行方不明の子供たち
決して狭くはない筈の鍛冶場ではあったが、壁にかけられた様々なサイズの槌や吹子、金床などの鍛冶場特有の道具が場を占拠しているせいか、作業者には若干手狭に感じられた。
竈は、その体内に踊り狂うオレンジ色の炎を宿す。体に穿たれた穴から漏れ出る光は、全身が汗で煌く二人の男の姿を、鮮やかに浮かび上がらせる。
一人は壮年の男性、そしてもう一人は少年だ。
少年は、鋏で赤黒く輝く鉄を抑え、男性と交互に打ち続ける。槌の一撃が、作業場内に鮮やかな火花を散らしている。
少年は、板状に成形された鉄の塊を準備された水に浸した。
次の瞬間、赤黒くなっていた鉄が急激に冷やされ、水蒸気が鍛冶場内に充満する。
この鉄の棒は砂鉄から成形されたもので、これをつなぎ合わせ長くし、研ぐことで鋼鉄の剣になり、短いまま研げば鋼の包丁になる。そして、ラン=サイディールの端に位置するラマ村の出荷物の重要なものの一つとなっている。
「よし、火を落とせ、ファルガ」
ファルガと呼ばれた少年は頷くと、竈の吸気口部分に石を置いた。そうすることで竈の火を落とすことが出来る。最新式の竈は足のペダルで吸気口部分を開閉できるものもあるようだが、この鍛冶場にはそんな良いものは置いていない。完全に火を消してしまうと、再度火を入れるのに数日かかる。火力を落としつつも完全には火を消さないことこそが、製品の安定出荷につながる。それが彼らの考え方だった。
人手を使い、大量生産の体制を作りつつある都の鍛冶屋集団は、人海戦術で粗悪品の鉄を作り、それを加工することで刃物等を安く販売した。
その鉄を作って作られる包丁や剣はやはり安いが、すぐに壊れるため、新しいものがどんどん売れる。そんないい加減な商売だが、ギルド化し、専売に近かったため、売り上げは上がる一方だった。
よい鉄を作り、そこから良い得物を作るとして有名であった彼らも、寄せる粗悪品の波に押され、食い扶持を稼ぐので精一杯だった。
「上がりですか、親方」
竈の火の様子を確認しながら、少年は尋ねた。
「そのほうがいいだろう? レナのパーティーにそのままで行くわけにもいくまい」
大の大人でも両手で扱うのがやっとの大きな槌を、片手で軽々と扱うこの男。無表情なのは、蓄えた口髭や、竈の火を落としたことで作業所に訪れた暗闇のせいだけではないだろう。
それでも、ファルガにはなぜか親方が口角を上げている様子が簡単にイメージできた。
「俺にもおめかしの時間は欲しいんだよ」
男は豪快に、それでいて心から楽しそうに笑った。
薄暗くも灼熱の作業場から外に出た二人は、全身で大きく伸びをした。徐々に傾きつつあるものの、まだきつい夏の日差しに半裸の二人の汗ばんだ体が光る。
ファルガと呼ばれた少年の上背は、親方の胸くらいまでしかないが、決して貧弱な印象を与えない。肩まである黒髪を紐で軽くまとめ、前髪が額を隠している彼は、整った顔付きはしているものの、取り立てて人目を引く顔ではない。
街を歩いたとしても、同年代の少女はほとんど振り返らないだろう。彼を良く見ていた娘だけが振り返る。
少し釣り上がった大きな瞳。通った鼻筋。風に靡く癖毛も彼を目立たせるには及ばない。親方が高身長なだけで、二人並ぶとかなり低く見えてしまうが、実際のところは小等学校の高学年程の年齢と言う事を考慮に入れれば、決して低くはない。
それに対して、ファルガに親方と呼ばれる男は巨躯の持ち主であり、すべての人間を見下ろすことができた。だが、その体格に似合わず、穏やかな男であると村の中でも評判だった。仕事以外では。
豊満な口髭は気難しさを示しているように見えるが、実際のところはどうなのか、ということは目尻の皺で伺える。角狩りにしているのは、仕事の効率を考えたゆえだと思われるが、弟子であるファルガの長めの髪について文句を言っているのを聞いたことがない。ただ、彼は決して若い頃の話をしようとはしなかった。特にファルガの前では。
二人は言葉なく、眼下に広がる海を眺めていた。特に言葉で確認したわけではなかったが、二人とも仕事後にこの海を眺めるのが好きだった。ゆっくりと沈み行く太陽に染め上げられた、波打つ黄金の大海原を……。
