首相官邸にて
「わ……、悪かった……! か……、勘弁してくれ!」
禿げた小太りの男は、高価なスーツに身を包まれているにもかかわらず、毛足の長い外国産の絨毯に頭を擦り付け、謝罪の口上を述べている。
男のスーツは、上質なウールで仕立てられたのだろうか。そのスーツ地はしっとりとした滑らかさを持ち、動くたびに鈍い光を放つように見える。卑屈な男には全くそぐわぬ名品なのだろう。また、男が頭を擦り付けている絨毯も、鮮やかな色彩が幾重にも重なり合い、まるで万華鏡のような美しさを湛えた織物だ。
執務室というにはあまりに個人の好みが強く反映されているこの部屋は、頭上に掲げられた巨大なシャンデリアによって光が部屋の隅々まで行き渡り、窓の外には轟音を立てて流れ落ちる大瀑布が見える。更にその向こう側には頂に雪を冠した連峰が。
塀に囲まれている筈の首相官邸の敷地になぜこれほどの壮大な自然があるのか。民衆から集めたはずの税金を、なぜこのような趣味嗜好に費やせるのか。その矛盾が、禿げた男を見下ろす青年の怒りを更に強いものにしていた。
青年はプロジェクションマッピングなどという言葉は知らない。だが、術によって仮想映像を万人に見せるのは、非常に難易度が高く手間もかかる。そう考えると、この技術は酷く費用の掛かるものだということは容易に想像もつく。界元が違えど高価なものは手間がかかるのは同じ。いわゆる贅沢品の類だ。こんなものが、少なくとも為政の場に必要だとは思えない。
「本来、俺が出る幕ではないんだが、今回は俺もそれなりに損害を被っている。
ドメラガのこの状況を、俺にもわかるように説明してもらおうか」
そういうと、ファルガはスーツの両肩の部分を両手でつかみ、釣り上げるように小太りの男を立たせた。反撃をしようとしてできなかった銃は、右手に強く握られたままだ。
男は恐怖のあまり白目を剥き失神しそうになっていた。だが、失神できたならどれ程よかったことだろう。
……お互いに。
首相官邸を取り囲む、戦車の特攻にも耐えられるほどの強度を保持する塀を乗り越えたファルガがまず遭遇したのは、首に棘の生えた首輪を着けた何頭もの黒い大型犬だった。これらは獰猛な種で、侵入者を躊躇なく攻撃し場合によっては噛み殺すことも行うように訓練されていた。だが、超神剣の装備を身に着けていなくとも、番犬程度ならファルガの敵ではなかった。
文字通り『瞬殺』だった。
ファルガは攻撃を仕掛ける時の鋭い『氣』を、周囲を取り囲む犬たちに向かって一度叩きつけ、完全に萎縮させた直後、柔らかい≪回癒≫を用いることで犬たちを懐柔する事に容易に成功する。
番犬たちに強さを見せつけ降参したところを受け入れる。一切力を使わないファルガの制圧術だった。
ファルガは犬たちに別れを告げると、木々の向こう側に見え隠れする、低層の屋敷を目指して進む。進行中は≪索≫だけでなく五感を全て駆使して自身の安全と隠密性の維持を図った。
屋敷に潜入してからも、罠は無数にあったが、それらもファルガを陥れたり捕獲したりするには完全に機能不足であり、ただいたずらに資源と資産を無駄にしているとしか思えない代物だった。
暫く官邸内を調査していたファルガは書庫を見つけ、グパに必要な内容かを確認しながら、必要だといわれたデータに関しては通信機のカメラを使って転送した。
その後、首相の執務室と思われる部分の探索に入った際、地下に続く階段があるのを発見する。その先には空間があり、何者かがそこにいるだろうということははっきりする。
探索氣功術≪索≫にも種類がある。
種類というのは術上の仕分けになっているが、実際の所は『氣』のコントロールによる調整に過ぎない。ファルガがよく用いているのは、生命エネルギーである『氣』の探索だが、探知すべき波動の調整で『真』を感知する事も可能だ。その際は対象に当たって反射した光を目から吸収して、物質の形状を把握するように、≪索≫によって物質の形状を把握し眼に見えるもの以外のものも検知し把握する事が可能になる。
