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界遊記  作者: かえで
新たなる世界

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199/253

もう一人の神勇者

 ファルガが、神皇ゾウガより呼び出しを受けたのは、件の戦闘の二日後の深夜だった。

 この星の神として、古代帝国で皇帝と共に過ごしているはずの女神ザムマーグが、わざわざ人目のつかぬ時間に、ファルガの家を訪問した。

 ファルガの家は、ズエブの家から森を隔てたところにある。

 ファルガの生家は、彼の両親がラマ村に移住するにあたり、ズエブと仲間たちによって建てられた木造平屋の家だ。ファルガが不在の間も、家が傷まないようにズエブの妻であるミラノが定期的にメンテナンスをしていたため、新築とまではいわずとも、非常に手入れの行き届いた家だった。

 その家の隣の物置として使っていた小屋に、今回ファルガが竈を設置し、自分の鍛冶場としたのが一昨年の冬。『お上り』の最後のリーダーの年に、ズエブから渡された給金で、竈の材料を買い揃え、一か月ほどかけて自分で竈を作り、鍛冶場として完成させたのだった。

 ザムマーグが訪問した時間は、ラマ村ですら空が明らむ前の深夜だったが、ファルガは既に目を覚ましており、リビングで椅子に腰かけて待っていた。

「ザムマーグ様。お久しぶりです。

 しかし、真夜中においでになるとは、只事ではないんでしょうね」

 ファルガがザムマーグに直接会うのは、件の戦いの一か月後、意識を取り戻した時以来だった。

 存在は感じていたし、思念でのやり取りも何度かはしている。

 だからこそ、可憐な女神ザムマーグがわざわざファルガの家を訪ねること自体が、異常事態の発生を物語っていた。

「流石ですね。

 先日の件で、ゾウガ様がお会いになります。詳しいことはそこで」

 ザムマーグはそういうと、出立の準備を促した。

 しかし、今は深夜だ。誰かに言伝をしていくわけにもいかない。そもそも、神皇ゾウガの所に行って話を聞いた後、戻ってきて元の生活を普通に送ることができるわけでもないだろう。

 一瞬躊躇するファルガ。

 せっかく仕事が軌道に乗り、ズエブからの仕事以外のファルガに対する個人依頼もぽつぽつ出始めた時期なのに。一人の職人としてこれからやっていけるかもしれないというこのタイミングで、その依頼を全て断るならまだしも、突然行方をくらまし、そのまま依頼を放置するというのは、どうにも納得できるものではなかった。

 だからといって、拒否をしたところで、神皇ゾウガ直々の呼び出しだ。この星どころか世界の存亡の危機などという、大規模な事案である可能性も高い。そう考えると、そもそもファルガの鍛冶職人としての生活など、些細なものであることは間違いないのだ。

 ……認めたくはないが。

 ザムマーグは、ファルガの躊躇に一定の理解を示すものの、青年に拒否の選択肢を与えるつもりは毛頭ないようだった。

「……ザムマーグ様。ゾウガ様との面会後、直ぐに出立せず、一日二日の猶予を貰うことはできますか?」

 暫く考えた後、ファルガは呻くように言葉を絞り出す。

 だが、その内容については、ザムマーグは明確には意思表示をしない。

 例え、ザムマーグが良いと言っても、ゾウガが不可だと言えば不可だからだ。

 かつて神勇者になる時にされたゾウガの話を思い出す限りでは、お互いに存在を知り得ぬほどの物理距離のある、干渉不能な他の界元と同様、神皇は無数に存在するという。そして、それらの神皇の中で最も力のある神皇がいる。同じ神皇でありながら、全ての神皇の頂点に立つ存在。

 そんな途方もない話だったゆえ、かつては聞き流したつもりだったファルガだが、今でも何事もなく思い出せるところをみると、割に強力にその情報を刷り込まれていたのではないか、と思ってしまう。

