ディグダイン2
機鎧専用のパイロットスーツに身を包んだ司令官パクマン。
その姿は壮年兵士とは思えぬ程に活力に満ちていた。
司令官として席についていた司令室では、感情をあまり表には出してはならなかった。怒りや動揺が他の兵士に伝播することが、戦時中は最も忌むべきものだったからだ。
基地を一つの生命体とするならば、司令室はいわば生命体の脳。その脳が混乱をきたせば、生命体の活動は阻害され、それが生死に直結する。だからこそ、脳である司令室、その中枢である司令部、司令官は直情に左右されてはならない。
かつての上官からはそういわれてきた。そしてそれを忠実に守ってきたつもりだった。
だが、同時に機鎧の操者であることも、辞めた覚えはなかった。
無論、上層部はあまりいい顔はしない。
司令官が最前線に率先して出撃したとして、もし彼の身に何かがあれば、その部隊は必ず混乱をきたす。だが、最前線に出ることで、士気が上がることもまた事実。
そのバランスを、パクマンは弁えているつもりだった。
彼の身に着けるパイロットスーツは、線の細い筋肉質の全身を覆い尽くす。
頭部は機鎧搭乗者専用のヘルメットで保護され、首から下のスーツは、職人が身に着けるような『つなぎ』状である。スーツそのものの気密性は非常に高く、頸部でヘルメットの後部と接続が可能だ。頸部から下はシューズまで完全に一体型になっている。
かつてはスーツの材料は防火効果もある特殊な布を用いて作っていたが、機鎧の活動エリアが地上だけではなく、水中や宇宙空間に広がるに伴い、元来人間が活動する場所ではない所で発生した事故からも生還率を上げるため、スーツも大幅に改良された。
ヘルメットはシールド部分以外、特殊な樹脂で作られており、衝撃を吸収する。また、頭頂部にコネクタがあり、そこに機鎧のメインコンピュータから伸びるケーブルを接続することで、パイロットスーツが受信した五感情報を機鎧に伝達し、また機鎧が受信した五感情報を身体に伝える。加えて、操者はパイロットスーツと同じ材質のグローブを別途身に着ける。ちょうど手の甲部分にある薄緑色の宝玉のようなセンサー部と機鎧のセンサーが接続・同期され、四肢や指腕の微妙な感覚を感じることができるようになり、また操縦者の意図する繊細な活動を、機鎧の挙動に反映させることも可能となる。
パクマンのパイロットスーツに関しては、完全に個人向けに調整されている。しかし、他の操者用のパイロットスーツも、何千通りのパターンから個人の特性に近いプログラムが選択され、スーツがその情報を保持するという仕様になっているので、一般用のスーツもかなり万人向けに調整されているといってもよいだろう。
操者の乗り込んだ機鎧が、パイロットスーツからそのデータを吸い上げることで、個人のデータをロードし、機鎧が持つ様々な機能をパイロットの能力に合わせてオープンすることで、対外的には画一的な性能での運用が可能となっている。パイロットの不足する能力をプログラムで補っているのだ。ただし、補う幅があまりにも広いと、補った結果パイロットの精神が破壊されてしまう恐れもあるため、そこまで水準との差がある場合には、その者をパイロットには任じない。例えば、速さに対して反応が遅い操者が、機鎧により認識力を高めた場合、本来であれば対応できない速さに常時対応し続けるため、その状態が長時間続くと、精神に異常をきたすためだ。
逆に、パクマンのような技量の高いパイロットの場合、規定値に合わせて運用しようとすると、そのパイロットの操縦で発生する機鎧の高い運用性能を殺しかねないので、その場合、軍はパーソナルデータを所持した機鎧を準備する方針になっている。
所謂専用機鎧だ。
パクマンはその専用機鎧での鍛錬を怠ったことはなく、訓練時には、若手の機鎧の操縦訓練の教官を行なったりもしている。
とはいえ、実戦と呼べるほどの戦闘そのものが、ここ数十年発生したことがなく、訓練のみで兵役を終了する者も多いのが現実だった。
