マインド=サクション1
不思議な感覚だった。
神皇ゾウガの振り下ろした魔剣『マインド=サクション』。
この紫の刃は、超神剣の装備を身に着けたファルガには接触しなかった。
だが。
見間違いだろうか。
紫の刃の軌跡に沿うように、一瞬周囲の空間が薄紫に染まる。そして、神勇者ファルガ=ノンは、薄紫の空間に触れた瞬間、融けるようにその姿を薄くしていき、完全に姿を消した。
最初、自身の目を疑ったレベセス。
だが、女神も皇帝兵器も、レベセスの見たそれと同じ光景を視認できていたようだった。
レベセスをはじめとする三人は、グアリザムによる『届かぬ斬撃』でばったりと倒れたレーテを目撃こそしていないが、閉鎖疑似空間内で何が起こったのか、およそ理解することができた。
ファルガが徐々に消失していった現象が、レーテの体内でも起こった、ということなのだ。
「……これが、心魂の剥離……?」
レベセスが呻いたのも無理はない。
しかし、謎は残る。
何故レーテの時には身体がここに残り、ファルガの時には肉体も消えたのか。
呟くレベセスに、神皇ゾウガは応じる。
「ファルガの身体から剝がれようとする心魂を、神術にて体に縫い付けた。
これでファルガは体を持った状態で、マインド=サクション内に入ることができたはずだ。
肉体から剝がされた心魂は、高次のエネルギーに分類されるのだが、それそのものは単独で存在することができず、何もしないでいると徐々に周囲に溶けて消えていく。
マインド=サクションには、剣の中に心魂をとりこむために、肉体から心魂を強制剥離させるための神術が施されているようだ。そして、剥がれた心魂を剣に吸収する機能も……。
だが、心魂のみを吸収するはずの所を、ファルガの肉体も暫定的に高次に引き上げ、心魂と同化させることで、ファルガの肉体ごとマインド=サクション内にとりこませた」
絶句するレベセス。
なんと無茶苦茶なことをする少年だ。でたらめな行動は、正にあの男に瓜二つではないか。
レベセスはひとしきり、今は亡き親友の問題点と愚痴を無言で列挙していく。そして、ひとしきり少年の父に対する苦言を紡ぎ終わったその後に、溢れ出るのは感謝の念だけだった。
親友の息子が自分の娘を助けるために、まさかこれほど危険な行動に打って出るとは。
この星の神も、失われた技術を持つ前史の覇者も、娘の救出に助力してくれる。そして、レーテの陥っている状況が、神や皇帝ですらどうにもならない事態だと判明した現在、宇宙の神……界元の神・神皇すら、自分の愛娘を救うために尽力してくれているという事実。
協力してくれている者たちは、レーテを失いたくないと思ってくれているのだ。
レベセスは、ここに集った者達全てが失いたくないと思わせる少女に対し、自身の愛娘でありながらも脱帽しつつ、一抹の恐ろしさすら感じざるを得ない。
と同時に、なぜ人や神に愛されるような人間に育つように、長女カナールを導いてやれなかったのか、というレベセスの苦悩が改めて際立ち、やるせなさに涙した。
薄紫の空間が剣に吸い込まれた後、辺りは静寂に包まれている。
「後は、あの少年神勇者が、どれ程の強い想いを持って、魔剣内に滞在し続けることが出来るかにかかっている……」
神皇ゾウガは天を仰ぎ、誰に語り掛けるでもなく呟いた。
疑似仮想空間を作り出すことのできる神皇ゾウガですら、魔剣マインド=サクションの作り出す疑似仮想空間には干渉できない。
今回のマインド=サクションによるファルガの心魂強制剥離は、当人が望んだからそうしたが、決してゾウガ自身は嬉々として行なったわけではないことを、ゾウガの言葉は如実に物語っていた。
何故なら、マインド=サクションという魔剣自体が、どのような代物であるのか、はっきりとはわかっていないからだ。
心魂の剥離の術は、とてつもなく恐ろしい神術だ。
心魂を身体から剥離すること。
それは剥離された者の命を奪うことと同義であり、やがて剥離したその者の心魂も同じように、消滅の一途を辿ることになる。