 ザムマーグの答えを待つまでの間に落ちた暫くの沈黙の後、ファルガは諦めたように言葉を吐き出した。

「……二日の猶予をください。それまでになんとか話をしてみます。それが無理なら勝手に連れ去ってください。それはもう俺のせいじゃない……」

 ファルガはそういうと、リビングに突然出現したザムマーグに背を向けるように寝室のベッドに横になり、布団を被った。可憐な女神に対する精一杯の抵抗だった。

 寝室の外に存在していたザムマーグの『氣』がスッと消えた。

 ファルガの予想に反し、二日間は何事もなく過ぎ、ファルガにやっと着いた顧客もズエブから説明をして貰ったことで、残念がりながらもある程度の理解を示してくれたのは、ズエブなりの頑張りの成果だったのだろうか。

 ファルガは二日後の早朝、ズエブ一家に見送られて旅立った。


 三年。

 もし、ファルガたちが生きている星と同じ時間の流れが、この空間にあるとするならば、青年神勇者がこの地を訪れたのは、『精霊神大戦争』が勃発する約三年前。つまり、およそ六年前になる。そして、二年半という時間をこの空間で過ごし、ファルガたちの住む世界に戻った。巨悪と対決するために。

 あの時は、少年神勇者ファルガ=ノンをこの地に呼んだのは、精悍な女神フィアマーグだったが、今回は神皇による呼び出しだった。

 しかも、何の予兆もなく。

 三年前はフィアマーグと共に降り立った塔に、今回は可憐な女神ザムマーグと共に降り立つ。

 以前と変わらぬ、湖の中にポツンと存在する神皇の居城。そして、そこから伸びて来る城への通路の先の塔に、ファルガたちは立つ。

 上空には大小様々な大きさの恒星や惑星が幻想的に浮かび上がっている。中には、地平線の向こうにその巨体を半分ほど隠している惑星すら存在する。そして、城の周りを囲う、鏡面のように穏やかな水面には上空の星々が反射し、眼下の湖の中にも広大な宇宙空間が広がっているように見えた。

 手の届きそうなほど近くを、一筋の彗星が通り抜けていく。彗星から無数に剥がれ落ちる氷の塊が青白い箒となり、空を彩った。彗星の放つ光がファルガとザムマーグの顔を鮮やかに照らし上げる。

 湖の周りには遠く山脈が連なり、山脈の向こう側には、どこもかしこも輝く稲光。しかし、空気を裂くゴロゴロという地鳴りのような音は全く聞こえない。

 まさに神の世界だといわんばかりの景色に、六年前同様、息を飲むファルガだが、そこでふとあるものに気づいた。

 空に浮かぶ超巨大な惑星の周りを取り巻く惑星環。その一部に、なんとなく見覚えのあるものが混じっていた。

 しかもその大きさは、ファルガたちがかつて巨悪を迎え撃った時の、上空に鎮座していたものに比べてとてつもなく小さく見える。神皇ゾウガの造ったこの地では、かの物体はあの時の距離よりずっと遠くに存在するということだ。

 ゾウガの造る疑似仮想空間には、いったいどれほどの量の物体が入るのだろうか。

 思わずファルガは呟く。

「……あれは彗星城か! ゾウガ様はどこかに移動させたと聞いていたが、まさかここに移動させていたとは」

 彗星城。かつての魔神皇の居城。

 ファルガは、魔神皇が三百年の間、精霊神大戦争を再度巻き起こすために力を蓄えながら移動をしてきたあの巨大な城が、神皇の城のある世界に未だ現存することに酷く驚いた。と同時に、思いの外冷めた目で彗星城の存在を認識していた。

 こんな光景を見てしまうと、様々な人間が命を賭して、或いは一生を賭けて行う様々な活動が、酷くちっぽけなものに思えてしまう。同時に、自分の職人としての活動も、この世界においてはどの程度の意味があるのだろうか、と思えてしまう。

 ファルガの記憶の中にある神皇ゾウガの与えた知識。その中には、役に立つ知識だけではなく、知らない方が幸せだったという類の知識も多数存在している。

 そのうちの一つ。

 その知識によると、悲しいかな、神勇者経験者は、過去から紡がれる『精霊神大戦争』の終焉後、人の生活に戻れずにそのまま死を選んでしまう者も多かったという。自分がこれからやろうとすることが、世界にとって意味があるかどうかがわからないということに気づいてしまうと、どうしても困難に立ち向かうモチベーションが保てない。