別の基地では、敵国と隣接している箇所もあり、実戦に近い敵との邂逅もないことはないが、最近では国境近郊でも互いに牽制し合うことが多く、実戦になることはほぼないとされる。
だからこそ、今回の砂漠での哨戒任務は、対機鎧ではないことが想定されるとはいえ、初の実戦ということもあり、パクマンも出撃をするつもりだった。
今の若い兵は部下であり、同時にパクマンの弟子たちでもある。今回の彼の出撃は、実際にターゲットがいる哨戒任務を通じて、弟子たちの成長を見守る意味もあった。
長い廊下を走るパクマン。彼の走る廊下の先には、機鎧が何機も収められている格納庫がある。
パクマンが出したのは第一戦闘配備ではないため、一刻も早く戦場に戦力を投入するために機鎧を順次出撃させる必要はない。しかし、索敵の必要はあるため、出撃予定の機鎧隊が準備を終え待機、隊長の指示に従って進軍する第二戦闘配備は出さざるを得なかった。
今回の出撃では、自分ではない者を隊長としていたため、パクマンの乗る機鎧は、基本単独行動となる。そのため、パクマンは教官として遠くから調査状況を確認するつもりだった。
今回は、今までとは異なり、訓練ではない哨戒任務。
実際に戦闘に突入する可能性もゼロではない。
そのため、隊長は出撃する三機の機鎧の陣形を指示しながら、ゆっくりと基地の機鎧を発進させるはずだ。
パクマンはその様子を見たかった。
皆実戦経験はないに等しい。相当の緊張に包まれているはず。
それをほぐす意味でも、機鎧の出撃を見守ってやりたかった。
「カピィ! 新隊長としては今回の哨戒任務が初めての実戦だな! 気後れするなよ! 俺も後から追いかけるからな!」
「了解です、隊長!」
かつての弟子の出陣。軍の人間との模擬戦闘をやって以来だ。緊張するのも無理はないだろう。
パクマンは苦笑しながら素早く訂正する。
「こら、カピィ! 隊長は貴様だろうが!」
思わず、部下たちなら誰もが聞き慣れていたであろう怒声を、無線を通じて飛ばす。
職務には忠実だが、温和すぎるカピィにとっては、多少過酷な条件の所の方が彼にとってはいいことなのだろう。状況を把握し、適切な判断を下す。それこそが、隊長の役割だからだ。
無線機の向こう側で頭を掻いているカピィが容易に想像でき、思わず口元に笑みを浮かべるパクマン。
既にカピィ隊は先陣を切って出撃しているはずだ。自分も彼らに追いつかねば。
格納庫に到着したパクマンは、傍にいたメカニックに声をかける。
「調整は終わっているんだろうな?」
若いが腕利きのメカニックは、その問いには答えず、笑いながら声をかける。
「パクマン隊長、司令官の職務は放棄ですかね?」
「馬鹿野郎! 今はこっちの職務に移行したんだ!」
メカニックは首を竦めながら、格納庫の奥部に格納されているパクマン専用機に体を向け、早口に整備内容を伝える。
「今回は、基本実弾の使用はないだろうとのことでしたので、携行品は物理シールドと、接近戦用のハンドアックスのみの装備となります。
急遽実弾武装が必要になった場合、リオ機に余武装としてハンドガンを持たせておりますので、受領してください。先行のカピィ隊は通常武装です」
「了解した!」
パクマンは手を挙げて答えると、そのまま機鎧に走り寄り、トラックに直に梯子が設置されている形状のタラップ車から、胸部の乗り込み口の開かれた機鎧に乗り移った。その身のこなしは、とてもではないが還暦が近い人間とは思えない。
胸部のハッチが左右からスライドして、着物を合わせるように閉まり、機鎧のオペレーションシステムが起動する。
操縦席に入ったパクマンは直ぐにシートに着席する。暗闇の中輝く機鎧のオペレーションシステム起動画面の明かりを利用し、腰部固定と胸部固定のシートベルトで体を固定すると、上部に垂れ下がっているケーブルを軽く引っ張り、ヘルメットの頭頂部に繋ぐ。その後は、シートの肘掛部分に準備されている色違いのケーブルを手にする。左右の手の甲にある宝玉を軽く撫でると、宝玉部分が開き、中にコネクタの受け部が出現した。そこにもケーブルを差し込み、薄く光るコネクタで通電を確認する。その後、足のペダルの踏みしろを確認した。