今回、ドメラガ国首都であったメガンワーダの首相官邸に潜入し、首相の執務室で地下への入口を発見し潜入するにあたって照明を持つわけにはいかない。
敵に発見されて襲撃されるリスクを軽減させるためというよりは、ファルガが進行する事で生き残った人間が自決してしまう恐れがあるからであり、その為には接近を気づかせない必要があった。
丸腰とはいえ、神勇者として行動するファルガの身体能力は、全身凶器と表現するにはあまりに強大すぎた。勿論敵がその力を感知できるならまた話は別だが、そうでない相手が抵抗し、その抵抗が完全に無駄だと悟った時の精神的ダメージは、文字通りその者を発狂に追い込みかねないだろう。
執務用のデスクと来客時の応接セット以外に何も置かれていない質素な部屋において、隠し扉の発見は容易だった。ファルガは床を撫で、取っ手部分を引き出すと、床と一体化していた鉄のドアを引き上げ、同時に横にスライドさせた。
そのまま体を滑り込ませたファルガは気配を殺し、≪索≫で周囲の様子を探りながら歩みを進める。
階段を下っていくと、鉄の扉があり、その向こうには何人かの人の気配がする。扉の向こうの空洞は、思っていたより広いようで、かなり長い期間シェルター内で生活できるようだ。
扉の前に立ったファルガははたと困った。
扉を破って入るべきか、声をかけて入るべきか。
いずれにせよ、自分はドメラガ国とは戦争状態にあるファミス国の潜入捜査員であるという事実は変わらない。戦闘になったところで自分がどうこうなってしまうとは思わないが、相手に早まった行動をとられても困る。
ファルガは、こういう時には≪洞≫の術が使えると本当に便利だと痛感する。
だが、どれほどに神勇者としてレベルを上げようとも、どれほどに氣功術やマナ術の練度を上げようとも、自身を最高次に昇華しない限り≪洞≫の術を使うことはできない。
元々≪洞≫の術は、最高次である空間生命体が身体の密度を極限まで薄くして自身の存在場所が空間内において確率でしか表現できない状態になった時に、自身の体……所謂『界元』と呼ばれる宇宙の単位呼称……の内側にある物体を体内で移動させるための空間バイパスだった。
そして、いわゆる空間生命体の細胞の一つでもあるファルガ達も、そのバイパスを使用し距離無視の移動が可能になっているだけであり、いわゆるテレポートとは訳が違う。
これは『見守りの神勇者』になってから理解した内容ではある。しかし、ファルガたちの規模で考えれば、それはテレポートと遜色なくむしろテレポート以外の何物でもないので、そのような望みをファルガが抱くのも無理のない事だ。
もっとも、テレポートという概念も、≪洞≫の術を初めて目の当たりにした古代人が必死になって理解できるように体系化したものであるのだが。
だが、青年神勇者の悩みは自ずと解決する。
鉄のドアが突然開き、何本かの手がファルガの腕や足を掴むと、ドアの空いた部屋の中に引き摺り込んだのだ。
床に放り出されるように倒れたファルガは、すぐに立ち上がるが、黒いスーツの男十数人に取り囲まれ、拳銃を突き付けられることになった。
奥の部屋から不敵な笑みを浮かべながら歩み出てくる男は、黒いスーツの男たちの親玉のようだった。
禿げた小太りの男は、右手を払うような仕草を見せる。
黒いスーツの男たちは、拳銃の照準をファルガに合わせたまま、二歩ほど下がった。
「よくここまで丸腰でこられたものだ。塀の外の機鎧兵共も、番犬も役に立たんものだな」
「……あんたがドメラガの首相か?」
「この状況でも畏れぬか。まあ威勢がいいな。しかし、私を知らぬとは、もぐりか」
ゆっくり立ち上がったファルガは、ゆっくりと言葉を繰り返した。
「ドメラガの首相なんだな?