だが、今日だけはのんびりその光景を楽しんでいる時間はなかった。
今日は、ファルガの幼馴染みであるレナの誕生会を催すことが決まっていたため、それに間に合うように、だいぶ早めに仕事を切り上げたのだ。
「会場に行く前に、一度うちに寄れよ。一緒にいこう」
「わかりました。帰って着替えたら、すぐ行きます」
ファルガは首に掛けた手拭いで顔を拭いながら答えた。
だが、今持っている手拭いだけで汗が拭きとれるとは思えない。いつもだったら軽く拭き取って終わりの行水も、今日だけは本格的に、水で濡らした布でごしごし体を洗いたい気分だった。
ファルガは、鍛冶場と村とを結ぶ、森の中に切り開かれた道を自宅へと急いだ。
ファルガの自宅は一人暮らしの割には大きい。木造平屋の家は、家族と共に暮らしていた頃のままだと、親方ズエブからは聞いている。もっとも、彼のこの家での生活の最も古い記憶でも、両親とともに暮らす様は思い出せない。自身の両親は、既にこの世にはいないのだろうと考えていたが、それをズエブたちに伝える訳でもなく、一度も寂しいと口にしたこともない。深く悩むよりはとりあえず行動してみる、という彼の気質もあるだろうが、それ以上に、両親がいたとされる過去の生活より、ズエブや村の人たちと暮らしている現在の生活に必死だったからともいえる。
彼は本当の両親がいない事の悲しみを上回る幸せを、ズエブに与えて貰っていた。
親がいない事が、他の同年代の友人たちと違うという認識はあった。だが、それは寂寥感ではなく、己が他者との間に持つ微かな違和としてしか感じていなかった。
無論、自分の実の両親に興味がないわけではない。今、彼が持っている両親の知識として、父はかなり著名な考古学者であり、母は食事処の看板娘だった、という程度の知識だ。
だが、それを調べた所で今の彼には何もできないし、調べる方法も思いつかない。いずれは両親がいない理由を調べたいとは思っていたが、今がその時期ではないとなんとなく思っていた。今は早くズエブの元で修業を積み、一人前の鍛冶職人となって自分の作業場を持ちたい。そちらの願いのほうが大きかった。
この家は、両親の死後売却されるはずだったが、ズエブの嘆願によって残された。
乳飲み子ファルガも、いずれは独立するときが来る。その時に、彼がその家に住むかどうかはわからないが、その選択肢は残しておいてやりたいと考えていた。そして、ズエブの親友であったファルガの両親の存在を、ファルガが知らないでいることをズエブは是としなかった。
ズエブの妻のミラノは、ファルガが孤児であることを伝えるのは反対したが、ズエブは頑として譲らなかった。ファルガには父と母がいた。それを伝えたかったのだ。
そして、少年ファルガは現在その家で生活している。
ミラノは、ファルガの両親がいたとされる家はそのままにしておいて、ずっと自分の家で暮らせばよいと言ってくれた。だが、ファルガは固辞した。自分の親との関係をそこまで強く意識したわけでもなければ、ズエブ一家に気兼ねしたわけでもない。
彼は単にそうすべきだと思い、また、そうしただけだったが、結果他の村人との関係もしっくりと来ているようだった。
ミラノは相変わらず心配はしていたが、しつこくファルガに意見することはしなかった。
「困った時は必ず言うのよ」
その一言でファルガを一人暮らしに送り出したミラノ。
今も言葉こそ発しないが、様々なことを常に気にかけているようだった。
ファルガ自身はここに住むと宣言こそしたものの、余りこの家にいたいとは思わなかった。一人暮らしには大きすぎるからだ。不思議なことに、家族で住んでいたはずの家なのに、父や母が生活していた痕跡が殆どみられない。服などは無論の事、食器なども。この家に住む時に、ズエブが盛んに口にしたのが、身長を測る時に傷つけたとされるナイフ傷。この傷は、父が友人たちと身長を競う時につけたものだと言われたが、父がそこにいたという証がそれしかないのも疑問ではある。