心魂と肉体を縫い付ける術は、体を高次化することで、心魂と肉体を一体化させるという効果を持つ。だが、それは同時に、剥き出しの状態の心魂が体の形状を保っている状況だということでもある。
形あるものは必ず壊れる。
本来無形であるはずの心魂が形を持つということは、心魂の破壊ということが、物理的に起きうるかもしれない、ということだ。
形がないならば壊れるという概念は存在しない。しかし、形を持ってしまえば、形が失われれば壊れた、という概念が生まれてしまう。その時に、ファルガはどうなってしまうのか。
人間としての死であればまだよい。
突然の消滅。あるいは忘却。人々の心から忘却されれば、復活の道は完全に閉ざされる。
文字通り、神の『死』=消滅と同じ状況になりかねない。
心魂を護る物理的な防具である『身体』。
この身体を高次化したならば、それは弱点が剥き出しになっているのと同義となる。いや、剥き出しどころの騒ぎではない。弱点が身体の形状をとって実体化したということ。
もし、マインド=サクション内のファルガが、自身の身体を認識し、はっきりと形作ることができたとするならば……、そして、魔剣の中にいる敵の存在を知覚することができたならば……。
あるいは、まだ見ぬ敵を倒すことができるかもしれない。
逆に、自身の身体を認識できなければ、心魂がはっきり高次の状態で形を成してしまうため、敵の攻撃が仕掛けられれば間違いなく、ファルガの心魂はその形状を保てなくなり、存在そのものが霧消してしまう。
心魂をはじめとする高次エネルギーには形がない。そこに形を与えてしまうと、その形が正常となり、その形が失われれば破損、つまり異常ということになる。それこそが形を持つことの最大のデメリットだ。
どれほど強い意志を持つ存在であろうとも、四肢がバラバラにされてしまったというイメージを自身が持ってしまえば、それでもなお生き残っているという自覚を持ち続けることは難しいだろう。
人の心が死ねば、いずれ身体も死んでいく。
人の心魂が崩壊すれば、高次化した体も崩壊し、結果『消滅』んでいく。
目を閉じているはずなのに、周囲の状況が手に取るようにわかる。
だが、その認識の仕方は、肉体を持ったままで高次化した者の常だった。肉体を通しての認識は、現次である存在の行動基本だが、高次に移行すれば、それをせずとも認識はできる。
少年ファルガは、まずは四肢の意識を強く持つことを心掛けた。
心魂を持つ肉体も高次化しており、全ての機能を全ての臓器が持つ。ただ、現次であった頃には明確に役割を分担していた臓器を、高次でも臓器として認識しなければ、その人間は人間として自身を認識できない。
自身を認識できなければ、意識はいずれ融けていく。意識がなくなった心魂はその機能を失い、心魂の『氣』は徐々に『真』へと遷移し、やがて周囲に同化していく。そうなれば、完全な消滅だ。
まずは、自分の体のイメージを明確化し、それを固定することができれば、高次の世界でも現次のように活動が可能になる。
そのように認識したファルガは、眼を閉じたイメージのまま、氣功術≪索≫の要領で周囲を見渡した。≪索≫の球が放射状に広がっていく。
肉体がある時に使う≪索≫よりも更に速く正確に、周囲の様子を掴むことができたファルガ。それは、眼を開けて周囲を観察する以上の情報収集能力だった。恐らく、≪索≫による探索距離も、物理的に長いものだったはずだ。
彼の眼前に、回廊が徐々に姿を現す。
いや……。
回廊はそこに常にあり、ファルガという少年の形状をしたエネルギーが、はっきりとその形を描いた状態でその場に現れ、確定されたのだ。エネルギーがそこで像を形作った、というべきか。
ファルガはゆっくりと眼を開けた。
ファルガにとって……、いや、人間という生命体にとって、眼からの情報は重要だ。
例え、それが高次では無数に存在する情報収集、意志疎通、感情表現の方法の一つにすぎずとも。