ファミス国からの停戦の申し出の件とか、災害救助隊の要請の件とか、みんなあんたたちの心配をして手を尽くしているのに、なぜ無反応なんだ」
禿げた小太りの男から、徐々に笑みが消えていく。
何なのだ、この男は。
周囲を銃で囲まれていながら、全く恐れる様子もなければ、自分の発した言葉に対しての反応も、想定していたものとは異なる。
年齢こそ若者っぽいが、妙な道着だか装束だかを身に着けていて、およそドメラガやファミスの同年代の人間の恰好とはかけ離れている。それに、言葉こそやり取りし、意志の疎通はできているようだが、基本的な知識や価値観などの前提がだいぶ異なるように感じられる。
ドメラガ国の首相ヘッジホは、眼前の青年から感じる違和感の正体に思い至らぬまま、黒いスーツの男たちに、ファルガを幽閉し取り調べを行うように指示する。
ドメラガの首相官邸の地下にあるシェルターに、単身乗り込んでくる豪胆さと力を持ちながら、敢えて捕らわれの身になる眼前の青年。
口にする言葉はファミスの人間風でありながらドメラガの首相である自分を始めとする、メガンワーダの民の心配をするこの男。ファミスとドメラガの交戦の歴史を知っていながら、首相である自分の顔すら知らない。ファミスやドメラガの暗黙の了解を知っているようで実は知らないのではないかと思わせるような彼の物言いは、彼が実は異次元からの訪問者だったといわれても、特段驚くべき内容ではないように感じられた。
何か違う世界の存在を垣間見るような、不思議な感覚に襲われたヘッジホ。
「この者の正体を探れ。また、この地に送り込んだ者とその目的もな」
数人の男たちによって背に銃を突き付けられたファルガは、歩けという指示に従って歩き始める。
おおよそ制圧されているように感じられない青年の後ろ姿は、ヘッジホの背筋に冷たいものを走らせるのだった。
現在のこの状況を、いつでも打破できる自信があるファルガ。
情報収集を行うためにとりあえず捕虜になってはみるものの、相手からどのように情報を引き出そうか迷っていた。
背に突きつけられた拳銃から発射された弾丸は、痛いかもしれないが彼の『氣』の鎧を貫きダメージを与えるほどの力があるとはとても考えられない。
圧倒して聞き出す方法もある。
彼の背後には黒いスーツの男が三人。他は、ヘッジホの所に残ったようだ。正直何人いてもファルガにとっては関係なかったが、聞き出す対象が十数人いても困る。
細い回廊を進んでいくと、回廊の左右に幾つかの鉄の扉が並ぶ。重く佇むその中の一つが開かれ、ファルガはその中に入るように促された。
窓のない空間はファルガに若干の怯みを与えた。独房は何度か入れられた経験はあるが、外の景色が伺い知れないのが、彼にとってはこの上ないストレスだった。
かつて青年神勇者が育ったドイム界元の端の方にある自身の星で、ラン=サイディール国という強力な軍事国家から商業国家へと劇的に国色を変更した国家があった。その首都デイエンの象徴だった薔薇城の地下に幽閉された時の不安が、窓のない独房という景色によってはっきりとファルガの中に蘇ったのだった。
当時はまだ、何本か世界に存在するといわれる聖剣を全て揃えれば世界を支配できる力を手に入れることができる、という抽象的な聖剣伝説が大の大人の口から語られる時代だった。ファルガは『勇者の剣』という父の形見であるその一本に魅入られ、冒険の旅に否応なしに引きずり出されたのだった。
当然、探索氣功術≪索≫など使用することは愚か存在も知らず、飛翔術である≪天空翔≫は目の当たりにはしたものの自身が使えるなどとは思いもよらず、『氣』のコントロールによる身体能力の向上は、故郷ラマ村での食人鬼ジョー=カケネエとの戦闘で生まれて初めて体験したばかりだった。しかも、その力すら自在に操ることはできなかった。
十三歳だったファルガがその状態で独房に入れられたならば、心の底から震え上がり、絶望に打ちひしがれたとしても無理はないだろう。