自宅に到着したファルガは、家に隣接した物置小屋から盥を持って来て、そこに水を張った。服を脱ぎ、井戸から汲み上げた冷たい水に手拭いを浸し、顔や背中、特に腋の下を念入りにこすり、汗のベタつきを取ろうとした。火照りが取れた後の汗の涼しさが、水の冷たさに変わり、なんとなく心が締まる気がする。その後、彼は 彼は盥に顔をつけるように髪を水に浸し、その中でゴシゴシと擦ると、そのまま水を飛ばした。
行水を済ませた後、だいぶ年代物ではあるが、綺麗に洗濯してある服に袖を通した。
一応彼の正装だ。ズエブに一人暮らしをする時に渡されたものだが、これはおそらくズエブの子供時代の正装だったに違いない。
何時だったか、タンス内の服の余りの少なさに、
「買ってやるからついてこい。何か欲しいものがあるだろう?」
と、ズエブに言われた事もあったが、ファルガは断った。
特に欲しいものがあったわけではないし、服が少ないことに対して劣等感を持ったことはない。
むしろ、服を選ぶ手間が省けて面倒くさくないという気がして、あえて服の数を増やそうとは思わなかった。現在は、家と学舎、そして鍛冶場を行ったり来たりする日々だ。そして、ほんのたまに新都デイエンに納品に行く。そんな生活に数多くの服は必要ない。そう考えていた。
ちなみに学舎とは、都市で言うところの小等学校に相当し、学問の基礎を学ぶ所だ。教師役は村の大人たちが行なった。舎というと聞こえはいいが、いわゆる村の広場に生えている木に麻のシートをかけ、直射日光や雨等を防ぐだけの東屋である。そこに蝋石や石版を持ち込み、読み書き等を学ぶ場となっている。
彼は、洗濯用の盥に汚れ物を投げ込むと、来た道を戻りはじめた。そのまま進めば鍛冶場だが、途中で枝分かれし村の中心へと進む道がある。そこから誕生パーティーの会場に行くことが出来る、はずだった。
鍛冶場の隣はズエブの家がある。平屋ではあるが屋根が高いため、天井までの空間が広くとってあり、かつてはそのロフト部分にファルガが寝起きし、今はズエブとミラノの娘のズーブが寝起きしている。周囲の林より少し高い屋根を持つズエブの家が、木々の向こう側に見えた時、ファルガは何人かの人間が道にいることに気付いた。だが、誰かまでは夕暮れの暗闇に紛れ、確認できない。
ファルガが再び鍛冶場に向かいはじめた頃、ズエブの元に来訪者があった。今日の晩に催されるパーティーの主役であるレナの母親、ナイルの母親に、インジギルカの父親の三人である。
三人は、不安げな表情を隠そうともしていなかった。
母親たちは、家事の邪魔にならないように頭に三角巾を巻き、足首まで隠れたワンピースにエプロンを首から掛けているという出で立ちで、違うのはワンピースの色位だ。パーティーに出される料理の仕込みをしている途中らしかった。
インジギルカの父親は樵で、手斧や片手鋸などの枝打ち用の得物を腰に着けたままで、服装も袖口をきつく縛ってあり、山に入っても大丈夫なものである辺り、仕事終了後、とるものとりあえず直接ズエブの元を訪れたように思われた。いかつい顔には三人の主婦にも負けずとも劣らず不安を押し隠せない表情が浮かんでいる。
「どうしたのですか? 皆さんお揃いで……」
深刻そうな顔をした三人の親達を見て、ズエブは不思議そうに言った。
皆暫く沈黙していたが、やがて口火を切ったのはレナの母親だった。
「うちの……、うちの娘がいないのです」
他の両親たちも、口は開かないが無言で頷いており、彼等の子供達も見当たらない事が分かる。
だが、そう言われたところでズエブにはどう言っていいか分からない。
職場と住居が隣接しているため、毎日他の村人と会うわけではない。たまに農具の修繕の依頼に来た村人と会う程度だ。それでも、村人との関係は良好ではあったが。ましてや、来訪者の子供たちがズエブの家に遊びに来たことは、近年では殆どない。ズーフがまだ乳飲み子であった頃は、レナやインジギルカのような女児は、彼女を可愛がりに立ち寄ったことがほんの微かに思い出される程度だが、ズエブのところに来るというよりは、彼女らが乳飲み子ズーフを抱くミラノに話しかけているのを、鍛冶場の窓から見かけた程度に過ぎない。ファルガが家を出てからというもの、彼らは直接ファルガの家を訪れるようになっており、なおさら足を運ぶことがなくなっている。