 結果、歴代神勇者の一部のように、人として全く好ましくない行動をとってしまうという感情についても、今のファルガにとっては酷く納得できる感情だった。そういう意味では、高次の存在として存在し続けるという選択をした二人の女神は、酷く心が強固だったといえるかもしれない。

 周囲を見回すと、湖をぐるりと回る連山のシルエットの一部が、完全に削り取られたように見える箇所があった。以前訪れた時、この場所にそんなものは存在しなかった。

 思い当たるのは、三年前。

 あの時の巨悪グアリザムとの戦闘で、魔神皇が作り出した直径数十メートルの恒星が、神勇者と神賢者の双頭≪八大竜神王≫で打ち抜かれた直後に、大爆発を起こした時の痕跡ではないのか。

 ……ということは、神皇ゾウガがファルガとレーテを使って巨悪をうまく呼び込んだ戦闘空間は、山脈を一つ隔てたゾウガの城のある疑似仮想空間だったということか。

 確かに、あれ程の力のぶつかり合いとなった戦闘だ。ファルガの住む星で戦闘に至ったならば、星のどの場所であろうと、未曾有の大災害に見舞われたような凄惨な状況になるのは目に見えていた。

 それを予測していたゾウガが、自らの住む疑似仮想空間に引き摺り込むことを画策していたのだとしたら、それは酷く合点のいく話だ。そして、かの神皇はそれをやり切った。

 魔神皇を名乗る巨悪・グアリザムに勝利したのはファルガだ。だが、そこに至る経緯で、神皇ゾウガは粉骨砕身の働きだったろう。

 妖の最大の敵である魔神皇を『喰らった』巨悪グアリザム。もはや、神皇の持つ最大戦力である神勇者でも、太刀打ちできるかどうかは定かではなかった。

 そして、案の定神勇者一人では太刀打ちできず、本来であれば遠隔地で神勇者のサポートをするはずだった神賢者をも戦場にて参戦させざるを得ず、本来の神賢者や神勇者の戦力以上のパフォーマンスを要求した。

 本来であれば、『魔』の神皇との戦いは、メインで神勇者が行う。そして、その戦いの余波が彼らの星を汚染しそうな時に、その強大なマナ術や氣功術、場合によっては他の術を駆使し、余波を浄化するのが神賢者の役割だった。

 しかし、グアリザムには、サポート戦力を回したとしても太刀打ちできなかった。だからこそ、ファルガは戦いの最中、彼が恐れて止まなかったガイガロス人のドラゴン化をも、受け入れざるを得なかった。

 『精霊神大戦争』の枠を多分に超えた戦いであった三年前の戦闘。

 よく見れば、この疑似仮想空間のそこここに、件の規格外の戦闘の爪痕を見つけ出すことができた。神皇ゾウガの城とはいえ、規格外のあの戦火によく耐えたものだ。

 最初にここを訪れた時とは、全く違う思いを胸に、可憐な女神ザムマーグの後を追うようにファルガは歩き始めた。


 ファルガが通されたのは、ゾウガの城のとある一室だった。

 伽藍洞の割に、異常に部屋が広い。小規模な劇場のホール位の広さがあるが、その空間には何も存在していなかった。床に描かれた巨大な魔法陣以外は。

 そして、フードを被った背の小さな老人が、魔法陣の真ん中で待っていた。

「ザムマーグ、ご苦労様でした。

 ファルガ、これからすぐに移動しますが、準備はよいですか?」

「……二日間の準備期間があったとはいえ、呼び出しの内容を聞いていないのですから、準備ができているかどうかなんてわかるわけがないですよ」

 所謂生命と呼ばれる存在のある各星々に、一人はいるという『神』を名乗る高次の存在。そんな彼らの更に高次の存在である神皇ゾウガの呼び出しだ。事態は深刻なのはわかる。

 そんな状況であるにも拘らず、二日の猶予の要求に対して、それを飲んだのだから、ゾウガも最大限譲歩しているのもわかる。

 だが、その二日間で、何を準備すればよいのかなどわかるはずもない。やっておくべきことと言われて強いて言うなら、近しい人に不在にする旨を伝えるのが精一杯だ。

 三年前の戦いで、神勇者としての活動はほぼ終焉し、後は自分がどうやってあの村で……あの世界で生きていくかを模索していた時期の招集だった故、ファルガの不満は収まらない。