そして、本来であれば普通の人間には見ることのできない『氣』の波動や『真』の輝き等も見ることができるように、ファルガは自身の身体を定義付けする。
それは、気が遠くなるような鍛錬だ。
身体が持つ様々な機能を、現次での使い勝手を残しながら高次の世界で存在を確保できるようにするための鍛錬。それは言い換えれば、高次化したエネルギーの身体の再設定だ。
それをやり切ったことにより、少年神勇者ファルガ=ノンは、高次でも活動が可能になった。
一度あの定義づけが終われば、よほど感覚が覆されない限りは、再度『定義』をしなければいけないことは起きないだろう。
ファルガは、自身の丹田に力を籠め『氣』を練る。そして、一度自身の出せる最大の出力で『氣』を高めた。
彼の身体を巻き付くように吹き上がる青白い氣の炎は、現次であった頃の力強さと輝きを持っている。だが、その『オーラ=メイル』は高次のものだ。
少年神勇者は、高次でありながら高次の存在を今までの現次と同じように認識し、対応できるようになった。
ファルガの眼前に飛び込んできたのは、高名な教会の礼拝堂のような豪奢さと美術品のような繊細さとを併せ持つ、とてもではないが人間には創れそうもない回廊だった。
突然、中空に無数の短剣が浮かび上がる。それは刃をファルガの方に向け、一気に襲い掛かった。まるでファルガのいる場所が悪意の短剣が本来いるべき場所であり、そこに戻らなければならないとでもいうような強い意志を持って。
その意志は、ファルガが魔剣内に入って初めて感じた明確な敵意であり、悪意でもあった。
ファルガは背の剣に手をかける。
「……竜王剣は、高次になってもそのままなんだな。凄い剣だ」
呟きと同時に抜刀。竜王剣の刃に輝きが生まれ、一閃された直後の斬撃が、全ての短剣を消し飛ばした。
「高次であるにも拘らず現次の姿を残すことのできた者よ。初めての来訪だな。歓迎しよう」
回廊全体から響き渡る声。その声は美しい女性のもののようにも、雄々しい男性のもののようにも、感情を排した機械的なもののようにも聞こえるのだった。
ファルガは、その言葉には答えず歩みを進めた。
どちらに敵がいるのか、どちらに出口があるのか。ヒントなど全くないが、少年神勇者は剣を手にしながら、ゆっくりと歩みを進める。
ファルガはわかっていた。
歩みを進めている方向については関係がない。恐らく、回廊という認識で理解しているこの空間も、実はあまり意味がないのだろう。
このまま進み続けても敵には出会えず、出口もない。そんな空間が続いているに違いなかった。
だが、ファルガは歩いた。
相手の手の内はわかっている。それでも相手の土俵の上に登った。
相手にそう思わせるためだった。
高次の存在。それは、認識力の増強、そして、行動の影響力の向上がなされた存在。
だが、高次といえども思考力が増強されるわけではない。
認識力が向上するからこそ、得られる情報は格段に増える。
それ故、より多くの可能性を秘めた検討をすることができ、現次が導き出すことのできる最適解より優れた、あるいは見地の異なった解を得る事も可能になる。そして、その解に合わせ行動できる能力も増す。それ故、現次では得ることも与えることもできなかった状況に干渉できるようになるにすぎないのだ。
暫定とはいえ、高次に上がったファルガにはそれがよくわかった。
そして、神勇者になる際に神皇から授けられた知識が、それを後押しする。
それでも。
神皇ゾウガの知識に、マインド=サクションの情報はなかった。
何者に作られたのかわからない魔剣。何のために作られたのかわからない魔剣。
そもそも、剣の形をしている意味があるのだろうか。それとも、形状が剣に見えただけで、また別の何かなのか。
この正体を明らかにする行為そのものが、神賢者レーテの心魂を救うことに直結し、且つ、この魔剣に巣食う正体不明の存在を滅することに繋がるのだと、ファルガは察していた。
そのためには、ファルガはこの魔剣に巣食う何者かを、彼の眼前に引きずり出さなければならなかった。