全てのチェック項目の確認を終えた所で、股下から三十センチ四方のパネルが起き上がってきたので、その画面を確認すると、オペレーションシステムが問題なく立ち上がったことが記されており、画面の最後の部分に機鎧の起動スイッチが表示されている。
オペレーションシステムの動力起動処理が進んでいるのが画面で確認できる。
やがて、稼動可能の画面に切り替わり、パネルの照明が落ちると、上下前後左右の景色が視界に飛び込んでくる。機鎧の部位で隠れる部分も全て映し出すことのできる全方位モニタのため、まるでシートに腰かけた状態で中空に浮かんでいるようにさえ感じられる。
全方位モニタの技術は機鎧の巨大化に伴い、全ての方角を目視のみで確認することが困難になった為開発された技術だが、距離や方角、残弾や敵発見のアラートなどのステータス表示は、ヘルメットのシールド部分に映し出されるため、一部カメラが破損し画像の供給が無くとも、戦闘情報をパイロットは把握することができる。
パクマンは足元にあるペダルを軽く踏み、機鎧をゆっくり前進させた。
戦艦内に格納されている場合とは異なり、十分な発進スペースがとられているため、格納庫のハッチが開かれていくその瞬間にも、特段準備することはない。
格納庫の闇の中、機鎧の頭部にある一つ目が妖しく輝き、グローブに接続された指先の情報を受けた機鎧の指が、準備運動の如くに拳を握り直す。右手にはハンドアックスの感触が、左手には小型のシールドの握り部分の感触が、挙動感応システムにより、物質の硬さと重さとを正確にパクマンに伝える。
「全方位モニタ異常なし。挙動感応システム正常。パスティック・一号機、パクマン出撃する」
「了解。ご武運を」
機鎧の格納庫内での運用を一手に担う指示室から、パクマンの出撃許可が出たため、パクマンの駆る機鎧は、アイドル状態から一気に出力を上げる。
「先行する機鎧隊は、進路右四十五度方面、距離三千地点を移動中。ディグダインと思われる敵とはまだ遭遇していない模様」
更に与えられる司令室からの情報を頭に叩き込むパクマン。
格納庫から自立歩行により外に体を運び出したパクマンの駆る機鎧は、背と腰、足裏から光を発し、大きく跳躍した。
背部、腰部、足裏部のスラスターは、通常の機鎧に比べて三割増しの出力に設定してあるはずだ。だが、パクマンの駆る機鎧は、出力の設定値以上の挙動をするともっぱらの噂だ。それは、スラスターの噴射に合わせ、機体の膝部や足首部の動きも、まるで自分の手足のようにコントロールするため、実質的に機鎧が全身運動をしているからだと、研究者はいう。つまり、人間でいえば背負ったジェットの使用と同時に、人の体の持つ瞬発力も併用しているということなのだろう。
その操縦技術自体は別に大したものではない、とパクマンは語る。扱い慣れれば当然できるようになることだ、と。ただ、実戦がないため、機鎧をそこまで適切にコントロールできる必要がない現状が、若年層の兵士の成長を阻害しているようにも思える、というのが彼の持論だった。
ただ。だからといって、彼は戦場にて機鎧が有効運用されることを是とはしていなかった。
実際、現在の機鎧の使用用途はどちらかというと、人間が入ることのできないジャングルや深海などの未踏地の探索、がけ崩れ現場等の、生身の人間では作業が難航するような現場の復旧作業などの活動だ。そして、パクマンが採った弟子たちも、そこでその力を如何なく発揮してきた。開発経緯はどうであれ、その方が幸せなことだ、とパクマンはいう。
その素晴らしい機鎧の能力を人殺しになど使ってはならない。
「機鎧ってのは、我々の欲望を満たす道具じゃない。夢を追うための道具だ」