 やっと、一人の人間として生きる術を見つけ、それで精進しようとしていた矢先のことだったのもそれに拍車を掛けていた。

「まあ、それもそうですね。

 超神剣の装備は、持っていかずともよいでしょう。

 あの装備は、貴方がどこにいても駆けつけます。それに、超神剣の装備に何かあっても、修繕できる方もいますしね」

「え……?」

 唐突に『超神剣の装備』の製作者の話が出て、戸惑うファルガ。あの凄まじい武器と防具は、神皇ゾウガが作ったと思っていたが、違うのか……。

 それについてのゾウガの反応は、それがさも当たり前であるようなものだった。

「神勇者の武器防具は、殆ど界元神皇がお作りになったものです。

 私たち神皇は、自分たちの見届けるべき界元の、超神剣の装備作成の補助と保管をします。

 無論、界元神皇と神皇のどちらかが欠けても、超神剣の装備は出来上がりません」

 ファルガは二の句が継げなかった。

 正直、『精霊神大戦争』の真の目的が、『妖』と『魔』の戦闘によって生じるエネルギーを、界元の維持エネルギーとして確保することだとは思ってもみなかった。三年前に聞いた話ではあるが、『妖』と『魔』が相反するものであったとしても、互いが互いを嬲る際に発生するエネルギーが、万物を創生するエネルギーと同一の物だというのは、理解はできても納得はしていないし、したくもない。この何百億年という永い時が経過する間に、なんとか代替方法は見いだせなかったのだろうか。

 何らかの大いなる目標を達成するための、方法としての戦闘ではなく、目的としての戦闘。だが、存在エネルギーを生み出すための戦闘などという、そんな一見不毛としか思えないことをしてしか、星も界元も維持ができないという事実。

 どちらが欠けても、維持するためのエネルギーを作り出せず、消耗から消滅へと繋がっていく。物質界の自然な形とは、相反する者同士の闘争なのだ、と言われても胃の腑に落ちてくるわけがない。

 そして、その戦闘の手助けをするためだけの武器防具がある。

 超神剣の装備。

 鍛冶職人から見ても、それは素晴らしい武器と防具だ。しかし、これが嬲るためだけの道具だったと言われると、意気消沈どころの騒ぎではない。勿論、武器というものは、『武器』である以上、何者かを傷つけるためのものであるのは間違いない。しかし、同時に護るためのものでもあり、更に美しさの象徴でもある。そして、正しい用途に用いられようとする武器ならば、美しい……。そう思いたい。

 あれほどの美しさと強さを持つ武器防具が……。

 もはや、高次の行動原理は納得いくものではなかった。

 何のために生き、何のために死んでいくのか。生命の持つ根本的な問いを全て踏みにじる一連の事実が並べられ、ファルガは些か食傷気味だった。

 ただ、そんな目的の超神剣の装備も、何者かの手で作られている。

 それも当たり前のことだ。

 剣や防具が存在する以上、誰かが造ったに決まっている。それが、神皇と名乗る高次能力者達が造ったのだとわかっただけのこと。

 三年前の巨悪との戦闘を控えて、当時神勇者候補であった少年ファルガ=ノンともう一人の神勇者候補であったガガロ=ドンは超神剣の装備を準備した。

 時を同じくして、女神ザムマーグと神賢者候補レーテは『暁の銀嶺』を共に組み上げた。

 だが、言われてみれば神賢者用のもう一つの超神剣の装備『黄道の軌跡』は、ゾウガから与えられている。

 そして、神勇者の超神剣の装備は、聖剣の封印を解くことが入手条件だった。

四本の聖剣がそれぞれ竜王剣と光龍兜、蒼龍鎧の上下に戻った時、超神剣の装備は神勇者を包んだ。しかも四聖剣とは、巨悪の目を欺くための封印だった。

 神勇者の装備と神賢者の錫杖は、もともと存在したもの。

 その作成を、神皇ゾウガがアシスタントとなりつつ、その『界元神皇』という存在が執り行なった、ということなのか。

 気の遠くなるような話だ。

「この界元では、超神剣の装備が元々剣として創られているため、『超神剣』という表現になってしまっていますが、各界元の神勇者の持つ武器は剣に限りません。従って、『超神剣』という言葉そのものは他の界元には存在しません」