しかし今はあの時とは状況が違う。
神勇者として圧倒的な身体能力、そして戦闘能力と知識とを習得し、聖剣の形に封印されていた超神剣の装備を自在に操ることが可能になっている。恐れるものは何もないはずなのだ。それでもかつての経験は彼にほんの少しだけ暗い影を落とす。
入り口に正面を向いて椅子に腰かけたファルガは、入り口からは見えないところにもう一脚の椅子がある事に気づく。独房内にある薄暗い照明は、トラウマを増幅させる黴臭さと相まって、ファルガを余計に陰鬱にさせた。どこから忍び込んだのか、薄暗い照明には小さな羽虫が数匹たかっている。
彼を連行した三人の男のうち、二人はドアから出ていき、一人だけがその場に残った。
ファルガの横に椅子を持ってくると、さも尋問をするように腰かけた。
どう制圧するか考えていたファルガは、自分の横に座った黒いスーツの男を人質にし、そのまま一気にあの老獪首相の所まで押し込むことを決める。
無論、盾にするこの男は撃たれるだろうが、多少の痛みは覚悟してもらおう。≪回癒≫を施しながらなら、撃たれても死にはしないはずだ。
いくら首相ヘッジホの側近とはいえ、全ての情報を知っているわけではないだろうし、ドメラガ領内デモガメの消滅とメガンワーダの無人の廃墟化について、ファルガの満足のいく説明ができるとは思えなかった。
黒いスーツの男に、後でヘッジホに尋ねる内容と同じことを質問し更に疑問を深めるくらいなら、いっそのことヘッジホに直接訪ねてもいいだろう。多少は怖い思いや痛い思いをしたとしても、彼としてもトータル的にはその方がストレスやダメージは少ないだろうから、その方がいいに違いない。
最後の方は自分の都合のよいように勝手な解釈を行なったファルガ。
椅子に腰かけながら丹田に『氣』を溜め、攻撃の準備を整えたファルガが一気に攻撃に転じようとしたその瞬間。
ファルガの耳に届いた言葉は、思わずファルガの双眸を見開かせ、動きを止めるのに十分な効果を持っていた。
「ファルガさん……ですね? グパ様より話は伺っております。
ご安心ください。外に控える二人も、ファミスの潜入捜査員です」
状況を瞬時には飲み込めなかったファルガだが、耳元で囁く黒いスーツの男の声は、若い女性のそれだった。
「……そういうことだったんですね。しかし、グパさんもそうですが、サムアラさんも、良く界元や神勇者の話や特性を理解できましたね。俺なんかいまだに納得できていないところもあるのに……」
「そうですか? まあ私、凄いから」
サムアラと呼ばれた女性は、悪戯っぽく微笑んだ。彼女の持つ南国の褐色の肌はきめ細やかで、言われてみると確かに男性のそれとは思えない。まつ毛も長く大きい黒目の視線は、吸い込まれそうになる錯覚を見る者に与える。長身かつ短髪にしている為か男装が板についているが、髪を伸ばし、軽やかな袖なしワンピースを身に着けていたら、日没の砂浜に佇み微笑みかける少女という表題のフォトグラフの被写体が酷く似合うだろうと勝手に想像された。
ただ、ドメラガに潜入して三十年という話を聞いた瞬間のファルガの驚愕のさまに、女性潜入捜査員は些か不満そうな表情を浮かべたのだった。
「もともとはファミスもドメラガも、共に惑星外への進出を目指した国家であり、友好関係も良好でした。共に大規模な研究機関を構え、情報や人材の交換も盛んでした。
私の両親は人材交流の際、科学者としてファミスからドメラガに移住をしたのです。そして私が生まれます。ドメラガ育ちのファミス人。それが私の正体です」
興味深げにサムアラの話を聞いていたファルガ。
なるほど、パクマンの言っていた、彼が基地に赴任した時には戦争状態でありながら一度も交戦する事はなかった、という嘘のような話も、信憑性が増してくる。
二国の上層部は確かに揉めたのだろう。しかし、実際のところ戦火が広がる事がなかったということか。或いは、初期の戦闘だけで済んだということなのか。元々の国家間の関係は良好だった。だが、どこかのタイミングで協力関係が破綻し、敵対関係へとシフトしていったということか。