ズエブは少し面倒くさそうな表情をした。
内心、ファルガがした悪さの苦情を言いに来たと、勝手に思い込んでいたからだ。
実際、ファルガも年相応の悪戯を良くしたもので、ミラノと共に各家庭を回って謝罪したものだ。
だが、そう断言してしまってはいけないような、何かいつもと違う雰囲気がそこにあった。ファルガより三歳年上の、言ってみればガキ大将のナイルの母親まで来ている。
ナイルは快活な少年で、武道の心得もあり、子供たちには絶大な信頼を寄せられていた。信頼を寄せているのはファルガも同じだったが、ファルガはどこかナイルを目標として、ライバルとして見ている節があった。
そして、悪戯をして怒られるのは、ファルガとナイル両方であり、どちらかと言えば悪童として一括りにされている節があった。
そのナイルの母親もこの場に来ていること。それは今ここに話を持ってきた村の女性陣の話が、男のズエブからすればとるに足らないと思えるようないつもの悪戯の類ではない事の証であったのだが、流石のズエブにも何が起きているのかは見当がつかなかった。
「ファルガですか? 奴なら先程仕事を終え自宅に戻っています。パーティーに参加するための準備をしているはずです」
「お宅のファルガ、あの子は一日仕事をしていたんですか?」
「ええ。奴は一日中作業場にいましたよ」
「では、うちの子から何か聞いていませんか? どこかに出かけるとか……」
ファルガの両親がいない事は周知の事実だったが、ラマ村の全ての住民は、そんなことは気にせず、ファルガをズエブの子供としてみている節があった。
その為、ファルガに対する苦情も感謝もすべてはズエブの元に届く。今回もズエブの元に親たちは尋ねてきた。
ズエブはこの村の生まれではない。妻のミラノと共に、ファルガの父の紹介でこの村に移り住んだ。十数年前のことだ。ラマ村のような規模の非常に小さい村では、村民以外にはかなり閉鎖的であるのが普通だが、ズエブの面倒見の良さ、手先の器用さ、妻ミラノ、娘のズーフの人懐こさがそれを容易にした。
そして今では、ファルガが何か悪戯をすると、必ずズエブの元に苦情が行き、悪戯をした家にファルガと共にズエブが謝りに行き、玄関先でファルガの頭に強力な拳骨が炸裂、そのあと、ファルガの謝辞があり、村人が許す、というパターンが確立している。
こう書くと、いかにも中のいい村人同士のやり取りに見えるが、実はこれはとんでもないことである。文字どおり、奇跡と言っても過言ではない。
というのも、元来小さな村の村人は、よそ者に対して非常に猜疑心が強い。そして、彼らの持つ心の境界線は、よそ者と認識されている人間が例え何十年その村に滞在しようと、決して入れられることはない。余程村に対して何かで貢献するという実績を作らない限りは、村に受け入れられることは、十中八九有り得ない事だ。そして、仮に受け入れられたとしても、「奴らの爺さんの代の移住で、元々のこの地方の出じゃない」という表現がなされる。もう、そこまで行くと神話レベルまで遡りそうですらある。そんな閉鎖的な側面を持つ村が、悪戯をするファルガたちを受け入れること自体が奇跡であった。
読者の方も、村へ派遣された駐在員が苦労する話というのを聞いたことがあるだろう。大きな事件があり、村人への真摯な姿勢を見せた駐在員が村人の中に受け入れられていく物語は、それだけで感動を呼ぶ物語だ。だが、その感動は、達成するのが困難であるが故に与えられる。ズエブ、ミラノやズーフは、それを成し遂げた訳だ。
様々な経緯を踏んで、彼らは村に溶け込むことが出来、村人の腕白な子供になることができた。それは彼が、村の持つ独特の雰囲気に完全に溶け込めたことを意味する。だが、村という閉鎖的な空間は、悪戯にも一定の限度というものを設けさせる。