 ゾウガはそういうと、半ば放心状態のファルガを魔法陣の中に招き入れた。

 魔法陣の中に両足を踏み入れた瞬間、外から見る限りでは何かあるようには見えなかったはずの魔法陣の中に、人が一人やっと通れるほどの漆黒の渦があることに気づくファルガ。

 いや、あの黒い塊をゲートだとわかったのが奇跡かもしれない。 

「ファルガよ。そなたの前に出現しているゲートこそが、神術≪洞≫のモデルとなっている道具術です。我々はそれをゲート、と呼びますが、歴代の神勇者はこのゲートの存在すら知りません。このゲートは、ドイム界元が生まれた時には既にありました。私の記憶において最古の存在です。私は、このゲートを護るためにここに城を建てたのです。

 そもそも『精霊神大戦争』の戦闘要員であった神勇者は、あくまで自分の界元のバランスを取っていればよかった。他の界元のことに干渉する必要は全くありませんし、するべきでもないでしょう。

 今回のように、他の界元に行って活動することは、ドイム界元の神勇者史上、古今東西ありませんでした。当然、今までその可能性があったことも、歴代の神勇者は知りません。従って、このゲートの存在はそなたの星の神も知りません。

 このゲートは、特異点の数だけ……即ち、界元の数だけ存在しているようです。ゲートとゲートを結ぶ回廊は存在しません。物理的に遠く離れているはずの空間がゲートで繋がってしまっている。いいえ、元々接触していたはずの空間が大きく離れた時、そこに一部だけ接触点としてのゲートが残った、という方が正しい。そんな状態なのです」

 彼が呼ばれた理由について何の説明もせぬままゲートの説明のみに終始し、ファルガをゲートに潜らせようとするゾウガ。だが、流石にファルガもその命令を鵜呑みにするわけにはいかない。今回の神勇者としての活動の目的と方法がわからなければ、行く意味がそもそもない。

「ちょっと待ってください。

 今回の呼び出しがイレギュラー中のイレギュラーであることはわかりました。

 で、この呼び出しの目的はなんなんですか?」

 少し沈黙するゾウガ。伝えるのを渋っているというよりは、誤解を招かぬよう言葉を選んでいるように感じられる。

「今回のそなたの目的は、魔神皇になり切れないまま大きな力を振りかざし、界元の存在を否定しようとする、今回戦ってなんとか倒したグアリザムのような存在の抹殺です。

 魔神皇と神勇者、神賢者の戦いはどの界元にも存在します。その結果については魔であろうと妖であろうと受け入れなければなりません。しかし、明らかな横やりが存在するのです。

 そなたの役目は、他の界元において本来執り行われるべき、所謂『精霊神大戦争』の邪魔をさせないことです」

 ファルガは渋い顔をした。

 別界元を成立させるための準備を、自分がするのか。しかも、どうするのかはわからない。

 なんだかわからないが、難易度が高いのだけはわかる。

 だが、一体何を根拠に自分をその役割に当てたのか。

 色々思案をしてみたが、どうにも他界元に行ってみて具体的に何をすべきなのかは、皆目見当もつかない。

 だからこそ行ってみなければなるまい。

「この≪洞≫の先に、界元神皇様がいるんですね?」

 ファルガは目を逸らすことなくゾウガを見据えた。

「……なら、早くそこに連れて行ってください。早く行く方が、色々覚えられるはずです」

 ゾウガがフードの下でニヤリと笑ったような気がした。

 高次の考えることは理解に苦しむ。

 再度そう思いながら、ファルガは黒いゲートを潜った。


 ゲートそのものは、空間に漆黒の闇のケープが掛けられているかのようで、覗き込んでもその先の様子は何も見ることはできなかった。しかし、ファルガが通り抜けた瞬間、先程までとは別の場所にいることがわかった。空気の色が、空気の匂いが、その他の名前すらない空間の構成要因が、差異を声高に謳っていた。