ことあることに上層部に対し、そのような提言をするのだが、上層部は既得権の保護に忙しく、機鎧の運用について正論を説くパクマンは、上層部にとっては悩みの種だったようだ。
軍事活動であるが故に、国家予算も多く取れ、機鎧の開発設計が潤沢な予算で行われ、更に量産も可能になる。
だが、敵国も機鎧を開発している以上、戦闘状態に陥れば、機鎧を戦力として捉えるしかなくなる。そして、機鎧の破壊力は凄まじい。搭乗者の能力如何で、様々な作戦に合わせた運用も可能になる。従って、軍は機鎧の能力向上と同時に、パイロットの育成についても検討を重ねており、パクマン自身も作成には多大に関与した育成プログラムも、いよいよ完成しようとしていた。
機鎧は兵器には違いないが、そうでない運用も可能なはずだ。
そう信じて疑わぬパクマン。
大きな跳躍後、推力を維持しながら空中を進むパクマン専用機鎧。
モニタには、基地の敷地から出た瞬間から続く砂漠が、延々と映し出されている。
何度か砂漠に着地することになるが、その瞬間に機鎧の足の裏に設置されたユニットが展開する。『かんじき』に似た機能だ。着地の瞬間、足の裏の設置面積を拡張することで、砂に沈むのを防ぐ効果がある。これは、雪原での戦闘時にも使える機能だ。
何度かの跳躍後、遠くに進行する三つの砂煙を見つけた。
カピィ隊長率いる哨戒部隊だ。
「あれほど跳躍の移動を覚えろと教えたのに、まさか身に着けていないとはな。相手の場所や正体がわからぬ状態で地面を走っていたら、頭を押さえられてしまう。そうなれば、反撃もままならぬまま撃墜されてしまうぞ」
指導という名の説教は生きて戻ってからするとして、パクマンは上空から彼らの動きを観察した。そして、同時に敵か味方かわからぬ不思議な生命体の発見を優先した。
暫く全方位モニタを凝視すると同時に、サーモグラフィの機能も並行して使用したが、画面上では取り立てて異常を見つけることができない。
眼下に広がるのは、地平線まで続く砂漠と、その砂漠を砂埃を挙げながら疾走するカピィ隊の三機の機鎧だけだった。
「……おかしい」
パクマンは小さく唸る。
三機の機鎧が奇襲を受けた地点に到達しているのにも拘らず、敵である何者かは、何の反応もないのか。
先程のディグダインらしきものは、四機の機鎧に対して戦闘を仕掛けていた。相手から見れば敵であるはずの機鎧が、一機減った現状であるにも拘らず、戦況を更に好転させるために、一気に攻撃を激烈化させて、戦闘を中止まで追い込むことができるとは思わないのだろうか」
パクマン機は、戦闘があったとされる場所から少し離れた岩柵の上に着地する。そして、望遠カメラを準備すると、視認できる限界の距離のこの場所で相手の出方を待った。
まさか、敵は遠くにいるこの機鎧にすら気づいているのか? そして、奇襲をかけるために息を殺して隠れているというのか。
敵が何者なのかわからない事の恐怖もさることながら、機鎧にしては異常に小さいことも、また戦況に更なる混乱を招いていた。
パクマンは目視で探しながら、ほぼ形骸化されたレーダーも併用して、四機の機鎧と渡り合った存在の出現を待った。
暫く待っていたが、彼の眼前では何も起こらない。
だが。
三機で編成されたカピィ隊の男が突然発砲した。
近接用のハンドガンではなく、ロングレンジの対戦車ライフルのようだ。銃身が酷く長く、弾速も非常に速い。弾丸が射出された際の弾道のぶれもほとんどない兵器。一度照準に納めれば、長距離から狙われていることに気づいている者以外の回避は不可能なはず。
だが、カピィ隊の男は、機鎧用であるにしてもいささか銃身の長すぎるライフルを速射する。
「く……来るな! うわあああああっ!」
悲痛な叫び声と共に爆発音が響き、その直後から通信が途絶えた。
「おい、カピィ隊! 何があった? 状況を報告せよ!!」
突然の悲鳴と爆発音、そして、彼のいる岩柵からも臨めた爆発の光と音。与えられた情報はそれだけだったが、それはパクマンを急激に不安にさせた。
事故?