それは、『村八分』という刑が存在する、村という集合体ゆえの恐怖が原因なのだろう。村八分の刑は、刑を受けた村人に対して、他の村人が完全に無視することを意味する。それは、村という閉鎖的な空間であるからこそ効果がある刑なのだ。これは、ある意味死刑より恐ろしいものだ。
例えば、ある少年が婦女を暴行したとする。その時、その少年の家族は当然村八分の刑になる。つまり、村の人間から一切の交流を断絶されるのだ。つまり、周囲の人間がすべて敵になるのである。もし、これが大都市ならば、自分たちの知らぬ土地へいき、そこで新たな生活をはじめることが可能だが、小さい村という非常に狭い世界だと、そうはいかない。
村を飛び出したとして、他の村に受け入れてもらえる可能性はまずない。その理由は、先ほど記した通りの村の心の境界線が原因となっている。
どこにも受け入れられることのない家族は、余程強い意志を持つ家族でもない限り、失意のまま一家で命を絶つことが多い。そういう意味では、ある意味死刑よりも恐ろしいものとなる。だからこそ、村人は村八分を嫌がる。そして、村八分を怖がるからこそ、村の中に秩序ができるのだ。
従って、村の中ではいたずらの中でも、絶対に超えてはいけない壁というものが存在する。それは、為政者が管理の容易さを求めて作り上げた法典には存在しない、厳しさというものがある。決して賄賂などでは事態を歪めることはできないある種の冷酷さが存在するのだ。それは一重に、村の中の掟というのが、自分たちにより密接に関係してくるからに他ならない。そういう意味で言えば、国の法規など抽象的すぎるといえるのかもしれない。
村の子供たちの悪戯は、ラマの属する国であるラン=サイディール国の旧首都テキイセに蔓延する、限度を超えた悪戯……強姦、強盗、殺人など、人の尊厳を踏みにじった、悪戯とはとても呼べない代物とは、確実に一線を画するものだったといっていいだろう。
「もう少しすれば、ファルガもここに戻ってくる筈です。その時に確認してみましょう」
ズエブがそう言うか言わぬかのうちに、森の向こうから、ファルガのズエブを呼ぶ声が聞こえてきた。
「戻ってきたようですな」
四人の視線が到着したファルガに集まる。だが、それはいつも悪戯に対して苦情をいいに来るものとはまた違う、この場にあるただならぬ雰囲気を彼も感じたようだ。
ファルガは、三人の友人の親の表情を何度も見ては事態の把握を試みたが、結局わからずに、最後にズエブに尋ねた。
だが、口を開いたのはインジギルカの父親だった。
「うちの娘たちがいないのだ。ファルガ君は、三人がどこに行ったのか聞いていないか?」
インジギルカの父親に言われて、ちょっと考えてみたが、心当たりがあるにはあった。
即座に、いたずらっぽく微笑んだ三人の表情が脳裏に思い浮かぶ。それはちょうど、ファルガが『その場所』にいくのは止めておけ、と告げた昨日、三人の仲間達が彼の言葉に反応して浮かべた表情だった。
(あいつら、結局『鬼の巣』に行ったんだな……。
そう言えば、ナイルがレナに何か見せるものがあるとか言っていた気がするな)
ファルガはちらりと自分の服に目をやる。
なめし革のズボンに緑のシャツ。一応これが彼なりの最大限のおめかしだった。
「その……、聞いてはいないんですが、心当たりはあります。今から呼びに行って来ます」
そう告げると、少年は身を翻して走り始めた。
「おい、インジーはどこに……」
インジギルカの父親の喚き声が彼の耳には届いていたが、ファルガは構わず走り去った。
『鬼の巣』。
ラマ村のはずれにある、洞穴のことである。
火山活動によってできた洞窟といわれているが、中は入口の広さから推測できる以上に深く広大だと言われ、誰も洞窟の端に辿り着いたものはいないとされている。
こういう得体の知れない洞窟は、特に村などの閉鎖的な集団であればあるほど、何かいわくありげに語られる。