 ゲートと≪洞≫の術との圧倒的な違いは、その安定感だった。物理的に繋がっていないはずの場所と場所を強制的に結びつける≪洞≫は、非常に不安定だったが、このゲートは全く乱れる様子がない。元々一つであったものが、何かしらの膨張により離されてしまった。まずそこにありきの存在。そんな印象を受ける。

 そして。

 周囲を取り巻く雰囲気が、ファルガのいたドイム界元とは明らかに違う。

 悍ましさはない。むしろ、落ち着いた気持ちにさえなる。

 この世界にあるものは、何一つ有害ではないのだろう。それはなんとなくわかった。

 だが。

 呼吸をしても大丈夫だろうか、眼を開けても大丈夫だろうか、と警戒心を持たざるを得ないと感じてしまう程、五感に訴えかけてくる何かがある。当たり前の要素が一つも見当たらない。それほどに別世界だった。

 ほんの少しでも色や形が異なれば、その違和感で自律神経がやられ、体調が悪くなる人間もいる。壁の色や窓の形、果ては建物の微細な歪みでも体調に影響を受ける人間もいる。

 大気の匂いや味、空の色さえ異なり、音の聞こえ方も異なるかもしれぬ。

 そんな人間がこの世界を目の当たりにしたら、発狂する者も数多く出ることだろう。

 前提が通用しない世界。

 自分が五感を駆使して集めた情報が間違っているかもしれない。正解は誰もわからない。

 そこにファルガは放り出されたのだ。

 慌てて振り返ると、背後には先程ファルガが潜ってきたゲートが静かに佇んでいる。

 戻ろうと思えばすぐに戻れる。そう考えることで、なんとか平常心を保とうとするファルガ。

 馴染むしかない。

 新しい界元に来たのだ。物理法則も全く異なるかもしれない。そう考えると不安しかない。

「≪洞≫の術は、無理に空間の切り口を一つにくっつけていた感じだけど、ゲートは、むしろ途轍もない距離の場所同士を自然に繋いでいるような、どちらかというとそれが本来あるべき姿、という感じだな。ゾウガ様が時間をかけて創った≪洞≫のゲートとは、危うさが違う気がする」

 不安を払いたいファルガの独り言。だが、それに返答する者はいない。

 ファルガは背後のゲートを暫く観察していたが、それ以上の動きがないのを確認し、歩みを進めようとする。ゲートを潜った先・新しい界元でも不思議な魔法陣で覆われた中に、ゲートが存在していることに気づいた。

 魔法陣は、ゲートを維持するために設置されたというよりは、ゲートを周囲に見せないための目眩しの為に置かれているようだ。

 ファルガは少し緊張の面持ちで魔法陣から一歩踏み出した。

 そこは、四方を森に囲まれたところ。

 鬱蒼と茂る森だ。そして、黄色い。全てが黄色い。

 紅葉などというレベルではない。周囲に生え揃う木の葉が全て黄色いのだ。濃淡こそあれ、不自然なほどに黄色。葉は勿論、足元にある刈りつくされた下草も。ファルガの知っている植物に分類されるものは、緑色であるところが全て黄色かった。木の幹が、ファルガの界元と同じ色だけに、ただただ不気味だ。

 目から入ってくる情報である色が、いつも見ているものと異なるだけで、異常なほどのストレスだ。

 一刻も早くこの場から離れたい。だが、『魔』と出会った時のような悍ましさは感じない。

 うかつに飛ぶのもまずい。かといって、どの方向に何があるのか、についても皆目見当がつかない。

 慌てるのはいつでもできる。冷静で力が残っているうちに、脱出方法を考えつつ、与えられたものを使って、界元神皇のいる場所に辿り着かなければいけない。

 ≪索≫の術を使い、周囲の様子を知ろうとする。だが、不思議と城の外観まではわかるが、そこから≪索≫の触手が伸びていかない。何か固いものにあたって先に進めない。まさか、『氣』を走らせて情報を収集する≪索≫を通さない物質が存在するのか?