何時間……、いや、何日……、何年歩いただろうか。ともすれば、何百年、何千年やもしれぬ。気の遠くなるほどの時間を回廊内で過ごしたファルガだが、彼はその期間を同じように歩みを進め続けていた。
魔剣は何も喋らない。
だが。
魔剣は間違いなく動揺を覚え始めていた。
それは、延々と続く回廊から、微かに染み出し始めている。
ファルガは、突然回廊の天井に向け、≪八大竜神王≫を放った。
その後、刃に輝きを宿した竜王剣で、壁に斬撃を繰り出す。
回廊は傷一つつかない。いや、この回廊に、傷がつくという概念があるかどうか。破壊されるという概念があるかどうか。
それでも、ファルガは自身の知る攻撃方法で回廊を攻撃し続ける。
高次でありながら、明らかな肉体を確保した少年神勇者に、マインド=サクションは恐怖を覚え始めていた。
「ふはははは! そんなことをしても無駄だ。お前の力では、この回廊を破ることなどできぬ!」
回廊全体から響き渡る、マインド=サクション内の敵の声。
その言葉や声色には微塵も動揺や恐怖は感じられない。
それでも。
ファルガは、確実にマインド=サクション内に存在する敵に、心理的な圧力をかけることに成功していた。
高次でありながら、現次の情報を主体に『氣』のエネルギーを構成し、肉体を形作る存在。
高次ゆえ、時間による劣化等は、現次の肉体とは比較にならない。いわば、物理法則も時の流れも体感的には全く異なっている。
だが。
それを全く感じさせない、新しい来訪者。
その存在の目的が、マインド=サクション内に巣食う敵には到底理解できなかった。
目的がわからなければ、行動理念もわからない。行動理念がわからなければ、行動パターンもわからない。
単純にそれだけの話だ。
マインド=サクション内に存在する回廊を、ただひたすらに歩き続ける。
たったそれだけの行動だったが、少年ファルガの存在と、その力だけは間違いなく剣で渦巻いている。
行動原理のわからない、巨大な力が眼前に迫っているのだ。
マインド=サクション内の敵は、ついに動揺しているのを自認してしまった。
「お前は……、この場所に一体何をしに来た!」
先程までの、空間全体から響き渡る声ではなく、正面の回廊の先から聞こえてくる声。そこには、幾許かの恐れを孕んでいた。
「現次の存在でありながら、何者かの手を借りて高次となり、この剣の中に侵入してきた。それどころか、この空間を壊そうとさえしている。
お前は、一体何者なのだ。何のためにこの場所に来たのだ。お前の目的は何なのだ」
マインド=サクションに巣食う者が、しきりにファルガの行動の意味を察しようとする。だが、それについてもファルガは反応をしない。
ひたすら天井や壁、床に向けて≪八大竜神王≫を放ち、竜王剣で斬り続ける。そして、何かを思い立ったようにまた歩みを進めた。
回廊内に出現した蒼き鎧を纏った剣士。
その存在は、魔剣の主にとって初めての脅威だった。
今までは、魔剣の所持者が斬りつけた相手の心魂を吸い込み、自らに蓄え続けていた。
現次であろうと高次であろうと、最高次であろうと、心魂を剥がされた存在は全て吸収してきた。ドイム界元の者たちは誰一人として知らぬことだが、マインド=サクションは、幾つもの界元の全ての心魂を食らい尽くしたことさえある。文字通り神皇ごと……。
魔剣の主のその目的。
それは、心魂を食らい続けること。
魔剣の主が自我を持った時から、それを目的とした。
魔剣の主が満足のいくまで心魂を食らい尽くした結果、一体何が起こるのか。
それについては魔剣の主もわからない。
それは、生命体と呼ばれる『氣』で構成される存在が、『真』を吸収し体内で『氣』に変えることで活動の力の源を得ているようにも似ている。
生命体は、何かしら目的があって『真』で構成されるものを摂取し、体内で『氣』に変えているわけではない。そうすることが己の存在を長続きさせる条件であり、その条件を満たすために行なっているにすぎない。その先に設定される目的など、ないに等しい。
