぬように、深々と頭を下げた。
そのまま退出しようとするリャニップを、ベニーバは呼び止めた。
「マユリを儂の寝室へ」
その瞬間にリャニップの表情が下卑た物へと変わる。
「父上もお好きですな。これから未曽有の戦闘が起きるかもしれないというのに」
ベニーバは右手をひらひらと振る事でリャニップを退室させた。
リャニップは、外伝のカルミアの実の父になります。あの非道な、ですね。