いや、彼らは慎重だ。そのようなミスは考えにくい。しかも、無線では何者かに対し『来るな』といっていた。ということは、相手が目視で認識できる位置にいたということ。それなのに、命中精度は高いが、射線からずれれば回避がしやすくなってしまう対戦車用ライフルを使うだろうか。それならば、ハンドガンと対戦車用ライフルの中間のサイズの、射出された弾丸が拡散する武器が一番適切なはずだ。
「やられたのは誰だ!」
パクマンの呼びかけに対して、応答がない。
「返事をしろ、カピィ! リグーン! ルダーゼ!」
もはや、軍用の無線の応答ではなかった。仲間の安否を問う不安な叫び。
「こ、こいつっ! なんでこんな奴らに……!」
通信の直後、ノイズによる干渉。そして、不通を告げる砂嵐の音声。
パクマンのヘルメットのスピーカー部分から洩れるノイズと同時に、眼前の閃光。そして衝撃波。
もはやパクマンには我慢できなかった。
彼は盾とハンドアックスを構えると、岩柵から跳躍し、レーダーで捉えている味方の機鎧の方へと向かった。腰のスラスターから白い輝きが爆音と共に吐き出される。
パクマン機の移動は素晴らしかった。味方の機鎧は直ぐに視界に入る。
おかしい。やはり機鎧は一機しかいない。他の二機は何者かにやられたというのか。先程の輝きは、やはり機鎧の爆発ということなのか。
基地に配置された機鎧は全て合わせて十二機。そのうち模擬戦用の殺傷能力の低い武器を持つ四機のうち三機を退け、次は別途武装を改めた三機のうちの二機を撃破した、機鎧に対して高い戦闘能力を持つ何者か。レーダーには全く映らぬ、見えざる敵。
専用機鎧が大地に降り立ち、残り数百メートルの所で、味方の機鎧に到達しようとするその瞬間、視界に入ったカピィ機と思われる機鎧の首が胴体と離れる。そして、次の瞬間、腹部を貫通する閃光。カピィ機はエビのように反りながら、爆発四散した。
「カピィ!! くそ、一体何が起きている!?」
カピィ機が巻き起こした爆炎の中に、カピィを屠った何者かがいるはず。パクマン機はハンドアックスを振り上げ、爆炎に向けてその強力な刃を振り降ろしながら通過する。
だが。
当然ハンドアックスには何物かを斬りつけたような感触はない。
その直後、パクマン機も腹部に強力な一撃を受け、大きく反りかえった。
転倒したらやられる……!
何故か、忌み地に踏み込んでしまったように錯覚したパクマンは、そのまま後ろに倒れ込むように跳躍すると、スラスターをコントロールし大地に降り立った。幾つもの死地を潜り抜けてきた彼の『留まっていたらいけない』という経験か、或いは本能的な何かが彼に警告を与え、ほぼ反射的に飛び退いた感覚だった。
どうやら、パクマンを弾き飛ばしたのは、下から抉られるような衝撃を受ける直前に視界にちらりと入った、あの赤黒い光の矢らしい。そして、カピィ隊の機鎧を破壊したのも恐らくそれだろう。機鎧に比べて圧倒的に小さい。だからこそ、距離感を見誤ったのだろう。小さく見えるから、距離がある。それ故ミドルレンジからロングレンジの武器を使おうとの武器チョイスだったようだ。
誰が放ったかわからないが、ホーミング機能を持つ光の矢だけが、更に単独でパクマンを狙う。肉眼で捉えるのがやっとの赤黒い彗星。
やられる!?
歴戦の勇士であるパクマンでさえ自分の死を覚悟したその瞬間、別方向から飛んできた青白い光の矢が、パクマンを狙う光の矢を弾き飛ばした。
その時、パクマンは全方位モニタを通じてはっきりと見た。
自分に向けて飛んでくる赤黒い光の矢の中にいる人影と、その突進を身を挺して防いだ青白い光の矢の中にいる人影を。
二本の光の矢は、絡み合ったまま大地に落ちた後も転がり続ける。
機鎧と比較すると、途轍もなくミクロの存在。身長だけでも十分の一以下の敵。重量でいえばそもそも比較もできない程の差があるだろう。
しかし、そのミクロの存在の力がパクマンにとっては恐怖だった。
「退いてください! 後は僕たちに任せてください!」
子供の声……?