そしてサムアラの両親は、いずれ協力関係の破綻を見越していたようだ。そこで彼らは、サムアラのドメラガの戸籍も取得していたらしい。戦争状態になればサムアラの両親は、扱いはどうあれ捕虜という形になる。それを避け、早いうちに少女であったサムアラを里子に出したのだった。
「良好であった二国間関係。
人口の増加についても両国は同じ懸案を抱えていたので、その解決策を共有するのも自然な流れでした。
様々なジャンルで共同研究がなされましたが、その研究の一環で宇宙空間で作業を行うための技術として、パワードスーツという概念が生まれます。
人間に宇宙服を着せて宇宙船外の活動をさせるだけでなく、宇宙船外にて宇宙ステーションという活動拠点を建造する為です。そして、その拠点から別の天体に資源を求め、その資源を用いてスペースコロニーの建造に着手する、というものが当時の宇宙進出計画でした。
今でこそこの星の人口は減少の一途を辿っていますが、当時は人口が増えすぎ、居住者を宇宙に移民させる計画が現実味を帯び、実際に各国家でスタートしていたのです。
しかしながら、人を宇宙に送り出した際の懸案が現実のものとなってきました。その一つですが、人間の体の変化です。宇宙に送り出された人間が宇宙服を着て船外活動を行う際、無重力下で長時間作業をしていると、筋力は落ち骨が脆くなるというデータが集計されるようになってきました。
そこで、宇宙服に装置を取り付け、作業のアシストをさせる機能は勿論ですが、通常時には敢えて装着者の身体に負荷をかけるようなトレーニングを課すなど、宇宙での生活から地上での生活、あるいはコロニーの生活に円滑に順応できるような機能をパワードスーツに搭載し始めました。
機鎧の誕生です。
ただ、この頃はやっと核融合炉が完成したばかりでしたが、運用には危険も伴う他、何よりサイズが大きすぎたため、機鎧・パワードスーツに搭載する事はできませんでした。
電気モーターによる駆動補助がやっとの機鎧・パワードスーツでしたので、いずれ開発した小型核融合エンジンを搭載する、などという話はまだずっと後の話です」
ファルガは感心していた。
機鎧という概念は、この界元に来てから初めて知ったものだ。そのファルガに対して、これだけ滑らかに現状を正しく説明できる、このサムアラという女性に『私、凄いから』と言われてもそれはもう納得するしかない。
戦闘能力でも学習能力でもなく、物事の全体を見て正確に把握できる能力。また、その見たものを正確に伝える能力。他の能力も高いのだろうが、短時間でピンポイントに伝える能力は、よほど訓練しないと身につかない。しかも、それは様々な情報保持の大前提があってのものなので、状況をゼロから把握する時に現状把握能力が恐ろしく高いということだ。そして、整理する能力と伝達する能力。
それほどの能力がある彼女ならわかるかもしれない。
なぜ、この界元に神皇がいないのか。魔神皇がいないのか。神勇者候補も神闘者候補もいないのか。
ファルガやギューが砂漠で退けた神闘者は、確かに『魔』の存在であり『氣』や『真』の力を使う戦士だった。だが、誰も『魔』の超神剣の装備を所持していなかった。『氣』のコントロールで身体能力を高めた状態。
それはつまり彼らは『見守りの神闘者』でもなければ、厳密にいう当該界元の神闘者本人でもないということだ。
考えられるのは『神闘者候補』だが、それは少なくとも神闘者だけは発生したことを意味する。
神勇者候補の誕生はまだなのに。
これは即ち、『妖』が押されているということではないのか。
確定要素は何もないが、現状を踏まえると『妖』の方が押されている気がする。
そして、横並びであったファミスとドメラガ。しかし、ドメラガの方が機鎧の開発状況では一歩も二歩も進んでいるように感じられる。それはまるで、ドメラガの方に『魔』が力を貸しているように思える。
