擡げた疑念
魔法陣の中に存在した、ギラオ界元に通じる『ゲート』は音もなく完全に消滅した。
足元にはゲートの破片すら存在しない。まるで、そこには以前から何物も存在しなかったかのようだった。
ギラオ界元から戻ってきた五人は暫くの間、呆然自失の状態だった。先程まで『ゲート』が確実にあった場所から目が離せずにいた。
天井がアンバランスに高い円筒状の個室で、その天井に届きそうな位の力場のドームが魔法陣により発生しており、そのドームの向こう側の『ゲート』を隠していた。
だが、それも少し前までのこと。
『ゲート』を保護していた魔法陣が崩されたため、紫色の放電現象を伴う漆黒の球体である『ゲート』が見えるはずだった。
だが、今は何も存在しない。
立ち尽くす彼らは、何が起きたかわからず、這う這うの体で逃げ出してきた、といった感じだ。
ギラオ界元の神皇ビュウラックが消滅したことまでは知っていた、神勇者ギューと神賢者ガガロ、そしてギューの母であるギラだったが、神皇と魔神皇が消滅した場合、界元の存在が全て失われる事までは誰も知らなかった。
「なんで……、なんでなんだよ! 僕は神皇様に言われたとおりにしただけなのに! みんな消えてしまった! 僕がみんなを消滅させてしまった……!」
暫くは茫然としていたギューが、呻くように言葉を発した。そして、次は絶叫する。
あれほど礼儀正しいギューの慟哭に、ファルガとカインシーザは驚きを隠せなかった。
嗚咽するギューを、ギラは抱きしめてやるしかなかった。
「ギューは、ギラオ界元で生まれた。こいつにしてみれば、タグチイ居住区は故郷みたいなものだ。友人もそれなりにいて、日々を楽しく過ごしていたようだ。
だが……。
ギラオ界元の消滅で、奴の友人はみんな……」
ガガロは言葉を最後まで紡がなかったが、五歳である彼の反応が、五年間という時間を過ごしてきた仲間を失ったが故の悲しみであることは容易に推測できた。
「なあ、カイン。
ギラオ界元の神皇ビュウラック様は、神皇と魔神皇が双方消滅したら、こうなることは知っていたってことなのか? それとも、神皇様自身も知らなかったのか?」
ファルガは、ギラの胸で嗚咽し続けるギューを横目に、カインシーザに問いかけた。
「無数にある界元において、神皇や魔神皇が双方消滅した事案が、まったくないことはないとは思うが、俺もその件については把握していない。
ただ、他の界元の神皇様がそういった知識や経験をお持ちかどうかはわからない。基本的には、神皇様は他の界元にはまず関わらないからな。界元神皇様の指示がない限りは。
それどころか、お若い神皇様の場合、別の界元の存在を知らないケースさえある。それだけ界元間というものは、物理的に距離がありすぎるのだ」
ファルガとカインシーザは、互いに目配せをし、ギラオ界元への『ゲート』のあった小部屋から退出した。
あとには、ギューの悲しみを、親として何とかして共に受け止め、消化しようとする父ガガロと母ギラだけがその部屋に残った。
「神皇ビュウラック様が、この結果を知らなかったはずはない。なぜこの選択をしたのか……」
ファルガとカインシーザは、界元神皇の城の別室に移った。
ギューの耳に届く場でこの話をしなかったのは、ギューの心を慮ってのことだった。
ギューが神皇ビュウラックの言葉を信じて、界元を消滅させてしまったのならば、それは騙されていたとはいえ、耐え難い苦痛であるに違いなかった。
どんな理由があろうと、魔神皇を消滅させたのは彼自身だ。そしてそれは、界元消滅の直接的な引き金を引いたことに他ならない。純粋なギューならば、その罪の意識に苛まれ、心を潰されてしまうに違いなかった。
事実は変わらない。そして、それをギューの横で感じていた両親であるガガロとギラしか、共有することはできないだろう。
ファルガは、その間に別の角度から今回の件を検証したかった。だが、カインシーザはその事実を受け止めているだけのように感じられた。
本来であれば、界元神皇に話を聞きたかったところだが、何故か謁見が出来ない。界元神皇と意志の疎通は出来るのだが、それでも肝心なところの返事が戻ってこないのは何故なのだろうか。
「カインよ、『見守りの神勇者』って任務は、こんなに不完全燃焼・不条理なものなのか?」
ファルガは思わずカインシーザに尋ねる。