しいていうならば、『氣』の生命体として存続することが目的、といえるだろうか。
魔剣の主は、それと似たような状況で、今まで存在し続けてきた。
ところが、それを邪魔しようとする者がいる。
そもそも、心魂以外の存在が『剣宮』に存在したことはなく、その存在が明らかに自我を残したままこの場所にいるということが、過去に例のないことなのだ。
得体の知れぬ存在の初めての出現。
恐怖。
それは魔剣の主が今までに一度も感じたことのない感情だった。
対象を認識すると、身体に冷たいものが走る。気持ちが萎え、ともすると逃げ出したいような衝動に駆られる。どれほどに抗っても、相手は躊躇することなく自身を攻撃しようとする。
魔剣の中に巣食う何者かが、初めて見せた怯えだった。
「……お前の望みは何なのだ……」
一体、何度同じ質問をしただろうか。
その度に、この蒼い鎧の剣士は何も答えず、ひたすら回廊の壁を斬りつけ続け、光の柱を天井に向かって放ち、打ち抜こうとした。
その行為そのものが、主の行動を抑制したり、マインド=サクションの機能を奪ったりはしない。恐らく、そんなことではマインド=サクションに勝つこと……御すことなどできはしないだろう。
だが、ファルガは続けた。
本人が力尽きるまで。
だが実は、神勇者の『氣』吸って形成された刃によるこの斬撃も、氣功術唯一の攻撃術≪八大竜神王≫も、実際には力は使っていない。高次となったファルガのイメージの産物だ。
現実には、力は尽きることはないのだ。
全ては、高次の身体……星辰体が作り出す精神力の影響。
ファルガは、現在の身体を動かす『氣』のエネルギーが無尽蔵であると信じて疑わず、魔剣の主は、自分に迫りくる力が自分に影響を与えるかもしれないと思ってしまった。
神勇者ファルガ=ノンが、魔剣マインド=サクションに対して『敵意をぶつける』という行為が具現化・可視化したものが、超神剣の装備・竜王剣での激しい斬撃と、氣功術唯一の攻撃方法≪八大竜神王≫という生命エネルギーによる大規模衝突エネルギー攻撃で表現されたにすぎないのだ。
レーテの心魂を取り戻すという強い意志で、この場にいるファルガの勝ちだった。
歩き続けるファルガの前に、ついに回廊の行き止まりが見えた。
その行き止まりは、文字通り回廊にそのまま壁を建造したような、回廊そのものが寸断されるような印象だった。
天井も床も、壁も同じ幾何学模様を描き、天井からはシャンデリアと見まごう装飾品があるが、これも天井に描かれた幾何学模様のようにも見える。
床にもタイルが敷き詰められているようにも見えるが、これは恐らく、床の模様であり、魔剣の主の見せたいもの、というよりは、マインド=サクション内のファルガの深層心理によって描かれたものなのだろうか。
そして、彼の眼前に、巨大な水晶玉が姿を現した。
その水晶玉の内部には、まるで宇宙空間が存在するかのように漆黒の闇の中に光の粒が無数に浮かび、色とりどりの煙のような輝きを持つ星雲のようなものも存在する。
そして、その楕円球の水晶に、肩と首まで吸収され、固く目を閉じたレーテがいた。それは美しい胸像のようだった。
他にも何人かの人影や苦悶の表情を浮かべた人の顔が、水晶の中に現れては消えた。
実際に、この水晶に心魂を吸われ、この水晶の中でのみ活動をしている者もいるかもしれない。もっとも、その活動も本人の遺志で行われているのかどうかは不明だが。
レーテを取り込もうとしている水晶が怪しく紫色に輝き、次の瞬間、薄紫の鎧を纏った剣士が現れる。
その容姿は、超神剣を装備したファルガと瓜二つ。
だが。
己の姿を完全に模倣されたはずの少年神勇者は、その存在が見えないとでもいうように、相変わらず回廊の壁を切り刻み、前後左右に≪八大竜神王≫を放ち続ける。
恐らく、マインド=サクションの中に巣食う剣宮の主は、初めてこの地を訪れた高次の身体を持つ現次の敵に動揺を与えるために、その存在をその姿で生み出したはずだった。
にも拘らず、当のファルガは、その存在が全く見えていないのか、剣宮の中で暴れ続ける。