 森林の中にいるのはわかる。ただ、周囲を見回すとそれが緑ではなく黄で覆い尽くされている。それだけなのだ。

 だが、その違和感を、彼は拭うことがなかなかできなかった。

「そなたがドイムの神勇者か」

 森林にいるはずなのに……。周囲には誰もいないはずなのに、耳元で言葉を掛けられた気がした。

 これは思念だ。思念で語り掛けてくる存在がいる。

 一瞬目が回ったような感覚の後、もう一度周囲の様子を確認した時には、巨大な城の前に立ち尽くしていることに気づく。

 いったいいつこの巨大な城は出現したのか。いや、元々そこに存在していて知覚することが出来なかっただけなのか。

 巨大な城であるはずの眼前の構造体だが、岩から切り出したブロックを組み上げて築城する本来の製法、ブロックを交互に重ねあげていく製法で出来上がるはずの模様が全く見当たらない。つるりとした巨大な岩が直立した状態で存在しているような印象を受ける。

 とてつもなく巨大な一つの岩石をくりぬいてできたと思われる城。

 そして、その周囲には何も存在しない。強いて言うなら、雲が無数に浮いている。そこでまた驚くのは、雲が眼下に広がっているということ。城が雲の上に存在しているというのか。

「この城は浮いているのか……?」

 ファルガは、なんとか状況の把握に努めようとした。しかし、何もわからないまま、再度眩暈を覚え、その次の瞬間には、王の間のような豪奢な空間にいた。

「ドイムの神勇者よ。そなたは『氣』のコントロールはできるようだが、まだ視覚や聴覚に頼っているようだな。それだと、欺かれることも多かろう」

 何を馬鹿な。

 ファルガは思う。

 神勇者となったファルガを欺くなど、そうたやすい話ではない。

 恐らく、ドイムの神皇ゾウガですら、ファルガを欺いて何かを行なおうとするのは難しいはずだ。だからこそ、最後の鍛錬で、ゾウガはファルガとの直接模擬戦闘を避けたのだ。

 今ならわかる。

 だが、今のファルガは眼前で目まぐるしく変わる様子に魅せられ、前後不覚に陥りかけていた。卒倒しそうな状態だったファルガが、開けた空間に導かれたのはある意味幸運だと言える。

「素晴らしい戦士に育ったな。

 まさかグアリザムを一人で倒すとは。もし、君がグアリザムを倒せなければ、私もその戦闘に割って入り、共闘するつもりでいたのだ」

 聞き覚えのある声。

 しかし、『氣』に覚えがない。

 というより、『氣』の波動が人間のそれではない。いったい何者なのか。

(人ならざる者なのか?)

 ファルガは、朦朧とする意識の中、聞き覚えのある声の主を探した。

「『氣』を感じることはできるようだが、その『氣』の書式は界元によって異なる。自らフィルタを掛け、自分の馴染みの『氣』の書式に書き換えてから読み取らないと、心をやられるぞ」

 急速に彼の眼前にある『氣』が、未経験未体験の状態から、なんとか馴染みのある感覚へと変わっていく。それは『氣』を感じる時に、自分の馴染みのあるフィルタを自らの『氣』にかませることで、己に負担のかかる全く異なった『氣』の受信ダメージを軽減しようとしているのだった。

 それは丁度、光が強すぎる空間において、サングラスなどの色眼鏡を掛けることにより、光を受け取る量を減らすように似ている。サングラスを通じてみた景色は、黄色のものは黄色には見えないが、自分の頭の中で変換し、黄色として認識している。