「……そもそも、ギラオ界元を訪れるにしても、ビュウラック様が消滅しているという情報があったなら……、神皇様と魔神皇が双方消滅した界元は、存続することが出来ないという情報を俺たちが知っていたなら……」
「……君が仮にそれを知っていたとして、何かが出来たかもしれないとでもいうつもりか?」
イラついていたファルガだったが、冷水を浴びせかけられたように肝が冷えるのがわかった。
カインシーザの殺気とも違う超然とした何かが、高揚するファルガの心を鎮めた。
カインシーザから恐ろしさを感じたわけではない。ただ、熱を帯びていたファルガの心が急激に冷えていく。しかもその感覚は、自身で感情をコントロールしたのではなく、外部的に何かの因子を受け取り、勝手に心が落ち着いていく感じだった。それはちょうど、神皇ゾウガと最初に邂逅した時の、穏やかな感情になっていくのにも似ていた。
「……我々は神勇者だ。しかし、神ではない。
我々の本分は、君たちの言うところの『精霊神大戦争』にて、神皇様に代わり魔神皇を抑える。
ただそれだけ。
そして、その本分を全うしたならば、我々の仕事は完了している。次の魔神皇の復活は、少なくとも君たちの時代ではなく、その孫の代以降でも起きえないだろう。
今、別の界元の神勇者が育つのを見守るのは、また別の話であり、我々の本分ではない」
先程まで窓の外から外の景色を眺めていたカインシーザだったが、ファルガの方に向き直ると、落ち着き払って、というよりは感情の起伏なく話すのだった。
ファルガは、神勇者として最前線で戦う時とは、全く別の種類の難しさを感じていた。
ファルガが収まってきたことを確認できたカインシーザは、少し間を空けた後、話し始めた。
「結論から言うと、俺はギラオ界元が消えゆく存在であることは知っていた。
……というより、気づいていた。君が界元に到着してすぐに≪索≫を飛ばした時には、既に界元の崩壊は始まっており、君には負荷が大きすぎる苦しみが伝わってしまったに違いない。
だが、思い出してもらいたい。あの苦しみの『氣』の気配の先に、君は何を感じた?」
「何……って」
ファルガが界元の消滅の瞬間、≪索≫の術を飛ばした時に、ありとあらゆる痛みと恐怖と不満とが一気に心に流れ込んできて、彼は嘔吐した後、気を失っている。
だが、その『氣』の内容を精査してみると、確かに苦しみや痛みを嘆くものではあったが、ファルガのよく知る『氣』ではなかった。どちらかというと、彼が忌み嫌う雰囲気を伝える『氣』だった。
ファルガの目がゆっくり見開かれていく。
「あれは、『魔』の氣だった……」
「おかしいだろう? 我々は『妖』の神勇者をサポートしに来たはずなのに、なぜこれほどにこの星は『魔』の氣で充満している?」
「……そういうことだったのか……」
ファルガは思わず呻いた。
ギラオ界元は、既に『魔』の手に落ちていた。
だが、考えてみれば当たり前のことだ。消滅する神皇ビュウラックに、魔神皇ゼクソンを倒せとギューたちはいわれている。
ギラオ界元の神闘者が神皇ビュウラックを完全に機能停止させ、消滅させた。それは即ち、この界元では『魔』が大勢を占めるのだということ。
それでも、神皇ビュウラックが消滅してからそれほど時間が経過していないせいか、『妖』の村はまだ幾らかは存在していた。
ファルガたちがゲートを通じてやってきたその場所は、恐らく『妖』の残された数少ない集落のそばだったのだろう。そして、人々はそこで隠れ住んでいた。
そして、『魔』は残された『妖』の隠れ集落の幾つかの存在に既に気づき、駆逐しようという体制に入っていた。
もし、圧倒的多数の『魔』が超少数の『妖』を相手にしたならば、何が起きるか。
虐殺。
目の前にいる存在が悍ましくて仕方ないのだ。
自分たちの手が汚れようとも、最も残忍な殺し方をするに違いなかった。ひょっとすると、無理に生かしての生体実験の材料にしたかもしれない。
それを阻止するための、魔神皇退治の指示。
一見すると自爆行為にも感じられるが、ギューが魔神皇ゼクソンを倒したことで、殆どの生命体が、何も感じぬまま消滅したに違いない。『妖』であれ『魔』であれ、恐怖を感じることなく消えることが出来たならば……。
最悪の苦痛を与えられての消滅とどちらが良いだろうか。
少なくとも、『妖』はいずれ消される運命だった。それならば、苦しむ消滅よりは苦しまぬ消滅という選択肢を取ることを誰が責められようか。
「……それは思考誘導だ」