業を煮やした剣の主が、狂ったように放たれるファルガの斬撃を止めるべく、己の作り出した少年神勇者にそっくりの傀儡を戦闘に参加させ、事態の収束を図ろうとしていた。
ファルガの素早い剣が、澄んだ音とともに動きを止めた。
紫の神勇者の姿をした者が、ファルガの斬撃に己の剣を当てることで、ファルガの行動を初めて規制したのだ。
「貴様……、見えているのだな、私が作り出した貴様の現身を」
今までずっと表情の現れていなかったファルガの口角が初めて上がる。
「……やっと正体を現したな。
あんたがさっきから繰り返していた質問を、今度は俺がする。
あんたは、一体何のために存在する。あんたは何者なんだ。あんたの目的は何なんだ」
気の遠くなるような長い時間を存在し続け、飄々と何者かの手を借り、無数の神や神皇の心魂を食らい続けてきたその存在が、無数にある界元の中の一つ、ドイム界元にある一つの惑星に生まれてきた、ただの哺乳類人と爬虫類人の混血児、齢十五歳の少年神勇者に、同じ土俵に引きずり上げられた瞬間だった。
紫の鎧を身に纏った、神勇者を模した存在。
兜の下の表情を伺い知ることはできなかったが、その双眸は妖しく紫色に輝いた。
今度は、竜王剣を模した紫色の剣を振り上げ、何度も打ち下ろす紫の剣士。
凄まじい乱撃、のはずだった。
だが、その斬撃を受けるファルガの表情に変化はない。もはや剣で防ぐことすらしなかった。
「今の俺の表面の力だけを映した偽者の剣なんか、恐ろしくもなんともない。
軽いんだよ、全てが」
斬撃を受け続けていたファルガは、何かを祓うように剣を横に振り、紫の竜王剣を弾き飛ばした。
紫の竜王剣は、紫の神勇者の手から弾かれ、少し離れた壁に刺さった。
紫の神勇者は、掌底を身体の前で合わせ、ファルガに向けて突き出した。≪八大竜神王≫の構えだ。
「……打てるのかよ、氣功術を。
俺の≪八大竜神王≫は、この回廊の壁をぶち破れないんだぞ。そんな程度の破壊力の術を模倣したところで、何の意味がある。何をしたいんだ? 俺を倒すつもりじゃないのか?」
ファルガの威圧が、紫の神勇者を包み、竦ませた。
実際のファルガの≪八大竜神王≫の威力ならば、山の一つや二つ等、容易に消し飛ばせる。レーテと共に放った≪双頭八大竜神王≫に至っては、直径こそ小さいものの、実際の恒星を貫通し爆散させるほどの威力がある。
……心理戦だった。
極度の焦りから、剣宮の主が最も怖れを抱いた相手の姿を模すことで、対抗手段にしようとして創られた紫の神勇者。その存在の放つ術は、やはりそれ相応の威力があるはず。
しかし、実際にファルガが回廊内で乱射して見せたことで、回廊すら砕けない、という心証をファルガも強くし、剣宮の主にも刷り込んだ。その結果、ファルガを模した紫の神勇者の≪八大竜神王≫は、威力の殆どないものとしてファルガは勿論のこと、剣宮の主にもイメージが刷り込まれてしまった。
紫の神勇者は、苦悶の仕草をし、二、三度頭を抱えて上下に振ると、そのまま消えていった。
「レーテの心魂を返して欲しい。それから、俺たちを無事にここから出してくれさえすれば、これ以上俺はここで何もしない。
あんたに恨みはない。グアリザムが所持していた剣だというだけだ、俺にとっては」
ファルガは、感情を織り交ぜずに淡々と伝えた。
高次のエネルギー体となったファルガ。そして、魔剣マインド=サクションも、高次のエネルギーを内包した武器。その戦いは肉体ではなく精神力のそれとなる。
どちらがより『優位である』という精神状態を保って対することができるのか。その戦い方は、神勇者の鍛錬時に神皇ゾウガより授けられている。そのやり方で神皇を消滅せるということも聞かされた。そのやり方で、妖神グアリザムは魔神皇ゼガを消滅、吸収させたのだということも。
「……私は魔剣マインド=サクション。剣を振るった対象の心魂を身体から引き剥がし、吸収することが存在理由。
吸収した心魂を吐き出す方法はない」