洞窟には幽霊が出る、もう一つの出口があってあの世に通じている、洞窟自体が魔族ガイガロス人の遺跡がある等、それらの口伝は概して突拍子もなく、いい類の噂ではない。そして、面白い事にその内容は時代とともに変遷していくものだ。恐らく、ナイルやインジギルカの親の代には、また今では想像のつかないような別の噂があったはずだ。
こういう種の噂話には事欠かないが、ラマ村の大人たちは子供達がこの洞窟に入って遊ぶことを極力嫌っていた。
それは、今の大人たちが子供の頃、あの洞窟で神隠しがあったからだ。
もちろんその神隠しは既に解決している。
当時まだ名前のなかったこの洞窟には、殺人鬼が住み着いていた。
その殺人鬼は、当時のラン=サイディールの首都テキイセで犯罪を重ねた異常性癖者であり、テキイセから行方をくらまし、この洞窟に潜伏していた男だった。
人目を忍んで村に潜入、村のはずれの洞窟を根城にし、探検しにくる子供達を掴まえては殺していたのだ。
彼等の親達、つまり、ファルガ達にしてみれば祖父母にあたる年齢に当たる人達がなんとか逃げ出してきた子供から話を聞き出し、武器を手にとり中に乱入した時には、神隠しにあったとされる子供たちの遺体が全員分揃っていた。恐ろしいことに、その遺体は必ず体の一部が欠損していたが、どうやらそれはこの男が遺体を食した痕跡らしかった。
殺人鬼は確かにその場にいたが、すでに正気は失われていた。
殺人鬼は引き回され、磔にされ、燃やされた。だが、体に火が燃え移っても、その殺人鬼は悲鳴一つ上げず、狂気の笑みを浮かべていたという。
当時の人々は改めて恐怖し、殺人鬼のいたあの洞窟を『鬼の巣』と呼ぶようになった。入り口は閉鎖され、子供達にはそこには絶対に近付かないように言い伝えられた。
だが、その洞窟の中であった真実を詳細に子供たちに伝えることはなかった。恐らく無用な恐怖を子供達に与えないようにとの配慮であると思われる。
時が経ち、その子供達が大人になる頃には、そのような昔話を覚えている老人もほとんど居らず、何も伝えられなかった子供達が大人になり、その子供達に何も教えなかったため、『鬼の巣』で何が起きたかは忘れ去られ、『鬼の巣』という洞窟の名だけが残った。そして時は人々の手によって洞窟を閉鎖したバリケードも取り除かせた。
今では、鬼の巣は子供達の遊び場と化してしまっていた。最初の頃は、洞窟の奥に入り過ぎて出てこられなくなった子供もいたが、今ではそれもなくなり、良い遊び場である……筈だった。
ファルガが『鬼の巣』の入り口に到着した時には、日は大分傾いていた。
迫る夕暮れを知らせるセミの声が、とある夏の一日の終わりを告げる。もう少しすれば太陽は森の奥に沈み、辺りは漆黒の闇に包まれるだろう。
森の中に突然開ける広場。そして、広場の一部の崖に口を開けた洞穴は、一見するとひどく浅い物のように見える。入口に大きく垂れ下がった蔦が、周囲の濃淡と相まって、洞窟の入り口そのものが、牙を剥いた鬼の顔に見えなくもない。今の子供たちがその入り口の様子が『鬼の巣』の名前の由来だと信じているのも無理はないかもしれない。
それほどにその洞窟の醸し出す雰囲気は不気味なものであった。
だが、それゆえに子供たちはそこを探検し、肝試しをした。そこを根城にし、遊びの一環としていた。ファルガもその一人である。
ファルガは鬼の巣に駆けつけるにあたって、照明となるものを何も持っていなかったが、幼馴染の三人がいるであろうというその場所は、少し奥に入ったところであり、そこに入るには、照明が欠かせなかった。
ファルガは、既に余所行きの服を身につけていた。その為、今更洞窟内に入って服を汚す気はなく、入口から三人に声を掛け、呼び戻すだけのつもりだった。
洞窟の入り口のところで、大声で中に呼びかけるために大きく息を吸ったところで、彼は洞窟の中から人の声がするのに気付いた。しかも、どうやら激しく口論をしているようだ。
声は一度途切れ、またやり取りがなされた。だが、洞窟の中ということもあり反響して内容まではよく聞き取れない。
一方は子供の声。恐らくナイルの声だろう。そしてもう一方は大人の男の声だった。
一抹の不安がよぎる。
なぜ、この場所に大人がいる?