カインシーザの言葉に一瞬納得しかけたファルガだったが、そこで抗弁する。
「現状よりもひどい状況を示し、現状がまだましだといわせる論法は卑怯だろう」
「俺の意見ではない。ビュウラック様の考えだ。その考えがベストであるとお考えになってしまったのだろうな」
ファルガは憤怒の表情を浮かべ、カインシーザを部屋に残し、立ち去った。
あとに残されたカインシーザは、空を仰いで呻く。
「怒るか、ファルガよ。
……俺だって、何とかしたい。この異常な状況を。だが、現状では打つ手はなかった。
だからこそ、我々の任務である『見守りの神勇者』を完遂しなければならないのだ。育った貴重な神勇者の人材を消されないために。
そして、そこかしこで行われる『妖』と『魔』の抗争を何としても終わらせなければならない。たとえ、どんな形であったにせよ」
カインシーザは言葉を苦しげに吐き出すと、彼も部屋から外に出た。
見渡す限りの漆黒の闇。
ドイム界元の神皇ゾウガの城からの景色とは全く異なる。
これも、恐らく界元神皇の疑似仮想空間なのだろう。見上げれば、頂点の見えない巨大な塔。下を覗き込んでも、塔の聳える大地が見えない。一本の巨大な柱が立ち、そこに幾つもの窓やバルコニーが存在する。一見すると、古代帝国イン=ギュアバの高層ビルディングのようだが、あの建造物は大地に根付いていたし、頂点も見えた。
だが、界元神皇の城……というより建造物は、ただ中空に浮いているようにしか見えなかった。恐らく、このバルコニーの数だけ、界元が存在し、そこに行くためのゲートが魔法陣によって保護されて鎮座するに違いなかった。
ファルガは何となくそう思った。
そんな建造物のバルコニーに出たファルガは思い悩む。
『魔』とは、悍ましいものであり、憎悪の対象。
だが。
それは、『妖』から見た相対的な価値観であり、逆の立場から見れば、『妖』がその立場なのだ。
『魔』から見れば、『妖』こそ、滅ぼさねばならぬ存在ではないのか。
自分は『妖』の立場から行動することしか出来ない。感じることしか出来ない。
しかし、その関係を包含した立場というのはないのだろうか。
それは無理だとしても、緩和するための道具や術、何か方法はないのだろうか。
相手が悍ましいから排除する。相手がこちらを排除しようとするから抗戦する。
それでは、何の解決にもなっていない。
せめて、『妖』が『魔』の悍ましさを感じずに済み、『魔』が『妖』を理由なく憎む必要がないようにする方法はないものだろうか。
ふと『巨悪』グアリザムとの戦いを思い出す。
ファルガは魔神皇を自称するグアリザムと戦った。そのグアリザムは、体に『妖』と『魔』の氣を持ち続けていた。
だが、本当に相手が『魔』のみの存在だとするならば、そもそも刃を併せたり、拳で接触することすら出来ずに、気を失ってしまったのではないか。
純粋な『魔』だけの氣を持つ生命体を初めて感じてみて、頭を擡げた疑問だ。
本当に相手が『魔』のみだとしたならば、そもそもコミュニケーションをとることすらままならないのではないか? 氣の性質が異なるだけで、生命的には同じ存在。繁殖すら容易だ。その関係が成立するなら、『氣』の種類というものを書き換えたり中和することが出来れば、表面上はうまく生活出来るのではないか? たとえ水面下では蟠りがあったとしても。
……ラマ村のように。
そして、その方法は意外と近くにあるのかもしれない。
『妖』と『魔』の混在する生命体で、『魔』の側面を前面に押し出す技術だった『黒い稲妻・誘魔弾』。ならば、それと同じ方法で逆の技術も存在するのではないか? まさに、『誘妖弾』とでも呼ぶべき技術が。それを『妖』の神皇は使えたのではないか。
『魔』の氣しか持たぬ存在を、自分は実は出会ったことがないのだということに思い至ったファルガは、一度、頭の中を整理する必要性を感じていた。
そして、一度何としても界元神皇に話をしてみたかった。
『見守りの神勇者』としてではなく、観察者として、別の界元を訪れてみたかった。
……別の界元を訪問する機会は、割と直ぐに訪れた。
ただ、そこへは、『見守りの神勇者』として行くしかなかった。
新たなる旅立ち。
ファルガは、カインシーザとギラオ界元の神勇者ギューと班を組み、まだ見ぬ新しい界元に赴任することになる。
自分の中で矛盾なく、考えながら話を作るのは面白い半面消耗しますね……。
 