不思議なのは、『魔』の存在を、あの神闘者以来見ていないということ。『魔』の『氣』も今の時点では感じることはできない。
断言はできない。
断言はできないのだが、取り巻く状況は余り宜しくない……。
ファルガの眉間に皴が寄る。
だが、そんな難しそうな顔をするファルガに対してのサムアラの答えは「わからない」だった。当然といえば当然の帰結だ。ファミス国の潜入捜査官が、神だの神皇だのの話をされてもピンとくるわけがない。
思わず謝罪するファルガ。だが、サムアラはファルガの持つ世界観に酷く興味を持ったようだった。
ファルガは現在でのファミス国の機鎧開発状況を、ドメラガの半分くらいだろうと伝えた。
ファミスの機鎧は、パクマン機に代表されるように、身長が三十メートル近い金属の巨人であり、その巨人を核融合炉で発生させた駆動力で稼働させている。以前の電池式の機鎧とは比べ物にならない程のパワーとスピードを誇るが、同時にその巨体がネックにもなっている。そして、ファルガたちの使う生命エネルギーと存在エネルギーの二つをうまく使い、更に大きな力を発生させた、身長が半分くらいの小型の機鎧の開発に着手していることを告げた。
サムアラはそのことを聞き、自分の事のように喜んだ。だが、ドメラガは身長十五メートル前後の機鎧の開発に成功している事をファルガに告げた。それはすでに実戦投入も可能だとされている。
そこで、通信を傍受していたグパが会話に加わる。
元々ファルガはグパとの通信回線は切断していない。それはサムアラが自身の正体を告げた時に伝えてある。
ファルガとサムアラの会話は、グパが聞いていると同時に、災害救助隊のデータベースからファミス国の首都の軍本部に転送され、保存されている。
「ご無沙汰しております。隊長」
サムアラは、元々所属はグパ率いる隠密機動隊のドメラガ支部長という扱いらしかった。
「久しいな、サムアラよ。相変わらず『凄い』か?」
「勿論です」
サムアラの『私、凄いから』の大元は、どうやらグパらしい。そうやって今まで数多くの部下たちを鼓舞してきたのだろうか。
一瞬口元が緩むファルガ。
「で……。
君も知っている通り、ドメラガ領内のデモガメとメガンワーダが無人となった。
現在持っている情報を送ってほしい」
ファルガは、デモガメが消滅したのは『超妖魔』エビスードの仕業だと告げるが、エビスードからは生命体は大小にかかわらず一体も消滅させていないと聞いている、とサムアラと通信機の向こうのグパに伝えた。
「そのエビスードは、何かに対して攻撃を仕掛けたからあの爆発が起きたわけだな。しかし、エビスードは生命体について攻撃はしていない、とファルガ君に伝えており、爆発が発生した時ファルガ君も傍にいたが生命体はいなかったといっている。
サムアラよ、ファルガ君が首相官邸に潜入する直前に戦った人間サイズの機鎧について、教えてくれ。ファルガ君はその機鎧どもについても、生命体ではないと結論付けているようなのだ」
グパはいささかいら立っているようだ。
デモガメの消滅もメガンワーダの廃墟化も、そう昔の話ではない。グパの預かり知らぬところで、ドメラガ内に何か大きな異変が起こっているのではないか。
グパはそう踏んでいた。
「……その話は、後程。
ファルガさん、我々は貴方から頂いた情報を一度ヘッジホに上げます。聞き取りがうまくいったように見せかけるためです。
本日深夜帯に壮大に脱出してください。ヘッジホにファルガさんがこの地を去ったと思わせます。もともと、首相官邸への潜入を真正面から仕掛けてくる程の人間なのだから、どれ程厳重に幽閉したところで、目的を達すれば逃亡されることについてはヘッジホも想定済みのはず。
……ですが、ここは敢えてこの場所で落ち合いましょう。幽閉され脱出した場所に戻ってくるとは、彼らも考えないでしょう。
その後ヘッジホが手に入れた技術をお見せしたいと思います」
ファルガは頷き、通信機の向こう側でグパは了承した。