村の大人の誰かが、三人の居場所に当たりを付け、既に三人を迎えに来ているのならば話はわかる。何かを言い合っているのは、迎えに来た大人に、立ち入り禁止を宣告されている鬼の巣に入ってしまったことを叱られているとも考えられる。
だが、細かい言葉のやり取りはわからないが、取り交わされている言葉の勢いから推測するに、そんな穏やかな内容ではない事が何となく感じ取れる。
どちらかといえば、あの比較的温厚なナイルが敵意を剥き出しにしているようにさえ感じられた。若干取り乱しているようにも思える。
ファルガの感じた不安は徐々に増大していく。
一瞬、大人を呼びに行くことも考えたが、意を決したファルガは、手探りでゆっくりと洞窟の中に足を踏み入れた。
夏場でも、洞窟特有のひんやりとした空気がファルガの頬を撫ぜ、少し泥臭い湿った匂いが鼻腔に届く。ほんの少しだけ、目が慣れた気がしたファルガは、ゆっくりと歩みを進めた。
しばらく洞窟内を進むと、次第にやり取りはっきりと聞こえてきた。それと同時に三人が持っている照明だろうか、光が洞窟内の凹凸を浮かび上がらせ、ほんの少しだけファルガは歩きやすく感じた。
近付いていくに連れ、声の主は相手を激しく罵っていることに気付いた。ファルガは歩みを止め、耳を澄ませた。
少し声変りが始まったナイルの声は、洞窟内に反響してエコーがかかったようにファルガの耳に届くが、話している内容ははっきりわかった。
「これ以上近寄るんじゃない!」
「いやいや、こんな時間です。皆さん、お腹も空いたことでしょう。私が皆さんに素晴らしい御馳走をして差し上げますよ。遠慮などなさらず」
「要らないから、早くどっかいけ!!」
何が起きている? 洞窟内で御馳走? そもそも、ナイルと激しく言葉を交わす声の主は誰だ?
明かりを持たぬ彼は、足元を確認しつつ、転ばない程度に先程より歩みを早めた。
今までは入り口からまったく分かれ道がなかったため、真っ直ぐに来る事ができたが、ここにきて初めて二股の道に出くわした。だが、ファルガは悩むことはなかった。分岐の左側の通路の奥から、明かりが漏れていたからだ。中から見た洞窟の入り口とはまた別の、薄暗い光とは違う、黄色い光。たいまつの光かろうそくの光かはわからないが、人工の光。声もそちらのほうからする。
声に近付いていくにつれて、今までに感じたことのない感情が胸の中に沸き上がってきた。今までの遊びの中で経験したものとは全く別の、危機感。何かこれを放置しておくと取り返しのつかないことになりそうな、一種の焦り。
明りの漏れてくるところはさらに曲がり角の向うだったが、ファルガは足を止め、物陰に隠れた。ナイルと謎の相手が、まがって直ぐのところにいる。
ファルガは息を呑んだ。
遅筆で済みません。しかも、以前書いたものの推敲なのに……。一度書いたものは、思考をしながら読まないと、そのまま流されてしまうことも多くて、後で、あれ? と思うことも多くなっています。
書き溜めてはいるのですが、それを今の自分のフィルタで修正すると、時間がかかってしまいます。
外伝は、無の状態から書いていたので、推敲作業は比較的楽でした。ところが、本編は、昔思っていた、設定と外伝を書いてさらに固まった設定との矛盾を感じられたり、と大幅に修正をする場合も増えてきてしまっています。
納得したものを載せて行きたいので、しばし時間かかりますが、お付き合いくださいませ。
ちなみに、本編もまだ全然書き終わっていませんので、書き溜めた分を載せ終わってから、さらに遅筆になる可能性があります。すみません。
まあ、死ぬまでに終わればいいや。