子供の声が、パクマンのヘルメット内蔵のスピーカーから漏れ聞こえてきた。辺りを見回すパクマンだが、その正体は現時点ではわからなかった。
だが、パクマンは両足のペダルを一気に踏み込み、機鎧の腰部と足裏部のスラスター出力を全開にし、背後へと大きく跳躍する。
レーダーで探知しきれなかったのだろうか。二本の光の矢が絡み合って大地に落ちたと思われる方角とは別の角度から、赤黒い光の矢が飛来する。しかし、その矢も更に別の青白い矢に撃墜される。
パクマンの機鎧は、跳躍はできても飛行する程のスラスター出力はない。再度背後に跳躍し、先程までいた岩柵に飛び乗ることで、『光の矢の攻防』の全体像を把握することができた。
初めて見る、描く軌道がまるで意志を持っているような兵器。
そして。
どれほどの卓越した操縦技術を持っている機鎧のパイロットでも、あれほどに機体にGが掛かるような急な方向転換や急停止、急発進は不可能だ。仮にあの挙動を機鎧にさせた場合には、中の人間は気を失うか、或いは命を失うほどの重篤なダメージを負うだろう。
また更に青白い光の矢が、パクマン機の足元に刺さった。しかし、爆発はせず、光の矢が掻き消えただけだった。その光が掻き消えた所には、真紅の甲冑を身に纏った少年が立っていた。
「やっぱり……、ロボットだったんだ……。かっこいい……」
少年は見上げるようにパクマン機を見ていたが、満足したような笑みを浮かべると、再度光の矢同士が争う戦場へと飛んでいった。
後に残されたパクマンは茫然自失の体で、光に包まれて飛び去った真紅の甲冑の少年を見送っていた。
ややあって、正気を取り戻したパクマンの耳に、現状報告をしろと吼え続けている無線が入ってきた。
「こちらパクマン。出撃した機鎧は、光の矢の攻撃を受け大破。本機も撃墜されかけたが、辛うじて生存。……ディグダインは赤い鎧の少年だった……」
無線は一瞬沈黙した後、パクマンの精神状態を確かめるための問答無線を開始した。問答無線とは、交信中の兵士が何らかの状態により錯乱して、意味不明のことを呟き出した際に、交信元が状況を判断するための、所謂試験通話のことを指すが、そのやり取りを始めた基地に対し、パクマンは怒鳴りつける。
「馬鹿野郎! 俺は正気だ!」
そう怒鳴ってみたものの、パクマンですら、あの青白い輝きの弾丸と、赤黒い輝きの弾丸の小競り合いというものは今まで見たことがなかった。先程ちらりと見えた真紅の鎧の少年も、本当は勘違いだったのかもしれぬ。極限状態で見た幻。
赤黒い弾丸と青白い弾丸は直後に飛び去り、岩柵の上にパクマン機は取り残されることになる。
「……いや、正気じゃないのかもしれんな。今は自分の感覚全てが、自信が持てん」
フェイスシールドを挙げ、額から滴る汗を拭うパクマン。操縦中に汗が目に入るのは厳禁故、特別の空調つきのヘルメットだったが、今回は効果が薄かったようだ。
「『基地』よりパスティック・一号機へ。三機の機鎧の撃墜地点近辺に生命反応あり。救助に向かえ。『基地』からも医療部隊を乗せたサンドカーを出す」
突然の通信に我に返るパクマン。
生命反応? 確かに三カ所にそれらしき反応を感知している。
まさか、カピィ隊の三人が、機鎧の爆発前に脱出できたのか? いや、あれ程錯乱している状態で、脱出などできるのだろうか。
だが、通信の内容は、自身の機鎧の齎す情報と齟齬がない。ということは、故障ではない。向かうしかない。
狐につままれたような感覚のまま、パクマンは反応を感知した地点へと移動を開始した。
 