 それができるようになれば、『氣』を感じる際の違和を軽減できるのだという。

 なんとなくその人ならざる者の様々な表現を、自分が見えているものに置き換え、理解することでストレスも軽減できる。それはいわば、『氣』の翻訳、といったところか。

 ファルガは目を閉じて深呼吸した。そして、『氣』の波動を身体に取り込み、理解しようと試みた。

 感覚がパチッと何かに固定されたような感覚があり、違和感による恐怖が逓減していく。

「……言うだけある。あっさりとものにしたな。

 ただ、これはこの界元の書式を君の体が覚えただけであり、別の界元の場合は、また書式が異なる。出会った別界元の存在ごとに、その都度書式を読み取る必要はあるが、慣れてしまえば何ということはない。君の界元の神皇様が、その神術は施してくださるはずだ」

 頭に霞が掛かったかのように朦朧としていたファルガだったが、何かがうまくはまり込んだと感じられた次の瞬間、一気に頭の霞が晴れた。

朦朧とした状態で聞こえていた声の主。

 なんとなくそちらにいるはずだと感じ、向けたその視線の先には一人の青年が立っていた。

 ファルガには見覚えがあった。

 ラマ村で夜中に突然不快な『氣』が現れ、それを追うように出現した『氣』の主。

 海中に叩き落とされたファルガと、その救助に来たレーテに手を差し伸べようとした戦士。

 南国の海のような青い髪。頬の十字傷。そして、鋭いながらも優しさを持つその眼差し。

「どうも、覚えてくれていたみたいだな。ファルガ」

 知っている。

 自分は眼前の男を知っている。

 だが、名前も知らなければ生まれも職業も、果ては人間なのかどうかもわからない。

「俺は、貴方を知っている。でも、知らない……。

 貴方は何者なんですか……?」

「そう改まらなくていい。

 俺はカインシーザ。君の界元とは別の、タント界元の神勇者だと言えばわかってもらえるか?」

「貴方も神勇者……?」

 カインシーザと名乗った男は、ゆっくりと首を縦に振った。

 ほんの少し違和感があるのは、恐らくこの男は首肯する際に、実際に首を縦に振ったのではなさそうだ、ということ。だが、ファルガが理解できるように所作がドイム界元の書式に変換されて伝わる。彼の所作が、ファルガの頭の中で自動的に翻訳され、違和感なく受け取れた。

 これが、青い髪の戦士・カインシーザの言っていたことなのだろう。

 ファルガは一度双眸を閉じ、深呼吸をしてから、改めて情報を受け取った。

「俺はファルガ=ノン。ドイム界元の神勇者、と名乗っていいのかわからないけれど」

 眼前の男は口角を上げた。

「確かに君は、魔神皇は倒していない。だが、ドイムにおいて魔神皇の扱いであったグアリザムを退けた。『精霊神大戦争』と同規模の戦闘に勝った、界元神皇の造った武器を装備できる戦士であれば、それは神勇者といって差し支えないだろう」

 ややこしい。

 ファルガは微笑もうとして、カインシーザという別界元の神勇者に自分の意図が伝わるかどうか不安になり、うまく笑えなかった。

 その後、ファルガは神勇者になった後に持った様々な疑問を、カインシーザという男にぶつけてみた。最初は細かいニュアンスが伝わるか不安だったが、このカインシーザという男、意志疎通という意味では、何の障害もなかった。

 王の間のような広い部屋にいたはずが、こじんまりとした部屋に移動していた。これも、界元神皇の力なのだろうか。また時を飛ばされたような錯覚に陥るが、南国の海のような髪の男は、優しく微笑んでいるだけだった。

「もう少し身体を楽にするといい。界元神皇様が、これから私たちが行なうオペレーションの記憶を読み込ませてくださるはずだ」

 そういうと、カインシーザはいつの間にか出現したテーブルセットのソファの片側に腰を掛け、瞳を閉じた。

 まだ周囲の状況の変化に馴染めずにいたファルガだったが、眼前のもう一人の神勇者、カインシーザに倣い、ソファに腰かけ、眼を閉じたのだった。


いよいよ別界元の話がスタートします。

色々な世界観を考えておりますが、死ぬまでに終われるか。

逆に、最終回に繋がるのを先に書き留めて、界遊記を完成させてから、諸々の別界元の出来事を逸話として入れていくのか。

考え中です。

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